【わすれないで、このことを 3】

「うわっ!? な、なんだ、これ、どーなってんだ!? 俺、ツナん家にいたはずなのに――」
「私の家? ――まさか山本、ランボの十年バズーカに当たったの!?」
「十年バズーカ? それってあのチビの持ってるマジックの道具だろ。なんで俺が……」
「山本――」
 ああ、そうだった。十年前の山本は何も知らない。
 私はそっと小さくため息をついた。
 まだ十五才にもなっていない、山本。懐かしいその姿。顔立ちにはあどけなさが残り、伸び盛りの体は先に手足ばかりがひょろ長くなってしまって、少しバランスが悪い。しゃっきりと切り揃えた黒髪からは、あたたかなひなたの匂いがした。
 開襟シャツの襟元に、ちらっと鈍い銀色の光が見える。あれは、ハーフボンゴレリング。まだふたつに分かたれたままの、未完成の雨のリング。――山本武が受け継ぐ、奇跡のリング。
 この山本は、まだ雨の守護者ではない。
「じゃあこれも、イリュージョンかなんかなのか? この部屋もマジックのセットってことか――いや、でもまさか……」
 独り言みたいにつぶやきながら、山本は落ち着かない様子で何度も室内を見回した。
 当然だろう。この部屋はとてもではないけれど、舞台や撮影のセットなんかには思えないはず。
 代々のボスたちに受け継がれてきた「城」の執務室。ボンゴレ一世の意向で、華やかな中にもどこか郷愁を感じさせるアールヌーヴォーで装飾された室内は、それぞれのボスが自分の好みに合わせて少しずつ改装を繰り返してきた。黒大理石の大きな暖炉は二世が、飾り棚に並べられた銀食器のコレクションは食通だった四世が、北側の壁一面に作りつけの大きな本棚は六世の遺したものという。
 私は、エスプレッソカフェと葉巻とをこよなく愛した九世の遺した部屋を、ほぼそのまま使っている。もっともバーカウンタで淹れるエスプレッソはもっぱら六人の守護者たちのためであり、葉巻はヘヴィスモーカーの獄寺くんも嗜まない。
「マジでここ、どこなんだ……。俺、いったいどーなって……」
 困惑しきった表情の山本に、私は静かにほほえみかけた。
「ごめんね、山本。新しいイリュージョンの実験に巻き込んじゃって」
「ツナ……」
 今の山本には、なにも説明する必要はない。
 しょっちゅう十年バズーカを使って未来の自分と入れ替わっていたランボは、けれど未来にいた五分間のことをなにも記憶していなかった。
 おそらくここにいる山本も、元の時間の中に戻ればなにもかも忘れてしまうはず。
「心配しないで。五分くらいしたら、元に戻るから」
「そ、そっか。そんならいいんだけど……」
 山本はまだ半信半疑の表情だった。
「だけどツナ、おまえ、そのかっこ……。いつ着替えたんだ? さっきまで並盛中の制服着てたじゃんか」
「制服……」
 そうか。山本はおそらく、十年前の私といっしょにいた時、十年バズーカの暴発に巻き込まれたのだろう。
 ……だんだん私も思いだしてきた。そう。あれはたしか、ボンゴレリングの争奪戦が始まる直前のことだった。学校帰りに獄寺くんと山本を私の家に誘い、獄寺くんとランボが部屋中で追いかけっこして、そのはずみで十年バズーカが暴発して――。
「それにおまえ……ちょっと雰囲気変わってねえか? なんか、大人っぽくなったっつーか……」
「あ、あの、これは――そう、特殊メイク。イリュージョンの!」
 苦しい言い訳! 相変わらず私はこういう時、まるで頭が回らない。
「特殊メイク? 早変わりみてえなもんか?」
「うん、そう。十年後の自分って、こんな感じかなあっていう……」
 山本は食い入るように、まっすぐに私を見つめていた。
「あ、あの……そんなに、へん?」
 今着ているツーピースは、リボーンが見立ててくれたもの。濃いグレイッシュブルーのシルクは、身動きするたびに微妙な光沢を放つ。マオカラーに、肩のラインを少しパッドで強調して、ウエストから腰にかけては細めに絞ってある。スカートもふくらはぎを覆うロングスリム。こんなふうに全体的に細く縦のラインを強調すれば、少しは背が高く見えるから、と。
 獄寺くんはもっと華やかな色を着るべきだと言ってくれたけれど、私はこの真冬の海みたいな色合いが気に入っていた。アクセサリーは、九代目からいただいたバロック真珠のブローチがひとつきり。
 たしかにちょっと地味かもしれない。
「似合って、ない?」
 私が訊ねると、山本ははっと気づいたように、慌てて力一杯首を横に振った。
「そ、そんなことねえよ! 良く似合ってる!」
 今の山本なら絶対にしない、子どもっぽい――率直な仕草。耳元から首筋までうっすらと紅く染めて。
「すげえ……綺麗だ」
 ぽつりとこぼれた言葉。
 飾り気のない言葉に、私は少し意表をつかれ、小さく息を呑む。
「……莫迦」
 思わず笑みがこぼれてしまう。
 ああ――そう。彼はまだ、なにも知らない。
 この十年間、私たちが……私が、なにをしてきたのか。
 九人のドン・ボンゴレから引き継いだ負の遺産。その苦しみ、悲しみ。それらを背負い続けるために、六人の守護者たちに私がどれほどの痛みと犠牲を強いているか。
 きみはまだ……なにも知らないんだね。
「そうだ。山本、コーヒー飲む?」
 私はバーカウンタまで戻った。
 少し旧式のエスプレッソマシンはちょうど良い具合にゆたかな泡をたてている。このマシンの使い方は、生前、九代目から教わった。
「イタリアンローストのエスプレッソだから、少し苦味が強いけど……」
 熱い、芳香を漂わせる濃褐色の液体を、白いデミタスカップにそそぐ。そして山本の前に置いた。
「え、いいのか、これ……」
 私はうなずいた。
「これは、山本のために淹れたんだから」
 山本は一瞬ためらい、それから思い切ったようにくっとカップを空けた。
「――美味い!」
「ありがとう」
 屈託のない笑顔。まっすぐで、あったかくて、信頼に満ちて。
 見つめていると、涙がこぼれそう。
 きみが首に掛けている、そのハーフボンゴレリング。
 その片割れを手に入れる時、きみは言った。きみに敗北し、屈辱よりも死を望んだ好敵手に、「命のやりとりはしない」と。
 けれど私はその手に、人殺しの刃を握らせてしまった。
 山本は今、人を殺めるのに躊躇はしない。その手はあまたの敵の血に濡れ、朱に染まっている。その姿は、まさに死神。
 自分で選んだ生きざまだ、後悔はない、と山本はいつも言うけれど。
 ……私はいつも心のどこかで、その言葉を疑っている。
「ねえ、山本」
 私は言った。
 お願い、聞いて。たとえこの瞬間にあったことをすべて、きみが忘れてしまってもかまわないなから。
 今、この時だけは、私の言葉を聞いて。
「お願い。自分の心に、嘘はつかないで」
「ツナ……」
「山本に、後悔してほしくない。いつか、ふたつの道のどちらかひとつしか選べないという時がきたら、どうしてもどちらかひとつを切り捨てなければいけない時になったら……その時は、自分の望むことだけを考えて。ほかのことになど、惑わされないで。山本の……きみの命は、きみだけのものなんだから」
「ツ……」
 山本は私の名前を呼ぶのも忘れ、ただじっと私を見上げていた。
 ずっとずっと、山本に言いたかった言葉。けれど今の、雨の守護者となった山本に告げても、けして彼の心には届かない言葉。
 過去からほんの一時迷い込んできただけの幼い山本に言うなんて、私はなんて卑怯な真似をしているのだろう。ここにいる山本が、現在、私の知っているあの山本に繋がっているのだと、誰にも断言できないのに。
 けれど、どうか。
 どうか、きみが望むのなら。
 その手をけして血で汚すことのないように。
 屍を踏んで歩む道を、選ぶことのないように。
 私はただ、愚かに祈り続けることしかできないけれど。
「ツナ……。おまえ――」
 山本がのろのろと右手をあげた。戸惑いながら、私のほうへ手を伸ばす。
「泣いてるのか……?」
 あふれ出した私の涙を、その指先で拭おうとする。
 優しい指先が私の目元に触れた、その瞬間。
 ぼん、と小さな爆発音が響いた。
 かすかな衝撃と爆風。やわらかな白煙があたりに低く立ちこめる。
 そして、私の良く知る雨の守護者が、私のもとへ還ってきた。
「山本……。お帰りなさい」
「ああ」
 山本は短く応え、うなずいた。
「十年前のおまえに逢ってきた」
 山本はゆっくりと立ち上がった。
 黒のシングルスーツに包まれた、背の高いしなやかな姿。音もたてず、影のように動く。私の見慣れた、ボンゴレ雨の守護者。
 第二ボタンまで開けた、フォレストグリーンのワイシャツ。その襟元からわずかに覗く刺青。
 ああ……思い出した。十年前、私はこの刺青が気になっていたっけ。
 獄寺くんの背にある刺青は、白い小蛇を腕に絡ませ、三日月の上に立つ聖母マリア。「不死のマリア」と呼ばれる図柄。脱皮を繰り返す蛇も、欠けてはまた満ちる月も、ともに不死と再生のシンボル。その刺青は、死をも超越して闘い続けるという獄寺くんの覚悟のあかし。
 山本の体には、東洋の龍が西洋の手法で描かれている。左胸から肩、背、腰、右大腿部まで、山本の体をぐるりと取り巻くように。そして本来なら黄金の宝珠を捧げ持っているはずの右前肢の爪は、「X」の文字を掲げている。……ボンゴレ十世を現す文字を。
 私は山本に背を向け、目元に残る涙をあわてて拭った。
「なんだ。コーヒー……ガキの俺に飲ませてやっちまったのか」
「少し待って。もう一度淹れるから」
 私はふたたびバーカウンタまで戻ろうとした。
 その手をうしろから不意に掴まれ、強く引き戻される。
 そして山本は、背中から私を抱きしめた。
「すまない、ツナ。……俺はあの時からずっと、おまえを泣かせていたんだな」







                          獄寺なら、しゃれこーべとかタロットの死神とかの絵柄を
                          刺青にしてそうだけど、ま、ちょっと外した感じがお洒落かな、と。
                          聖母の刺青をいれてそうなのは、むしろ笹川兄かな。

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