自分で言うのもおかしなものだが、俺は意外と視(み)える性質(たち)だ。
 今もちょっと目を凝らせば、あっちに一体、そっちに一体と、この世の生あらざるものの姿がうすぼんやりと視える。なかには、死んだ瞬間そのままの姿をとどめているものもあり、けしてまじまじと見つめて気分の良いものじゃない。
 ガキのころは、それが自分にしか視えていないものだとは思わず、気味悪がられたり嘘つき呼ばわりされたり、けっこう苦労もした。
 自分には知覚できているそれらが他人の目にはまったく見えていないこと、だから他人にはしゃべってはいけないこと。そして、そういったこの世ならざる存在にうかつに接触してはいけないことをさりげなく教えてくれたのは、親父だった。親父には、俺と同じものが視えていたようだ。親父も時雨蒼燕流という殺人剣を受け継いだ身として、やはり人智を越えた感覚を持たざるを得なかったのかもしれない。
 で、まあ、中学にあがるころには、自分のそんな他人にはない感覚ともなんとか折り合いをつけることができるようになり、ちょっとヤバそうなものが視えた時には、さりげなく目をそらして――感覚を閉じて、と親父は教えてくれた――平穏な日常を送っていたんだが。
「このごろ、みょーに感覚が鋭くなってきちまったみたいでなー……」
 いやもう、視える視える。以前はなんとなく気配を感じて、そうかな、と思い、目を凝らすとやっぱり視えた、という感じだったんだが、今では何も意識しなくとも目に飛び込んでくる。生きている人間の隣に、ごくあたりまえに死んだ人間の姿が視えてしまう。
「ボンゴレリングがおまえの能力(ちから)を増幅しちまっているのかもしれないぞ、山本。おまえのリングは雨のリング、水はああいったものを呼ぶ、と言うからな」
 選ばれし栄光あるアルコバレーノのひとり、我らが十代目の家庭教師リボーンは、相変わらずぷにっぷにの見た目にはまったくそぐわない、重々しい口調でそう言った。
 中坊のころからずっと一緒だった友人、沢田綱吉をファミリーのボスと仰ぎ、自らの命運を預けると決めてから、早や数年。家族も日本国籍も捨て、平凡な野球好きの寿司屋で終わるはずの一生も捨てた。代わりに得たのは暗殺者(ヒットマン)としての戦闘能力といくつかの疵痕、そして生まれながらの血縁よりもなお濃い絆で結ばれた、血の兄弟たち。
 ――いや、マジで。それだけで充分だったんだけどなぁ。
 だいたい、こんな商売やってりゃあ、行く先々が死体の山だ。霊感なんざないほうが良いに決まってる。
 おまけに、ボンゴレファミリーの一員としてこれから俺たちが暮らすのは、風光明媚なイタリアの片田舎にあるファミリーの本拠地、十八世紀末に建築されたというアールヌーヴォー様式も壮麗な屋敷――というより、すでに城だ。もちろんそれは見た目だけで、内部は最新防衛システムが導入され、国家的規模の攻撃にすら持ちこたえられるようになっているが。だが、そういった電子システムが逆に霊的なものを呼び込むことがあるともいうし、こういった歴史的な建築物には幽霊や化け物のたぐいが付属していないほうがむしろ珍しい。
 日本から十二時間を越える長旅を終え、ボンゴレ九代目からツナが正式に相続したその屋敷に一歩足を踏み入れた瞬間から、俺は歴代ボスやその守護者たちの亡霊に歓待していただく羽目になった。
 二階まで吹き抜けの広い玄関ホール。正面には優雅な螺旋階段がある。クリスタルのシャンデリアが飾られたドーム状の天井や、大きな風景画が飾られた壁、いろんなところにふわふわと、年代も年齢も様々の不気味な姿が揺らめいている。
 九代目が存命のころから、俺たちは何度かこの屋敷を訪問していた。その時は、こんなもん視えてなかったんだがな。
 ――はいはい。歓迎してくださってんのはわかってますよ。あんた方が、俺たちのツナをファミリーの後継者として認めてくれてることもな。感謝してます。
 だけどよー。歴代九人のボス、そしてその守護者たち。あんたたちの中のいったい何人が、ベッドで天寿をまっとうしたんだよ。たいがいは若くして非業の死を遂げてるだろ。その非業の状態で天井だの壁だのから前触れもなくふらあっと出てきてくださったんじゃ、さすがにこっちも肝がつぶれるって。
「守護者としてはそういう能力を持っているのも、けして悪いことじゃない。他人より優れた感覚を持つのは、武芸者の宿命だろう」
 俺と同じものが視えているのか、いないのか、相変わらずキューピー人形みたいに表情ひとつ変えないまま、リボーンは言った。
「まあな。ちょっと気色悪いのを我慢すれば、それほど実害があるわけじゃないしな」
 いや、むしろ彼らは、俺たちを守護してくれるだろう。俺たちがボンゴレの名誉(オノーレ)を受け継ぐ男である限り。
「あとは『慣れ』だろ。おまえの親父はそう言ってなかったか」
 言われてみれば、親父からそんなことを教えられた覚えがある。そうか、親父もいい加減慣れちまうほど、こういうものを視てたのか。
 ――だが、そう簡単に慣れられるような代物じゃない。
 特に、各時代の守護者たちの死に様たるや、文字通り体を張ってボスの楯となっていた者たちだけに、筆舌に尽くしがたいものがある。
 ボンゴレファミリーの一員、雨の守護者になると決めた時から、畳の上では死ねないと覚悟してはいるが、さすがに「おまえもいずれはこんなふうに死ぬんだぞ」と見せつけられるのは、ちょっと心臓に堪える。
 せめてツナにだけは、己が選んだ後継者の成長を見届け、安堵して瞑目した先代と同じような晩年を迎えさせてやりたい。
 そう考えた矢先、目の前をまたすうっと半透明の姿がよぎっていった。着ているものからすると、第一次世界大戦のころに死んだのだろうか。日本で言えば明治時代だ。右腕が肩からなくなり、頭も半分吹っ飛んだようなのが音もなく目の前をよぎっていくのは、やはり見ていてかなりつらい。
 おまけに……。
「――うぅ……っ」
 背後で低く呻く声がした。
 俺はあわてて振り返った。
「大丈夫か、ツナ」
 そこには、ボンゴレファミリー数千人の頂点に立つ若きゴッドファーザーがいた。――真っ青な顔をして。
「う、うん。平気だよ、山本」
 今にも泡噴いてぶっ倒れそうなのに、ツナはそれでも懸命に笑みを浮かべようとした。
「……視ちまったのか」
 ほかの者には聞こえないよう小声で確認すると、無言でうなずく。
「その……気にすんな。悪いモノじゃねえから。むしろおまえの味方っていうか――」
「うん、わかってる。四代目を守っていた雨の守護者だって。自己紹介されたよ」
 よりによって、雨かよ。
 ツナがこういうものを視る理由は、俺とは違うらしい。ボンゴレのボスに必要不可欠な、すべての真理を見通す力――ブラッド・オヴ・ボンゴレ、「超直感」の故なのだそうだ。武道で敵の動きを予測する「先読み」を何千倍も鋭敏にしたようなものらしいが、正直なところ、俺には良くわからない。
「リボーンにも叱られたんだ。年がら年中超直感を全開にしてるから、見る必要のないものまで視えちまうんだって。自分の能力をちゃんとコントロールして、必要な時にだけ超直感のチャンネルをオープンにしろって、言われてるんだけど……」
 うまくいかないね、とツナは照れたように笑ってみせた。
 知り合ったばかりのころに比べて、ツナはかなり口数が少なくなった。が、熟慮の末に発せられる言葉は、その一言一言がすでにファミリーのボスとしての重みを持っている。
「俺は、彼らの生き様をも背負うことになるんだね」
 ツナは静かに言った。
 外見はあまり変わらず、気弱で引っ込み思案の少年は、そのままもの静かな優しい青年になった。俺たち守護者が周囲を固めると、彼ひとりが頭ひとつ背が低く、まるで子どものように見える。だが小柄なその姿の内には、なにものにも屈しない強靱な炎と、いかなる存在をもありのままに受け入れるおおらかな魂とがある。
 その深く揺るぎない魂に触れたからこそ俺たちは、今、ここにこうして、彼の守護者として在るのだ。
「彼らの死に、命に、恥じないだけの男にならなきゃな」
「そうだな、ツナ」
 小さくつぶやいた決意の言葉に、百年前の俺の先任者もかすかにほほえんだような気がした。
 ――こんなツナの右腕になろうってんだから。
「おまえももう少しシャンとしろよ、獄寺」
 長旅の疲れが出ているツナを冷静沈着な家庭教師の手に預け、俺は振り返った。
 そこにはもうひとり、二日酔いの朝みたいに真っ青になってるヤツがいた。
「うるせえ……。俺ぁ昔っからこの屋敷が苦手なんだよ」
 額に脂汗をにじませながら、獄寺は言った。
「おまえにゃ見えてねえだろうけど、さっき……で、で、出たんだよ。また――!」
「また出た?」
「ああ、そうだよ! で、出るんだよ、ここにゃ……ゆ、幽霊が! 俺ぁ、ここに来るたびに幽霊を見てんだよ! マフィアのボスが代々受け継いできた屋敷だからな。出てくるヤツも首なしだのはらわたズルズル引きずってんのだの、そりゃもうえげつねえのばっか! 相手が生きてる人間ならどんなヤローにだってびびりゃしねえが、死人相手じゃどうしようもねえだろ。てめえの時雨蒼燕流だって、死んだ人間をもっぺん殺すことなんざできやしねえだろうが!」
 ――うん。そりゃ、まあそうだが。
「俺と姉貴は、もともとボンゴレファミリーの係累だからな。ファミリーの式典以外にも、復活祭(イースター)とか降誕祭(クリスマス)とかには必ずこの城に呼んでもらってたんだよ。だがそのたんびに俺は……ここでとんでもねえもんに出くわしちまってよ――!」
 ――なるほどな。
 だから獄寺は、この屋敷に来るのを渋ってたのか。
 ツナの十代目襲名に関しての最高幹部会議(カーポ・デッラ・コンミッショーネ)や地方委員会(インテルプロヴィンチャーレ)への根回し、あるいは財産の相続に関する手続きなど、さまざまな準備や打ち合わせのために誰かがイタリアと日本を往復しなければならないとなった時にも、獄寺は自分が日本を離れたら誰が十代目をお守りするんだとか何とか屁理屈をこねて、イタリア先発を拒んだ。本来なら、日本とイタリアの二重国籍を持ち、イタリア語を母国語として育った獄寺が、こうした仕事に一番ふさわしいはずなのに。
 六人の守護者のうち、ランボはボヴィーノファミリーから預かっている客分扱いだからこういう交渉事務は任せられないし、骸は復讐者(ヴィンディジェ)たちから受けた拷問と人体実験の傷が癒えておらず、リハビリ中だ。幻術を駆使しての戦闘能力は以前と変わらず、否、以前よりはるかにすさまじく進化しているが、実際の肉体には深い傷が残り、クローム髑髏――いや、彼女ももう「凪」と呼ぶべきだろう――の介助がなければ、日常生活もままならない。回復するにはまだかなりの時間が必要だろう。
 雲の守護者の雲雀恭弥は、興味のないことには指一本動かさないあの性格だ。イタリア語と英語のほかにフランス語、ロシア語など五カ国語を流暢に使いこなすくせに、イタリア先発を拒否する時、説明した理由は、
「僕、オリーブオイルは嫌いなんだよ」
 の一言だけだった。
 そのため、俺と笹川兄とが先発としてイタリアへ入ることとなり、笹川はあのとおり、細かい交渉ごとなどまるでできる性格ではないから、結局俺が下手なイタリア語で苦労しながらほぼひとりで事務処理をする羽目になった。
 獄寺がイタリア行きを拒んだ時には、こいつ、向こうで捨てた女がナイフと毒薬持って待ちかまえてでもいるのかと思っていたが、実はここの幽霊が怖かったからなのか。
「おまえだって気配くらいは感じてたんじゃねえのか? さっき、ち……血まみれの幽霊が、すーっと天井近くをよぎってったんだよ! 幸い、十代目はなんにも気づいてなかったみたいだが……」
 いや、ツナは見てたぜ。おまえよりずっとはっきりとな。
 つまり獄寺は、亡霊の姿は見えても、その正体まではわからないわけだ。それが自分と同じかつての守護者であることも、彼らがけして俺たちに悪意を持っていないことも。
「ほんとは十代目をここに連れてくるのも嫌だったんだ。だけど、ここがファミリーの本拠地だし、歴代ボスの権威の象徴でもあるからな……。十代目に異存がなけりゃ、俺が口出しできることじゃねえや」
 先代のころから屋敷に仕えている使用人たちに案内されて、俺たちは代々の守護者たちが使っていた部屋へと向かった。
 そのあいだ、獄寺はガチガチに緊張して、極力視線を上げまいとしているようだった。
 その上、嵐の守護者が使う「青の間」へは行かず、雨の守護者に割り当てられている「白の間」までついて来やがった。
 「白の間」は別名「磁器(ボーンチャイナ)の間」。その名のとおり、十八世紀から十九世紀にかけて歴代のボスがコレクションした中国や日本の陶磁器がところ狭しと飾られている。剣を得手とすることが多い雨の守護者は、そのせいかほとんどが東洋人で、彼らの望郷の念を慰めるためにこの部屋が割り当てられていたらしい。
「ついてくんなよ。俺ももう眠いんだよ」
「だ、だって、で、で、出るんだよ、『青の間』にゃ! 首から上がねえ男の幽霊が……」
 そりゃあ、おまえの前任者じゃないのか?
 考えてみれば、獄寺は一番損なタイプかもしれない。なまじ中途半端な霊感があるから、見たくもない怪しげなモノを見てしまう。だがその本質を理解するまでには至らないから、ひたすら怖がってなけりゃならない。俺は獄寺が少し気の毒になった。
 だからと言って、「アレはおまえの先輩だから怖がるな」と説明してやったところで、獄寺はとうてい納得できないだろう。
 さりとて、このまま放っておくわけにもいかない。中距離支援攻撃の要、嵐の守護者が心神耗弱で戦闘不能なんて、笑い話にもなりゃしない。
「ひとつ手があるぞ、獄寺」
 俺は重厚な紫檀の書き物机――これも見事なシノワズリの逸品だ――に添えられた椅子を引き、獄寺をそばの長いすに座るよう、うながした。






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【山本武のささやかな憂鬱・1】

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