【AMAZING GRACE・2】





 ごうっと耳元で風が逆巻いた。
 真下から吹き付ける突風、そして熱気に、眼を開けていられない。
 リサは自分を支える腕に必死でしがみついた。
 足元が妙に頼りない。そこにあるはずのものが、感じられない。
「眼を開けてみろ」
 耳元でささやかれ、おそるおそる瞼を開ける。
「――きゃ……ッ!」
 悲鳴も途中で凍りついた。
 リサは、珠間瑠市上空に浮かんでいた。
 シバルバーを守護して回転を続ける時の円環が、手を伸ばせば触れられそうなほど近くに見える。そこに刻まれた古代マヤ文字までが、はっきりと読みとることができた。
「おもしろいだろう」
 リサを抱きしめたまま、達哉が笑った。
「ペルソナも、慣れればこんな使い方ができるんだ」
「お、降ろして! 降ろして、こんな――ッ!!」
「暴れるな。墜落死したくなかったら、ちゃんと俺にしがみついてろ」
 その言葉に、リサはもがくのをぴたりと止めた。そして達哉の首に両腕を回し、自分からぎゅっと抱きつく。
 大人しくなったリサを片腕で抱きかかえ、達哉はゆっくりと右手で珠間瑠市を指さした。
 母なる地球から小さく切り取られてしまった、いびつな大地。
「見えるか、リサ。あそこに宝瓶宮がある」
「え……」
 平坂区にあった駅ビル「スマイル平坂」を吹き飛ばして出現した、宝瓶宮。シバルバーを支える四つの神殿の一つであり、風の水晶髑髏が祀られている。
「あそこには今、誰もいない。髑髏を祀る主人
(あるじ)のいない、空っぽの神殿だ」
 リサは無言でうなずいた。
 自分達は新四天王と呼ばれながら、その実、三人しかいない。風を司る最後の一人が欠けているのだ。
「何故、宝瓶宮の主人は存在していない?」
「な、何故って……。だって、クィーン・アクエリアスは……」
「ああ。黒須純子は死んだ。同じようにキング・レオ、須藤竜也も死んでいる。だがその穴を埋めるために俺が出現した。では何故、黒須純子の穴を埋めるはずの、黒須淳の影
(シャドウ)は出現しない?」
「それは……」
 答えられない。リサは困惑して達哉を見つめ、彼の答を待つしかなかった。
 達哉は唇の端を歪め、声を出さずに笑う。
「街の噂をよく聞いてみろ、リサ。連中はこう言っている。四天王筆頭キングは常に抜き身の刀を携え、プリンスは音楽に秀でる。レイディは美しい少女……」
 無言で確認を求められ、リサは戸惑いながらも小さくうなずく。
 確かに、達哉が今言った噂は、リサも聞いたことがある。それは旧四天王のことを指しながらも、奇妙に自分達新四天王にも合致することばかりだった。
「街の連中には新も旧も関係ない。そもそも仮面党の幹部がそっくり入れ替わったなんてことは、連中は誰も知りゃしないんだ。あいつらが仮面党のこととして噂する話はすべて、俺達の身に降りかかってくる。俺達の運命になるんだ」
 その言葉どおり、達哉の顔には原因もさだかではない火傷が浮かび上がる。キング・レオ、須藤竜也の運命を踏襲するかのように。
「あいつらは今日も噂してやがる。四天王最後の一人、もっとも美貌のクィーンは、仮面党頭首の寵愛も深い……」
 もしも黒須淳の影が出現していたら、まさにその噂どおりになっていただろう。彼は母親に生き写しの美貌を誇り、そして何よりも仮面党新頭首・偽橿原明成の実子であるのだから。
「だがその麗しのクィーンは哀れにも、闘いの最中
(さなか)、頭首JOKERをかばって死んだ――とな!」
 リサは絶句した。
 カラコル最奥部での死闘。それをかいま見た者の口から黒須純子の運命が語られ、そして噂となって街中に流布したのだ。
「クィーン・アクエリアスの運命を踏襲する黒須淳の影は、生まれ出る前からすでに殺されていたのさ! 街の噂によってな!」
 二人の高度がぐんぐん下がり始めた。
 リサを抱いたまま、達哉は流星のように大地へ向かって墜ち始める。
「きゃあああッ!!」
「つかまってろ、リサ! 眼を開けるなよ!」
 言われなくたって、目など開いていられない。
 全身に叩きつけられる風圧。空気がまるで刃物のようだ。
 呼吸がつまる。後頭部で髪をまとめていたヘアバレッタが、ばちんッと小さな破裂音を残して、吹っ飛んだ。長い金髪が風の中に吹き散らされる。
 このまま窒息するかと思われた時。
 不意に、風が止んだ。
 こつん、と、靴の先に硬い感触が当たる。
「え……」
 恐る恐る眼を開けてみると、そこには薄汚れたコンクリートがあった。リサの両脚をしっかりと受け止め、支えている。
 天井と壁はない。ここは、どこかの建物の屋上らしい。
 錆びつき、破れたフェンス、大きくひび割れた床面。まるで廃墟だ。そして、それを取り囲む鬱蒼とした広葉樹林。
「ここは……」
「蝸牛山。森本病院さ」
 その名前を聞いたとたん、リサの背筋をどす黒い悪寒が走り抜けた。
 深い森の向こうに、白く丸いドームのようなものが見える。あれは噂で出現したマヤの遺跡、カラコルだ。達哉の言葉に間違いはなさそうだ。
「どうした? リサ」
「う、ううん……なんでもない――」
 達哉はようやくリサを抱く腕をほどいた。
 そして、一人でさっさと屋上出入り口に向かって歩き出す。
「あ……」
「どうした。来ないのか」
 急かされて、仕方なくリサもその後を追いかけた。
 こんなところに一人取り残されたのでは、神殿へ戻ることもできない。カラコルの付近からは、今も散発的な爆発音が聞こえている。ラストバタリオンとの戦闘が終わっていないのだ。
 鍵の壊れたドアを開け、達哉は建物の中へ入っていった。
 暗い階段を下り、長い廊下を迷いもせずに歩いていく。まるで、森本病院の構造を熟知しているかのようだ。
 ……どういうことだろう。リサはうっとうしい髪をかきあげ、訝しげに前を歩く達哉の背中を見つめた。
 達哉がここを訪れたなんて話は、聞いたことがない。オリジナルから引き継いだ記憶の中にも、森本病院の名前なんてどこにもなかったはずだ。
 そう――リサ自身も、ここへは一度も来たことがなかった筈だ。
 なのに、胸を締め上げるこの恐怖はいったい何だろう。
 染みの浮いた壁、歪んだ窓ガラス、その一つ一つに見覚えがあるような気がする。奇妙な、そしてひどく不安な既視感
(デジャ・ヴュ)
 三階の入院病棟まで来ると、その不安感はますます強くなった。病室をつなぐ廊下には、医療の場には相応しくない鉄格子が見える。まるで牢獄のようだ。いったいここはどんな病院だったのだろう。
「ここは、連続放火事件の後、一〇年に渡って須藤竜也が収監されていた病院だ」
「須藤が……」
「ああ。キング・レオとなってからも、しばらく根城として使っていたらしいな。病院関係者全員を仮面党員にして」
 よく見れば、あちこちにそれらしい名残が見られる。高価な医療器具や調度品などはほとんどが略奪され、破壊されているが、その陰や部屋の片隅などに、見覚えのある仮面や隊服の切れ端らしいものが落ちていたりする。壁や床のそこここに残る弾痕、そして血の痕。死体が見あたらないのは、同じ仮面党員が片づけたのだろうか。だが建物の中にはまだ濃く死臭が漂っていた。
 屋上から続いた階段をだらだらと下り、長い廊下を抜ける。
 突き当たりのエレベーターを利用しようとして、達哉は悪態をついた。
「ち、配電がいかれてやがる」
 言われてみれば、建物の中に一切照明の光がない。窓から入るわずかな自然光だけが頼りだ。
 仕方なく達哉はそばの階段を登り始めた。
 他にどうしようもなくて、リサもその後に続く。
 足元もよく見えない暗い階段を、どのくらい登っていっただろうか。
 やがて二人は、病院の最上階に辿り着いた。
 短い廊下を抜け、達哉は一つのドアの前で立ち止まった。
 そばには『院長室』のプレート。
「当然、奴は建物の中で一番いい部屋を自分のものとして占拠した。ここがキング・レオの私室
(プライベート・ルーム)ってわけだ」
 樫の一枚板から造られた重厚な観音開きの扉を、達哉はためらいもせずに押し開けようとした。
「あ……開けないで!」
 リサの唇から、悲鳴のような声が飛び出した。
「待って……。開けないで、そこ……開けないでっ!!」
 達哉が振り返る。
「何故だ?」
 感情のこもらない、機械のような問いかけ。
 けれどリサは、その問いに答えられなかった。
「な……なぜって――」
「ここに来たことがあるのか? リサ」
 リサは黙って首を横に振る。
「だったらなんで、そんなに怯えてる。このドアの向こうに何があるのか、知ってるわけじゃないだろう? この部屋に何があるのか――ここで、何があったのか」
「知らないっ! 知らない、私は何も……ッ!!」
 けれど身体が勝手に後ずさりする。院長室のドアから少しでも離れようと、壁に背中を押しつける。
 見える――ような気が、する。あのドアの奥に何があるのか。
 頭の中に、知っているはずもない光景が勝手に浮かんでくる。重厚なデスクと、革張りの椅子。壁一面に作りつけられた本棚。その横にはやはりはめ込みの、大きな姿見鏡がある。高価な絨毯と応接セット。窓には、これだけは病院の薬品臭さが残るブラインドだ。そして……。
 そんな馬鹿な。リサは小さな子供がいやいやをするように、何度も首を横に振った。知っているはずがない。ここへは一度だって来たこともないのだ。部屋の様子まで詳しく覚えているなんて、絶対にありえない。
 けれど。
 達哉が勢い良く扉を開け放つ。
「い、いやああっ! やめてーっ!!」
 悲鳴を上げ、そしてリサは息を呑んだ。
 扉の向こうには、リサの脳裏に浮かんだ光景と寸分違わぬ部屋があった。
「それは誰の記憶だ? リサ」
 無人の室内にゆっくりと足を踏み入れながら、達哉が言う。
 本棚と反対側の壁には、ずらりと架けられた日本刀がある。おそらく須藤竜也がキング・レオとなった後に持ち込まれたものだろう。
 病院の院長室にはあまりにも不似合いだが、達哉は別に驚いた様子も見せなかった。いかにもこれは俺のものだと言わんばかりの顔をして、その中の一振りに手を伸ばす。
「覚えているんだろう? この部屋のことを」
 そして達哉は、院長の執務机に行儀悪く片膝を乗せ、座った。
「そ、その机……。そこ――」
 リサは茫然とつぶやいた。白い肌はすべての血色を無くし、今にも貧血で倒れそうなほど真っ青だ。冷たい汗が背筋を伝い、唇がわななく。
 達哉が座る机。
 そこに、ありえるはずもない光景が浮かび上がる。
 広い執務机の上に、まるで磔のように押し倒される少女。
 泣き叫び、懸命に抗い続ける。
 けれどその抵抗を歯牙にも掛けず、男がのしかかる。少女の悲痛な叫びを聞き、さも嬉しそうに酷薄な笑いを浮かべて。
「残留思念だ」
 達哉が唇を歪め、笑った。
 指先を日本刀の刃先に当て、もてあそびながら、リサを冷たい眼で見る。
「須藤竜也のペルソナ――リヴァース・ヴォルカヌスが残した残留思念に、俺達のペルソナが共鳴している。そいつをペルソナでちょっと増幅してやれば……」
「い、いやああああっ!!」
 リサは絶叫した。
 両手で金色の髪を引きむしり、全身を硬直させる。
 頭の中に、知るはずのない記憶が雪崩のようによみがえる。
 押しつけられた机の、硬さ。のしかかってくる男の重み、熱さ、耳元に吹き付けられる獣のような息づかい。そして、引き裂かれる激痛。
 男が嘲笑する。いい顔だ。お前でもそんな顔を見せることがあるんだな――。
「知らないっ! 知らない、あたし、こんな……こんな――ッ!!」
 あり得ない記憶。まったく身に覚えのないことなのに。
 恐怖。怒り。そして絶望。
 真っ暗な感情が一気に押し寄せ、リサを呑み込む。
「それは、誰の記憶だ? リサ」
 達哉は机を降りた。いつか壁際で身を縮こまらせ、しゃがみ込んでしまったリサに近づき、覆い被さるようにしてささやく。
「――吉栄杏奈だよ」
「な……」
「仮面党四天王の一人、レイディ・スコルピオン。吉栄杏奈の記憶さ」















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須藤竜也のペルソナですが、いろいろ捜してみたのですがとうとう公式情報が見つけられませんでした。で、攻略本に添えられた画面写真を虫眼鏡で確認して、まあ、リヴァースヴォルカヌスじゃないかなーと……。実際にゲームしてる時は、合体魔法やダメージを確認するので精一杯で、そこまでじっくり見ちゃいませんでしたし。康夫のペルソナがシャックスだったってのは、覚えてるんですけどね。
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