私はもう、何も考えられなかった。頭の中は真っ白に霞んでいる。
 電車がいつも降りる自宅そばの駅に到着したことにも気づかず、リョーマ君に腕を引っ張られてようやく、ホームに降りた。
 条件反射的に鞄から定期を出して、改札をくぐる。けれど自分がどこを歩いているのか、それすらよくわからない。まるで雲を踏むように足元がおぼつかなく、膝から下にまったく力が入らなかった。
 リョーマ君が私の肩を抱くようにして、身体を支えてくれている。そうでなければ、私はその場にへたり込んでしまっただろう。
 駅の外は閑静な住宅街。建てられたばかりの高層マンションが、街に暗く影を落としている。けれど吹く風はさきほどよりももっと暑く、息苦しく感じられた。
 リョーマ君がどこに向かって歩いているのか、全然わからない。けれど私は逆らうこともなく、ただ背中を押されるまま、彼に従っていた。
 マンションに住む人のための駐車場、そして小さな公園を抜け、一つの建物の陰に寄る。まだ壁の色も新しい分譲マンションのようだ。
 マンションの外付け非常階段、その下に、リョーマ君は私を引っ張っていった。
 金属製の階段の下には、金木犀の植え込みがある。その樹木が目隠しとなって、マンションの外壁に寄りかかる私とリョーマ君は、誰にも見つからなくなる。階段の隙間に顔を近づけて、下を覗き込まない限り。
 リョーマ君は私の背中を外壁に押しつけ、覆い被さるように唇を重ねてきた。コンクリートの外壁に固く編んだ髪が擦れ、引っ張られてきしきしと痛んだ。三つ編みが歪み、ほつれる。
 性急で噛みつくようなキス。私の唇を噛み、熱い舌先を差し入れてくる。私の中をめちゃくちゃにかき回す。
「んっ……、んぁ、あ……リ、リョーマく……っ」
 私も夢中で彼に応えた。自分から唇を開き、彼がするのを懸命に真似して舌を絡ませる。透明な唾液が互いの唇を濡らし、顎までしたたり落ちた。
 耳につく荒い呼吸音。これは私のもの、それともリョーマ君のもの?
 私は自分から両腕を伸ばし、彼の背中にすがりついた。
 そう――私、こうされたかった。ずっと、リョーマ君にこんなふうにされたくて、そして私からもリョーマ君の肌に触れて、唇に触れたかった。リョーマ君が淫らに私を濡らすように、私もリョーマ君を濡らし、彼の肌を快楽に染めてみたかった。
 あまりにも執拗に求められ、息が詰まりそうになる。それでもリョーマ君は私を解放してくれなかった。
 私を壁に押しつける強い手。その左手が私の胸を掴んだ。ブラウスの上から、指が食い込むほど強く胸のふくらみを握り締める。
「あっ……い、痛い……」
 苦痛を訴えたはずの私の声はいやらしく掠れて、まるで何かをねだっているようだった。
 彼の手はそこで止まりはしなかった。慌ただしく下へと滑り、スカートをまくり上げる。そして今度は大胆に私のショーツを引き下ろそうとした。
「やっ! 待って、リョーマ君! そんな――そんなの、だめっ!」
「大丈夫だって。ちゃんとゴム使うから」
「違うって、そういうことじゃ……リョーマ君っ!」
 私の抗議などまるで無視して、リョーマ君は手を進める。閉じようとする私の膝の間に自分の膝を割り込ませ、それを許さない。
 小さなリボンを飾ったショーツは、一気に膝下まで引き下ろされてしまった。
「脚、上げて。こっち」
 リョーマ君は私の膝裏に手を差し入れ、右脚を強引に持ち上げた。
 彼の熱い肌が、私の秘密に押しつけられる。私は思わず息を呑んだ。
「あ、あっ!」
 右脚は完全にショーツから引き抜かれてしまった。小さなコットンのランジェリーは左足に丸まって引っかかっているだけだ。
 身体に力が入らない。膝ががくがくとみっともなくふるえている。彼の熱さをじかに感じた時から、もう私は彼にしがみついていなければ、立っていることもできなくなってしまった。
「誰か、来ちゃう……。来ちゃったら……!」
 私は子供みたいにすすり泣くしかなかった。
 リョーマ君の身体がさらに強く押しつけられる。
 そして、潤みきった私の中に、熱く激しいものが侵入してきた。
「く、あ……アーッ!!」
 思わず高い声が出る。
 すかさずリョーマ君の唇が、叫びそうになる私の口をふさいだ。
「んふ、ん……っ! く、う――!」
 リョーマ君は容赦なく私を揺さぶった。熱い楔がさらに奥へ、奥へと突き上げてくる。
「……い、痛い、そんなに深く入れちゃ……っ」
「もうちょっとだから。身体の力、抜いて。ほら、もう少しで――!」
 がくん!と強く突き上げられる。
 灼熱の塊が、私の芯に叩きつけられた。
 頭の芯まで真っ白に焼けただれる。肺の中の空気が全部下から押し出され、身体中がリョーマ君で埋め尽くされる。私はまるで酸欠の金魚みたいに口を開け、ぜいぜいと喘いだ。
「ねえ」
 耳元に唇を寄せ、リョーマ君が熱くささやく。
「さっきの答、聞かせて」
「え……」
「桜乃はどう思う? もし俺がテニスやってなかったら。ねえ、教えてよ」
「そ、んな……っ!」
 リョーマ君は私の髪を掴み、無理やり顔を上向かせた。
 私はうっすらと眼を開けた。
 リョーマ君の顔が、すぐ目の前にあった。唇が触れ合いそうなほど近く。
 真っ直ぐに彼の眼を見つめる。
 リョーマ君は、どこかひどく苦しげな顔をしていた。まるで今にも泣き出しそうなのを、必死でこらえているみたいに。
「じゃあ、リョーマ君は……」
 私は両手を上げる。手のひらでそうっと、彼の頬を包み込む。
「リョーマ君は、テニスしていない自分を、考えたことがあるの?」
 短く息を呑む音がした。
 彼は答えられなかった。
 唇を噛み、驚愕と戸惑いに強く眉根を寄せ、私を見つめる。いいえ、どうしても私から目がそらせないようだった。
「な……なんだよ……っ」
 リョーマ君が言った。その声は荒い呼吸の中で嗄れ、まるですすり泣きのように聞こえる。
「なんだよッ! 質問してるのは、俺だろ!」
 いきなり、リョーマ君は私を乱暴に突き放した。
 深くつながり合っていた身体を引きはがすと、私の向きを変えさせ、胸からマンションの外壁に押しつける。
 そして背後から再び貫かれた。
「ああァ――ッ!!」
 コンクリートに爪をたて、私は悲鳴をあげた。
 猛々しく膨れあがった欲望が、根元まで一気に埋め込まれた。
 押し広げられる痛み。リョーマ君を受け入れたそこから、身体が二つに引き裂かれてしまいそう。
 けれど彼が動き始めたとたん、それを上回る快楽が一瞬で私を呑み込んだ。
「あああっ! あ、や……いや、あ、あーっ!」
 さっきよりもずっと激しく突き上げられる。身体中がばらばらになってしまいそうなほど激しく。深く。
 私は内側からリョーマ君に打ちのめされる。
 熱い雫がしたたり落ちる。私の中からあふれ出した淫らな蜜は太腿までつたわり、リョーマ君の肌をも濡らし、コンクリートの上に点々と小さな痕をつけていた。
 がくがくと膝がふるえる。気が遠くなる。リョーマ君に突き上げられるたび、全身がどこかへ飛んでいってしまいそうになる。自分が立っているのか座っているのか、それすらもうわからない。
「いっ、あ、お願い……! お願い、も、も少し、ゆっくり……リョーマく……っ!」
 懸命に訴える私に、リョーマ君はさらに無慈悲な動きで応えた。
 指先が食い込むほど強く私のウエストを掴み、身体ごと全部、叩きつけてくる。
「あくうぅっ! あう、あ……ああっ! だ、だめ、そん、な……あーっ!!」
 リョーマ君は、私の言うことなんか何一つ聞いてくれない。私の願いなんて、全部踏みにじってしまう。
 焼けつくような悲しさと、絶望。
 私は身をよじり、泣きじゃくった。
 もう、誰に見つかってもかまわない。だってこれが私の真実だから。こんなふうに惨く、手酷くリョーマ君に抱かれること。徹底的に彼に打ちのめされ、踏みにじられて、身体も心も全部、彼に呑み込まれてしまうこと。それが、私の願いだから。
 私は泣き続けた。頬に乱れた髪が貼りつき、ぐちゃぐちゃになる。
 彼の欲望が私の中に無尽蔵に注ぎ込まれる。やがてそれは私自身の欲望となって泉のように湧き上がる。そして二人の身体を焼き尽くしていく。
「桜乃……桜乃、桜乃っ!」
 意味もなく、耳元で繰り返される私の名前。
 リョーマ君が私を背中から抱きしめる。私を包み込むように、私にすがりつくように。
「リョーマく、んッ――リョーマ……っ!!」
 もう何も見えない。何も考えられない。
 わかるのはただ、この熱さだけ。身体の芯で抱きしめる、彼のこの熱く激しい鼓動。彼の生命。
 そして私たちは、同時に目も眩むようなエクスタシーに駆け上った。




 テニスラケットを握っていないリョーマ君。コートに立たない越前リョーマ。
 そんなものを、私は想像することもできない。きっと彼自身も、考えたこともなかったろう。だってそんなものはあり得ない。彼はコートに立つためだけに生まれてきた。
 きっとその出自を羨む人間は大勢居るだろう。けれど彼等には、それがどんなに厳しく、孤独なことなのか、想像もできないに違いない。たった一人、緑のセンターコートに立ち続けることが。
 リョーマ君ははその運命から逃げられない。彼が、越前リョーマである限り。
 全速力で走って、走り続けて、隣に並ぶ人もなく、停まる時はただ自分の心臓が破れる時。そんな過酷な生き方なんて、誰だって怖いに決まっている。でも、今はそのことに苦しんで、押し潰されそうになっていても、やがてリョーマ君はその運命を受け入れる。一人で闘うことのできない人間に、神様は闘う力を与えたりはしないから。
 ――けれど、もし私がリョーマ君に出逢っていなかったら。
 そんな仮想未来を思ったことはある。
 彼に出逢わなかったら、私はもっと優しい恋をしていただろう。
 平凡でいい、私と釣り合う人、私と同じ歩幅で歩いてくれる人を見つけて、その人と静かに手を取り合い、街を歩いていただろう。
 私の願いを聞き届けてくれる人と、ただ静かにゆっくりと時を過ごして、笑い合って。
 そうすれば、こんなに泣くこともなく、こんなに淫らな自分を知ることもなかっただろう。穏やかに幸せに、恋を育んでいけたはず。
 涙がつたって乾いた痕が肌に違和感を残し、噛みしめていた唇が鈍く痛んだ。
 気がつけば辺りはもうすっかり暗くなり、人影もまばらな高層住宅街はひどく淋しげな場所に見えていた。
 リョーマ君は私の家のすぐそばまで、送ってくれた。彼の脚は早く、やはり私は急いで歩かなければいけなかった。
 その間、私達はほとんど何も喋らなかった。ただ、私の手を強く握り締めてくるリョーマ君の手が、まだひどく熱かった。
 やがて私の家が見えてくる。窓にあたたかな灯りはない。
「じゃあ……」
 言葉少なにうつむきながら、リョーマ君は私の手を離した。
 けれど私は、その手を自分からもう一度握った。一瞬ためらい、それから強く胸元に引き寄せる。
「待って。今日……うち、みんな帰りが遅いの。だから今は、家に誰もいなくて――」
 リョーマ君は驚き、戸惑うような表情を見せた。
 そして乱暴に私の手を振り払う。
「あのさ。それ、意味わかって言ってんのかよ」
 ひどく怒っているような声。
 私はうつむいたまま、小さくうなずく。
「こういうことって、男と女じゃ全ッ然違うんだよ! 一回や二回やったくらいで収まりつくようなもんじゃないんだ! 今だって――、それを……!!」
 ――わかってる。自分の言ったことの意味くらい。
 私はもう一度、うなずいた。
 もう、リョーマ君の顔が見られない。彼がいったいどんな表情をして、どんな想いで私を見ているのか、この眼で確かめる勇気がない。
 不意に強く抱きしめられた。
 リョーマ君の匂い、熱い体温に包み込まれる。
「いいのかよ……っ!」
 苦しげに、リョーマ君がささやいた。
「停まらないよ、俺――。きっとめちゃくちゃにしちまう。桜乃のこと……」
 いいの。
 私は声もなく、うなずく。その仕草がリョーマ君に伝わったかどうかもわからないけれど。
 いい。あなたになら、何をされても。どんなに酷いことをされても。
 それが私の願いだから。
 いつか想像した仮想未来が、私の中でむなしく崩れていく。
 私は後悔なんてしない。
 リョーマ君とともにいることを選んだのは、私自身だから。
 幸せなんかいらない。この手に抱かれていられるなら、もう何もいらない。
 たとえ私がそばにいても、リョーマ君はきっと歩みをゆるめてくれることなどないだろう。全速力で、彼の目指す天上の場所へと走り続けていくに違いない。
 それでもいい。だってリョーマ君は、けして振り返ってはいけない人だから。
 彼とともに歩くことがどんなにつらくて苦しくても、私は立ち止まらない。その先にあるものが、たとえ今以上に泣きたいことばかりであっても。
 私は精一杯背伸びして、自分からリョーマ君にくちづけた。
 彼の唇は絶望の味がする。そしてそれはひどく甘かった。




                               
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【 カ ソ ウ ミ ラ イ ・ 2 】
またやってしまいました……。時々発作的に、こういうのが書きたくなってしまいます。風邪ひいてアタマがぼーとしてるせいでしょうか……。
このページの背景画像は、「Heaven's Garden」様よりお借りいたしました。詳しくはSEACH&LINKからどうぞ。
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