午後の教室は、満腹の猫みたいに気怠くのったりした空気に満ちている。
「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつむすびて、久しく留まるためしなし……」
古文の教科書を朗読する先生の声も、心なしかいつもの張りがない。
狭い教室に、三十数人の生徒達。その若い体温で、空気はかなり蒸し暑くなっている。校庭に向かって開かれた窓からも、涼しい風はほとんど入ってこない。じっと座っているだけで、額が汗ばんでくるみたいだ。
その中で、わたしはそっと詰めていた息を吐き出した。
目の前がぼうっと霞んでくる。少しでも気を抜けば、小さな吐息はすぐにはしたない喘ぎになってしまいそうだった。
それを抑えるために唇を噛み、両手を強く握り締めれば、身体の奥からこみ上げてくる振動が頭の芯にまでびんびん響く。
「く……ぅ」
とうとう、小さな声が洩れた。
耐えきれなくて、わたしは顔を伏せる。机の縁(へり)を握り締め、それ以上のことが起きないよう、懸命に自分を抑えつける。
「どうしたの、竜崎さん」
教壇から先生の声がした。
「気分でも悪いの?」
「い、いいえ……」
答える声が、掠れてしまう。
普通どおりにしていなくちゃ。何でもない顔をして。でもそれが、こんなにも難しい。
耳を澄ませば、虫の羽音のようなくぐもった音が幽かに聞こえてくる。
わたしの中に埋め込まれた、電動仕掛けの小さな玩具。もう三十分近く、止まることなくわたしのもっとも柔らかい部分の肉を掻き回している。
見せられた時には、パステルカラーのプラスチックが小さな鳥の卵みたい、くらいのことしか思わなくて、まさかそれがこんなにも淫らな刺激を作り出すなんて、想像もしていなかった。
絶え間なく震わされている花びらは、もう滴るほどに濡れそぼっている。スカートの下で両脚を摺り合わせるだけで、ちゅ、くぢゅ……といやらしい水音を鳴らしそうだ。
頭の芯まで響いてくるヴィヴラート。機械仕掛けのそれは常に一定の筈なのに、どんどん強くなってくるようにわたしには感じられる。それは身体中に広がり、指先や爪先、胸の突起までじんじんと疼くように痺れさせる。
唇を噛みしめ、わたしは肩や腕がびくびくと震えないようにするのが精一杯だった。
「いいのよ、竜崎さん。具合が悪いなら、無理することはないわ。保健室へ行きなさい」
先生はわたしの席のすぐ横まで来て、立つように促した。
わたしは言われるままに立ち上がる。それだけの動きでも、身体の奥に火花が散る。
実際、これ以上我慢しているなんて、もうとても無理。
「大丈夫? 保健室まで行けそう?」
「はい……一人で平気です」
先生の視線から顔を背けるようにして、わたしはうなずいた。わたしの中に響く羽音が先生に聞こえないことを、必死で祈りながら。
「じゃあ、すみません。失礼します……」
小さく頭を下げ、顔を伏せたまま、教室を出る。数人のクラスメイトがすれ違いざまに「大丈夫?」などと声をかけてくれたけれど、わたしは返事もできなかった。
廊下へ出ると、とたんに膝が崩れそうになる。
「あ……っ」
わたしは壁に手をついて、その場にしゃがみ込むのだけは、どうにか耐えた。
こんなところでうずくまっているわけにはいかない。
息が乱れる。痺れるような甘いうずきは、ますます強くなる。身動きすると、身体の奥で玩具が揺れる。跳ねる。振動が別の場所にあたり、新しい快感を産む。
「は、あ……っ!」
もう、我慢できない。
「あ、ん、ん……っ。んく……」
いやらしい声がこぼれる。唇を噛んでも噛んでも、あえぎが止まらない。
そのまま壁づたいにずるずると、まるで這うようにして、わたしは歩き出した。
教室のドアから少しでも離れたい。ドアも廊下との境にある磨りガラスの窓も、みんな閉まっているけれど、それでも教室に残るクラスメイト達の視線が追いかけてくるような気がする。
ようやく廊下の端まで辿り着く。震える脚で階段を下りる。少しでも気を抜くと、階段を踏み外しそうになる。けれどわたしは大きく安堵のため息をついた。ようやく、教室の中からわたしを追いかけてくる視線から逃げ出せた、と。
安心するととたんに、快楽はより強くなり、わたしを突き上げる。
「あっ、は……あぁ――っ」
もう、我慢できない。これ以上内側から掻き回されていたら、わたし、おかしくなる。
「そ……だ。ト、トイレ……」
「トイレでローター出しちゃうつもり? それじゃ約束が違うんじゃないか?」
冷ややかな声がした。
階段の踊り場に立ち、腕組みして壁にもたれかかる姿。わたしを見上げる、黒い冷たい瞳。まるでその視線が、わたしを射抜くようだ。
「リ、リョーマ君……」
「そろそろ限界だろうと思ってさ。俺も授業フケてきた」
ゆっくりとリョーマ君が近づいてくる。
――逃げなきゃ。
頭の片隅で、そう思う。逃げなくちゃ、もっとひどい……いけないことに、なる。
わかっているのに、身体が動かない。まるで足が床に縫いつけられてしまったみたいに。
わたしを見つめる、黒い瞳。見つめ返すだけで、その深い色の中に吸い込まれてしまいそうだ。
リョーマ君が手を伸ばした。わたしの手首を掴む。
そしてわたしの身体を乱暴に引き寄せ、耳元でささやいた。
「約束だろう? 今日は一日中、そのローター入れっ放しにしておくってさ。まだ一時間も経ってないよ」
「だ、だって……だって、わたし……もう――」
わたしは力なく首を横に振った。掠れる声でどうにか言い訳しようとするけれど、意味のつながる言葉なんて、何も出てこない。
「俺の言うこと、何でも聞いてくれるんじゃなかった? そう言ってたじゃん」
わたし達は階段の途中でぴったりと身体を寄せ合う。リョーマ君はわたしよりも一段低いところに立っている。そのおかげで、わたしはリョーマ君の黒い瞳をまっすぐに見つめることができる。
「気持ちいい? これ」
リョーマ君は、制服のポケットから小さな機械を取り出した。手の中に握り込めるほど小さな、赤外線リモートコントローラ。
「気に入ってくれたんだろ? だってほら、ここ――こんなに熱いよ」
ぐい、と、彼の膝がわたしの脚の間に割り込んでくる。リョーマ君はそのまま、硬い脚をわたしの秘密に押しつけた。
「あ、あぁ――ッ!」
全身がびくんッと跳ねる。
内側からさんざんに掻き回され、潤みきったそこを、今度は外側から強く圧迫される。淫らな玩具をさらにわたしの奥深くへ押し込むように。制服のざらついた生地が太腿の皮膚を擦り、それすらもたまらない快感を産む。
「いや、あ……いやああっ!!」
がくんッ、と、全身がのけぞった。危うく倒れそうになったわたしを、リョーマ君が両腕を背中へ回し、抱き留めてくれる。
強い腕に抱きしめられる。
彼が、耳元でふふっと低く嗤った。その吐息。
「ん、んぁ――――ッ……!!」
そのままわたしは、声もなく絶頂へ駆けのぼった。
目の前が真っ白になる。身体中の力が抜けていき、そのままずるずると座り込んでしまいそう。
そんなわたしを、リョーマ君はしっかりと抱きしめ、支えてくれた。
ようやく玩具のスイッチが切られる。狂おしい感覚の波が途絶えた。わたしは身体中の空気をすべて吐き出すように、大きく吐息をつく。
「こっちおいで」
リョーマ君はわたしを引きずるようにして、階段を降り始めた。
「こんなとこじゃ、誰に見られるかわかんないしさ」
わたしは抵抗しなかった。リョーマ君の声が耳元で聞こえた時から、もう何も考えられない。わかるのは下肢の奥から湧きあがるこの甘い疼きと、それ以上に熱く、リョーマ君の声に反応するこの身体。
彼の体温。わたしを包み込み、従わせるこの強い力。
胸の突起がまだじんじん痺れている。足元が雲を踏んでいるようにふわふわとして、頼りない。もう自分がどこを歩いているのか、どんな格好でいるのかもわからない。
「約束破ったからね。罰
(ペナルティ)
がいるだろ」
各教室では午後の授業が続いている。その声が、どんどん遠くになっていった。
三年に進級して、リョーマ君は変わった。
青春学園テニス部主将、そしてエース。……ただ一人の、切り札
(エース)
。
二年連続で全国大会出場を果たした強豪校も、今年は戦力ダウンが誰の目にも明らかだった。
黄金の布陣と言われたのは、二年前。ダブルスには大石・菊丸ペアを擁し、シングルスには手塚主将、不二先輩を筆頭に、他校も羨むような選手層の厚さを誇っていた。
その黄金時代を支えた三年生が卒業した後、彼らが抜けた穴を埋める選手がいなかったのだ。
それでも去年は、無敵のシングルス陣がいた。たとえダブルスで二敗しても、シングルスの三人が後ろに控えている。桃城 武、海堂 薫、そして二年生ながら名実ともに青学のエースとなった、越前リョーマ。この三人が勝ち残り、苦しみながらも青学を二年連続で全国大会へ連れて行ったのだ。
どんなに苦しい試合が続こうとも、五分五分
(イーブン)
の勝敗にさえ持ち込めばいい。そうすれば、最後には越前がいる。誰もがそう思っていた。最後には必ず、越前リョーマが勝ってくれる、と。
そしてリョーマ君は、その期待を一度だって裏切ることはなかったのだ。
みんながリョーマ君に寄せる期待は、今も変わらない。むしろ、ますます強くなっている。
今、リョーマ君は男テニの部長を務めている。二年生の秋くらいから急に背が伸びて、誰も彼を「おちび」なんて呼ばなくなった。わたしはもう爪先立ちしなければ、彼の顔を真っ直ぐ見ることができない。声も、低い大人の声になった。
けれど。
……リョーマ君は、笑わなくなった。
青学、ただ一人のエース。
一、二年生に何人か期待できる選手がいるとは言っていたけれど、それでも二年前のあの黄金の布陣には比ぶべくもない。
青学部内で行われるレギュラー枠争奪戦は有名だけれど、その試合でリョーマ君とまともに打ち合える選手が一人もいないのだ。リョーマ君は練習相手にすら恵まれない。
それでも周囲は、昨年、一昨年と同等の成果を期待する。
リョーマ君はその重圧
(プレッシャー)
をたった一人で背負い込んでいる。主将として、エースとして。
かつて手塚先輩が怪我で戦列を離れた時も、それを不安がる声はほとんどなかった。天才・不二周助、あるいは越前リョーマと、彼の不在を補ってあまりある人材が、青学には存在していたから。
去年は桃城先輩が主将として先頭を切って走り続け、みんなを引っ張っていった。海堂先輩は乾先輩から緻密なデータ管理を受け継いだ。そしてリョーマ君が無敵のエースとして、チーム内での絶対的な信頼を勝ち得ていた。
けれど今年は、そのすべてがリョーマ君一人の肩にのしかかっている。
部内でもそれはわかっているのだろうけど、でも、どうすることもできない。
それがますますリョーマ君を孤独にしていく。
越前リョーマは無敵のエース。誰も彼に肩を並べることはできない。たった一人の……孤独な天才。
「――なに考えてるの?」
すぐそばで、吐息がほほに触れるほど近くで、声がした。
「……あなたのこと」
わたしは真っ直ぐにリョーマ君を見つめる。その黒い宝石みたいな眼を。
午後の熱い空気。けれど不思議なくらいに静まり返っている、小さな部屋。窓の外からは、体育の授業だろうか、歓声が聞こえてくる。けれどわたしにはそれがひどく遠く感じられた。
ここは男子テニス部の部室。本来、授業中には誰もいるはずのない場所。
リョーマ君は部長としてここの鍵を持っているから。
プレハブ造りの平屋はトタン屋根が日光に熱せられ、教室よりもかなり蒸し暑い。床はコンクリートの打ちっ放し。並んだスチールロッカーとテニスボールを詰め込んだカゴ、いろんな練習器具。そのほとんどは二年前、乾先輩が考え出したユニークな練習方法に合わせ、揃えたものだ。あとは長いベンチが二つ。それだけで、狭い部室はもう一杯。
わたしたちは床の上にじかに座り込み、息が混じり合うくらい近くに顔を寄せている。
リョーマ君は編んだわたしの髪を片手にとり、口元に押し当てた。まるで小さな子供の手遊びみたいに、指先で弄ぶ。
「俺のこと?」
「そう。……前から思ってたの。リョーマ君て、あんまり……青学のレギュラージャージが似合わないなって」
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