【AMAZING GRACE・1】





 金牛宮の神殿は、不思議な静けさに包まれていた。
 聞こえるのはさらさらと流砂の流れる音ばかりだ。耳を澄ますと、それはまるで古代の音楽のようにさえ聞こえてくる。
 その最奥部に安置された玉座。松明
(たいまつ)の灯りに照らされて暗い金色に光るその椅子に、リサは一人、腰かけていた。
 手には温かな黄金色をした「地の水晶髑髏」がある。膝の上にそれを置き、ゆっくりと撫でていると、あたたかい力が手のひらから伝わってきて、全身をぽうっと暖めてくれるようだ。
 水晶髑髏が放つ波動に浸りながら、リサは楽しい夢想にうっとりとふけっていた。
 この神殿の奥津城
(おくつき)へ来るあいだにも、いろいろと楽しいことを見ることができた。
 水晶髑髏を奪おうと襲いかかってきたラストバタリオンどもは、固有ペルソナとして与えられたリヴァースヴィーナスの力で、あっと言う間に醜い血まみれの肉片に変えてやった。新しい仮面党の頭領様は、本当に素晴らしい力をリサに与えて下さった。
 リサの前にひれ伏した仮面党員達の、あの崇敬と羨望に満ちた眼差し。
 ――ああ、お美しいレイディ。貴女こそが、地の神殿のご主人様。貴女の足元で死ねるなら、この仮面をつけた甲斐もあるというもの――。
 純粋な崇拝の奥に粘りつくような欲望を秘めた男達の視線は、見られているだけでリサにぞくぞくするようなエクスタシーをもたらした。
 彼らは口々にリサを讃えながら、リサが着ている七姉妹学園
(セブンス)の制服を一枚残らず剥ぎ取ることを夢想している。そして自らの欲望でリサを汚すその様を、思い描いている。男達の濁った両眼にその欲望のゆらめきを見るだけで、リサは我知らず熱い吐息をついていた。白磁の肌がほんのりと紅潮し、アイスブルーの瞳が快感に潤んだ。
 花びら色の唇に淫蕩な笑みをたたえ、身もだえしのたうち回る崇拝者達を足元に踏みつけて、リサは一顧だにしない。残酷さと潔癖さと、この年頃の少女達特有の無意識のうちに男を誘惑する淫らさとが、しなやかな身体の中にすべて溶け込んでいた。
 誰もが憧れ、熱狂し渇望し、その秘密を暴きたいと願うミステリアスな美少女。手を伸ばせば触れられそうなほど身近に存在しながら、その笑みも歌声も惜しげもなく振りまいてくれながら、けして手が届かない綺羅星。それはまさに、珠間瑠市を覆う噂の魔力が作り出した、究極の偶像
(アイドル)だった。
「そうよ。私がここへ来たからには、もう何も怖ろしいことはないわ。安心して命を捨てなさい。導かれし新人類――イデアリアンのために!」
 高らかに笑いながらリサは、仮面党員達がリサ自身の盾となって次々に殺されていくのを眺めていた。彼らの血に染まった回廊を歩き、その屍を階段代わりにして、リサはこの玉座に昇ってきたのだ。
「Amazing Grace, How sweet the sound. That saved a wretch like me……」
 桜色の唇から、自然に歌がこぼれる。アメリカで歌い継がれてきた古い賛美歌を、原詩のまま口ずさむ。
 もうすぐ、あのひとがここへ来る。
 リサが待ちわびている、ただ一人のひとが。
 うっすらと笑みが浮かぶ。水晶髑髏を撫でる手も止まりがちになる。
 あのひとがここへ来てくれたら、何と言って出迎えよう。あのひとの肌は熱いだろうか。血は甘いだろうか。どんなふうにキスをして、どんなふうに私を抱いてくれるだろう。
 もうすぐ……もうすぐ、あのひとが私だけのものになる――。
 だが。
「――誰ッ!?」
 水晶髑髏を抱え込んだまま、リサは立ち上がった。
 ちりちりと皮膚が粟立つような不愉快な感覚。ペルソナの共鳴だ。
 リサを押し包もうとするその力は、どろどろと熱く暗く煮えたぎる溶岩のようだ。
 力の源を見極めようと、リサは金牛の間の片隅を睨んだ。
 くく……と、低く押し殺したような嗤い声が聞こえる。
「誰だとはずいぶん間抜けな挨拶だな、リサ」
 空間がぐにゃりと歪んだ。神殿の景色が不出来なコンピュータグラフィックスのようにねじ曲がり、小さな渦を作る。
 そしてその渦の中央から、背の高い姿がゆっくりと現れてきた。
 見慣れた七姉妹学園の制服。タイは最上級生を示すブルー。胸のエンブレムをむしり取った痕までが忠実に再現されている。
「影
(シャドウ)……」
 リサは低くつぶやいた。
 赤い眼をした達哉が、それを鼻先で嗤う。
「俺を影と呼ぶなら、お前はいったい何だ? お前もリサ・シルバーマンの影だろうが」
「何しに来たの。ここはあんたの神殿じゃない」
 達哉は小馬鹿にしたような仕草で軽く肩をすくめた。そしてずかずかとリサの玉座に近寄ってくる。
「近寄らないで!」
 リサは水晶髑髏をしっかりと胸元に抱え込んだ。
 だが、達哉は無造作に手を伸ばし、それをリサから奪い取る。
「いつまでこんながらくたにしがみついてるつもりだ」
「な、何を……!」
「お前だって判っているはずだろう。こんなオモチャに、いったいどんな意味がある!?」
 達哉は奪い取った水晶髑髏を床に放り投げた。がらがらと耳障りな音をたてながら、髑髏は階段の下へ転がり落ちていく。
「あ――!」
 リサは慌てて髑髏を追いかけようとした。
 けれどその腕を、達哉が掴んで乱暴に引き戻す。
 声をあげる間もなく、リサは達哉の腕の中に抱きすくめられていた。
「あいつに何を言われた?」
 背後からリサの華奢な身体を抱き、達哉がささやく。セブンスのブレザーに包まれた強い腕が、リサの首をまるでへし折ろうとするかのように巻き付いている。
 背中からリサにのしかかる重み。包み込む熱く若い体温。かすかに感じる汗の匂い。
 押し当てられた達哉の胸郭から、じかに心臓の鼓動が伝わってくる。それはまるでリサ自身の鼓動のように、リサの中で大きく響き渡った。
「リサ・シルバーマンを殺せ。そうすればお前が、世界でただ一人のリサ・シルバーマンになる……そんなところか?」
 達哉はリサの耳元で、低く絡みつくような笑いを洩らした。
「あいつの言いそうなことだ」
「あいつって――」
「決まってるだろう。偽橿原――今は仮面党頭領様、か」
 その名前は仮のものにすぎない。本当の名前は、けして言ってはならない。
「確かにな。オリジナルのリサを殺せば、お前がただ一人のリサだ。オリジナルが持っていたものは、みんなお前のものになる」
 ささやく声がどんどん近づく。リサの白い耳朶すれすれに唇を近寄せて、達哉は嗤
(わら)った。
「あの達哉以外はな」
「な……っ!」
 リサはもがいた。どうにかして達哉の腕を振りほどこうとする。
 だが達哉はますます強くリサを抱きしめ、逃がそうとしない。
「は、放してっ! さわんないでよ!! ――た……っ!」
「達哉、か?」
 低く、ほくそ笑むようなささやき。
 その声に、リサは首を捻るようにして無理やり振り返った。
 そこにあるのは、リサが待ちわびているひとと、同じ顔。
 同じ声、同じ癖で笑う。ただその眼だけが、血のように赤い。
「俺も、周防達哉さ」
 恋しいひとと寸分違わぬ面差しが、さらに近づいてくる。リサの唇を求めて。
 が。
「ヴィーナスッ!!」
 ぱっと血飛沫が飛んだ。
 達哉の右頬が大きく切り裂かれる。
 達哉がわずかに怯んだ隙に、リサはその腕から身を翻して逃げ出した。
 祭壇の端まで一気に走り、壁に背をつけて振り返る。
 その頭上には、全身に返り血を浴びたように真紅に染まるヴィーナスが、大きく浮かび上がっていた。
「ふん」
 達哉は何事もなかったかのような顔をして、鮮血があふれ出す傷を手の甲で拭った。
「死んだんだ……」
 ぽつりと、リサがつぶやく。
「死んだんだ! あたしの達哉はもう死んだんだ! 十年前のあの夜、アラヤ神社の火事で――!!」
「天野舞耶と一緒にな!!」
「―――ッ!!」
「わかっている筈だ。たとえ世界中の人間を皆殺しにしたって、あの達哉だけは、絶対にお前のものにはならないぞ!!」
 リサは、言い返すことができなかった。
 血に汚れたまま、達哉がゆっくりと近づいてくる。
 リサの後ろはもう壁だ。逃げ場はない。
 目に見えない圧力がリサを捉え、押さえつける。リヴァースアポロはまだ出現していないが、達哉の身体から噴き上がるペルソナの魔力が、その存在を誇示するかのように強引にヴィーナスを共鳴させていた。
「つくづく無い物ねだりが好きな女だな、お前は」
 達哉の腕が、獲物を捕まえようと伸ばされる。
 だが、その手がいきなり宙空で止まった。
「う……く、うぅ――ッ!」
 達哉が呻く。両手で顔の右半分を抑え、がくりと床に片膝をついた。
「う、つ……痛
(つ)ぁああッ!!」
「な、なに……?」
 うずくまり、苦痛に背中をふるわせる達哉に、リサは思わず手をさしのべようとした。
「ちょっと、どうしたのよ!? 」
「いいッ! さわるなッ!!」
 今度は達哉がリサの手を振り払う番だった。
「まさか――」
 さきほどヴィーナスがつけた傷のせいだろうか。達哉が抑えているのは、ちょうどそのあたりだ。だがあれはほんの少し、皮膚をかすめる程度でとどめておいたはずで――。
 肩で荒く息をつき、ぎりぎりと奥歯で苦悶の声を噛み殺しながら、達哉が立ち上がる。
 片手の隙間から見えたその顔は、右側が目の上から顎近くまで真っ赤に焼けただれていた。
「な……な、なによ、その顔!!」
 リサは懸命に悲鳴を呑み込んだ。叫び出さないだけで精一杯だった。
 ようやく苦痛が少し薄らいできたのか、達哉は荒く肩で息をつきながら、顔面から手を離した。焼け崩れた皮膚の残骸が、その手のひらにまでべろりと付着している。
 そして達哉は、その凄惨な顔で、笑った。
「噂、さ」
 リサは思わず顔を背けた。あまりにも酷い達哉の顔を、これ以上直視していられない。
「街の連中が噂しているのを、お前も聞いたことがあるだろう。空の科学館を爆破した五人組のテロリスト、そのリーダーは顔に火傷のある若い男……」
 その言葉に、リサは顔を伏せたままわずかにうなずいた。空の科学館で爆死した旧仮面党四天王キング・レオこと須藤竜也は、一〇年前、自身が放火したアラヤ神社の火事で、顔半分に酷い火傷を負っていた。そのことが街の人々の間にも知れ渡り、噂となっていたのだ。
 そして空の科学館爆破にまつわる噂こそが、自分達を産み出した源だった。
「街の連中は須藤竜也と周防達哉を混同してやがる。その結果、新四天王のリーダー格である俺の顔にも、火傷が現れたってわけだ」
 須藤竜也の火傷は一〇年も前の古傷で、すでに皮膚は茶色く固まっていた。だが、達哉の顔に浮いた火傷は、まるでたった今炎に焼かれたように真っ赤にただれ、じゅくじゅくと血膿を噴いている。おそらく今も耐え難い激痛を伴っていることだろう。
「気にするな。これくらいの傷――」
 達哉は両手を重ね、顔の傷を覆った。
 呼吸を整え、手のひらに意識を集中させる。
 達哉のリヴァースアポロは回復魔法を所持していないが、ペルソナ能力がもたらす驚異的な回復力が、見る間に惨たらしい傷を治癒していく。
 やがて達哉が顔面から手を離した時には、あの凄惨な傷は綺麗になくなっていた。
 リサも握り締めたこぶしをほどき、思わず小さく吐息をもらした。
 だがよくよく見れば、目元のあたりにほんの小さな引きつれが残っている。
 おそらく達哉の顔には、今までに何度も同じ火傷が浮かんだのだろう。そしてそのたびに、ペルソナの力でそれを治癒してきた。だがこの街を満たす噂の魔力が次第に彼のペルソナ能力を上回り始め、達哉の容貌に消えない傷跡を刻みつけようとしているのだ。
「この傷が怖いか」
 感情のこもらない声で、達哉は言った。
 リサは答えられない。目の前に迫る達哉の容貌から視線を逸らし、思わず顔を背ける。
「だがこれが、お前の運命でもあるんだ」
「な……。なんのこと……」
 達哉の腕が鞭のように伸びた。今度はリサを逃がさない。がっちりと両腕の中に閉じこめる。
「や、やだっ! 離して!」
「来い。お前の運命を見せてやる!」
 もがく身体をしっかりと抱きしめ、達哉は意識を集中する。その身体からペルソナの魔力が青白い炎となって噴き上がった。
 リサの全身を達哉の力が包み込む。
 そして二人の姿は、金牛宮の奥津城から一瞬のうちにかき消えた。












                                   
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ここに登場している達哉とリサは、もちろんシャドウの二人なんですが、うざいのでいちいちシャドウシャドウと付け加えてはおりません。でも、オリジナルの二人はまったく登場しないし、判りますよね……?
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