カミンスキィは黙ってそれに従った。まっすぐに背すじを伸ばし、視線さえまったく動かさずに、じゅうたんの上に片膝をつく。立てた右膝に両手を重ねて乗せたその姿勢は、まるで大礼に望む儀仗兵のようだ。
 その胸元めがけ、ユーリアは鞭を振り下ろした。
 鋭い音がする。癒えかけていた傷がふたたび裂け、紅い血の珠がぷつぷつとカミンスキィの肌に浮かんだ。
 二度、三度とユーリアは鞭をふるった。そのたびに、カミンスキィの肩や胸元に血の色のラインが刻みつけられた。
 鞭が皮膚を裂く瞬間、カミンスキィはわずかに眉を寄せ、表情を曇らせる。だが、それだけだった。何度打たれようと、身じろぎひとつしない。凛然と顔をあげたまま、声も上げず、無論、許しを乞う様子も見せない。――今までの玩具たちは、一、二度鞭が皮膚をかすめただけで情けない悲鳴をあげ、涙ながらにユーリアの膝に縋りついて慈悲を乞うたのに。
 びゅ、びゅッ、と、鋭く空を裂いて、鞭が振り下ろされる。気づかないうちに、ユーリアの着る絹の夜着にも小さくカミンスキィの血の染みが飛んでいた。
「おまえには……無理よ。なにを言ったところで、どうせひとつも出来はしないわ」
 かすかに息をはずませながら、ユーリアはようやく鞭を止めた。
「それはなぁに? 鞭打たれて歓ぶなど、まるで犬のようではないの」
 ユーリアが見くだす視線の先では、カミンスキィの身体が変化し始めていた。うなだれていたものが、ゆるゆると頭をもたげようとしている。
「これは……。お許しを、殿下」
 カミンスキィは目を伏せた。だがその表情は、快楽の反応を示す自分の身体を恥じるふうもなく、むしろ皮肉めいた余裕を感じさせる。
 くくく……と、低く喉の奥で、カミンスキィは笑った。
「その鞭を奪い取って、同じ事をしてさしあげたら、あなたはどんな声でお泣きになるだろうと……。それだけでは足りない、その宝石に飾られた柄をあなたの中にねじ込んでさしあげたら、と――そんなことを考えていたら、このようにはしたないところをお見せしてしまいました」
 優雅に一礼し、カミンスキィはユーリアの鞭にくちづけた。
 ユーリアの手が小さくふるえた。カミンスキィの唇の熱を感じる。まるで鞭の先にまで、神経がつながっているようだ。
 捧げ持つように鞭に触れた手が、ゆっくりと上へつたいのぼってきた。蛇が樹木の幹に絡みついてするすると這いのぼるように、やがて鞭を持つユーリアの手に触れる。
「ふるえておられるのですか、我が姫君。怯える必要はないのですよ」
「お、怯えてなど……」
 ――いいえ、まさかそれとも、本当に怯えているの?
 カミンスキィがひとつひとつ言葉にしてみせたことに、まさか心を動かされているとでも――心のどこかで本当は、ユーリア自身もそのようなことを考えていたとでも?
 それが、自分の願いだったのだろうか。打ちのめされ、辱められ、生来の身分も軍人としての栄光もすべて剥ぎ取られて、誰かに徹底的に支配されることが。
 だから自分は、今もこの手がふりほどけないでいるのだろうか。この、蛇のように這い昇り、自分を縛ろうと絡みついてくる、強くしなやかな手。この手から、もう逃げられないというのか。
 いいえ、そんなはずはない。自分が――東方辺境領姫が、このユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナが。
 征服し、支配してやればいい。この男も、以前の遊び道具たちと同じように。足元にひれ伏させ、ユーリアに慈悲を請うその唇で爪先にキスをさせればいい。できるはずだ。この男とて、他の者たちと何ら変わるところなどないのだから。
「ああ、それではお寒いのですね」
 カミンスキィが立ち上がった。
 氷青色の瞳が、ふたたびユーリアを見下ろす。
「可哀想に。あたためてさしあげましょう」
 強靱な腕が背後からユーリアを抱きしめる。腕の中に閉じこめ、逃がさない。
 火照るような体温がユーリアを押し包んだ。目眩がする。
 唇が降りてくる。触れるだけの優しいキスは、すぐに呼吸さえ奪うような激しいものに変わった。
 大きな手にがっしりとあごをつかまれて、頬をそむけることもできない。無理に上向かされての接吻は、ひどく苦しかった。
「ア……アンドレイ……!」
 ふわりと身体が浮いた。カミンスキィの両腕に抱き上げられ、そのままベッドまで運ばれる。ひどく頼りない感覚に、ユーリアは思わずカミンスキィの肩にしがみついた。
 ユーリアの頭文字と紋章が縫い取りされたシーツの上にそっと下ろされると、絹の冷たい感触に皮膚が粟立った。こんなにも身体が火照っていたのかと、あらためて気づかされる。
「ユーリア、我が姫君」
 ユーリアの全身がカミンスキィに包み込まれる。
 ためらいもなく、カミンスキィはユーリアの胸のふくらみに手をかけた。小振りな乳房は、男の手の中に簡単につかみ取られてしまう。手のひらの窪みで桜色の頂点を転がすように揉みしだかれると、ユーリアは小さく背をのけ反らせた。
 カミンスキィの手は熱く、乾いて、少しざらついている。髪を撫で上げられると、かすかに鉄と火薬の匂いを感じる。戦場を疾駆する軍人の手――多くの敵を屠ってきた手だ。唇には強い火酒
(ウォトカ)の刺激が残る。甘いワインやマデイラ酒しか知らないユーリアには、馴染みのない味だ。
 熱い唇が首すじに押し当てられた。わずかにぬめる痕を残しながら、ユーリアの肌の上をすべり降りていく。尖らせた舌先がちろッと胸の先端に絡みついた時、ユーリアは思わず息を呑み、身をよじった。
「逃げないで、可愛い方」
 広い肩がユーリアを抑えつけて、逃がさない。カミンスキィの身体は鋼のように硬く、皮膚はぴんと張りつめて、ユーリアが爪をたてても傷をつけることすらできない。それでいながら、野のけもののように俊敏に動き、思いがけない仕草でユーリアを翻弄する。
 カミンスキィの胸に噴き出していた血の珠が、ユーリアの肌にもなすりつけられ、赤い汚れを残した。カミンスキィはそれを丹念に舌先で拭い、清めていく。
「あ、あ……いやよ、まだ、そこは――っ!」
 両脚を大きく開かされ、溶けるような接吻が潤み始めたばかりの泉に押しつけられた。
「だめよ、やめなさい――。やめて……アンドレイっ」
 ユーリアはもがき、カミンスキィの愛撫から逃れようとした。けれどカミンスキィはそれを許さない。真っ白な脚をしっかりと抱え込み、さらに深く淫らに、ユーリアの秘花を接吻で犯していく。
 銃剣を握る硬い指先が、濡れた花びらを容赦なく押し開く。その奥に隠れていた小さなルビー色の真珠が剥き出しにされ、そこに熱い舌先が絡みついた。
「は、あ――ッ!」
 細い悲鳴があがった。
 かと思えば、カミンスキィの接吻はユーリアのもっとも過敏な部分を逸れ、なめらかな太腿や細いウエストのまわりをちろちろとからかう。高められた快楽は行き場をなくし、ユーリアの身体を内側からじりじりと灼き焦がした。
 ユーリアがもどかしさに身悶えすると、接吻はふたたび過敏な花びらの上に戻る。もっとも感じやすい真珠を痛いくらい強く吸われ、ユーリアは啜り泣いた。一度奪われかけた快楽に、心よりさきに身体がすがりつく。細い腰が浮き上がり、ユーリアの秘密がカミンスキィの前にさらに大きく開かれた。両脚が宙に浮き、爪先が痙攣した。
「いやよ、いや……やめて、もう――あぁっ、あー……っ」
 快感と羞恥に、ユーリアは泣きじゃくった。
 カミンスキィが身を起こした。ユーリアのふるえる脚を抱え上げ、身体を重ねる。いっぱいに蜜をたたえた泉に、猛り立つ欲望が沈められた。
「あ――、ああぁ……っ!!」
 悲鳴はか細く痛々しく、あまりにも力無かった。
 カミンスキィが力強く律動する。灼熱の塊がユーリアの中に埋め込まれ、引き抜かれ、また根元まで一気に突き入れられる。そのたびに、まるでカミンスキィの圧倒的な質量に押し出されるように、狭い泉から蕩ける蜜があふれ出した。
 淫らな水音が寝室に響いた。
「ああぁっ、いやあ……いやよ、アンド、レ……。アンドレィ……ッ!」
 ユーリアは自らカミンスキィの逞しい背に四肢を絡ませた。
 ユーリアの意志などまったく無視して、容赦なく送り込まれる悦楽。まるで道具のように扱われることの、歓び。自らの意志も誇りも踏みにじられて、辱められ、弄ばれ、支配される。それがたまらなく甘美だった。
 いっそ、なにもかも手放して、この快楽に従ってしまいたかった。人形のように愚かな女になって、ただなされるがままに、与えられる歓びに溺れてしまいたい。
 けれどカミンスキィは、それすら許さなかった。
「どうぞ――私の上に。私はまだ、あなたが授けてくださった傷がふさがっておりません。このままでは、せっかくの寝具を汚してしまう」
 繋がりが一旦ほどかれ、カミンスキィの手がユーリアを抱き起こした。
「脚を開いて……。そう、ご自分で――」
 一抹の憐れみも寛容もない手で、彼の上に導かれる。
 頂点近くまで押し上げられ、その途中でいきなり放り出されたユーリアは、逆らうことができなかった。
「あなたのお望みのままに、東方辺境領姫殿下」
「ふ、あ……、アー……ッ!」
 屹立する雄の上に、自ら腰を沈める。自分の体重がかかるせいで、さきほどよりもさらに深く、ユーリアのもっとも奥深くまでカミンスキィが進入してくる。
 白い身体が三日月のようにのけ反った。
 真下から大きく突き上げられ、しなやかな肢体ががくがくと揺れ動く。灼熱の塊が、ユーリアの芯に突き刺さっている。息も停まりそうな快楽がそこから噴水のようにあふれ出し、ユーリアを飲み込んでいく。頽れようとすると、力強い手ががっしりとウエストを掴み、それすら許さない。
「ああぁ……っ。アンドレイ、ア、――あー……っ!!」
 カミンスキィの手に支えられ、ユーリアはいつまでも歌い続けた。高く細い声で、シンギングバードのように。






 やがて。
 冬期の帝都には珍しく、空が広く晴れ渡った日。
「クラウス――クラウス!」
 陽光と柱の陰が規則正しい模様を描く長い回廊に、ユーリアの声が響き渡る。
「出撃が決まった。東方国境で蛮族の反乱が起きた。皇帝陛下より我が東方辺境領鎮定軍に、叛徒どもをすみやかに鎮圧し、人心を安んじよとの命が下された。ただちに将校を招集せよ。部隊を再編成する!」
「御意、閣下」
 ユーリアの声に駆けつけてきたメレンティンが、拳をこめかみにあてて敬礼する。
 足早に回廊を通り抜け、ユーリアは自室に飛び込んだ。居間の隣にある衣装部屋へ向かいながら、髪飾り、耳飾り、扇、絹の手袋と、次々に床の上へ放り捨てていく。女官長があわててその後を追いかけ、ひとつひとつ拾い集める。
 衣装部屋ではすでに小間使いたちがユーリアの軍服や軍用長靴を抱え、深々と頭を下げて女主人の入室を待っていた。
 ユーリアが彼女達の前に立ち、両腕を水平に広げると、すかさず小間使いたちはベルベットのドレスを脱がせていく。ワインレッドの美しいドレスが脱ぎ落とされ、鯨の骨で作られたフープ、窮屈なコルセットが外される。女神のような裸身があらわになった。
 高く結い上げられていた黄金色の髪がほどかれ、女官長の手で梳かれて、ユーリアの生まれ持ったゆたかなウェーブがよみがえる。
 ほっそりとした肩に、三つ首龍の軍装が着せかけられた。剣帯が肩から斜めに掛けられ、精巧な象眼が施された銀の剣が手渡された。
 ぎゅ、と小さな音をたて、白い革手袋を着ける。
 ふたたび回廊に姿を見せた時、ユーリアは誰もが敬愛する戦姫、帝国陸軍元帥、東方辺境領軍総司令官となっていた。
「現在、手元にある情報をふたたび精査する。陸軍特務士官が到着する前に、疑問点をすべて洗い出せ。会議室に東方国境の精密地図を用意しなさい。必要な増援は今日中に申請する。全部隊の閲兵は明朝一〇刻。全部隊に通達せよ」
 会議室に向かって靴音高く歩き出しながら、ユーリアは次々に指示を出した。
「御意、閣下」
 やがて将校たちが次々に会議室へ向かっていった。ある者は先に到着して会議卓の前でユーリアを出迎えようとし、ある者はユーリアのうしろに付き従う。
 そして円柱の陰から、帝国本土出身の身分を示す白い軍服が現れた。
 その横を、ユーリアはまっすぐに前を見つめたまま、速度も落とさすに通り過ぎる。
 目の前を通り過ぎるユーリアに、カミンスキィは敬礼した。
 ユーリアが振り返る。立ち止まろうとはせず、ちらりとカミンスキィに一瞥をくれる。
「貴官にも存分に働いてもらうぞ、アンドレイ・カミンスキィ少佐」
「御意、閣下」
 カミンスキィは淡々と答え、従順に眼を伏せる。
 紅い唇が、声もなく笑った。満足げに、勝ち誇るように。
「期待している」
 ユーリアの周囲に集まりつつあった将校たちが、一斉に嫉妬と侮蔑に満ちた目をカミンスキィに向ける。他の誰も、東方辺境領姫より言葉をたまわることはできなかったのに、なぜこの男だけが。みな、そう言いたいのだろう。卑しい男娼が殿下の寵愛に驕る気か、と。
 だがそんな嫉視すらも、カミンスキィは傲然と顔をあげ、無視する。東方辺境領姫の愛人と呼ばれることを自分はなんら恥じてはいない、とでも言いたげな顔だ。その驕慢とも見える誇り高さが、ユーリアは気に入っていた。
 それ以上はもはや、互いに視線を向けることもなかった。三ツ首龍の紋章をひるがえし、ユーリアは会議室へと向かった。





 シンギングバードは籠の中で、じっと動かずに主人の帰りを待っている。ユーリアが帝都を離れているあいだは、誰もネジを巻かないのだ。精密機械ゆえに埃を避け、手入れはきちんとされているが、可憐な小鳥は歌うことはない。
 たぐいまれなる東方辺境領姫がふたたびこの小さな自動人形になぐさめを見出すのは、彼女が本来生きる場所である戦場から引き離された時になるのだろう。シンギングバードもまたそのことを悟り、今はただおとなしく主人の帰りを待っているかのようだった。









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【Singing Birdは歌う 2】
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