【哀しき中間管理職】


「おい、誰かいねえか……」
 いつになく張りのない表情で、恋次は四番隊の詰め所の戸を開けた。
 他の隊の詰め所が懺罪宮の守りを固めるように塔を取り巻き、高くそびえる中、この隊の本部だけは瀞霊廷のはずれ、日当たりの良い野っ原にぽつんと建つ平屋建てだ。
 戸口を抜けると、長椅子が並べられた待合室。その奥に、診察室らしい扉がいくつか並んでいる。
 待合室は野戦病院のようだった。長椅子や廊下の端にまで怪我人が寝かされ、その合間を薬品を抱えた看護師や死覇装に白衣を重ねた四番隊の隊士たちが走り回っている。おそらく現世で虚
(ホロウ)と闘い、傷ついた者たちが片端から運び込まれているのだろう。血臭と苦痛のうめき声、そして薬品の匂いが四肢にまとわりつく。
 横たわる怪我人の中に、ひとつふたつ、恋次の見知った顔もあった。恋次が六番隊副長に昇進したことに気後れしているのか、声をかけてくることはない。小さく頭を下げるだけだ。
「ああ、阿散井副隊長」
 死覇装の袖にたすきを掛け直しながら、四番隊第八席の荻堂春信が診察室のひとつから顔を出した。
「そろそろお見えになるころだと思ってましたよ。どうぞこちらへ」
「あ、ああ……」
「すみません、混雑してて。いつものことなんですけどね」
 言われるまま、恋次は「第八診察室」と札の出された部屋へ入った。
 白で統一された狭い部屋。小さな椅子に硬そうな寝台、簡単な診察器具。
 部屋中にたちこめる消毒薬の匂いが、逆に恋次を落ち着かなくさせていた。生まれてこの方、こんな部屋に入るのは初めてなのだ。
 開けっ放しになったドアの向こうでは、今も慌ただしく看護師が廊下を走り抜けていく。
「そこに横になってください。仰向けが苦しいなら、横を向いてもいいですよ」
 カルテを手に、春信が寝台の横に椅子を引いてきた。
「えっと、まずお訊ねしますけど、アレルギーとか、何かありますか? 食物とか花粉とか」
「ねえよ」
「今まで薬でトラブルを起こしたことは?」
「んなモンに手ぇ出すわけねーだろ!」
「……鎮痛剤や感冒薬など、病院で処方された薬を服用した後に、呼吸が苦しくなったり、肌にぶつぶつが出たりしたことありませんかって意味です」
「――ない」
 春信はカルテに何かを書き込むと、廊下に顔を出し、看護師を呼んで短く指示を出した。そして恋次を振り返ると、
「じゃ、まず血液検査と尿検査と……。もう胃カメラまでやっちゃいましょうか?」
「おい」
「あ、心配いりませんよ。胃カメラって言っても、身体に霊力を当てて専用の印画紙に念写するだけですから。人によっちゃ少し寒気がしたりしますが、痛みなどはほとんどありません。あっちの念写室に専門の隊士がいますから――」
「違う! ちょっと待てって言ってんだろうが!」
「何でしょう?」
「ろくに診察もしねえうちから、何で『胃』だってわかんだよ!」
「だって副長さんたちは、みなさんそうですから」
 春信は淡々と答えた。
「あ、違いました? 偏頭痛か歯痛に出ましたか? 人によっちゃ関節痛とかに出る場合もあるんですけどね」
「いや……胃だけどよ」
 恋次は寝台の上に起きあがり、衣服の上からみぞおちを押さえた。
 今もまた、きりきりきり……と細い針で突き刺されるような痛みが襲ってきている。
「なっさけねえ……。流魂街にいた時にゃ、腐ったモン食ったって、ハラなんぞ一度も下したことなかったのによ……」
「そういうのとは違いますからね、ストレス性疾患は」
 春信は手際よく採血の準備を進めている。きらりと注射針が光った。
「じゃ、袖まくってください。ちょーっとチクッとしますよー」
「おい。てめえら四番隊は治癒霊力持ってんだろうが。なんで注射や薬が必要なんだよ!」
「治癒霊力は基本的に、同じ霊力による損傷、つまり斬魄刀による刀傷か虚から受けた傷以外には効力を発しません。あれは、こっちの生命を削って無理やり相手の生命をつなぎ止める荒技ですから。他に手だてがない、緊急時にのみ用いる力です。あなた方だって、年がら年中斬魄刀をフル解放して持ち歩いてるわけじゃないでしょう?」
「そりゃまあ、そうだが……」
「薬草や鍼灸でどうにかなる程度の軽い症状なら、それでどうにかします。あなたが泡噴いて今にも死にそうな状態で担ぎ込まれてきたら、僕だってちゃんと治癒霊力使いますから」
 薬草はそこで栽培してますよ、と、春信は窓の外を視線で示す。そこには色とりどりの花を咲かせたハーブや薬草が、おだやかな風に揺れていた。傷ついた隊士の心を慰めるためのただの花壇かと思っていたが、そうではないらしい。今も四番隊の誰かが畝の間にしゃがみ込み、薬草の手入れをしている。
「植物を相手にしていると心が安まると、皆さんおっしゃいますよ。阿散井副隊長も、ストレス解消にいかがですか?」
「いらねー世話だ!」
 恋次は憮然とした顔で、死覇装の袖をまくった。
 その二の腕を指先で撫で、春信はうっとりとした笑みを浮かべた。
「ああ、いいなあ。この血管。太くて弾力があって、とっても採血しやすそうだ。理想的ですね」
 恋次は表情をしかめた。そんなことを誉められても、嬉しくもなんともない。
「すいません、こないだ入隊したばかりの新人に採血の練習させたいんですけど、替わってもいいですか?」
「はぁ!?」
「だって、最初はこういうやりやすいのからじゃないと。女性の細くて脆い血管じゃ、針がなかなか通らないですし。それに、もし針を入れ損じた時、女性に痛い思いをさせて、その上薬液漏れででっかい黒アザを作ってしまうのは申し訳ないですからね。その点、阿散井副隊長なら、青タン赤タン日常茶飯事でしょう?」
「ふざけんなッ!! 俺は解剖用の標本かあッ!!」
 見かけによらず肝が小さいんだからとか何とかぶつくさ言いながら、春信は仕方なく自分で恋次の腕に細いゴムの管を巻き付け、注射器を構えた。
 が、途中でその手を置き、ひょいと顔をあげる。
「あ、雛森副隊長」
 春信の視線につられ振り返ると、廊下のすみっこに可愛らしい姿があった。
「あの、ごめんなさい……」
「卯ノ花隊長なら、一番奥の診察室ですよ。どうぞそのままお進み下さい」
 採血用の注射器をひょいひょい振って、春信は雛森 桃に進路を示す
(作注:おい、危ねえなあ)
 桃は小さくぴょこんと頭を下げ、廊下の奥へ小走りで消えていった。
「おい」
「はい、なんでしょう」
「雛森は隊長直々のご診察で、なんで俺はお前
(したっぱ)なんだよッ!!」
「しょうがないでしょう。婦人科系の疾患を僕が診察するわけいかないじゃないですか」
「婦人科……!」
「ええ。女性の冷え性ってのは、大概そこに原因がありますからね」
 春信は遠慮会釈なしに恋次の腕に注射針を突き刺した。
「松本副隊長も偏頭痛で卯ノ花隊長のもとに通ってらっしゃいますよ。伊勢副隊長なんかお気の毒に、胃痛と偏頭痛と生理痛のトリプルパンチだそうで。やっぱりか弱い女性の身に副隊長の責務は重すぎるんでしょうかねぇ」
「いや、それは……」
 男女に拘わらず、直属上司との相性が一番大きいだろうと、恋次は思った。
 するとその時、
「荻堂くん。すまないけど、僕の薬……」
 開けっ放しになっていたドアから、今度は吉良イヅルが顔をのぞかせる。
「吉良副隊長。いつもの漢方薬、出してありますよ。薬局に行ってください」
「いや、それなんだけど――。ごめん、ちょっといいかな」
 イヅルは目線で恋次に入ってもいいかと訊いてきた。
 おそらく時間に余裕がないのだろう。恋次は軽くうなずき、春信にもイヅルの用事を先に済ませろとうながした。
「荻堂くん、あの漢方薬……錠剤か何かにならないかい? もう少し手軽に服用できるやつがいいんだけど」
「ですが、あれは体質改善のためにお出ししてる薬ですから、熱い湯で煎じて飲む、あの用法でないと――」
「でも……独特の匂いがするじゃないか、あれ」
「ええ、まあ。漢方薬ですから」
 イヅルは唇を噛んだ。握り締めた両手がふるえ、やがてその手で顔を覆ってわっと泣き声をあげる。
「隊長がイヤミ言うんだよーっ! 『ボクの下で働くんがそんなにストレスたまるんやったら、さっさと辞めてもかまへんよ』って!!」
「隊長って――」
 恋次は三番隊隊長・市丸ギンの顔を思い出した。底の知れない、妙にカンに障るあの笑顔を。
「『堪忍なぁ、イヅル。不出来の隊長で』って、あの笑顔で迫ってこられてみろ! 僕は、僕は……!!」
 同じ真似をされたなら、自分だって胃痛どころの騒ぎではなくなると思う。
「隊長に見つからないように薬飲みゃあいいじゃねえか」
「だって、匂いが身体に染みつくんだよ、漢方薬って!! 詰め所で僕の顔見たとたん、『そない体調不良をアピールせんでもええやんか。ボクがイヅルに負担かけすぎてるんやて重々承知してるがな』って……!」
 あとはもう、さめざめと泣くばかり。
 さすがに恋次も、同情せざるを得なかった。
「ええ、その……わかりました。薬剤担当と相談して、考慮してみますから」

                                ☆

 で、結局。
 恋次に処方されたのも、漢方薬だった。
「胃に疲れが溜まってるんです。強い薬で一時的に胃酸をコントロールすることもできますが、あくまで一時しのぎ、痛みを抑えているにすぎません。それよりは少し時間をかけて、身体本来の快復力を引き出してやるほうが、再発予防にもなって有効なんです」
 白哉に見つからないよう詰め所の裏手で七輪で火をおこし、薬を煎じながら、恋次はため息をついた。
「サンマ焼くんじゃあるめぇし、情けなくて涙も出ねえぜ……」
 ひどく苦い煎じ薬を舌を火傷しながら急いですすり込み、何食わぬ顔をして詰め所に戻る。胃の痛みは、少しだけ軽くなったような気がした。
 護廷本部全体に、十三人の隊長を招集する放送が鳴り響いている。
 恋次が詰め所事務室に顔を見せると、とたんに書類を山と抱えた隊士たちが近寄ってくた。
「すみません、副隊長。この書類、みんな隊長の決裁待ちなんですが……」
 恋次は、固く閉ざされたままの隊長室の扉をちらっと振り返った。呼び出しがかかっているのに、白哉はまだあの中にいるらしい。完全に他者の接触を拒否する気配だ。
「わかった。代理印で済むヤツぁみんな俺んとこ回せ。どうしても隊長の署名がいるものは、隊首会が終わり次第、やってもらうから」
「ありがとうございます、副隊長」
 隊長室では白哉がひどく不機嫌そうな顔をして、執務机にふんぞり返っていた。感情の乏しい鉄面皮は、白哉が今何を考えているかなどまったく読ませない。だが、この二ヶ月近く、副長として白哉のもっともそばに仕えていた恋次は、ほんの少しだけその内心を察することができるようになっていた。
「なにしてんすか、隊長。さっき、隊首会の集合令がかかったでしょ」
「行きたくない」
「行きたくないって――」
「あんな屑どもの顔なぞ、見たくもない」
「くだらねえ我が侭言ってねえで、さっさと行ってください! 遅れたらまた総隊長殿に怒鳴られますよ!!」
「そんなに行きたいのなら、お前が行け。恋次」
「行けるわけねえでしょうが!! ほら、立ってくださいよっ!!」
 棒っ切れみたいに硬直し、抵抗する白哉を、両腕で抱えるようにして、机からひっぺがそうとする。
 その時、
「なんだ、恋次。お前、薬を服用しているのか」
「え?」
「薬の匂いがする」
 恋次の袖を払いのけ、白哉は小さく鼻を鳴らした。
「お前、男のくせに血の道の病か」
「はああっ!?」
「以前、ルキアが貧血の改善で飲んでいた薬と同じ匂いがする」
「違いますっ! 漢方薬はみんな匂いが似てて――!」
「見かけに寄らず、軟弱なのだな。これではまた、すぐに副長の補充を申請せねばならんかもしれん」
 ……だ、だ、誰のせいだ、誰のぉぉっ!!
 かったるそうに詰め所を出ていく白哉を睨みながら、恋次はその背中に一発と言わず五、六発、跳び蹴りかましてやりたい衝動を、必死に抑えつけた。
 後日。
 六番隊副長室に、大量のレバ刺しが差し入れされた。
 送り主の隊長は、白皙の鉄面皮の下、「どうだ、私はこんなにも部下に気を配る良い上官だぞ」と自慢たらたらの表情だ。
「貧血にはレバーが効くのだろう。ルキアはこれがきらいでな。見張っていないと食べようとしなかった」
 もしや白哉は、同様に恋次が山盛りのレバ刺しを平らげるまで、見張っているつもりなのか。体調が万全ならそれも臆せずだが、今の弱った消化器官ではそれは自殺行為に等しい。
「だから俺は、単なる胃痛ですっ!! 婦人病じゃねえですってばっ!!」
 きりきりきり……と、突き刺されるように胃が痛む。
 そして数時間後、恋次はふたたび四番隊詰め所へと向かった。
「ああ、胃が痛てぇ……」
「本当に、絵に描いたような中間管理職の悲哀ですねえ」
 イヅル見てたら、なんか顔色悪そうって思っちゃって……。「血の道の病」とは、貧血、冷え性、気鬱など女性にありがちな症状の総称です。
 実は私も胃痛持ちの偏頭痛持ち。その上、以前婦人科にお世話になったこともあり、その時に処方されたのが漢方薬でした。これがまた、一日三回、食前の空腹時にマグカップ一杯の熱いお湯に溶かして服用、その後三〇分は飲食禁止という、とても面倒なものでした。そうやって熱くして服用することで、体内から身体をあっため、血流を良くして体質を改善するんだとか……。でも猫舌の私には地獄のお薬。おまけに一ヶ月も服用を続けると、薬を飲んでない時ですら「あんた、なんかいつも漢方薬クサイ」、「香港の空港みたいな匂いがする」と家族に嫌な顔をされ……。しくしくしく。

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