――そうか。おまえさんが十代目の雨の守護者か。雨のリングにふさわしく、なかなか良い腕をしておるようだ――
「は……。恐縮です」
 奇妙なもんだ。生前にはあまりに遠い存在で、向き合って会話するなんて考えたこともなかった九代目と、死んでからこうして話をしているなんて。
 俺は、部屋の入り口で気絶した獄寺をひとまず室内へ運び込んだ。
「あの……、どうぞお入り下さい。――ってのも、ヘンですね。ここはもともと、あなたのお屋敷なんだし」
 
――いいや、もう十代目のもの……。綱吉くんのものだよ――
 九代目の亡霊が音もなく入ってくるのと同時に、白の間いっぱいにうごめいていた亡霊たちは、すうっと溶けるように消えていなくなった。同時に、室内に満ちていた鳥肌立つ言いようのない空気も消え、落ち着いた静寂が戻ってくる。これなら、獄寺をそこらに転がしておいても問題はないだろう。
 
――すまなかったな。私の嵐の守護者はどうもやんちゃで、いたずら好きでの。悪ふざけの癖がいまだに抜けん――
「いいえ。この程度でおたおたする獄寺のほうが、修行が足りないんです」
 九代目は慣れた様子で長椅子に座った。おそらく彼は、かつてこの部屋に住んでいた自分の守護者と話す時、いつもそうやっていたのだろう。
 そして俺の前任者はきっとこうしていたんじゃないだろうか、と思いながら、俺はベッドの端に腰掛けた。
 もう、恐怖はみじんも感じなかった。ただ胸の中に、言葉にできないなつかしさ、遠く離れた家族を思うような、どこか焼け付くような切なさをともなうぬくもりが、じんわりと広がっていく。これは、俺がこの人に感じているものだろうか。それともかつてこの人を守護していた男が、リングを通じて俺に感じさせる敬慕の思いなのだろうか。
 
――不思議なものだな。私の時もそうだった。この屋敷で先代や歴代守護者たちの亡霊を見た者は何人か居たが、先代の霊魂と話ができたのは、雨の守護者だけだった――
 彼が言う「先代」とは、八代目のことだろう。やはりリボーンの言ったとおり、雨のリングはそういった能力をも増幅するんだろうか。
 
――先代は雨の守護者を通じて、何度もファミリーの危機を報せてくださった。先代の警告のおかげで私が命拾いしたことも、一度や二度ではない――
「では……やはり、俺も?」
 ――そうだ、十代目の雨の守護者よ。綱吉くんに危機が迫る時には、今度は私がおまえのもとを訪れることになる――
 死してなお、ファミリーを守り続ける歴代のボスたち。彼らはゴッドファーザー、ボンゴレの名に連なる者すべての偉大なる父親。俺たちはみな、彼らの息子だ。血縁でもなく恐怖でもなく、ただ一族の誇りが、俺たちをひとつの家族として結ぶのだ。
「感謝します、九代目。その時は、命を賭してツナを……十代目を守ります」
 それが俺の、俺たちの使命だ。生きている意味だ。
 
――頼むぞ、息子よ。黄金の国から来た、若きサムライよ――
 そう言って九代目はおだやかにほほえんだ。
 そして安堵のほほえみを浮かべたまま、夜の空気に溶け入るように、すうっと音もなく消えていった。
 あとには無人となった長椅子と、かすかな葉巻の香りだけが残った。
 俺は身体中の空気をすべてはき出すように、ひとつ大きくため息をついた。
 屋敷の中にも、もう不穏な気配は感じない。きっと九代目がほかの亡霊たちみんなを抑えてくれているんだろう。
 そう感じたとたん、どっと疲れがこみ上げてくる。首筋から肩、背中にかけて、鉛の塊を乗っけられたみたいだ。獄寺をたたき起こすのも、もう面倒くさい。
 痩せても枯れても、獄寺だってリングの守護者だ。一晩くらい床で寝てたって、風邪なんざ引きやしないだろう。ポルターガイストどもがめちゃくちゃにしてくれた部屋の片づけも、明日にしよう。
 サイドボードに収めてあったブランデーを寝酒代わりに一杯あおって――洋酒を古伊万里の盃でというのも、なかなかおつなものだ――俺はベッドにもぐりこんだ。
 そして、夢も見ない深い眠りに落ちていった。



 翌朝。
 昨日、屋敷中に漂っていた不気味な空気は嘘のようになくなっていた。どうやらあの大騒ぎは、屋敷の新たな主人と住人たちを歓迎して先住者たちが催してくれたウェルカムパーティーだったらしい。そしてその中で、死者と生者の橋渡しができる人材を見つけよう、ということだったんだろう。その人材ってのは、つまり俺だが。
 やがて、遅れて日本を出立した霧と雲の守護者も屋敷に到着した。これでようやくボンゴレファミリーの新幹部が揃ったことになる。
 初めての幹部会議で、俺は昨夜のことをツナに報告した。――獄寺が半べそかいて俺の部屋に逃げ込んできたことは、黙っておいてやったが。
「そうか。九代目が……」
 ツナはかすかにため息をついた。そして目を閉じ、小さくつぶやく。
「ありがとうございます、九代目。父よ――」
 マフィアはその昔、外国人の領主に支配され、搾取され続けていたシチリア島の民が、みずからの農地や財産、そしてなによりも家族を守るために、家父長を中心に結束し、武器を取って立ち上がったのが始まりだという。だからマフィア構成員(マフィオーソ)にとって、同じ組織の者はすべて兄弟。その妻や子どもは平等に庇護すべき家族。そしてファミリーのボスは、ファミリーにつらなる者全員の父なのだ。
 案の定、獄寺は、十代目の危機を最初に知らされるのがなんで自分じゃないんだと、子どもみたいな駄々をこねた。それをツナとふたりでなんとかなだめ――ツナいわく「獄寺くんにはそんな知らせ、必要ないだろ? 俺になにかあった時、真っ先に気づいてくれるのは獄寺くんなんだから」――とりあえず、みなの了承を得た。
「良くわからん話だが、つまり山本の前に九代目の幽霊が現れる時は、沢田の命が危ない時なんだな? では山本は、あの爺さんの幽霊にはできるだけ会わんほうが良いわけだ」
「まあ、そういうことになるが――」
 笹川の言葉に俺は苦笑しながら、けれどそういうわけにはいかないだろうと思っていた。
 これから俺は何度となく、あの老人の霊に会わねばならないだろう。そしてそのたびに血が流され、六人の守護者も深い傷を負うに違いない。
 そして俺はいつか、仲間の死をも予言せざるを得ないのだろう。
 その時、ツナはきっと理不尽に俺を責めるだろう。自分よりも仲間が傷つくことに怒り、自らも深く傷つくツナだ。ファミリーを救うためとはいえ、仲間の死を容認できるような男ではない。
 だが、それを怖れてはならない。俺たちはマフィオーソ。この命を賭けてボスとファミリーを守り抜く、それが俺たちの名誉(オノーレ)だ。
 会議が終わり、みなが席を立って会議室を出ていこうとした時。
「貧乏くじだね」
 雲の守護者が、俺にだけ聞こえるよう、ぼそっとささやいた。
「これできみ、絶対に沢田より先に死ねなくなっちゃったじゃないか。危機が来るより先に警報機が壊れたんじゃ、話にならない」
「俺は火災報知器かよ」
「似たようなもんだろ。何にせよ、ぼくじゃなくて良かった。沢田に何かあるたびに、あんなしょぼくれた爺さんの訪問を受けるなんて、冗談じゃない」
 やっぱりこいつ、霊が視えてたんだ。視えていて、無視を決め込んでいやがった。
 雲雀はうっすらと笑みを浮かべた。
「ちょうど良かったんじゃないか? きみも獄寺も闘い方がすごく粗雑で、本気で命がいらないんじゃないかって思ってから。これで少しは自分の命を惜しまなきゃだろ」
「あ、雲雀さん。どこへ行くんですか? 食堂(ダイニングルーム)に昼食の準備ができたって……」
「もう用件は済んだんだろ? ぼくは日本に帰る。あっちに仕事が山積みなんだ。だいたいぼくは、マフィアの一員になった覚えなんかないよ」
 ボスからの食事の誘いも断り、雲雀はさっさと屋敷をあとにしてしまった。この分では、雲の守護者が使う「瑪瑙の間」はしばらく空き部屋になったままだろう。
「雲雀さん、なんだって?」
「別に。たいしたことじゃないさ」
 玄関ホールで雲雀を見送っていると、ツナが近づいてきた。
「でも不思議だな。代々、雨の守護者だけが、死者の魂と話ができたなんて」
「ああ。正直、俺にもまだピンとこないんだけどな」
 ツナはゆっくりと屋敷の中を見回した。今はおだやかに静まり、けれどわずかな暗がりのそこここに歴代ボスや守護者たちの魂が安らいでいるはずの、俺たちの居場所(ホーム)を。
「もしも俺が死んだら、今度は俺が十一代目の雨の守護者のところへ現れるのかな。十一代目ボンゴレボスの危機を報せに」
「そうだな。そん時は俺もいっしょに亡霊になるさ。この屋敷でな」
 願わくばその日まで、ボンゴレの名に恥じぬ男であるように。死してなおファミリーを見守るボスたちに、そして死をも超越して彼らに忠誠を捧げる守護者たちに「我が息子」と呼んでもらえる男であり続けられるように。
 このリングに宿る名誉にかけて。
「うん。獄寺くんもお兄さんも、雲雀さんも骸もランボも、みんな一緒にね」
「なんですか、十代目。なにが一緒ですって?」
「なんでもないよ、獄寺くん。こっちの話」
「ああ。おまえに説明して、また夜中に大騒ぎされたんじゃ、たまらないからな」
「なんだと、山本ーっ!!」



 が。
 
――おお、トレーニングは終わったようだな、息子よ。なら、こっちへ来て一杯飲らんか――
「あ、あのー……」
 ――そこの柱を調べてみい。隠し戸棚があるんじゃよ。おまえの先代は、そこにとっときの紹興酒を隠しとった。中国酒が苦手なら、ブランデーはどうかな? 上物じゃぞ――
「いえ、酒に好き嫌いはありません。ですが、九代目……」
 
――しかし、この屋敷もめっきり女っ気がなくなったのう。私の若い頃なんか、そりゃもうモテモテで大変だったぞ。なのに綱吉くんは、いったいなにをしとるんじゃ。いい若いモンが、恋人のひとりもおらんのか。まさかあやつ、いまだに女を知らんわけじゃあるまいな――
「知りませんよ、そんなこと! そんなに気になるんなら、ツナに直接訊いてください!」
 ――だーって私、おまえんとこにしか出られんのじゃもん。いくらがんばったって、雨の守護者以外には私の姿が見えんのだよ――
 そうなのだ。
 初めて九代目の亡霊に遭遇して以来、俺は毎晩九代目の訪問を受けていた。
 
――いやー、死んでからこっち、私の声が聞こえる者がずーっと現れなくてのー。退屈しとったんじゃ!――
「だからって、毎晩かかさず化けて出るこたぁないでしょう!」
 ――いいじゃないか、もうちょっともうちょっと、な? そのうち飽きたら、出てこんようにするから――
「そのうちって……、もう勘弁してくださいよ! 俺、明日早いんですよ! ツナを護衛してメッシーナまで行かなきゃなんないんですから」
 ――ああ、知っとるよ。最高幹部会議(コンミッショーネ)じゃろ。そこで綱吉くんをボンゴレのボスとして、他のファミリーのボスたちに正式に紹介するんじゃものな。そう言えば、キャバッローレの洟垂れは元気かの。近頃じゃ「跳ね馬」なんぞとたいそうな通り名を名乗って、はしゃいでおるようだが――
 九代目の亡霊はけろっとした顔で言った。
 ――会議での披露が終わったら、次はやはりパーティーじゃな。しかし、客をもてなす女主人(ホステス)のおらんパーティーなぞ、盛り上がらんぞー。ここはひとつ、おまえらがせっついて綱吉くんに妻をめとらせてだな――
「よけいなお世話です、九代目! だいたいあなたは、ツナの危機にしか姿を現さないんじゃなかったんですか!?」
 ――なにを言うとる! 綱吉くんが独り身のうちになにかあったら、それこそファミリーの危機じゃろうが! 今、ボンゴレの血は先細りしとる。この危機を乗り越えるためにも、一日も早く綱吉くんに伴侶を迎えさせねば。それにおまえらもおまえらじゃ。六人の守護者がそろいも揃って女っ気ナシとは、どういうことじゃ! それでも男が、腰抜け!――
「今まで、それどころじゃなかったんですよ! 九代目だってご存じでしょう!」
 ああもう、つきあってられん。
 九代目の亡霊をほっぽって、俺はさっさとベッドにもぐりこむことにした。
 先代雨の守護者が秘蔵していた紹興酒をかっ食らい、かなりご機嫌の九代目は、家光氏から教わったのか、ちゃんちきおけさなんぞ唄っている。
 ――おお、そうじゃ。霧の守護者だけはえらく可愛らしい娘を連れておったのう。ありゃ、霧のコレか?――
「知りませんってば!!」
 ――あの娘もわりかし霊感がありそうじゃったな。ま、ちょっと肉付きが悪くて私の好みからはずれとるが。よし、ひとつ挨拶してくるか――
「よ、よしなさいっ! 骸に殺されますよ!!」
 
――わしゃもう死んどるもーん――
「そうじゃなくて、九代目! 九代目ッ!!」
 ぽわん、とまるで奇術のような効果音を残して、九代目の霊体がかき消える。
 まさか本当に、凪のところへ化けて出るつもりなのか!? 骸に八つ裂きにされるぞ!!
「お、おい、九代目の守護者たち! いるんだろう、おまえらのボスをなんとかしろ!!」
 俺は部屋の天井に向かって怒鳴った。
 が、反応はない。霊がいる気配も感じない。
「誰かいないのか!? 雨でも嵐でも、誰でもいい!!」
 俺は窓を全開にし、真っ暗な前庭に向かって声を張り上げた。
「誰か九代目を止めてくれーッ!!」
「うるせーぞ、山本ぉッ!!」
 扉がぶち破れんばかりの勢いで蹴り開けられた。
 寝入りばなを邪魔されたせいか、ひどく血走った目をした獄寺が立っている。その手にあるのは、今度は枕ではなくやつの得物、ボムだ。
「てンめえ……。こんな夜中にいってぇなに騒いでやがる……」
「い、いや、違う、獄寺。これには理由が……」
「そんなに眠れねえなら、俺が永眠させてやらあッ!!」



「ねえ山本。夜中に鍛錬するのはかまわないけど、もう少し静かにやってくれるかな」
「あ、ああ。すまねえな、ツナ。気をつける」
 メッシーナへ向かうリムジンの中、寝不足でつらそうなツナに、俺はひたすら頭を下げた。
 ちなみに九代目の霊魂は、ボコボコにされた姿で次の夜も俺の枕元に化けて出た。
 ――あの男、ほんとに容赦がない。わしゃ九代目のボスだっちゅうに。ちょーっと可愛い子ちゃんに挨拶しようと思っただけなのに、ここまでやるこたぁなかろうが。か弱い老人に向かって、なんちゅう無慈悲な……!――
 いや、骸は手加減してますよ。それでも充分に。でなけりゃあんたは今頃、粉みじんだって。
 ――おお、そうじゃ。近々、晴の守護者の妹が遊びに来るとか言っとったな。どうだ? 兄に似ず、可愛い娘か?――
「いい加減にしてくださいっ!!」
「だから、やかましいっての、山本ッ!! いい加減にすんのはてめえだあーッ!!」
 ……俺の憂鬱は、しばらく続きそうだ。






                                 参考文献:「マフィア シチリアの名誉ある社会」
                                               竹山博英 著  朝日選書
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【山本武のささやかな憂鬱・3】

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