裏新宿、占い横丁に冷たい雨が降る。
 人生に行き詰まり、すべての光明を見失った者たちがたむろする街。その一角に、カード占いの店「カルタス」はある。
 ためらいながらドアを開けると、古めかしい香料とインクの乾いた匂いが流れ出してきた。
 そして、
「いらっしゃい、蛮、銀次くん! 二人とも良く来てくれたわね!」
 波うつ豊かな黒髪と鳶色の肌、女神のプロポーション。御歳
(おんとし)百才の美女が、両手を広げて駆け寄ってきた。
「マリーアさん!」
「ごめんなさいね、いきなり呼びつけちゃったりして。外、雨でしょう? 濡れなかった?」
「ぜーんぜん平気っすよー! メシ食わしてもらえるんなら、オレら、どこへだって来ちゃいますから!」
「意地汚ねえこと言うな、銀次!」
「あてっ! 殴ることないじゃんよ、蛮ちゃん! 金なくってメシ食えねえのは、ホントのことじゃん」
「あらまあ、あなたたち、また仕事にあぶれてるの?」
「そーなんすよぉ。ほら、アレ。『びんぼーイモ洗い』ってヤツで」
「阿呆。それを言うなら『赤貧洗うが如し』だ!」
「そんなにパカパカパカパカ殴んないでよ! これ以上バカになったらどーすんだよぉ!」
「そうよ、蛮。口より先に手が出るのは、あなたの悪いクセだわ。ねえ、銀次くん。かわいそうに」
 豊かな胸元に抱き寄せられ、銀次はたちまちでれえっと鼻の下を長くした。
「デレーッとしてんじゃねえ、銀次! 百才のババァに抱きつかれて、何が嬉しい!」
「だって蛮ちゃん――」
 蛮から聞かされている真実はどうあれ、銀次の眼に映るマリーア・ノーチェスは、とってもキレイですてきな女性
(ひと)だ。その上明るくて、優しくて、歌も踊りも料理も上手。蛮が何を言おうとも、銀次にとってはやっぱり、それだけが事実なのだ。
「で、俺らに何の用だよ。いきなり呼びつけやがって」
 ひどく不機嫌そうな声で、蛮は言った。くわえ煙草を噛みつぶしそうになっているのも、蛮が本当に虫の居所が悪い証拠だ。
「あら。『Honky Tonk』のマスターに言付けたとおりよ」
 マリーアは、占い屋の店舗から彼女のプライベートな居住空間へとつながるドアを開けた。
 とたんに、あたたかく美味そうな食べ物の匂いが漂ってくる。銀次の腹の虫がぐうっと騒ぎ出した。
「今日は私の誕生日ですもの。誕生日に一人きりで食事するなんて、淋しくていやだわ。誰かに一緒にお祝いしてもらいたいのよ」
「百回目の誕生日でもか」
「ほんとにいやな子ね、蛮。こういうことに、歳の老若は関係ないでしょ」
 さ、入って、と、マリーアは二人を手招きした。
「はぁーい、おじゃましまーっす!」
 喜びいさんで銀次がドアの中へ駆け込むと、やがて蛮も渋々といった表情でついてきた。
 今までにも何度か招かれたことのある、マリーアの居間。古い調度品は歴史の重みを感じさせ、それでいながら訪れる者を優しく包み込んでくれるようだ。
 大きなダイニングテーブルには真っ白なテーブルクロスがかけられ、銀食器がすでにセッティングされている。
「二人とも座ってちょうだい。すぐに用意するから」
「はーい!」
 言われるまま、銀次は手近な椅子にぴょこんと座った。
 だが蛮は、熾き火の残る暖炉の前に立ったままだ。灰皿が見あたらないため、煙草の灰を暖炉に落とすしかないのだろう。
「あら、寒いの、蛮?」
「いや」
「いいわ、食事の前にホットチョコレート、持ってきてあげる」
「ほっとちょこ?」
 たしか、同じ名前が「Honky Tonk」のメニューにも載っていた。銀次はオーダーしたことはなかったが、賄いで夏美が美味しそうに飲んでいるのを見た覚えがある。
「カカオリキュールをちょっぴり垂らせば、オトナの味わいよ。そうそう、蛮たらねーえ、子どもの頃、リキュール入れすぎて――」
「うっせー、マリーア! よけいなことしゃべってんじゃねーよ!」
 熱くとろりとした褐色の液体は、五月とは思えない冷たい雨に濡れた身体を、内側からあたためてくれた。
 銀次がカップを空にする前に、マリーアはキッチンから次々に料理を運んできた。
「うわぁ、すっげー美味そう!!」
 目の前に並べられる皿に、銀次は歓声をあげた。
 見たこともない料理ばかりだ。エキゾティックなスパイスの香りが食欲をそそる。
「これ、何のシチューですか?」
「仔ウサギよ。こっちは鳩の胸肉のパイ包み焼き」
「ウサギとハト!? そんなもん食べちゃうの!?」
「あら銀次くん、びっくりすることないわよ。中国人はカエル食べるし、フランス人はカタツムリ食べちゃうのよ。日本人だってドジョウやナマズ食べるし。それにくらべたら、ウサギも鳩も食肉としてはごくポピュラーだわ」
「そっかぁ、そうっすよね!」
 銀次はまだお目にかかったこともないが、カモだか何だかの肉は高級食材だそうだし、ハトだってきっと似たようなものだろう。銀次は喜々としてナイフとフォークを手にとる。
「お食事と一緒にスパイスワインはいかが? ヨーロッパで古くからたしなまれているワインの楽しみ方よ。渋い赤ワインにハーブや蜂蜜で風味をつけるの。それから小タマネギの酢漬け
(ピクルス)にマッシュルームのソテー、リンゴのサラダ、デザートは桃のコンポートよ」
「わいん、でざぁと……!!」
 すでに銀次はお目々きらきら、食べる前からほっぺた落っこち状態だ。
「そんじゃあ、いっただきまーす!」
「食うな、銀次ッ!!」
 銀次の後頭部を、蛮が思いっきり張り飛ばした。
 銀次は目の前の皿に顔ごと突っ込む。
「な、なにすんの、蛮ちゃんっ! お皿割れちゃったらどーすんの!」
「心配すんのはソコじゃねーだろ! 皿の前にふつうはてめーの顔面が割れるわ!」
 蛮はテーブルに並んだ料理をじろりと見据え、それからマリーアを睨んだ。
「なんだよ、この献立
(メニュー)はよ。ウサギに鳩に桃だぁ? ンなもんばっか並べやがって、何考えてやがる、マリーア!」
「へ?」
 蛮の只ならぬ口調に、銀次はあらためてテーブルの上の料理を眺めた。
 銀次には、これと言って不審はないように思える。あたたかな湯気と香りがとても美味そうだ。
「もしかしてキライなの、蛮ちゃん? ウサギも鳩も」
 蛮にそんなぜいたくな好き嫌いがあるなんて話は、今まで一度も聞いたことはないが。
 マリーアも憤然とした様子で蛮を見据え、言った。
「あなたのためを思って、このメニューにしたのよ、蛮。それとも、イモリの黒焼きや鹿の睾丸並べたほうが良かったって言うの!?」
 銀次はホットチョコレート最後の一口を、危うく噴き出しそうになった。
「イ、イモ……ッ! し、鹿の、なんつったんすか、マリーアさん!?」
「牡鹿の睾丸。他にもサンショウウオの丸焼きとかコモリガエルのスープとか、いろいろあるわよ。ええ、蛮。あんたがそっちのほうがいいって言うなら、いくらだって作ってやるわよ」
「ンなモンが食えるかーッ!!」
 髪どころか全身を総毛立たせた猫みたいに、蛮ががなる。
「ば、蛮ちゃん……。この料理って、いったい……?」
 いったん握ったナイフとフォークを手放し、銀次は恐る恐る問いかけた。
 だが、
「迷信だっ!!」
 蛮は吐き捨てるように言った。
「チョコレート――カカオは昔から疲労回復と精神状態の昂揚に用いられてきた。宗教儀式に使われていたこともある。鳩は愛の女神
(アモーレ)の使い。ウサギは他の動物と違って、発情期に際限がない。その性質から、男にとっては精力のシンボル、女には妊娠と出産のお守り(アミュレット)だった。タマネギも精力増強、スパイスワインは血流を盛んにして身体をあたためる。血の気が多くなるってヤツだ。桃は古今東西、回春のフルーツ――つまり食えば気持ちが若やいで、どんなじいさんばあさんもせっせと子作りがしたくなるって代物だ」
「さすがね、蛮。ちゃんと覚えてたのね」
 合格よ、と、マリーアはにこやかに笑った。
「だからくだらねェ迷信だっつってんだろ。大体、桃食っただけで子どもが作れんなら、誰が少子化対策で苦労すっかよ」
「じゃあ食べても大丈夫だよね。いっただきまぁ――」
「食うんじゃねえッて言ってんだろーがッ!!」
 再び後頭部をはり倒され、銀次はテーブルに顔面から激突した。
「なんでだよ、蛮ちゃん! 迷信なら、食べても平気じゃん!」
「この料理を作ったのが、誰だと思ってやがる」
「誰って……マリーアさん」
「ああ、そうだ。百年も生きてる根性悪の魔女だ! 食材は迷信でも、料理してる最中に、こいつがどんな念込めてっか、わかったもんじゃねえんだよ!」
「いやぁね。人聞きの悪いこと言わないでちょうだい、蛮」
 マリーアはにっこりと銀次に笑いかけた。
「心配いらないわ。これはね、銀次くん。恋の白魔術よ」
「白魔術?」
「そう。このお料理を食べるとあら不思議、どんな石頭の唐変木でも、優しい気持ちになって、恋がしたくなるのよ」
「恋がしたくなる……」
 銀次はテーブルの上の皿を見つめた。ふわりと優しい香りがたちのぼり、銀次を包み込んでくれるようだ。
「誰もが運命の人とめぐり逢い、結ばれますようにって、私の精一杯の祈りが込めてあるの。そして地上は幸せな恋人たちでいっぱいになるのよ。ステキなことだと思わない?」
 士度とマドカちゃんみたいにかなぁ、と、銀次は思った。あの二人のように心から愛し合える相手と出逢えるというのなら、この料理はなんてすてきな魔法だろう。
 自分にもそんな幸せが訪れますように、と、銀次は喜々としてスパイスワインのグラスに手を伸ばした。
 だが蛮は、
「俺は腎虚
(じんきょ)でくたばりかけてるジジイじゃねーぞ! こんなモン食わして、俺になにさせようってんだ!」
「決まってんでしょ、子どもよ、子ども! 赤ちゃん!! これ食べて精力つけて、さっさと女の子孕ませてらっしゃい!!」
 銀次は力一杯、ワインを噴き出した。
「いいこと、蛮。私には、あなたのお祖母様のお血筋が、確実に次代へ受け継がれるのを見届ける義務があるわ。それまでは、死ぬに死ねないのよ!」
「百年も生きてて、まだ足りねえのか!」
「私をあの世に逝かせたいなら、さっさと子ども作んなさいっ! あなたの赤ちゃんを、可愛い孫を私に抱かせてちょうだいよっ!!」
 銀次の頭上を、蛮とマリーアの怒鳴り声が飛び交う。
「ま、あと数年若かったら、私が産んであげても良かったんだけどね」
「数年で追いつくかっ! 数十年の間違いだろ! それだって、俺の歳の倍じゃねーかよ!」
「だから、あなたが自分の好きな女の子を選べるように、こうして協力してあげてるんじゃないの!」
「いらねー世話だっ!!」
「この際、もうぜいたくは言ってられないわ。本当はちゃんと魔道、呪術を学問として修めて、すでに魔女の称号を持ってる娘
(こ)がいいんだけど」
 その条件に当てはまる女の子が、身近にいたような気がするなぁと、銀次は思った。
「歴代の邪眼の王の中には、熾天使
(セラフィム)の位を持つ娘を堕天させて寵姫の列に加えたっていう剛の者(ごうのもの)もいたそうだし」
 似たような経歴の女の子に、心当たりがないでもないなぁと、銀次は思った。
「とにかく、こーなったら質より量よ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、だわ。そのへんの女の子片っ端からナンパして、タネばらまいてらっしゃい!!」
「俺の××××、農薬の空中散布みてーに言うなーッ!!」
 伝統ある家系に生まれるのも大変だ、と、銀次はしみじみ思った。その点自分なら、こんなことを口やかましく言ってくる親類縁者は一人もいない。
 無限城の仲間たちは銀次にとって大切な家族だが、少なくとも彼らはみな、銀次と同年代だ。早く孫の顔をとせっつかれる心配はない。
「老い先短い年寄りの、最後の願いを叶えてやろうっていう優しさが、あんたにはないの、蛮!!」
「てめえがそんなしおらしいばーさんかよッ!!」
 怒鳴り合う二人をよそに、銀次はあらためて料理の数々と向かい合った。
「いただきます」
 ぺこり。礼儀正しく、おじぎして。
 フォークとナイフを手に取る。
「こんなモン食わされなくたって、俺ぁ女に不自由したこたァねえよッ!! ちっと街歩くだけで、それこそホイホイガバガバ入れ食い状態だぜ!」
「あぁら、そーなの! そんならその娘たち、全員ここへ連れてらっしゃい! 栄光
(はえ)ある邪眼王の寵姫ですもの、20人でも30人でも、あたしゃ驚きゃしないわよ!」
「あ、うまぁ(*^o^*)」
 鳩肉のパイを一口かじって、銀次、にっこり。
「ねえねえ蛮ちゃん、これ、すっげー美味いよ!」
「だから食うなッつってんだろがあああッ!!」


                           ☆   ☆   ☆


 そして、夜半。
 すばる360
(てんとーむしくん)の車内で。
「ね、ねえ、蛮ちゃん……」
「なんだよ、うっせーな……」
「オレ……なんか、ヘンなんだけど――」
「あぁ!?」
「なんか、頭ん中ボーッとして……熱っぽくて、ヘンにドキドキしてる感じで……」
「馬鹿野郎! だからあんな得体の知れねぇ料理、食うんじゃねえって言ったろーが!」
「ねえ、どうしよぉ……っ! 身体、熱くて、寝らんないよお……」
「阿呆っ! さっさと便所行って、てめえで一発抜いてこいっ!」
「あ――は、鼻血出ちゃった……」
「げっ、汚ねえーっ! シートに鼻血垂らすな! こっち向くんじゃねえーっ!!」



                                      The END
この「邪眼王の寵姫」ネタ、シリアス編もあるんですが。そちらはまたえらく長くなりそうなんで、今回はとりあえず読み切りのお笑い短編にしときました。文中に出てくる顔文字は、実はAtok14の辞書に入ってるんですよ。「かおもじ」で変換効くんです。ハートマークが出せなかったので、代用にしてみました。
このページの背景画像は、「OYONE」様からお借り致しました。
BACK→
【あなたとディナーを】
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送