甲高い電子音が古い恋の唄を歌い出し、乱菊はほとんど無意識のうちに、布団の外へ手を伸ばした。
「はい、松本です……」
 伝令神機の通話ボタンを押し、耳元へ持っていったのも、なかば条件反射のようなものだ。返事はしたが、頭の中はまだ半分眠っている。
『隊長!? 吉良です!!
「きらぁ……? え、イヅル? ――なんであんたが、あたしの伝令神機にかけてくんの?」
 枕に顎を乗せ、寝乱れた髪をかきあげながら、ぼーっとつぶやいた。
『隊長じゃないんですか!? あ、あれ、その声――もしかして、ま、松本さんっ!?
 伝令神機の向こうからは、泡食った声が聞こえてきた。
「……そーだけど……。あたし、あんたに伝令神機の番号、教えたっけ……?」
 聞き覚えのある声だとは思うけれど、それ以上、頭が働かない。
 その時、すぐ横から声がした。
「なんや乱菊。それ、ぼくの伝令神機やん」
「えっ!?
 その一言で、乱菊はようやくはっきり目を覚ました。
 慌てて布団をはねのけ、飛び起きる。そして、手にした伝令神機をまじまじと見た。
 乱菊の伝令神機は2シーズンほど前のモデルで、色は淡いパールブルーだ。
 うっかり手に取った伝令神機は、モデルこそ同じであるものの、色は乱菊のものよりグレーがかっている。似てはいるが、乱菊の愛用機ではない。
「きゃ……っ!」
 乱菊は咄嗟に、通話をぶちんと切ってしまった。
 とたんに、ギンの伝令神機がふたたび着メロを鳴らし始めた。優しく、どこかもの悲しい古い恋歌のメロディ。乱菊が自分の機の着メロとして設定している曲と、まったく同じだ。
 これを聞いたから、つい間違えてしまったのだ。
「イヅルからやろ?」
 貸して、と、ギンが無造作に手を差し出した。襦袢を肩に引っかけたきり、下帯ひとつ身につけていない。
 もっとも乱菊も似たような格好だ。ギンの自堕落な姿を責められるものではないが。
「ち、ちょっとギン! あんた、なんで伝令神機の着メロ、あたしのと同じ曲にしてんのよッ! 間違えて赤っ恥かいちゃったじゃないのさ!」
 耳朶まで真っ赤に染めて、乱菊は怒鳴った。
「ええやん。ぼくかてこの曲、好きなんや」
「良くないっ!」
 叩きつけるように、ギンへ伝令神機を突っ返す。
「間違えたんはそっちやろ。だいたい、ぼくの伝令神機に女が出たくらいで、今さらイヅルは驚きもせんわ」
 ぶつくさ言いながら、ギンは伝令神機の通話ボタンを押した。
「なんやねんな、イヅル! ぼくは今日、非番やぞ!!
『三番隊に緊急招集です! 巨大虚
(ヒュージホロウ)の複数出現が確認されました。地区担当員から、応援要請も出ています!』
「巨大虚……!」
 ギンの表情が変わった。
 さきほどの気怠さは消え、瞬時に、護廷十三隊隊長としての顔になる。
「場所はどこや。――ああ。ああ、わかった。詰め所に戻ってたら、二度手間や。直接、現場に向かう。ぼくの分の地獄蝶も出しとったってくれや」
 伝令神機を肩で支え、イヅルに短く指示を出しながら、ギンは慌ただしく身支度を整え始めた。
 乱菊も、枕元の乱れ箱に入れた襦袢を羽織った。しごきの帯で簡単にまとめると、ギンの身支度を手伝う。
 襦袢の袂でギンの斬魄刀を包み、差し出す。
 ギンの『神槍』は、見かけは小脇差しほどの華奢な拵え
(こしらえ)だが、手にしてみると、並みの斬魄刀よりはるかに重い。自身も十番隊副長として斬魄刀を持つ乱菊でさえ、持つと両腕にずしりとその重みが食い込むのを感じる。
「出動なの?」
「ああ」
 ギンは短くうなずき、『神槍』を袴の腰に差した。
「心配いらへんよ。ウチの隊だけで片ぁつくやろ。まだ寝とき」
 そして、乱菊の髪を指先でかき上げる。
 その動きを、乱菊はそっと目の端で追った。
「なんや、心配いらんて言うてるやろ」
 ギンはふっと笑った。
「ちゃんと無傷で帰ってくるがな。ぼくにはお守りがあるよってな」
「お守り?」
 これ、と、ギンは死覇装の衿をぐいとはだけて見せた。
 あらわになった肩口から背
(せな)にかけては、薄赤い爪痕が幾つも刻みつけられている。
 思わず、乱菊の頬に紅の色がのぼった。それらはみな、昨夜、乱菊が惑乱のうちにギンにすがりついて、つけてしまったものだ。
 同じように乱菊の身体にも、激情のままにギンがつけた小さな咬み傷や指の痕が、数え切れないくらい残っている。特に、手荒く苛まれた胸の先端は、まだじんじんと熱を持って疼く。
「これ見たら、何が何でも生きて帰らないう気になるわ。こないな爪痕つけてくれる可愛い女が待っとってくれる思うたら、どんな男でも死ぬに死なれへん」
「……莫迦」
 ギンの肌に痕を残して、それでギンが生きて戻ってくるのなら、どんな疵でも刻んでやりたい。
 乱菊の目には、ギンはひどく生き急ぎ、死に急いでいるようにしか見えない。そんな生き様の男だから、こんな時にはどうしても離れがたく思うのだろうか。離れたが最後、もう二度と逢うことも叶わないような気がして。
 いとおしいとか、惚れたとか言うよりも、ただ、離れがたい。
 場末の流魂街で飢え、餓
(かつ)えていた幼い日々、その飢えを互いの身体をむさぼることで埋めてきたような二人だ。
 それは成長し、死神となって瀞霊廷で暮らすようになっても、変わらない。心のどこかにけして埋めきれない空虚なものを抱え、それを互いの鼓動やぬくもりが満たしてくれないかと願う。
 乱菊はギンの唇に自分のそれを押し当てた。
 ギンは黙って、乱菊の朱唇が触れ、熱い舌先が自分の唇をまさぐるに任せる。
 互いに、自分自身よりも知りぬいた相手の身体だ。抱いて、抱かれて、吐息のひとつひとつまでが、この身に染みこんでいるような気がする。
 だからこそ、わかってしまう。
 止めたところで、ギンが留まるわけがない。
 唇をわずかに離し、乱菊はギンを見上げた。
 この男は、いつか行ってしまうだろう。行き着く先が死地だと知りながら、ただ抜き身の刀だけを恋した女のように胸に抱いて。
「つらいか? 乱菊」
 ギンが少し身をかがめ、うつむく乱菊の表情を覗き込んだ。
「そうかもしれへんなぁ。昨夜はほとんど寝かしたらんかったし、このへん、まだつらいやろ」
 伸ばした指先が、ひょいと乱菊のあえかな部分をいたずらに掠める。
「なっ、なに言ってんのよ!」
「あァ、逆か。乱菊がぼくを寝かしてくれへんかったんやなぁ。えーと、ひぃ、ふぅ……五回めせがまれた時は、流石にぼくもしんどかったわ」
「あたしはそんなことしてないよっ! 五回も六回もやりたがったのは、あんたのほうじゃないか!!
「覚えてへんのんか? 言うてたやん。ぼくにしがみついて、もっと、もっとて――」
「莫迦っ!! さっさとお行きよっ!!
「すぐ戻るよってな。帰ってきたら、昨夜の続きや。待っとったってや、今度は気ィ失うまで達かせたる」
『た、隊長……。お願いですからそういう会話は、伝令神機の通話を切ってから、してください……』





 数日後。
 側臣室を出たところで、イヅルはやわらかくハスキーな声に呼び止められた。
「イヅル。こないだはすまなかったね。びっくりさせちまってさ」
「まっ、ま、松本さん……ッ!!
 イヅルは反射的に回れ右、その場を逃げ出そうとした。
 が、襟首掴まれ引き戻されて、ずるずると廊下の突き当たりへ引っ張り込まれる。
「ねえ、イヅル?」
「な、なんにも聞いてませんっ! 僕は市丸隊長と松本さんの会話なんて、何にも聞いてませんし、絶対誰にも言いませんからッ!!
「わかってるよ。あんたが他人の秘密をべらべら喋るような奴じゃないってことくらい。だからギンだって、あんたを副長としてそばに置いてるんだろうしね」
「は、はぁ……」
 顔面蒼白、額に脂汗をにじませたイヅルに、乱菊はにっこりと笑いかけた。
 濃いばら色に染められた唇が、なんとも艶っぽい。こんな状況でなければ、その唇が浮かべる笑みにうっとりと見とれてしまいそうだ。乱菊が袖に薫きしめた香なのか、ほのかに甘い花のような匂いが、イヅルをふわりと包み込んだ。
「ねえイヅル。今まであたし以外に、ギンの伝令神機に出た女、何人くらいいた?」
「え――」
「何人いるの、ギンの伝令神機に出た女」
 あでやかな笑みはまったくくずさないまま、乱菊はイヅルに迫ってくる。
 外面似菩薩内面如夜叉。
 そんな言葉が、イヅルの脳裏をよぎった。
「ねえ、何人!?
「い、いえ、そんな……。ま、松本さんだけです……」
 すさまじいまでの霊圧が乱菊の全身から噴き上がり、轟々と渦を巻いて、さながら雷雲のようにイヅルに襲いかかった。
 怖い。どんな巨大虚と対峙した時よりも、怖い。
 心臓が早鐘を打ち、呼吸も詰まりそうになる。
「嘘つくと、ためにならないよ?」
「は、はい……っ」
 イヅルは、次第に目の前が暗くなっていった。冷たい汗が全身を滝のように濡らし、意志もまともな思考もどんどん消えていく。
「さ……三人、です。僕の知る限り――」
「そう」
 地獄の責め苦のようだった乱菊の霊圧が、一瞬にしてかき消えた。
 ようやく、陽光を感じる。
 イヅルはぜいぜいと喘いだ。
「ありがと、イヅル」
 乱菊はほほえんだ。
 深紅の牡丹が今を盛りと咲き誇るかのような、あでやかに美しい、魅惑の笑顔だった。
「た、隊長……。ごめんなさい……っ!」





 翌日。
 定例隊首会に出席した市丸ギンの顔面には、目元から顎近くまでくっきりと、三本の長い爪痕が刻み込まれていた。
 あまりにもあざやかなその傷痕に、誰も、四番隊隊長・卯ノ花烈でさえ、傷の原因を訊ねようとはしなかった。
「まったく、未熟だな、お前も」
 本部塔の外部をめぐる回廊で、ホタル族よろしく煙草に火を点けながら、藍染惣右介はかつての部下を見おろした。
 藍染に喫煙の悪癖があることは、ギン以外、誰一人として知らないはずだ。現在、彼の副長を務めている雛森 桃も、もちろん知る由もない。
 何故ギンだけが知っているかと言えば、同じ悪癖をギンに教え込んだのが、他ならぬ藍染だからだ。
「副長にプライベートまで把握されてるなんて、まだまだ修行が足りないよ、市丸。僕は、お前が五番隊の副長やってた時だって、お前に尻尾掴ませたことなんか一度もなかっただろう?」
「はあ……」
 この狸、と、ギンはくわえ煙草をぎりぎりと咬みつぶす。
「イヅルの奴……! あとで、ぎゃーッちうほど、とっちめたる……!!





「おーい、誰か! 三番隊のヤツら、呼んでこいやー! 吉良が乾物
(ひもの)になって引っかかってんぞー!!

                                                  −END−
【哀しき中間管理職・3
       ――恋歌綴り――】
 もしかしたら伝令神機は、現世と尸魂界とをつなぐ通信機なのかもしれませんが、伊江村八十千和が瀞霊廷内で似たような通信機を使ってましたし。伝令蝶は自動移動式のスピーカーみたいなもんで、一方通行の情報伝達ではなく、互いに会話するためにはきっと伝令神機を用いるんじゃないかと。
 乱菊とギンでパラレル書くなら、大正〜昭和初期、芸者と間夫
(まぶ)がいい!「叩かれようが踏まれようが、手にかけて殺されようが、それが怖うて間夫狂いがなるものかいな」……助六由縁江戸桜より(^_^;)
 この頁の背景画像は「幻影素材工房」様よりお借りしました。
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