【わすれないで、このことを 1】

「だけどよ。この指輪がねえと、ツナが困るんだろ? その、ナントカって外国の会社の社長になれねえとかって、ツナん家の小僧から聞いてるぜ」
「う、うん……まあ――。会社とかじゃないんだけど」
 いい加減に笑ってごまかして、山本のお気楽な間違いをわたしはあえて訂正しないことにした。
 山本の、そして獄寺くんの手にある、ふたつに割れたような歪な形のリング。
 黒と銀を基調にした厳ついデザインは、男性向け(メンズ)だってすぐわかる。華奢な女の指に似合う形じゃない。
 ――そう。わたしの手にも、似合わない。
 二年間もどこ行ってたんだかわかんなかったお父さんがいきなり帰国して、そしてボンゴレ十代目の座を賭けたリング争奪戦が始まった。……わたし、マフィアのボスになんかなるつもりはないって言ってるのに。
 お父さんもリボーンも、わたしの言うことなんか、全然聞いてくれない。それどころか、無関係の山本や京子ちゃんのお兄さんまで巻き込んでしまった。
「心配いりませんって、十代目! ヴァリアーだろうがなんだろうが、俺と十代目の敵じゃありません!」
 獄寺くんは明るく、自信満々に笑う。でもその笑顔の影で、わたしを元気づけようとして無理してるのが、わかる。
 ……前はこんなこと、ちゃんと気づけたかな。獄寺くんが見せる爆発物の派手なパフォーマンスにばかり目をとられて、彼のわずかな表情の変化とか、一瞬のためらいとか、全部見過ごしてたかもしれない。
 リボーンに特訓特訓と連れ回され、わたしはこの一週間、ろくに学校へ行くこともできなかった。
 リボーンからリングを渡された獄寺くんや山本たちも、みんな学校をさぼって、それぞれの修行に打ち込んでいたんだと、聞かされた。
 今日はひさしぶりに特訓がお休み。登校することができた。……遅刻しちゃって、二時間目からになっちゃったけど。
 教室で山本と獄寺くんの顔を見た時には、ほっとした。正直、泣きそうになるくらい。
 京子ちゃんに訊いたら、お兄さんも今日はちゃんと登校してるって。
 そして、いつもどおりの一日が過ぎていった。授業を受けて、お昼休みは京子ちゃんや花ちゃんといっしょにおべんと食べて。放課後は、京子ちゃんは塾があるからっていっしょに帰ることはできなかったけど、でも、ぎりぎりまで三人で教室に残っていっぱいおしゃべりした。
「じゃあね、沢田。スポーツがんばるのもいいけど、ほどほどにしときなさいよ。あんた、運動神経ゼロなんだから」
「そんなことないよね。わたし、応援してるから!」
 校門前でふたりと別れて、わたしは家に向かって歩き出した。
 そうしたら、いつもの道で偶然、獄寺くんと山本に会って。
 ……ううん、偶然なんかじゃない。待っててくれたんだ、ふたりとも。
 リボーンの目が行き届かず、武器を持ち歩けるはずもない学校の行き帰り。一番無防備な時間に、わたしをひとりにしておかないために。
 獄寺くんがさりげなく、わたしの右側に立つ。山本は左。――刀を使う山本は、自分の左側に誰かがいると、どうしても動きが制限されてしまうから。この位置が、ふたりのあいだで自然に決まった暗黙の了解なんだろう。
 何を話したわけでもないけど、何となくわかる。学校にいた時のふたりと、違う。少しずつ、ふたりのまわりの空気が張りつめていく。刻一刻と近づいてくる闘いに、ふたりはもう神経を研ぎ澄ましているんだ。
 だめだよ。だめだよ、ふたりとも、そんな顔しちゃ。それじゃまるで……人殺しの目だよ。
 やがて、いつもの四つ角にさしかかる。わたしの家はもう目の前。いつもはここでふたりと別れるんだけど。
「あ、あの、ふたりとも……。ちょっと家(うち)に寄ってく? お茶でも――」
 わたしは、それぞれの帰路につこうとするふたりを呼び止めた。
 ……どうしてそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。でも、このままじゃいけない気がして。
「えっ、いいんすか、十代目!?」
 獄寺くんはすごく嬉しそうに言った。でもどっか照れくさいのか、目元がちょっと紅くなってる。――獄寺くん、肌が白いから、そういうの目立つんだよね。
 山本は黙って微笑った。……なんだ、ツナ。怖いのか? しょうがねえな、もうちょっといっしょにいてやるよ。そんな感じで。
 家の中はしんと静まりかえっていた。いつもなら、ランボやイーピンが大騒ぎして飛び出してくるのに。
「お母さん、いないの?」
 ふたりを連れて買い物にでも行ったのかな。ビアンキやリボーンの姿もない。
「まあいいや。ふたりとも、あがって。今、冷たいものでも持ってくる」
 私はふたりを、二階にある私の部屋へ案内した。
 家の中はまだ安全地帯。修行も戦闘も、一休み。ここでなら、わたしも、獄寺くんたちも気が抜ける。
 アイスコーヒーをペットボトルごと持っていく。ついでに牛乳の一リットルパックも。
「えっと……。おなかすいてる? ふたりとも――」
「いや、大丈夫」
「あんまり気ぃ使わないでください、十代目」
 やっぱり、会話ははずまない。獄寺くんが一生懸命、わたしの気持ちを引き立てようとしてくれてるけど。
 わたしも、なにを言えばいいかわからない。自分からふたりを呼び止めたくせに。
 ふたりに言いたいことがある。言わなくちゃいけないことが。でも、それがひとつとして言葉になって出てこない。体のなかでぐるぐると熱く濁った渦になってるだけ。
 止めなくちゃ、いけない。
 獄寺くんは知ってる。わたしたちが闘うっていうことが、どういうことだか。マフィアの掟に従うことが、どういう意味を持つのか。生まれた時からずっと、その世界に属してきた獄寺くんは。
 ――一度でもこの世界をかいま見てしまった者は、もう二度とこちら側と縁を切ることはできなくなる。たとえ組織を離れることを許されても、組織を守るための掟、沈黙の掟(オメルタ)は生涯ついて回ることになる。本人だけでなく、その家族、子々孫々にいたるまで。
 そう思えば、お父さんがほとんど日本に居ないのも、わかる。わたしとお母さんを守るため、できうる限り組織に関わらせず、平穏な暮らしをさせるためには、離れているしかなかったんだ。
 でもね。
 でもね、山本。今なら、まだ……!
 その時、
「こら、ダメツナアっ! ランボさんの牛乳、かえせええっ!!」
 けたたましい足音とともに、いきなりランボが飛び込んできた。
「あーっ! ヒドイヒドイヒドイ、ツナがランボさんの牛乳、飲んじゃったああ!!」
 コーヒーに入れようと思って持ってきた牛乳パックを指さして、ランボが泣きわめく。
「えっ、これ、ランボのだったの? ごめん、知らなくって――」
「うわあああん! かえせかえせかえせーっ! ランボさんの牛乳、かえせええっ!!」
 ランボは部屋の真ん中で、ひっくり返って泣き出した。
「うるせえ、アホ牛! たかが牛乳くらいで、ぴいぴいわめくな! そんなに大事なモンなら、金庫に鍵かけてしまっておきやがれ!」
 獄寺くんがランボをつまみ出そうとして。でもランボはつかまらない。獄寺くんの頭を踏みつけて、飛び跳ねる。
「獄寺のたぁーこ! タコ、タコ、タコあーたまー!!」
「なんだと、このアホ牛っ!」
 いつもどおりの大騒ぎ。
「ランボ、だめ! ここで暴れないで! コーヒーがこぼれるよ!」
 でも、なんかほっとしちゃった。こんな大事な時でも何にも言えない自分の不器用さに、正直、息が詰まりそうだったから。
「逃げんな、アホ牛っ!! 今日こそぶっ飛ばしてやる!」
「うわあああん、タコ頭が殴ったあーっ!!」
「獄寺くん、足下気をつけて! そこ、まだ牛乳がこぼれて――」
「もー怒った!ランボさん、怒ったもんねーっ!!」
 ランボがもこもこのアフロの中から、長大なものをずるずる引っ張り出した。――あれって、十年バズーカ!
「見てろーっ! ランボさん怒らすと、ホントにホントに怖いんだからなーっ!」
「やかましい、このクソ牛!」
 うわっ!? 獄寺くん、うちん中で爆発物投げるのは、よして!
「果てろぉッ!!」
 獄寺くんの手から、ロケット花火みたいなちびボムが一斉に飛び出す。部屋中に火花がスパークした。
「きゃーっ!」
 ランボが逃げる。廊下へ飛び出し、振り向きざまに十年バズーカを自分に向けてかまえた。
「覚悟しろぉ、獄寺あっ!」
「させるかよっ!!」
 ふたたびボムが飛ぶ。
 BANG、BANG、BANG!!
 鼓膜を突き破りそうな、いくつもの爆発音。爆風で体ごとベッドに叩きつけられ、いろんなものがぼんぼん吹っ飛んでくる。家全体が地震みたいに揺れて、柱が大きくきしんだ。
 白く濁った煙が、一気に部屋中に充満する。
「ご、ごくでらくん……っ!」
 白煙をまともに吸い込んでしまい、わたしは思いっきり咽せた。
 鼻の奥がツーンってして、すっごく痛い。涙がにじむ。
「もう、ふたりとも……! ケンカするなら、家の外でやってよぉ……」
 うずくまり、げほげほ咳き込んでるうちに、ようやく煙も薄らいでくる。
「山本、大丈夫?」
「あ、ああ……」
 まだ消え残る煙の向こうから、低い声が答えた。
 ……え? 今の、声って……?
「何だったんだ、今のは。 ――ツナ、なんでおまえ、そんな恰好して……」
「……え?」
 わたしは、痛む目をこすり、白煙の向こうをたしかめた。
 うずくまる、背の高い人影。
 そこには、光沢のある深緑のワイシャツに黒のシングルスーツ、少しだらしなくネクタイをゆるめた十年後の山本がいた。





「ツナ。おまえ、それ、並盛中の制服……。なんでそんなもん着て――」
 山本は一瞬、何が起きたのかわかってないみたいだった。せわしなくあたりを見回し、それからもう一度まじまじとわたしを見て。
「ランボの十年バズーカ……か?」
 わたしは黙ってうなずくしかなかった。
「そうか。……じゃあここは、まだ日本か。十年前の俺がいた場所だからな。――おまえの家か?」
「うん」
 もう一度わたしがうなずくと、山本はすべてを納得できたのか、にっと笑って見せた。
「ひさしぶりだなあ。おまえのその制服姿、見るの」
 そっか。十年後の山本は、十年バズーカのことをちゃんと知ってるんだ。過去と未来の自分が入れ替わっても、五分後にはそれぞれ元の時代に戻れることも。だから、そんなに慌てたりしないんだ。
 わたしもつい、ほっと小さくため息をついた。ぺったりと床に座り込んで。
 そしてそれきり、山本から目がそらせなくなる。
 山本――背が高くなった。
 肩も広くなって、大きな手は骨張って、でも形良くて。一切の無駄を削ぎ落としたかのような体は、影のようにしなやかに動く。無造作に短く切りそろえた髪は、触れたらしゃきしゃきって音がしそう。
 違和感なく着こなす黒のスーツは、さりげなく見えるけれど、きっとオーダーメイド。少し日焼けした肌に、黒みがかったフォレストグリーンのシャツが良く映える。はだけた襟元からちらっと見えるのは、もしかして……刺青(タトゥ)?
 大人になった面差しは、まるでナイフで彫り上げたみたいに鋭くて。でも、わたしを見つめる黒い優しい瞳は、十年前となにも変わらない。
 山本、とっても……カッコいい。
 だけど。
「ごめん……。ごめん、山本……」
 わたしはうめくように言った。





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