「手が、ある? この屋敷に取り憑いてる化け物どもを追っ払う手があるのか!?」
 獄寺は必死の形相で俺に詰め寄った。
「でも、なんでおまえがそんなことできんだよ? おまえん家って、寿司屋だったろ。それともおまえの親父さん、副業で拝み屋でもやってたのか?」
「副業は……まあ、俺と同じ武芸者だけどな。追っ払うってのもちょっと違うし。要はおまえのそばに幽霊とかが寄ってこなくなりゃ良いんだろ?」
「ああ。まあ、そういうことだが……」
 今度はいささか不審そうに俺を見る獄寺に、俺は苦笑しながら言った。
「お守りを連れて歩くんだ。霊が居ようが魔物が出ようがちーっとも気づかねえ、超鈍感人間を。で、ヤバいのが出たら、まずそいつに先頭を歩かせて、全部蹴散らしてもらうんだ」
「鈍感人間……。それって、まさか――」
「ああ。笹川先輩」
 六人の守護者はみな同格。公式の場ではそれを示すため、俺たちもツナも晴の守護者を名字で呼び捨てにすることにようやく慣れてきた。が、こうしてプライベートで昔からの仲間うちだけになると、中坊の頃と同じく、つい「先輩」が口をついて出てしまう。
 笹川兄妹に霊感がないのは以前から気づいていた。が、特に兄貴のほうがすさまじいまでにそっち方面が鈍いということを知ったのは、つい先だってのことだ。
 洋の東西を問わず、古都というものは亡霊の宝庫だ。イタリアも無論、例外ではない。
 事前準備のため、一足先にイタリア入りした俺は、行く先々で不気味なものに遭遇せざるを得なかった。ガイドブックに載っているような名所旧跡にはほぼすべて、霊が居る。日常に密着した場所、たとえば駅や広場、交差点、飲兵衛どもが浮かれ騒ぐ酒場にも。参った。
 だが同行した笹川は、そんなもの一切、気にも留めなかった。
 絞首刑にされた修道僧の亡霊がぶらぶら揺れている真下を平然と通り抜け、
「化粧品を売ってる免税店はどこだ? 京子に頼まれとるんだ」
 などと言う。
 実際、視えていないってのは、すげえ。
 日本からネットで予約しておいたホテルがまた、とんでもないところだった。
 十七世紀に建てられた貴族の館を改修したとかいうそのホテルは、生きてる従業員よりも死んでる連中のほうが多いんじゃないかってくらいだった。エントランスには馬蹄の音が響き渡り、ロビーの隅にはなにやらブツブツつぶやいている婆さんがいる。エレベーターのドアが開けば、ぶらんと首吊り死体がお出迎え。心なしか、生きた従業員もみな顔色が悪く、うっかりすると死霊と見間違えてしまいそうだ。面倒くさがらず、ちゃんと現地で建物を見てから宿を決めるべきだったと、俺はつくづく後悔した。
 だが笹川は、そんなもんもまったく気にしなかった。
「おお、さすがローマだな。ホテルひとつとっても風格がある!」
 ――俺たちが訪問したのは、ローマではなくパレルモだったんだが。飛行機を降りたあと、船に乗って海を渡っただろ、海!
 俺たちが泊まった階は最悪で、廊下には壁といわず天井といわず、死んでも死にきれない亡者の怨念が人間の手の形となって、突き出していた。まるで人の手で造られた洞窟だ。救いを求め、隙あらば生あるものにしがみつこうとする無数の手を見た時には、さすがに俺も回れ右をして日本行きの飛行機に飛び乗りたくなった。
 そんな廊下を、笹川は平気で突っ切ったのだ。
 うぞうぞざわざわとイソギンチャクのごとくうごめく手を、蹴散らし踏みつけ吹っ飛ばし、ずかずか歩いていく。まるで海を割ったモーセだ。
「どうした、山本。早く来んか」
 なんて気安く手招きされて、俺は人並みに気味悪がっている自分が情けなく、またばかばかしくなった。
 夜、寝ていても、笹川の枕元には、口から鮮血をしたたらせた貴婦人だの、頭がざくろのようになった男だの、水浸しの子どもだの爺さんだの婆さんだの、さまざまな死霊亡霊が入れ替わり立ち替わり集まり、やつを見下ろしていた。だが、当然のごとながらと言うべきか、笹川はまったく感知せず、大いびきかいて爆睡していた。
 ここまで徹底的に無視されると、むしろ亡霊たちのほうが哀れに思えてくる。
 もちろんこの城に棲みついた歴代ボスや守護者たちの霊も、笹川にはまるっきり視えていない。
 鼻先に浮かんでいようがラップ音を鳴らして嫌がらせしようが完全に無反応なのだから、亡霊だって化けて出る甲斐がないだろう。あいつと一緒にいれば、亡霊たちもあきらめてそばに寄ってこなくなるに違いない。
「笹川兄……。あの芝生アタマかよ、よりによって……」
 ぐったりとうなだれて、獄寺は呻くように言った。いささか低血圧気味で朝の弱い獄寺は、年がら年中どっピーカン、二十四時間ハイテンションのあのノリが少なからず苦手なのだ。
「ほかには……、俺たちの知り合いん中じゃ、そうだな、三浦とか――」
「あいつは日本にいるだろーが! だいたい、女に頼めるか、こんなカッコ悪りいこと!」
 そりゃそうだ。
「ああ、あとひとり居たぞ。守護者の中に」
「だ、誰だ!?」
「雲雀」
 獄寺は絶句して、固まった。
 雲雀恭弥も笹川と同じく、どんな悪霊亡霊に出くわそうとも、顔色ひとつ変えない。ただしあいつの場合、まったく見えていないのか、それとも視えてはいるが興味がないから完全無視を決め込んでいるだけなのか、俺にも良くわからない。
 ちなみに骸は、視えている。完璧に視えていて、なおかつ眉ひとつ動かさずに幽霊の頭を踏みつぶすことができる。
 いつだったか、性質の悪い色情霊が凪の足下にまとわりついていたことがあった。骸は柿本たちと談笑しながら、そいつのことをろくに見もしないまま、容赦なく踵で踏みにじり、その場で文字通り粉砕してしまった。
 のんびり天気の話なんかしながら、足下では色情霊をぐりぐりがしがしと踏みにじる。怨念に満ちたおどろおどろしい死霊を、まるでとるに足らない煙草の吸い殻かなにかのように。しまいにはあまりの惨さに死霊がついに許しを請い始めても、骸は一切の斟酌をしなかった。やつの足の下で死霊の頭蓋がぐずぐずと崩れていき、ついにはそのまま泥のごとくつぶれてしまった。しかもそのあいだ、骸は凪に向けた紳士然とした笑顔をまったく崩すことがなかったのだ。
 そのさまは、無関係の俺ですら見ていて背筋が凍るようだった。もう二度とこいつとはやりあいたくねえと、心底願った。
 そばにいた柿本と城島はやつが何をやっているのかうすうす理解しているようだったが、骸のオーラに包み込まれる形で守られていた凪は、まったく気づいていなかった。
 何にせよ獄寺にとっては、少ない選択肢がそろいも揃って最悪ばかり、ということだろう。
「あとは……そうだな、見えなくなるだけでいいなら、ビアンキさんの料理食って、ずーっと人事不省になっとくってのはどうだ?」
「てめえは俺に死ねってぇのかッ!!」
 残る手段はただひとつ。ひたすら慣れるしかない。
 そう言うと、獄寺はこの世の終わりが来たかのような顔をして、深く深くため息をついた。
「こんな化け物屋敷に寝泊まりすんのは死んでもごめんだが、かと言って十代目のおそばを離れたんじゃ、いざって時に十代目をお守りできねえ……」
 ぶつぶつと堂々巡りを繰り返す獄寺は、まるでこいつ自身が亡霊のようだった。
「ま、とにかく今夜はもう休め。屋敷の人に頼んで、幽霊の出ない部屋を使わせてもらえよ」
「ああ。そうするしかねえか……」
 獄寺はうなだれたまま、どこかおぼつかない足取りで「白の間」を出ていった。
「やれやれ。俺も早く寝よう」
 寝る前の日課となっている基礎鍛錬、精神修養を終えると、手早くシャワーを浴び、寝支度を整える。天井付近から妙な視線を感じるのは、この際無視する。
 オイルランプの灯を消し、俺は天蓋付きのベッドにもぐりこんだ。
 ――ツナはもう眠ったろうか。まあ、そばにリボーンがついてるんだ、心配はいらないが。
 そんなことをぼんやりと考え、やがてうとうととし始めた時。
「ぎゃああああッ!!」
 すさまじい悲鳴とともに、獄寺がふたたび俺の部屋に飛び込んできた。
「でッ、で、で、出たっ! 出た、出た、また出た!!」
「うるせー、獄寺ッ!! 幽霊が出るのは、もうわかったっつーの!!」
「つ、ついて来やがったんだよ、あいつ! 部屋替えてもらったのに、『青の間』から俺について来やがった!!」
 顔面蒼白、半分泣きべそかいて枕を抱きしめる獄寺の頭上、やや後方には――やっぱり、居た。
 獄寺の言うとおり、首から上のない男の亡霊がおぼろにかすんで浮かんでいる。
 しかもそいつは、どこか愉快そうに笑っていた。首がないのに表情がわかるってのも妙な話だが、そいつがいかにも楽しげに獄寺を見下ろしているのが、なんとなく伝わってくるのだ。
 右手の指にはぼんやりとボンゴレリングらしきものも見える。まず間違いなく、九代目に仕えていた嵐の守護者だろう。自分のリングを受け継いだ獄寺を、からかってやがる。
「落ち着け、獄寺。あれは悪いモノじゃねえから――」
「こ、これが落ち着いていられっかよッ!! てめーにゃわかんねえんだよ、アレがどんな代物だか!」
「わめくな! あんまり騒ぐと、ほかの連中も寄ってきちまうぞ!」
「ほかの連中!?」
 遅かった。
 室温が一気に五度くらい下がった。なにもしていないのに、ブツブツと肌が粟立つ。声さえ失うような、異様な空気が室内に満ちていく。
 気づけば、天井から壁から窓から戸棚から、わらわらうようよとさまざまな姿の亡霊たちが湧いて出てきていた。
「ぎゃああーッ!!」
 獄寺は絶叫した。
 その声に反応するように、亡霊たちが声なき声で一斉に笑った。鼓膜ではなく脳髄に直接こだまする、嘲笑の声。
 錆びた鉄のような臭いが鼻をつく。そして、息も詰まりそうな腐臭。
 飾られている磁器の皿がひとつ残らずがちゃがちゃと揺れ始める。消したはずのランプがちかちか明滅し、クッションが、枕が宙を飛ぶ。ポルターガイスト現象だ。
 こうなるともう、視える視えないの問題じゃない。重量が1t近くはあろうかという紫檀の机ががたがたと揺れた。こんなものが動きだし、万が一下敷きにでもなったら、俺も即、あの亡霊どもの仲間入りだ。
 恐怖と悪寒に、全身の毛が逆立った。
 めまいがする。方向感覚がおかしくなり、まるで床と天井がひっくり返ったみたいだ。
「出てくぞ、山本! 俺はもー我慢できねえ!!」
 獄寺は半分宙に浮きかけている長椅子を蹴り上げ、立ち上がった。
「出ていく? この屋敷をか!?」
「当たり前だ! こんな化け物屋敷に、これ以上十代目を置いておけるか! 今すぐ十代目を連れて、出ていく!」
「ちょっと待て、獄寺! だからこの連中に害はないって……」
「なに甘いこと抜かしてやがる、山本! てめえは十代目の身が心配じゃねえのか、それでもリングの守護者かッ!!」
 だめだ。獄寺め、半分パニクってやがる。
「ひとまず、今夜は待て。ツナだってもう寝てんだから――」
「待てるか、阿呆っ!!」
 引き留めようとした俺の手を振り払い、獄寺は扉に向かって猛然と走り出した。
 廊下へ続く扉を開けた瞬間。
 
――待て、待て、隼人。少し私の話を聞かんか――
 白くはあるが豊かな髪と、年月と理知を感じさせるしわ。おだやかな笑顔。
 そこには、数ヶ月前、俺も獄寺も棺に白い花を手向け、たしかに土へ還っていくのを見届けた、ボンゴレファミリー九代目のボスが、在りし日の姿そのままにおぼろに透けて立っていた。
 
――こりゃ、坊主。私の顔を見忘れたか。ちゃんと返事をせんかい――
 無理だった。
 獄寺は白目を剥いて、ものも言わずにぶっ倒れた。








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