乾いた、冷たい風が吹き抜けていく。
 その風に乗って、昼休みの喧噪が校庭から聞こえてくる。
 だがここには、話し声ひとつしなかった。
 校舎と校舎、そして学校の敷地を囲む高いフェンスが、四角く切り取った小さな空間。アジサイの植え込みと猫の額ほどの芝生は、ここしばらく手入れされた様子もない。丈の伸びた雑草が、ところどころで所在なさげに風に揺れている。
 北向きの壁には大きな窓もない。小さな換気用のものがあるだけだ。陽の当たらない校舎の壁は、いつもひんやりと冷たかった。
 この小さな裏庭は、ルキアが見つけた。まだコンを手に入れる前のこと、校内で一護を死神化させなければならない事態に備えて、一護の肉体の隠し場所を探していたのだ。魂の抜けた肉体をこの芝生に転がしておけば、もし誰かに見つかっても「授業をさぼって爆睡してた」の言い訳も通用するだろう。……硬直した肉体に誰も手を触れなければ、の話だが。
 コンが一護の身代わり(ダミー)を務めるようになってからは、その心配もいらなくなった。
 それでも、ルキアはこの場所が気に入っていた。ここには、誰も来ない。学校の中にこんな小さな空き地があるなんて、おそらく教職員も生徒も、誰一人として気づいていないのだろう。ここは、ルキアと、一護だけの場所だった。

 コンクリートの壁に小さく切り取られた空を見上げると、そこはまるで、どこかへ通じる門(ゲート)のように思えた。……今は帰ることもできない、ルキアの本当の世界へ通じる、ただ一つの道のように。
 ――私は飛べない。手を伸ばせばすぐにも届きそうに見える、あの門まででさえ。この義骸(からだ)に縛り付けられたままでは、もう私は空を飛べない。
「ルキア」
 一護が、低く彼女の名を呼んだ。
 ルキアはようやく一護を見た。
「怖い夢でも見たのか」
「……怖い?」
 つぶやくように、ルキアはその言葉を繰り返す。
 あれを、怖いというべきなのか。あれはただの夢。そして、いずれは現実になること。やがて確実に起こることを、怖れていてどうするのだ。どうあがいても、必ず訪れる事実を。
 ――けれど。それでも。
 答える言葉を探しあぐねているルキアに、一護は黙って手を伸ばした。
 あ、と思う間もなく、長く強い腕がルキアを背中から抱きしめる。
「なにを、一護……」
「黙ってろ」
 一護はそのまま、強くルキアを抱きしめた。
「遊子や夏梨も、まだ時々、悪い夢にうなされることがあるからな」
 そのたびに一護はこうして、妹たちを抱きしめているのだろう。小さく泣きじゃくる声が収まり、妹たちがふたたび眠りつくまで。
 強く、確かな腕。あたたかな体温。
 二人の少女は、この腕に守られてきた。二人の妹たちにとって、一護は無敵の兄貴なのだろう。
 ――私はその腕に、血塗られた刃を握らせている。
 人の子にすぎない一護に、死神としての自分の運命を背負わせてしまった。
 それを、一護は責めはしなかった。ルキア一人が決めたことではなく、最後にその運命を受け入れたのは自分だからと。
 そしてその運命が、一護を早すぎる死へと導く。
 その時に際しても一護は、けして自分を恨みはしないだろう。そんなことさえ、ルキアにはわかっている。一護がたとえ口では何を言っていても、この定明(じょうみょう)を受け入れていることを、この先にあるものすべてをも自らの宿世(すくせ)として受け止めようとしていることを。
 だからこそ……悲しい。
 もっと恨んでほしかった。こんな血にまみれた宿世を背負わせてしまった自分を、恨み、憎み、思いの丈をすべてぶつけてほしかった。何もかもを背負い込もうとしないでほしかった。
 一護の手が、そっとルキアを腕の中で振り向かせる。自分の肩にルキアの頬を押し当てさせ、身体ごと全部包み込むように、ルキアを抱きしめる。
「ルキア。お前――」
「……ち、違う! 違う、これは――!」
 制服のカッターシャツに押しつけられた、白い頬。そこから伝わり落ちる透明な雫が、一護の衣服にまで小さな染みを作っている。
 どうして、とは、一護は訊かなかった。
 黙ったまま、さらに強くルキアを抱きしめる。その細い背が反り返り、呼吸が苦しげになるほどに。
「違う。違う、私は泣いてなど……」
 ルキアはまるで小さな子供がいやいやをするように、首を横に振る。
 泣いてなどいない。死神である自分には、もともと涙など存在しない。そんな、死すべき人の子のような愚かな感情などあるはずがないのだ。
 だからこの頬を濡らすものは、何かの間違いだ。死神として、けしてあってはならないことなのだ。
「泣くな、ルキア」
 ルキアを抱く腕にさらに力がこもる。
 一護のぬくもりが、ルキアの全身を包み込む。
 ひっそりと、誰からも忘れられた小さな空間。その中で、一護はルキアを抱きしめる。言葉も、それ以外の動作も、全部忘れてしまったかのように。
 火照る肌、確かな鼓動。一護はまるで、その身体の中に小さな太陽をかかえているようだ。
 ルキアの頭を支えていた手が、黒髪の中へ差し入れられる。青みがかった光沢を放つ髪を、一護は指先で掬(すく)い取り、やがてくしゃっと手の中へ握り込んだ。撫で、忙しなく掻き回す。
 唇が触れた。
 一護の唇が、前髪、目元、頬、と、ルキアの上をゆっくりとすべり降りていく。
 そして二つの唇が重なる。
 一護はそのキスで性急にルキアをまさぐり、求めた。ルキアの小さな唇を自分のそれで擦り、舌先で輪郭をなぞる。深く唇を合わせ、濡れた舌を絡ませる。
「ん……っ。ふ――」
 背すじを走り抜ける小さな戦慄に、ルキアは身をふるわせた。
 これは単なる肌の接触。何の意味もないこと。なのになぜ、こんなにも胸の中が熱くなるのだろう。鼓動が乱れ、呼吸も定かではなくなる。自分をまさぐるこの唇の熱さ以外、何も考えられない。
 一護の指がルキアの背を辿り、やがて制服のブラウスをまくり上げようとする。
「あ! あ、こら、待て一護。貴様、何を……」
 ルキアは慌てて一護の身体を押し戻そうとした。
 けれど一護は、ますます強くルキアを抱き寄せる。白い喉元に唇を押し当て、ブラウスのボタンを焦れったそうに外していく。押しつけられた身体が、ひどく熱い。制服の厚ぼったい布越しでも、高まり始めた一護の欲望がはっきりと感じ取れた。
 遠くから昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてくる。
「聞こえないのか、一護! 午後の授業が始まるぞ!」
「ばっくれる」
「お、お前はそれで良いかもしれんが、私の予定まで勝手に決めるな! 私はこれでも品行方正な朽木さんで通っているのだから……!」
「うるせえ」
 ふたたび唇がふさがれた。
 一護はそのまま、ルキアを地面へ押し倒した。やわらかな草の芽がルキアの背中を受け止めた。
 制服のリボンタイがほどかれる。白いブラウスの下から、もっと白い肌があらわになる。
「こら待て、待てと言うのに! 貴様、本気で……! 場所をわきまえぬか!」
「ここなら誰にも見つからねえ。そう言ったのはお前だろ」
 短いプリーツスカートがウエストの上までまくり上げられ、腿に硬い指先が這う。
 ルキアは諦めたようにため息をつき、目を閉じた。自分から一護の背中に腕を回し、彼をいだく。
「馬鹿者」
 もう一度、唇が重なった。
 一護の指が、唇が、ルキアの上をすべる。はだけられた胸元に濡れた跡を残し、やがて小さな胸の突起に触れる。
「……あっ」
 掠れた、短い声がもれた。
 こんなことは、何の意味もない。
 自分は死神であり、肉体は仮初めの器にすぎない。ましてやこの身体は義骸、からくり人形でしかないのだ。
 けれど。
 抱きたい。
 抱いていたい。この男を、腕の中に。
 たとえ何もかもが作り物にすぎない自分であっても。
 この熱、この胸を貫く喜びだけは、本物だから。
「ルキア……ルキア――!」
 うわごとのように、一護がルキアの名を呼ぶ。
 それに応え、ルキアは自分から一護の唇に口づけた。濡れた音をたてて舌先が絡み合い、透明な糸を引く。
 一護がルキアの胸に顔を埋めた。茱萸(ぐみ)のように紅くなった小さな突起に唇を寄せ、強く吸う。まるで幼い子供が母親の乳房を求めるように。やがて我慢しきれなくなったかのように、それを強く噛む。
「あ、くぅ……っ!」
 ルキアは思わず小さな悲鳴を上げた。けれど一護は、ルキアを抱く腕の力をゆるめようとはしない。さらに強くルキアを抱きしめ、身体すべてを押しつけてくる。
 火のような体温、鼓動、そして一護の匂いが、ルキアを包み込んだ。
 ルキアを抱いた男は、一護が初めてではない。けれどこんなにもひたむきに、一途にルキアを求めた男は、今まで一人もいなかった。
 硬い指先がルキアの泉へ降りていく。秘めやかに重なり合った花びらをかき分け、潤む花の中へ滑り込む。
「あっ、あ……い、一護――」
 ルキアは強く一護を抱きしめた。
 二人の身体がひとつになる。
「あっ……! あ、くぅ……はああっ!」
 ルキアの華奢な身体が弓なりに反り返る。
 一護の高ぶる鼓動が根元までルキアの中に埋め込まれ、そしてさらに強く猛々しく脈動する。もっと深く、もっと強く、自分の命をルキアの中に刻み込もうとするように。
「い、いちご……っ、も少し、ゆっくり……っ!」
 ――刻みつけてほしい。この身体に、魂に。
 祈るように、ルキアは思う。
 忘れない。私はけして忘れない。
 たとえお前が死出の旅に発ち、永遠(とわ)の輪廻の中で私のことを忘れてしまったとしても。私はお前を忘れない。
 この肌の熱さ、鼓動、口づけ。何もかも。
 お前が私を抱いたこと。ここに生きて、こうして在ったこと。みんな、みんな忘れない。
 ここに、一護がいる。私の中に。これ以上に確かなことなんて、なにも存在しない。
 たとえ私が原子の塵(ちり)にまで分解され、吹き飛ばされ、世界中に散らばってしまったとしても。私はお前を忘れない。その塵のひとつひとつにまで、お前のことを印しておくから。
 だから抱いてほしい、息が停まるくらい。刻みつけてほしい。お前の生きた証(しるし)を。黒崎一護という人間が、ここにいたことを。
 それが、このことの意味。二人、抱き合うことの、たった一つの意味。
 一護がルキアを性急に突き上げる。若い身体は我慢が利かない。自分の欲望にせき立てられて、白磁のような胸に手をかけ、指の跡が残るほど強く握りしめる。紅色に染まった小さな突起に唇を当て、歯をたてる。
「あっ、は、あ……い、一護……っ!」
 ルキアの中をさざ波が走る。痛みさえ、一護がもたらすものは歓びに変わった。大きな波が生まれ、何度も何度もルキアを押し上げ、追いつめる。一護が大きく動くたびに、その波もさらに高く激しくなっていく。
「あ、い……一護、もっと……っ! もっと、一護……!!」
 熱いものがあふれ出す。一護の激しさに応え、二人の身体を濡らしていく。ぬめる雫がルキアの白い腿にまでしたたっていた。甘い汗の香りが散る。
 もっと、もっと。祈るようにすがるように、ルキアは思う。もっと強く一護を感じたい。お前をこの身の中に包み込んでいたい。
「一護、一護――っ!」
 ルキアは背を弓なりに反らし、一護を抱きしめた。二人つながり合った部分が、さらに強く彼の身体に押しつけられる。そうすることで、一護をさらに深く受け入れようとするかのように。
 唇からこぼれるのはもう、一護の名前だけだ。ほかの言葉など、みんな忘れてしまった。
 身体中で何かが真っ白く光り、スパークしている。
 二人のリズムが一つになり、同じところを目指して一気に駆け上っていく。
「ルキア……っ!!」
「ああっ! あ、や……一護――一護、も、もう……っ!」
 もっとも深く、もっとも強く、二人の身体が結びつく。唇も胸も、紙一重ほどの隙間もなくぴったりと重なり合い、何もかもがまるで一つの身体のように分かちがたく溶け合っていく。
 そうして二人は同時に頂点ではじけ散った。





 気がつけば、あんなに一つだと思っていた二人の身体はほどけ、やはり離ればなれの別の身体だった。
 さっきまで一護の鼓動が埋め込まれていた部分は、今は空洞ができてしまったように淋しく、切ない。まるで一護がそこから抜け落ちると同時に、ルキアの中から何かが引き出され、無くなってしまったみたいだ。
 それでも一護は、ルキアの身体をその腕に抱いていてくれた。
「ルキア」
 すっかり乱れてしまった黒髪に、一護はそっと口づける。
 汗ばんだ身体が静かに冷えていく。
 ルキアは目を閉じた。何も言わず、一護の胸に身体を預ける。その奥から響いてくる精緻な優しい鼓動に、耳を傾ける。
 遠くから冷たい風が吹いてくる。小さな隠れ家のような空間にそっと吹き込み、草の葉を揺らしただけで通り過ぎていく。
 そのまま二人は、黙っていつまでもそこに座っていた。
















 
神様。
 どうか、神様。
 この歓びが、罪だというのなら。
 どうぞ、私をお見捨て下さい。
 私はもう、貴方のみもとへは還れません。
 折れた片翼では、痛くて痛くて、もう空を飛ぶこともできないのです。
 ですから、どうぞ神様。
 私をお見捨て下さい。
 お許し下さいとは申しません。
 どうぞ私をお見捨て下さい。
 血に汚れ、愚かな私をお見捨て下さい。


 幸福になど、なれなくて良いのです。
 私は、このまま傷の痛みにあえぎ、汚れ、
 泥の中で這いつくばったままで良いのです。


 ですから、どうぞ神様。
 お忘れ下さい。
 お見捨て下さい。


 私は、
 このままで良いのです……。

←BACK
↑TOP
  うーん、ちょっとヲトメチックすぎたかしらん……?
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送