【 拘 禁 】
 あたりには血の臭いが満ちていた。
 そこは護廷本部の入り口であり、戸口は大きく開け放たれている。瀞霊廷全体を見渡せる高層の建物には、いつも周囲から冷たい風が吹き込む。
 けれど血臭は濃く重く澱み、イヅルの身体にまで染みこんでいきそうだった。
 吐き気がする、と、イヅルは思った。
 血の臭いなど、飽きるほど嗅いでいる。わずかな臭いでも気づきはするが、たとえ死体が山積みになっている湯灌場
(ゆかんば)に立っていても、もう何とも思わなくなっているはずだ。
 なのに今は、金気
(かなけ)臭いこの臭いがひどく煩わしく、不快に感じられ、我慢できないと思う。腹の底に力を込め、努めて平静を装っていなければ、みっともなく膝が笑い出してしまいそうだった。
 どうしてだろう。昔から知っている男のものだからだろうか。
 目の前にぐったりと横たわる一人の男。呼吸は弱く乱れ、今にも途絶えそうだ。その髪は、胸元からあふれ出す鮮血と同じ色をしていた。男を載せた担架が、見る間に赤く汚れていく。
 阿散井恋次。イヅルと同じく護廷一三隊の副長を務める男。場末の流魂街から這い上がり、同じ副長仲間の間でも、傑出した戦闘能力は高く評価されていた。イヅルは上背はあるが押し出しの足りない自分と比べ、何と強健なと、恋次を羨むことさえあったのだ。
 それが今、朱に染まって横たわっている。名も知れぬ旅禍に斃され、命も絶えようとしている。
 彼が隊長と仰ぐ六番隊の朽木白哉は、たった一言のもとに敗者を切り捨てた。
 思わず抗議しようとした五番隊の副長を、イヅルは肩を掴んで押しとどめた。
「だって吉良くん……っ!!」
 それでもイヅルの意図は察したらしい。懸命に怒りの言葉を呑み込み、強く噛みしめられた小さな唇。イヅルを見上げる大きな黒目がちの目元には、怺えきれない涙がにじんでいた。
 見下ろす肩は小さく華奢で、今もまだふるえていた。思わず出てしまったクセなのか、口元にあてた指先がいじらしい。
 自分と同じく、この血臭に怯えているのだろうか。イヅルはふとそう思った。
 彼女の前で醜態はさらせない。何事もなかったかのように、いつもどおりの顔をしていなければ。そばにいる者がうろたえては、彼女の不安もさらに増してしまうだろう。
「心配せんでもええよ。四番隊なら、ボクが声かけてきたるから」
 黒い死覇装の上に重ねた、白の袖無し羽織。一三人の隊長にのみ許されるその装束を誇ることもなく、銀色の髪の男が飄々と手を振る。
 護廷三番隊隊長、市丸ギン。
「ついておいで、イヅル」
「はい」
 直属の上官に気安く手招きされ、イヅルは反射的にその命令に従った。
 建物から建物へ長く巡らされる空中回廊を、ギンに従って早足で渡り始める。強く吹き抜ける風にさらされて、ようやく全身にまとわりつく血臭が消えていった。
 ちらりと振り返ると、まだこちらに向かって懸命に頭を下げている小さな姿が、視界の端に映った。
「かぁいい子やねぇ」
 ギンが言った。
「名前、なんやったっけ」
「雛森……です。雛森 桃」
「ああ、そうや。五番隊の副隊長さんや」
 薄い唇を歪めるようにして、ギンは笑った。死覇装の袖を、高所を吹く強い風に心地よさそうにはためかせている。
「藍染隊長がえらいご執心やてな。風にもあてんと可愛がってるそうやないか」
「はあ――」
「まあ、無理もないわ。あない、縋りつかれるような目ぇして見上げられたらなぁ。どんな男でも、でれぇとなるやろ」
 空中回廊を渡り終え、各隊の詰め所が収まる本部塔へ足を踏み入れる。とたんに外光は入らなくなり、一瞬、あたりが真っ暗に感じられた。
 イヅルは思わず立ち止まった。
 目を瞬かせ
(しばたたかせ)、少しずつ目が慣れてくるのを待つ。
 まだ残る暗がりの中で、ギンが振り返った。
「で、お前。何しとんのや」
「……は?」
「あの娘が欲しいのやろ? 早う抱いてまえ」
「た、隊長、なにを……!?」
 イヅルの声が思わずうわずった。かっと耳元が熱くなり、頬から耳朶にかけて血が上って薄赤く染まったのが自分でもわかる。
 だが相変わらずギンは、飄々とした笑みを浮かべてイヅルを見ていた。何の感情も伴わない、どこかは虫類めいた笑みだった。
「何を手ぇこまねいとんねや。ただ見とるだけでええんか。だらしのない男やな」
「い、いえ、なにも僕は――っ!」
 二の句も継げず、うろたえるイヅルに、ギンはその顔を下から覗き込むように近づいた。
「惚れとんねやろ? さっさと抱いてしもたらええねん。相手がいやや言うたら、力ずくで犯してやったらええ。そのくらい簡単やろ」
「隊長!」
 それは、ギンの言葉を否定するつもりで発した声だった。
 だが逆に、上官の言葉に触発されるように、かあっと熱いものが身体の芯からこみ上げてくる。我知らず指先がふるえ出し、イヅルは強く拳を握り締めてそれを押さえつけるしかなかった。
「欲しかったら、腕ずくでも自分のものにしたらええ。せやろ?」
 イヅルはもう、返答もできなかった。
 くくく……と低く、喉の奥で絡みつくようにギンは笑った。イヅルの肩に腕を回し、さも親切そうに顔を寄せて、耳元にささやく。
「抱いて抱いて、滅茶苦茶にしたったらええ。絶対にお前のもとから逃げんようになるまで、鎖でつないでやるんや。それでも抗うなら、脚の一本もへし折ったれや。あの娘がもう何も考えられんようになるまで、犯して犯して、身体中にとことん、お前のことだけを刻みつけてしもたらええんや」
「隊長……」
「そうしたいのやろ? 可愛い女や、お前だけのものにしたいねやろ?」
 ギンのささやきが身体中に染みていくような気がする。それはイヅルの身体の中に忍び込み、血管に溶け込み、全身を駆けめぐって、イヅルの中の何かを根底から染め変えてしまうようだった。
 イヅルはのろのろと視線をあげた。どこか焦点の合わない目で、ギンを見る。
 うつろな視線の先で、ギンはいつも通り、底の見えない笑みを浮かべていた。
 ……そうだ――。半分白く霞んだようになってしまった頭で、イヅルはぼんやりと思った。この人は、いつもそうだ。副長としてもっともそば近くに控えているイヅルさえ、この男が何を考えているのか、わかった試しがない……。
「隊長……」
 ふと、言葉が漏れていた。
「た、隊長は……。そういうことを、なさったことがあるんですか……」
「いぃや」
 気軽そうに言って、ギンは首を横に振った。
「そこまでしたいぃ思う女には、会うたことないんや。お前が羨ましいわ」
 それは、いつもどおりのギンの笑顔、飄々とした声だった。
「なあ、イヅル。手遅れになってしもても、ボクは知らんで?」
 ギンがすい、と離れる。
 そして、まるで何事もなかったかのように、長く暗い廊下を足音もさせずに歩きだした。
「ほらイヅル、早うせな。阿散井クンが死んでしもたら、いくら上級救助班を呼んだかてもう遅いやろ」






 ――手遅れになっても、ボクは知らんで。
 ギンのその言葉を、イヅルは「雛森 桃が他の男のものになってしまってからでは、遅いだろう」という意味に取った。
 だが、本当にそれで正しかったのだろうかと、今になって思い返す。
 三番隊の拘禁牢に押し込められ、冷たい壁を睨みながら、イヅルはふと考え込んだ。
 目の前の白壁には無数の爪痕や血痕、さらには得体の知れない打撃痕などが刻みつけられている。立ってその痕に手を触れてみると、だいたい人の背の高さであることがわかる。黒っぽく、丸く窪んだその痕は誰かが己れの額を壁に打ちつけた痕ではないのか。……おそらくは、自らの頭が割れるほど、強く。何故そんなことをした者がいるのかについては、イヅルは考えないことにした。
 目を閉じると、小刻みにふるえていた桃の姿が浮かんでくる。
 桃を抱くことを夢想しなかったとは言わない。夜になるたび、その様を思い描いた。
 いつもは後頭部でかっちりとまとめた黒髪をほどいたら、どんな手触りだろう。桃がゆっくりと身を伏せ、その黒髪をイヅル自身の胸の上にこぼし、横たわる身体を包み込んでくれる様子を、たびたび夢に見た。
 白く華奢な身体の優しいぬくもりに包まれて、眠りたい。彼女がこの胸を枕にしてまどろんでいるさまを、見てみたい。
 小さくふっくらとした唇は、どんな味わいだろう。貝殻のような耳朶を甘く噛んでやったら、どんな声をもらすだろう。その唇が優しく自分の名前を繰り返すのを聞きたいと思っていた。
 だが今は、ギンのささやきが耳の奥に残っている。そのささやきに触発されたかのように、今までとはまったく違う夢想が脳裏をよぎる。
 嫌がり、泣きじゃくる桃。悲鳴をあげ、懸命に身をよじって、自分の下から逃げようとする。自分ではない、他の男の名前を呼び、助けを求める。
 それを無理やりねじ伏せ、組み敷く自分。桃の衣装を引き裂き、その肌をあらわにする。泣いて真っ赤に染まる目元、耳朶に思いきり歯を立てる。やわらかな黒髪を片手に巻き取り、口づけを無理強いする。
 想像の中に響く桃の悲鳴は、吐き気がするほど生々しく、そして蠱惑的だった。
 青白い小さな乳房を、指の痕がつくほど強く握り締め、紅く染まったその先端を噛む。いっそそれを食いちぎってやりたいと、イヅルは思った。
 両脚を開かせ、彼女の秘密をすべて暴いてやる。そして自分を受け入れさせる。欲望のすべてを、その身体の一番奥に注ぎ込む。
 耳の奥に消え残り、ぼうと響く、もはや意味も明瞭ではなくなったギンの声が、その想像に拍車をかけている。
 白い肌に無数の傷を付け、己れの証を刻みつける。残酷な愛撫で、透き通るほど白い肌が薄紅く染まり、まだ幼さが残る肢体が快楽にのたうち回るさまが見たい。彼女が泣いて縋りつき、イヅルの名を呼び、もう許してと懇願するまで、犯して、犯して……。
 それは、夢想するだけで絶頂にも似た快楽をイヅルにもたらした。
 そうだ。手遅れになる前に。
 イヅルは顔をあげた。
 ――桃が、藍染惣右介のように無惨な死体をさらすことになる前に。
 五体ばらばらに切り刻まれた亡骸を抱くわけにはいかないから。
 手が無意識のうちに傍らをさぐり、斬魄刀を探していた。分身とも言える「侘助」を取り上げられたことで、こんなにも不安になるとは思ってもみなかった。
 身体がふるえる。
 それでいいのか。本当にそれが、自分の望んでいることなのか。
 いいや、それを望んでいないと、本当に言い切れるのか。欲望のままに桃を抱き、徹底的に陵辱し、踏みにじることを。
 早くこの牢を出たいと、イヅルは思った。
 同時に、ここを出たら自分は何をするかわからないと思う。
 自分の中にこのような獣じみた衝動があるとは、今まで考えたこともなかった。たとえ外部から注がれた言葉が呼び水になっているとしても、それは間違いなく、イヅル自身の中より生まれ出でたものなのだ。
 そして、イヅルの体内でどろどろと激しく渦を巻くそれを押し込めているのは、もはやイヅルの意志の力ではなく、この拘禁牢の冷たく硬い鉄格子だけだった。
 イヅルはこみ上げる衝動と、それにも勝る得体の知れない不安感とに、ただじっと両手を握り締め、拘禁牢の一点を見つめていた。











                                 
つまり、私の抱いてるギンのイメージって
                                           こんなもん……。得体の知れない関西弁で
                                           ごめんなさい。
                                           このページの背景画像は、「如月の花の館」
                                           様よりお借りいたしました。


                                                  
BACK→
――Talkin’ by IZURU・KIRA
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送