「そういうことを言ってるんじゃないわ」
 いくらうわべは大事にされているからと言って、誰かの身替わりにされるためにめとられて、喜ぶ女はいない。真実を知らされたら、女二の宮はどれほど傷つけられるだろう。
 夫が、他の女を想いながら自分を抱いている。それに気づかない妻はいない。
 わたくしにだってわかるのだもの。源氏の君が、紫の上、あるいは別の情人のことを想いながら、わたくしを抱いているのが。
 女二の宮が柏木を夫として少しでも愛しているのなら、夫の裏切りに気づかないはずはないのに。
 そんなことにも思い至らないのかしら。柏木も、源氏の君も、世の男というものは、みな。
 女二の宮の、細面で冷ややかな美貌を思い出す。肌は透けるように白く、血のぬくもりを感じさせない。その容貌は、数多い皇子皇女の中でも、お父さまに一番良く似ているとのうわさだった。
 母の違う女二の宮と、わたくしはそれほど親しいわけではない。むしろ彼女の母親が、亡くなったわたくしのお母さまや、お父さまに偏愛されるわたくしへの嫉妬心を剥き出しにしていたせいで、姉妹と言いながらわたくしたちは公の席以外では顔を合わせることもほとんどなく、個人的に口をきいたことすらなかった。
 彼女が本当のことを知った時、あの青白いおもてにはいったいどんな表情が浮かぶのだろう。わたくしを憎むだろうか。柏木を恨み、ののしり、悶え狂うだろうか。それとも、こんなことはもうとっくに知っていて、それでも眉一つ動かさずに、ただ姫宮としての誇りだけをよりどころに、敢然と美しく顔をあげているのだろうか。
「もしかして妬いてくれるのか?」
 どこか嬉しそうに、柏木がささやいた。
「心配はいらない。俺が愛しているのは、あなただけだ。わかっているだろう。紗沙だけが、俺の本当の妻だ……」
 わたくしの髪に顔を埋め、狂おしげにつぶやく。
 柏木の匂い、肌の熱さが、わたくしの全身を包み込む。
「わかってくれ、紗沙。気が狂いそうなんだ、独りでいると……。あなたとともにいられるのはこの闇の中、ほんのわずかな間だけだ。その他はずっと、俺は独りきりなんだ。朝も昼も、あなたと源氏の君の姿が目の前に浮かんできて、叫び出しそうになる。――耐えられない、もう、こんなのは……!」
 背後からしがみつくようにわたくしを抱きしめる柏木。わたくしの長い髪をかきあげ、うなじに、耳元に、唇を這わせる。全身でわたくしにすがりついてくる。
「ここにいるのが本当の俺かどうか、もう、それすらわからないんだ。もしかしたら、あなたを想うあまりに俺の魂だけが身体を抜け出し、夜空を駆けてここへ忍び込んでいるのかもしれない。俺の身体はとっくに、あなたを想って焦がれ死にしているかもしれないんだ。そうなったら、紗沙。あなたは俺を憐れんでくれるか? 俺があなたを想うほどの半分でも、万分の一でも、俺を想って悶え苦しんでくれるか……!?」
 こんなことを言う柏木を、わたくしは狡いと思った。そうやって柏木は、わたくしばかりを責める。すべてをわたくし一人のせいにする。
 けれど同時に、そうやって柏木がわたくしにすがり、甘えているのだと思うと、可愛い、いとしいとも思ってしまう。
「悔しい。悔しい、紗沙。あの男さえいなければ、あなたは俺のものだったのに」
 すすり泣きのように、柏木が言う。わたくしの胸元に顔を埋めながら。
 両の乳房に強く指先が食い込む。指の痕が薄青い痣になるほどに。
「痛い……。痛いわ、柏木」
 お返しにわたくしも、柏木の肩口に噛みついてやった。血がにじむくらい強く。
 柏木の血は、熱くて甘い。
「あ、あ……っ!」
 若いけものみたいな声をあげて、柏木が身をのけ反らせる。
「紗沙、紗沙……!」
 ああ、この声。こうやって狂おしくわたくしを呼ぶ柏木の声。
 これだけが、今のわたくしのすべて。
 ほかになにもいらない。なにも聞かず、なにも見ず、ただこの暗闇に溺れていたい。
 時の流れすら忘れてしまいたかった。
 そしてわたくしたちは、奈落の底のような悦楽に堕ちていった。
 甘い汗の匂いが御帳台の内にこもる。
 やがて一時の激情が過ぎて、わたくしたちは並んで茵に横たわった。
 背中から包み込むように、柏木の腕がわたくしに巻き付いている。
 そのままわたくしは、とろとろと浅い眠りにつこうとしていた。
 けれど、
「そうだ……。あの男が死ねば良かったんだ」
 柏木が低くつぶやいた。
「なにを言うの、柏木!?」
 反射的に飛び起きたわたくしに、柏木は顔を伏せ、目を合わせようとしないまま、言った。
「だってそうだろう。病に伏したのが紫の上ではなく、いっそあの男だったら良かったんだ。あなただって、一度も考えたことはないとは言わせないぞ」
「そ、それは……!」
 たしかに、考えたことがないと言えば、うそになる。
 けれどわたくしは、源氏の君の正妻として彼の真実の名を知っている。そのわたくしが彼の不幸を望むなどとといたずらにでも口にすれば、それだけで源氏の君への呪詛ととられなかねない。
「そんなたいしたことじゃないさ」
 柏木は低く笑った。横たわったまま手を伸ばし、わたくしの後れ毛をかきあげる。
「たとえば源氏の君が出家したら? あなたの父君のように」
「え……」
 仏道に入れば、現世でのすべての縁は断たれてしまう。親子兄弟、夫婦の絆も。
「源氏の君だってもう若くはない。准太上天皇とはいえ、宮廷での官位もすべて返上し、表向き政界から引退したも同然だ。いつ出家したっておかしくはないんだ。そうなれば、あなたは未亡人も同然になる。誰と再婚しようとも、咎められることはない」
 たしかに、あり得ない話ではない。
 けれどわたくしは即座に首を横に振った。
「そんな話、聞いたことないわ」
 生あるうちにみ仏の弟子となり、功徳を積んで来世の回向を願うことは、この世に生きる者すべての憧れであり、理想の人生だ。
 でもそれは、あくまで建て前。現世での幸福をすべて投げ捨てて、厳しい仏道修行を始めるには、よほどの覚悟がなければ。この世のすべてに絶望し、たとえばわたくしのお父さまのように、長年重い病に苦しめられているとか、それこそ廟堂での栄達の道が完全に閉ざされてしまったとか。
 わたくしは見るともなく、周囲を見回した。この豪奢な六条院を。
 人々はこの広大で富に満ちあふれた館を、この世の極楽かとも言う。この栄華の御殿を自らの手で築き上げた源氏の君が、その繁栄と、ここに集う女君たちをすべて捨てて仏道に入るなどということがあるだろうか。わたくしにはとても想像できない。
「そうだろうな」
 柏木も皮肉っぽく笑い、うなずく。
「いっそ源氏の君が須磨へ落ちた時、そのまま海の藻屑となっていれば良かったんだ。そうすれば、誰も苦しまずに済んだのに。住吉の海神さまも、よけいなことをなさったものだ」
「柏木!」
 神仏の名を辱めるような言いぐさに、わたくしは強く柏木をたしなめた。
 けれど柏木はわたくしの言葉など気にもとめないようだった。ごろりと腹這いになり、独り言のようにつぶやく。
「こう言っては失礼だが、朱雀院さまは甘すぎた。須磨へ流れて行った源氏の君を、たった二年余りで都に呼び戻してしまったんだからな。自ら、最大の政敵をよみがえらせたも同然だ。あの時、源氏の君を許さずに、今も須磨でくさらせておけば、二代続いて藤原氏以外から中宮が立つなんてことも、起こらなかったのに」
「でも……無理よ、それは」
 わたくしはつい、口を挟んだ。
「源氏の君は、朧月夜尚侍との醜聞を咎められて、須磨へ落ちていったんでしょう? たかが恋愛のもつれで一生配流のままにしておくなんて、できないわ。お父さまは常識的な采配をなさったのよ」
「本気で信じてるのか? そんな話を」
 なかばあきれたように、柏木は言った。
「朧月夜との醜聞なんて、口実に決まってるじゃないか。あの当時、源氏の君は、帝への謀反を疑われていたんだぞ」
「そんな、まさか……っ!!」
 わたくしは息を飲んだ。
 源氏の君が、謀反だなんて。この国を根底からくつがえす、神をも畏れぬ大罪をたくらんでいたなんて、とても信じられない。
 父から聞いた、と、柏木はうなずいて見せた。
「源氏の君は、入内が内定した女に手をつけるほど帝を軽んじている。つまりそれは、帝への叛意の表れではないのか。自分が後見する東宮を擁し、帝を廃したてまつらんと考えて――あの当時、そういううわさが流れたんだ」
「そ、そんなのって……」
 問題のすり替え、ほとんど言いがかりに近い。
 けれど柏木は、まるで当たり前の顔をして、言った。
「こういうことは、口実がありさえすればいいのさ。どんなに小さな火種でも、それを煽って大事件にしようと画策する者はいる。内裏とは、そういう世界なんだ。誰も彼もが、表面上はおだやかに取り澄ました顔をしながら、その裏では薄汚い足の引っ張り合いをしてるんだ」
 柏木は遠くを見透かすような眼をして、つぶやく。その眼がひどく暗く見えて、わたくしは彼がまるで見知らぬ男のように思えてしまった。
「朱雀帝はそのうわさを信じ……あるいは信じているふりをして、源氏の君の官位をすべて剥奪した。弘徽殿母后や右大臣はそれに乗じて、冷泉さまを東宮の座から引きずり降ろすことを考えたんだろうな。そのことを察した源氏の君は、いち早く自ら須磨へ落ちていったんだ。すべての罪は自分にある、ということを示すために」
「まさか、そんな……廃太子なんて、そんな怖ろしいこと――」
 歴史上、それはなかったことではない。
 兄帝に疎まれ、謀反の疑いをかけられて、無実を訴えるために自ら食を絶って自決した廃太弟。母后の不貞を理由に東宮の地位を剥奪され、その母とともに毒殺された廃太子……。
 命は永らえても、東宮の地位を追われた者は何人もいる。たいがいは出家し、都を離れざるを得なかった。なかにはこの国にとどまることができなくて、遠く海の果ての異国をさすらい、そのまま行方が分からなくなった元東宮もいるという。
 そう。東宮本人に何の落ち度もなくても、回りの人間、母后や後見役の罪が露見すれば、東宮もその罪に連座させられるのだ。
 源氏の君はそれをふせぐために、自分一人で罪を背負う形を取ったのだろう。源氏の君が都にいなければ、詳しい取り調べも難しくなる。拷問もいとわない厳しい取り調べで、東宮へつながる証言を引き出される――あるいは偽造される怖れも、少なくなる。
「右大臣はあの時、躊躇せずに冷泉さまを廃太子に追い込めば良かったんだ。俺なら、そうする。右大臣家は詰めが甘すぎた」
 わたくしはその言葉にうなずくことができなかった。
 その当時、権力の頂点にあった右大臣にもできなかったことが、まだ若い柏木にできるはずがない。
「追い込む材料はあったらしいんだ。あの時、冷泉さまには妙なうわさがあると――」
「え?」
「い、いや、何でもない」
 柏木はあわてて首を横に振った。
「俺も詳しい話は知らない。父から、ちらっと聞いただけだから」
 そしてわたくしの手首をつかみ、引き寄せる。
「あなたのお父君の譲位だって、その後ろにどんな駆け引きがあったかわからないんだぞ。もしかしたら源氏の君に脅されたのかもしれない。禅譲を拒否すれば、過去の罪を暴き出す、と。罪なんて、いくらでもでっち上げられる。なにせあのとおり、朱雀院さまのお母君は良からぬうわさの絶えない方だったからな」
 わたくしはぞっとした。
 おばあさま、弘徽殿母后はその当時、まだ存命だった。ぬれぎぬを着せて罰することは可能だったのだ。
「俺が同じ立場だったら、やる。きっとな」
 源氏の君も、お父さまも、そして柏木も、そんな汚泥の沼のような世界で生き、闘い続けていたのか。
「怖いのか? 紗沙」
「え……。ええ――」
「怯えることはないさ。権謀術数は男の仕事だ。あなたが気に病むことはないんだ」
 柏木は優しくわたくしを抱き寄せた。けれど、
「なんだったかな、あのうわさ……。たしかに聞いたんだが」
 遠い目をして、しきりに自分の記憶をさぐっている。わたくしを抱く腕も、どこか上の空だ。
「あのころは俺もまだ童殿上の子供だったし、それでなくとも桐壺院さまのご崩御とか藤壺さまのご出家とか、騒ぎになることがいろいろ多かったし……」
 思い出せない過去の片鱗が、柏木はかなり気になるらしい。
 けれどわたくしには、そんなことはどうでも良かった。
 だいたい、今ごろになって冷泉帝の過去をひっくり返したところで、なんの意味もない。東宮のころならまだしも、彼はもう帝に即位しているのだから。その地位はくつがえらない。
 過去も未来もいらない。わたくしには関係ない。わたくしには、今この時さえあれば良いのだから。
 ……けれどこの男は、柏木は、わたくしと同じ気持ちでいるのだろうか?
 手紙や彼の言葉で言い表されたわたくしへの想いを、疑っているわけではない。愛されていると実感している。
 けれど、女二の宮をめとったのは、本当にわたくしの身替わりというだけの理由だろうか? 源氏の君の死をも願うのは、わたくしの夫への嫉妬だけ?
 源氏の君がわたくしをめとったのが、単に男の好色心だけではなかったように、柏木の中にもわたくしへの恋情のほかに、なにか違うものが芽吹こうとしていても、わたくしにはそれを止めることができない。
 わたくしだけを愛して、ほかのことは考えないで。いつだってわたくしだけを見ていて。わたくしのためだけに、あなたの思いも才もその命も、あなたのすべてを使い果たして。
 そんなのは、女のくだらないわがままなのだろう。きっと理解ってもらえない。けれど願わずにいられない。
「ねえ柏木」
 わたくしは柏木の方にすがりついた。
「それよりは、柏木。あなたと二人で死んでしまうほうがずっと簡単だわ」
 あるいは、二人並んで源氏の君に殺されてしまうほうが。
 口から出任せのつもりだったけれど、声に出してみるとそれは、ひどく甘美で魅惑的な発想のように思えた。
 だってそうなれば、わたくしは永遠に源氏の君の手中からのがれることができる。そして柏木を誰にも奪われずにすむ。女二の宮にも、ほかの女にも。
「あなただって言ってたじゃない。わたくしを殺して、自分も死んでしまいたいって」
「ああ、言ったよ。うそじゃない」
 柏木はわたくしを抱き、耳元に唇を押し当てた。耳朶を甘く噛む。
「俺を疑っているのか? あなたと一緒なら、いつだって死んでかまわない。今ここで、それを教えてやろうか」
「あ、ま、待って。待って柏木……」
 わたくしは形ばかり拒みながら、やわらかく柏木に身を預ける。
 柏木の手が慌ただしく動き始める。それはわたくしを欲しがってのことなのか、それともわたくしをごまかし、なにかから目を逸らさせようとしているからなのか。
 唇が重なる。
 口中を熱い舌先でまさぐられ、わたくしはすぐに逆らえなくなってしまった。
「ん、あ、か……柏木……」
 乳房に熱い手のひらを感じる。その恍惚感。
 そう。なにも考えたくない。この熱さにだけ酔いしれて、このまま消えてしまいたい。
「あ、ま、待って、柏木」
 わたくしは懸命に身を捩り、柏木の手を抑えた。
「て、手紙――。手紙を隠さなくちゃ……」
 柏木から贈られた手紙はすべて、焼き捨てていた。もちろんその前に、文面を暗記するほど読み返していたけれど。
 文を残しておいては、いつ、誰の目に触れるかわからない。心が痛むけれど、燃やしてしまうしかないのだ。
 薄紫色の綺麗な紙に書かれた文を拾い、わたくしは単衣を裸の肩に羽織っただけで、御帳台の外へ出ようとした。
 几帳の陰に、着物に香をたきしめるための伏籠
(ふせご)が置いてある。いつもその火に手紙をくべ、燃やしているのだ。
 けれど、
「いいから。そこに置いておけばいい」
 柏木がわたくしの腕をつかみ、御帳台の中へ引き戻した。
「見たい奴には、見せてやればいい。俺は、あなたとの関係を恥じるつもりなんか、微塵もない」
「そんな……」
 もしもこの手紙が誰かに見つかったら、わたくしたちは即座に破滅だ。
 けれどそう思うだけで、身体の中を甘い衝撃が走り抜ける。
 それこそが、わたくしの望んでいたことではないだろうか。柏木と二人、奈落の底に堕ちてしまうこと……。
「源氏の君に見られたって、かまわない。むしろ、見せつけてやりたいくらいだ。言っただろう、あなたと二人、今すぐ死んでもかまわないと――!」
 抱きしめられ、熱い昂まりを脚のあわいに押しつけられる。
 それだけでわたくしは、もうまともな言葉も言えなくなってしまう。
 単衣が奪われ、柏木の身体の下に押さえ込まれる。
 柏木の言葉どおり、わたくしの身体はほんの少し触れられただけで、はしたなく潤み出す。
「なんだ。あなただってもうこんなにしていたんじゃないか」
 全身を重ね合わせ、柏木がほくそ笑む。
「白々しいんだから、まったく。待ちきれなかったのは、あなたのほうだろう? ほら、こんなに濡らして……」
「そうよ……。そうよ、あなたのせいよ、柏木。あなたが、わたくしをこんな淫らな女にしたんだから……!!」
 そして、わたくしも思った。今のわたくしを、源氏の君に見せてやりたい、と。
 いまだにわたくしを可愛い、幼い人形のように扱うあの男に、夫以外の男に抱かれ、淫らな声をあげ、悦ぶわたくしを。
「あ、柏木、柏木……っ!」
 熔けるような吐息とともに、柏木の名前を繰り返す。
 けれど、どれほど強く抱きしめられても、わたくしの胸の奥底には、けして溶けない冷たいものが残っていた。






 それから数日、柏木はわたくしのもとへ来なかった。
 紫の上の病状が少し落ち着いてきたので、源氏の君もそろそろ六条院へ戻ってくるらしい。そういう話があるせいかもしれない。
 源氏の君たちが二条院へ移ってから、もう二ヶ月近くが立っている。主のいない六条院は、だいぶゆるみが目立つようになっていた。
 四六時中わたくしを監視していた年輩の女房たちも、今はすっかりだらけてしまい、わたくしが一言言えばすぐに部屋を出ていってしまう。前と変わらずわたくしのそばに控えているのは、小侍従一人だけだ。
 こんな時にこそ、柏木が来てくれればいいのに。
 が、小侍従あてに届いた弁の君の手紙では、柏木は内裏へも出仕せず、一条の屋敷にこもっているらしい。
「太政大臣さまのところへ、一度顔をお出しになったそうですわ。ところがお父君のお屋敷でいったいなにがあったのか、それからはずっと一条のお屋敷に籠もりっぱなしだそうで」
 一条――女二の宮が、母の一条御息所と暮らす屋敷。女二の宮の婿となった柏木が、住むべき場所。
 小侍従は弁の君からの手紙を、わたくしにも見せてくれた。
「あ、でもご心配はいりませんわよ。柏木さまは御物忌み
(おんものいみ)みたいに、お一人きりでお部屋に閉じこもっておいでだそうですの。乳母子の弁の君もおそばに寄れないんですって。ご家族も……ええ、その、北の方にもお会いにならないそうですわ。ですから――」
「おまえ、なにが言いたいの、小侍従」
 わたくしはじろりと小侍従をにらんだ。





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