「ん……っ。ん、は、あ――ッ!」
狭い空間に、蒸れたような声が満ちる。
積み上げられた藁からは、陽射しの匂いと昼間の熱気が込み上げる。
崩れかけた古い馬小屋。広大なマイエラ修道院の敷地の一番外れにあり、屋根も柱もだいぶ傾きかけているため、現在は秣
(まぐさ)
置き場としてしか使用されていない。陽が落ちれば、誰も立ち寄らなくなる小さな建物だ。
晩課の開始を告げる、時の鐘が響く。修道士達が沈黙の戒律を守りながら、足早にそれぞれの仕事の場へ向かう。
だが崩れかけた馬小屋の中には、それらを無視してもつれ合う二つの人影があった。
「あ、あ……っ。いいぜ、そう――もっと……っ!」
やわらかい金色の髪に包まれた頭を、ククールは胸元に抱え込んだ。
深紅のジャケットは前立てが全部外されて、透き通るような白磁の肌があらわになっている。やや小振りだが、つんと上向いた美しい乳房が、その頂点で揺れるばら色の突起が、闇の中に妖しく浮かび上がった。
ぐちゅ、じゅく、と、淫らに粘ついた水音が響く。
限界近くまで大きく開かれた、白い脚。その間には、青と銀の隊服に包まれた、引き締まった悍馬のような身体があった。
「いぃ、ああ……あ、あ……ッ」
ククールは自分から淫らに腰を揺すった。そうやって、濡れそぼる秘花に雄をより深く迎え入れる。白い喉をのけ反らせ、男の膝の上でしなやかな身体が跳ね踊る。
「ほら、来いよ、もっと――!」
「ク、ククール……ッ!!」
せっぱ詰まった男の声に、ククールは満足そうににやっと笑った。
「いいぜ、出せよ。膣内
(なか)
に出してぇんだろ?」
「ククール、お前――」
男は一瞬、驚いたようにククールの美貌を見上げた。
「そうか。あの噂、やっぱり本当だったのか。お前が昔、魔物に襲われて、その時の怪我がもとで石女
(うまずめ)
になっちまったって――」
「うるせえよ」
ククールは男の後頭部に手をかけ、その金髪をぐいっと引いた。のけ反った顔に荒っぽく口づける。
「くだらねえおしゃべりしてたら、時間がなくなるぜ」
互いの唾液に濡れた唇で、男の耳朶を甘く噛む。ざらついて汗ばむ肌を愛おしげに舐め上げる。
そしてククールは男の肩越しに、馬小屋の入り口へ褪めた視線を向けた。
「なあ、団長閣下?」
「えッ!?」
男が無様な悲鳴をあげた。
「もうちょっと待っててくんない? あと少しで、オレ――気持ちよぉく、イケそう、だから……っ!」
ククールの躰がふたたび淫蕩なリズムを刻み始める。
「ち、ちょっと待て! 団長って――!!」
「あ、あんっ! だめだってばぁ!」
わざとらしいくらいに嬌声をあげ、ククールは男の背中にしがみついた。
その白い躰を、男は無理やりふりほどき、立ち上がった。
男は慌てて隊服の乱れを整えようとした。だが、ゆるめられた衣服の下からは、すっかり縮こまってしまった雄がだらしなく顔を覗かせている。ベルトと剣帯のバックルがぶつかり合い、がちゃがちゃと耳障りな音をたてた。
「だ、団長、誤解です! これは――その、ククールが……っ! わ、私は誘惑されただけです、い、いえ、騙されたんです! 真に道を誤っているのは、ククールの方で――!!」
卑劣な言い訳は、鞭のように鋭い平手打ちの一発で、簡単に封じられた。
男の身体は吹っ飛び、頭から秣の中に突っ込む。
そしてそれきり、ぴくりとも動かなくなった。
「連れて行け」
背後に控える騎士達に、マルチェロは厳酷な声で命じた。
「聖務放棄と欺瞞の罪により、鞭打ち五〇ッ!! 私が行くまで、中庭に晒しておけ!!」
有能かつ寡黙な聖堂騎士は、団長の苛烈な裁きにも疑問の声一つあげなかった。
完全に気絶している若い騎士の身体を両脇から抱え、容赦なく引きずっていく。そしてすぐに、姿を消した。
「怠惰と欺瞞、ねえ……。ねえ、淫欲は?」
教会で七つの大罪とされる罪の名を、ククールは指を折って数えた。乱れた長い銀髪を、うるさそうにかき上げる。衣服は乱れきったまま、プラチナブロンドの髪よりやや色の濃い陰りも、紅く染まって濡れそぼる秘花も隠そうともしなかった。
「ただの聖務放棄に、鞭打ち五〇はちょっと厳しすぎるんじゃないの? あいつ、明日の朝まで息がありゃあいいけど」
マルチェロは無言で、ククールを睨んだ。深い緑の瞳が、火を噴くようだ。
「じゃあ、オレは? 淫欲の罪で、鞭打ち一〇〇ってとこ? 裸にひん剥いて、聖堂のてっぺんにでも晒しとく?」
「団長室で待っていろ」
吐き捨てるように、マルチェロは言った。
「お前への罰は、それからだ」
そしてそれきり何も言わず、きびすを返し、マルチェロは馬小屋を出ていった。
「ちくしょ……っ」
ククールはうっとうしげに乱れた銀髪をかきあげ、口の中に溜まった苦いものを吐き出すようにつぶやく。
「どうしてくれんだよ、また達けなかったじゃねえか……!」
ちろちろと心細げな炎が、暖炉の中で揺れている。
石造りの建物は空気が冷えて澱み、夜になると夏でも暖炉の炎が恋しくなる。だがその重厚な造りが、室内の物音を一切外には洩らさずにいてくれるのだ。
オレンジ色の炎だけを灯りにして、マルチェロは窓から中庭を見下ろしていた。
そこには、宵のうちに鞭打ちの罰を受けた若い騎士が、今もまだ柱にくくりつけられている。容赦なく鞭打たれた背中は肉が削げ、骨まで見えていた。このまま夜明けまで生き延びることができれば、傷の手当ても受けられる。だがあの若者は、聖堂騎士としてはもう二度と使い物にならないだろう。
「もっと早く、忠告しておけば良かった」
ぎりぎりと奥歯で噛みつぶすように、マルチェロは言った。
「ここに居るのは、救国のために遣わされた男装の聖女などではなく、男と見れば誰にでも見境いなく股を開く、ただの薄汚い淫売にすぎないのだと!」
「聞き飽きたな、あんたのその台詞」
ククールは冷淡に答えた。
冷たい石の壁にもたれ、窓辺に立つ庶兄
(あに)
を見つめる。
――聖堂騎士団第十二代騎士団長、マルチェロ。歴代の騎士団長の中でも際だって若くこの任についた彼は、オディロ修道院長の信頼も篤く、また教会組織内での評価も非常に高い。
若い騎士たちが染まりがちな遊蕩や賭博の悪徳にも無縁、ドニの酒場で娼婦と戯れることもない。日々の鍛錬も怠りなく、闘いの場においては微塵の怖れも知らない。いささか容赦のない面もあるが、それも騎士団という戦闘集団を率いることを思えば、美点とも言えるだろう。まさに絵に描いたような理想の聖堂騎士だ。
だがそんなマルチェロにもたった一つ、他者にはけして言えない悪癖がある。病と言ってもいいかもしれない。
「じゃあ、オレも教えてやれば良かったかな。その淫売を、まだ十三の小娘
(がき)
の頃に初めて強姦したのは、他ならぬ操正しき聖堂騎士団長さまで、オレが石女になったのも、魔物に襲われたからなんかじゃなくて、あんたの子供を三回も始末させられたからだってな!!」
「ククール!」
マルチェロの悪癖。それは一〇年近く前から続いている、美しい異母妹との近親相姦だった。
「ああ、最初は自然流産だったよな。あん時ゃオレもまだ十五で、自分が妊娠してるなんて気がつかなかったし。でも二度目と三度目は、あんたが無理やり子堕し
(こおろし)
の婆さんのとこへ連れてったんだ。三度目なんか、薬草じゃもう無理だってんで水銀まで使われてさ。マジでオレも死ぬかと思った。挙げ句の果てにゃあの婆ァ、失敗した、子供を産むのはもう諦めろときやがった!」
「四ヶ月過ぎになるまで、お前が隠していたからだろう! もっと早くに手を打てば、安全な方法はいくらでもあった!」
「産みたかったんだよ、オレは!!」
泣き叫ぶように、ククールは言った。目元に、熱いものがにじむ。
……家族が、欲しかった。無償の愛を注げるものが、欲しかった。
そしてそれ以上に、マルチェロが与えてくれた生命だった。たとえそれが彼の意思に反するものであっても、ただ一つ、彼が自分に贈ってくれたものだと、ククールは信じていたかったのだ。
「腹が大きくなってみんなに気づかれる前に、こんなとこ、逃げ出すつもりだった。どっか遠く――誰も知らないとこへ行って、赤ちゃんを産んで……!! そうだよ、実際うまく逃げ出せたのに、あんたが追ってきて――!!」
「できるわけがなかろう、馬鹿者!!」
マルチェロも怒鳴った。
――罪の子だ。
同じ父の血を引く兄妹の間に、産まれる子である。この世の光を見せるわけにはいかなかった。
「じゃあ……じゃあ、なんで!!」
ククールはマルチェロに駆け寄った。青い隊服の胸ぐらを掴み、力いっぱい揺さぶろうとする。
突いても叩いても、庶兄の身体は揺らぎもしない。
「なんでオレを抱くんだよ! 産ませられないってわかってて、なんで身ごもらせるんだ!!」
涙があふれた。
マルチェロは何も答えなかった。ただ一瞬、なにか物言いたげに眉根を寄せただけだった。
深緑の瞳が、じっとククールを見下ろしていた。
「あんた……あんた、そこまで――」
ククールの両手から力が抜けた。両腕がだらりと下へ下がり、やがて身体全体がぐずぐずと崩れ落ちていく。マルチェロの身体をつたい落ちるように、ククールはその足元にがくりと両膝をついた。
「そこまで、オレが憎いのかよ。そんなにまで、オレを苦しめたいのか……ッ!!」
マルチェロは眉一つ動かさず、ククールを見下ろす。
ククールは力なく、マルチェロの両脚にすがりついた。硬い革のブーツに包まれた膝に、額を、涙に濡れたほほを擦りつける。そうしなければ、今にも目の前が真っ暗になって失神してしまいそうだった。
「だったら……なんで死なせてくれなかったんだよ……。あの時、赤ちゃんと一緒に、婆さんの毒薬で死なせてくれれば良かったのに……!」
上質の絨毯の上に涙がしたたり、小さな丸い染みをいくつも作った。
そのまま床に這いつくばってしまいそうな身体を、マルチェロは腕をつかんで引きずり上げた。
細くしなやかな身体は、容易く男の意のままになる。
「いや……。いやだ、兄貴――っ」
ククールは、マルチェロの腕の中で力なく首を振り、もがいた。
「やめて、兄貴……あに、……あ、に、にいさま……っ!」
懸命に顔を背け、重ねられる唇から逃げようとする。だが強靱な手がそれを許さない。細いあごをつかまれて、無理やり上向かされる。
「いやああ……っ! もういや、兄さま、やめて、お願い――!」
いつの間にか言葉遣いが変わっていた。精一杯悪ぶってすれからした悪口
(あっこう)
ではなく、ククールが本来属していた階級にふさわしい、大人しげで上品なものに。もともと、それがククールの本来の言葉遣いなのだ。
兄さま、兄さま――と、ククールは繰り返しマルチェロを呼ぶ。幼い日、初めて出逢ったこの庶兄を、何の迷いも疑いもなく、ただ無心の思慕を込めてそう呼んだように。
だがその声さえ、強引なくちづけの中に飲み込まれる。
「んっ、ふ、う……っ!」
かたくなに唇を閉じようとすると、顎の関節に指が食い込むほど強く掴まれ、無理やりこじ開けられた。
わずかに開いた隙間に、男の熱く傲慢な舌先が滑り込んでくる。ククールの中をかき乱し、吸い上げ、歯をたて、マルチェロは思うさまククールを蹂躙した。やがて透明な唾液がしたたり、ククールの口元を汚す。
マルチェロの唇は、かすかに酒と血の味がした。
「お願い、死なせて……っ」
わずかに唇が離れると、ククールは振り絞るように訴えた。マルチェロの胸に両手をついて、その腕の中から逃れようともがき続ける。
「そんなに私がお嫌いなら、もう、死なせて。どうか、兄さまのお手で殺してください……っ!」
――死んでしまいたい。今、この瞬間に。
この男の腕に抱かれて、死んでしまいたい。それだけが、自分にとって、想いの成就だから。自分に残された、たったひとつの幸福だから。
ククールが持っている幸福の記憶は、たった一瞬しかない。
両親とともに、重厚な城塞で暮らしていた幼い日々でさえ、思い出せば今でも胸が詰まることばかりだった。父は酒癖が悪く、アルコールが入るとすぐに使用人に暴力を振るった。時としてそれは、母や幼い我が娘にも向けられた。ククールが覚えている母親は、いつも泣いていた。自分も、笑った記憶など数えるほどしかない。
そんな、けして思い出したくもない記憶の中で、ただ一瞬、ククールが繰り返し繰り返し、まるで大切な宝物を手のひらに載せて眺めるように、胸の中に思い描く瞬間。それは、かつて両親を流行病で一度に失い、父親が遺した借金のために領地も称号も遠縁の親戚に剥ぎ取られて、たった一人このマイエラ修道院に追い払われてきた時だった。
独りぼっちでどうしようもなくて、暗い聖堂で泣いていた自分を、優しく導いてくれたひと。
そのひとの手が、この手に触れてくれた時。
大丈夫だよ、もう泣かなくていい。そう言って自分を見つめた瞳は、春、芽吹いたばかりの優しい新緑の色だった。
一人前の修道僧、あるいは聖堂騎士として誓約を樹てる前の、修練士。だが修行中のその身であっても、神に仕える者に課せられる戒律は守らねばならない。清貧、労働、そして、貞潔。彼は、異性の身に手を触れてはならないという教会の戒律をあえて破って、自分を慰めるためにその手を差し伸べてくれたのだ。
あの瞳を、ククールはけして忘れない。
自分の名を明かしてからは、その瞳は凍りついたような昏い湖沼のダークグリーンに染まり、あのやわらかな新緑の輝きを眼にすることは一度もなかったけれど。
あの新緑の瞳をした、若い修練士。世界中で唯一人、この身と同じ血を分け合う人。たった独り、ククールに優しさをくれた人。
彼だけが、ククールがすべての想いを捧げられるひとだった。
――あなたに拒まれたら、私は生きている意味も価値も、なにもないのに。
「許さん」
冷酷に、マルチェロは言った。
だがその声が、かすかに欲望にかすれている。
「お前の願いは、何一つ叶えてやるつもりはない」
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