柏木と女二の宮がなにをしていようと、わたくしにはそれをやめさせることなどできない。
 正直に言えば、まだ女二の宮のことは実感がわかないのだけれど。お姉さまの顔を思い出しても、印象は妙に希薄で、そんな女性が柏木の妻として寄り添っているところなど想像もつかない。わたくし自身が、何ヶ月この六条院で暮らしていても、源氏の君の妻だなんてかけらも思えないからかもしれない。わたくしには男と女が結婚し、ともに暮らすということの実感が、まったくわからない。
 けれどそのうちに、実感として迫ってくるのだろうか。わたくしも女二の宮を呪って怨霊になるほど、のたうち回るのだろうか。
 わたくしはこの六条院から出られない。御簾や几帳で何重にも閉ざされた、この母屋。この一部屋だけがわたくしの世界のすべてと言っても、過言ではない。
 それは、高貴な生まれの女たちすべてに言えることだ。身分の高い女は、一生室内に閉じこもって生きることを強いられる。大勢の侍女や使用人にかしずかれ、豪奢な人形のように飾り立てられ、衣食住の心配のない日々、その代償が幽閉にも近いこの暮らしだ。
 自分の恋人が、夫が、男たちが、部屋の外でなにをしていようとも、わたくしたちにはそれを止めることも、知ることもできない。
 ただ、人づてに伝えられるうわさ話に唇を噛むばかりだ。
 たとえ夫や恋人がよその女を抱いていても、あからさまに嫉妬することは許されない。見て見ぬふりをすること、御簾の外の世界には一切目を向けないこと。それが優しい女の条件であり、上品な生き方だと、わたくしたちは教えられる。
 かつてお父さまも、降嫁するわたくしに同じ教えをおっしゃった。
「源氏の君は大勢の女君を愛している。そなたは大勢の中のひとりにならなければいけない。けして自分ひとりで源氏の君を独占したいなどと思ってはいけないよ、紗沙。男にとってもっともわずらわしい妻は、そうやって男を独占したがる女なのだからね」
 その話を初めて聞かされた時は、わたくしはなにも思わず、素直にうなずいた。なにも考えていなかったのだ。
 けれど今なら、そんなことができるはずがないとわかる。
 柏木は源氏の君への嫉妬をあらわにする。それを見て、わたくしは柏木に愛されていると実感する。同じようにわたくしが柏木を独占したいと思うことも、わたくしの想いのあらわれなのだから、柏木にそれを責める所以はないと思う。
 でも、男はそれを女の醜さと言って許さないのだろうか。
「夫に愛されたいと思ったら、彼のすることをすべて受け入れることだ。けして逆らったり恨んだりしてはいけない。嫋々として男の言葉に素直に従う女、自分の意見を主張しない女が、もっとも可愛がられるものなのだよ」
 お父さまのおっしゃることはわかる。きっと源氏の君も、同じことを言うだろう。
 だからこそ、わたくしは許せない。ただ黙って男のなすがままになり、流されるように生きるなんて。本当にそれで、生きていると言えるのだろうか。
 けれどこの六条院で、源氏の君に逆らっては生きていけないのも、現実だ。わたくしは、この部屋を出ては生きるすべがない。
 なんてつまらないのだろう、女に生まれるということは。
 ずるい。男たちの一生に比べて、あまりにも不公平だ。
 小侍従だって、そうだ。女房として働く彼女は、わたくしよりも行動の自由があるとはいえ、その分、立場はとても不安定だ。
 屋敷勤めをする女房は、その屋敷の主人に望まれたら、主人の寝床にはべらなければならない。彼女の身体を自由にすることも、主人の権利なのだ。そのように、主人の寵愛を受けた女房を特別に「召人」
(めしうど)と言う。
 だが主人の寵を受けたからと言って、女房は女房。使用人の立場には代わりはない。家を構えて主人の訪れを待つ愛人や、妻にはけしてなれないのだ。
 もしも女房が主人の子供を身ごもったら、ただちに主家を追い出されてしまう。もちろん、男が子供の養育に手を貸してくれるはずもない。
 どうして男たちは、こんなにも女たちを自分勝手にあつかうのだろう。女の価値はただ、男に身体を差し出すことだけだと思っているのだろうか。
 六条院に集められた女君たちは、誰もがみな、同じ苦悩を味わっているのだろうか。自分の一生であるのに自分ではなにひとつ決められず、ただ与えられる愛や欲情を黙って受け入れるだけ、生涯ただ待ち続けるだけのこの運命を、歯噛みして悔しがっているだろうか。
 脇息にもたれかかり、わたくしは何度もため息をついた。小侍従が御簾の向こうから、心配そうな顔でわたくしを見ている。
 醜いわたくしをさらけ出し、柏木の前で鬼女のように荒れ狂う姿を見せるくらいなら、今、このまま死んでしまったほうがましかもしれない。そうすれば、柏木はいつまでも美しいわたくしを記憶し、想い続けてくれるだろう。
 わたくしはふと、紫の上のことを思い出した。
 見るだけで胸に迫る、哀しくなるほどのあの美しさは、彼女がこの懊悩を押し隠しているからなのだろうか。自分の中の鬼女に気づきながら、それを無理やり抑えつけ、すべての叫びを噛み殺して。ただ一人の男のために。
 気の狂いそうな、強さと哀しさだ。
 源氏の君に、はたしてそこまで彼女に愛される価値が本当にあるんだろうか。
 わたくしが見た源氏の君は、傲慢でつねに勝ち誇り、そしてわたくしたち女の気持ちにはひどく鈍感な、憎々しい男なのに。
 わたくしの知らない源氏の君を、紫の上は知っているのだろうか。そしてその、彼女しか知らない源氏の君を、紫の上は愛し続けているのだろうか。
 紫の上に、訊ねてみたいと思った。
 けれど、おそらくそんなことは無理だろう。わたくしがこの母屋から出られないように、紫の上もまた、彼女の住まいである東の対から出ることは滅多に許されないのだから。
 許されるのはせいぜい、手紙をやりとりするくらいだろう。以前、彼女がわたくしのもとを訪れたことがあったけれど、今思えばあんなことは、本当に異例中の異例だったのだ。
 かさり、と小さな音をたてて、若緑色の結び文をもう一度開く。今朝ほど、弁の君の手紙に隠されて届けられたばかりのものだ。
 すっかり見慣れてしまった、柏木の筆跡。時間がなかったのか、かなり書き急いで乱れている。やんちゃ坊主みたいな、そんなところもいとおしい。
 思うところあって、これから以前ほど足繁くわたくしのもとを訪れることはかなわないと書いてある。
 なにかあったのだろうか。詳しい内容はなにも書かれていない。こんな文章を見ただけでは、よけい気にかかるばかりだ。
 わたくしにはなにも隠し事をしないでと訴えても、無駄だろうか。
 そのかわりでもないだろうけど、数日前に見たという夢の話がつづられていた。
 ――あの猫の夢を見たよ。柏木はそう書いていた。
『あなたを隠す御簾を巻き上げて、俺たちを会わせてくれた、あの小さな白い猫。最初、俺があの猫を抱いていたんだが、それをあなたに手渡したんだ。あなたは猫をそっとふところに抱きかかえた。とても嬉しそうに』
「柏木……」
 もしも気になるようなら、あなたのほうで夢解きをしてほしい、とある。
『あの猫はきっと、俺の魂なのだと思う。身体はここにとどまっていても、魂はいつもあなたに抱かれている』
 夢解きとは、夢の内容を専門の夢占や陰陽師に占わせ、その暗示する意味を説き明かすこと。物事の吉凶を気にする人間は夢を見るたびに解かせるけれど、柏木はそういうことには興味がないのかもしれない。
 女が男から小動物を受け取る夢は、妊娠を意味すると言われている。夢占いをする人間なら、常識だろう。
 妊娠。そんなことがあるだろうか。
 男と女が結ばれれば、当然そこに新しい命が誕生する。当たり前のことだが、わたくしにはどうしても実感がわかなかった。
 柏木との逢瀬だって、息をひそめ人の目を盗んで、つかの間の時を過ごすだけなのだもの。それから先のことなんて、まるで想像できない。
 もし……もしも、この夢が正夢だったとしたら。
 わたくしは、わたくしたちはいったいどうなるのだろう。
 源氏の君は紫の上に付き添って、六条院を離れたままだ。わたくしと床をともにすることも、今はほとんどなくなっている。
 わたくしが今、身ごもったとしたら、彼はすぐにそれが自分の子ではないと気がつくだろう。
 そうしたら――わたくしは源氏の君に殺されるかしら。
 柏木も、わたくしの密通相手として、彼に殺されてしまうかしら。
 柏木と二人で死ぬこと。その想像はいつも甘美だ。
 そうなったら、わたくしは胸を張って死のう。この想いに殉じるなら、なにも怖いことはない。
「紗沙さま。もうそろそろ……」
 几帳の向こうから、小侍従がためらいがちに声をかけてきた。
「今夜あたり、源氏の君が二条院からお戻りになられるかもしれませんわ。ですから――」
 早く柏木の文を焼き捨てろと言っているのだ。
 けれどわたくしは答えなかった。手紙のしわをのばし、丁寧に折り畳む。
 柏木は、わたくしとのことをいつ露見してもかまわないと言った。
 その言葉を疑っているわけではない。信じているからこそ、わたくしも同じことがしてみたいのだ。
 そんな夢みたいなことを言ったところで、どうせ最後には小侍従に手紙を取り上げられ、処分されてしまうだろうけれど。
「紗沙さま」
 小侍従がため息をついて、わたくしを少し恨めしそうに見ていた。
 わたくしは答えなかった。黙って、同じ文面を何度も読み返す。
『こんなに長い間、あなたに逢えなくなるのなら、もっとあなたの身体中に俺の印を刻んでおけばよかった。あなたの爪の痕は、まだ俺の肩に残っている。どうせ源氏の君は二条院から出てこないのだろうし、同じように、あなたがけして俺を忘れないよう、俺の痕をたくさん残しておくべきだった。あなたの胸にも、脚にも、俺が触れたところすべてに。その痕を見るたびに、あなたは俺のことを思いだしてくれるだろう――』
 あからさまな文章が、柏木との交歓を思い出させる。彼がいないあいだは、何度でもこの文を読み返して、柏木とのことを思い描いていたいのに。
「紗沙さま。もうよろしゅうございましょ」
 やがて小侍従が、腹をくくったように立ち上がった。
 その時。
「殿のお渡りにございます!」
 突然、前触れの声が響き渡った。
「大殿のお渡りにございます。姫宮さまには、どうぞお支度をお急ぎくださいませ」
 ばたばたと女房たちが渡り廊下を走ってくる。みな、突然のことに身繕いも充分ではない。乱れた髪をなでつけ、あるいは重ねた袿の袖や袖を慌てて直したりしている。わたくしに口上を述べる、驚きと焦りに紅潮した顔が見苦しいくらいだ。
「と、殿って――源氏の君が!? うそ、そんな馬鹿な! お戻りになるなんて、誰も一言も言ってなかったのに! な、なぜこんな突然に……っ」
 小侍従が真っ青になった。
「紗沙さまっ! さ、紗沙さま、早く、それを――!!」
 礼儀も忘れて几帳をまくりあげ、小侍従はわたくしに手を差し出した。
 が、間に合わない。
 庭先から、供回りの男達の声や牛車のきしみ、慌ただしい物音が聞こえてくる。源氏の君がこの母屋に到着したのだ。
 先触れの声、荒っぽい足音。人間の気配、男たちの熱っぽい体温が廊下の向こうからどうっと押し寄せてくる。どうなさいましたか、父上、と、夕霧の声も聞こえた。
「ど、どうしましょう、どうしましょう、紗沙さま!」
 わたくしはとっさに、御帳台の茵
(しとみ)の下へ手紙を押し込んだ。
 人が来たとの合図がわりに咳払いが聞こえ、そして源氏の君が御簾を引き開けて、室内へ入ってきた。






 源氏の君が姿を見せると、広いこの部屋も急に狭く感じられる。屋敷中に人の声や熱気が満ち始め、眠っていたものが一気に目覚めたみたいだ。
 彼を迎えるために、わたくしも御帳台から出るしかない。
「ご機嫌はいかかですか、姫宮」
 わたくしのすぐそばに設けられた席に、源氏の君は座った。これでは、わたくしは几帳の陰に隠れることもできない。女房たちがそこに茵を用意してしまったので、どうしようもない。
「まだ拗ねていらっしゃるのですか。お声も聞かせていただけないとは」
 親しげなささやきに、わたくしは黙って、扇の陰で顔をそむけた。
 わたくしの仏頂面に、女房たちの末席近くに並ぶ小侍従が、冷や汗をかき、しきりに目配せしている。もっと源氏の君のご機嫌を取り結べと言いたいのだろう。これでは、古参の意地悪女房たちがあとでどんなうわさを広めるかわかったものではない、と。
 たとえ女房たちの目があっても、わたくしは上辺だけの夫婦仲を取り繕う気になどなれなかった。
 そして源氏の君だって、わたくしのそういう気持ちなど、手にとるようにわかっているだろう。この男はどうせ、わたくしがなにを考えているかなんて、まるで気にしないのだ。
「あなたに琴をお教えすると約束していましたね。お父院の五〇の賀にご披露できるようにと」
 源氏の君はまるで決められた科白をそのまま読み上げるように言った。わたくしの手を捉えようと、音もなく手を伸ばす。
 やわらかく乾いた、彼の手の感触。わたくしの肌に彼の匂いがこすりつけられるようだ。思わず鳥肌が立った。
 さすがに、あからさまに振り払うことまではできない。
 顔を見るたびに、どんどんこの男が嫌いになっていく。
「誰か、姫宮に琴の琴をお持ちしなさい」
 源氏の君に命じられ、女房の一人が琴を用意する。
「なにか弾ける曲はありますか? お教えする前に、あなたの腕前のほどを確かめさせていただかなくては」
 わたくしを見る源氏の君の目は、底知れない昏い沼のようだった。視線がわたくしの全身に絡みつき、容赦なく締め上げる。
 どうしてこんな目をして、わたくしを見るのだろう。なにをそんなに眺めていたいのだろう。いっそ、見ないで、と叫びたくなる。
 琴に手をのばそうとするけれど、身体が少しも動かない。袖の下からのぞいた指先は、自分でもびっくりするくらい、ぶるぶるとふるえていた。
「どうぞ、緊張なさらずに。ただのお稽古ですよ」
 ろくに返事もできないわたくしに、源氏の君は小さく含み笑いをもらした。
 そして、女房たちに向かって手を振った。
「みな、下がりなさい。こうも人目が多くては、姫宮はすっかり恥ずかしがられて、琴も弾いてくださらない」
「え……」
 反射的に顔をあげたわたくしに、源氏の君はかまわないのだよ、とでも言うように、軽く手で制した。
 主人の命を受けて、女房たちが美しく衣の裾をさばき、しずしずと部屋を出ていく。小侍従もこの場に残ることはできない。
 わたくしは思わず、待って、と、小侍従を呼び止めようとしてしまった。
 源氏の君と二人きりになんて、なりたくない。
 けれど。
「私にまで恥ずかしがらずにいてください。私はあなたの師ですよ。どうぞ、お父院の前でお弾きになるのと同じおつもりで」
 まるで父親のような口振りで言うけれど。
 その目は、少しも笑っていない。
 冷たく、何の感情もない目が、じっとわたくしを見据えている。無言のうちに、わたくしのなかにあるものを、すべて暴き出そうとするかのように。
 その目に見据えられたとたん、わたくしは一切の声が凍り付いたように出なくなってしまった。呼吸すら止まってしまいそうだ。
「少し……お顔がお変わりになられたようだ、姫宮」
 源氏の君が、不意につぶやいた。
「えっ!?」
「いや、大人になられたと言うべきかな」
「な、なにを……」
 わたくしは源氏の君の顔を見つめてしまった。人の顔を正面から見据えてはいけないと、何度も注意されたことも忘れて。
 いったいなにを言い出したのだろう、この男は。わたくしの顔が変わったって、どういう意味?
 うろたえるわたくしの視線を悠々と受け止めて、源氏の君はただ平然と微笑んでいる。眉ひとつ動かさず、視線はぴたりとわたくしの顔に据えたままだ。
 まさか――この男、知っているのだろうか。わたくしと柏木とのことを。
 いいえ、そんなはずはない。知っているなら、黙っているはずがない。
 ここで慌てたら、よけい源氏の君に疑念を抱かせてしまう。つとめて平静にふるまわなければ。わたくしは必死に、自分に言い聞かせた。
 大丈夫、わたくしたちは慎重に秘密を守り抜いている。誰にも気づかれてないはずだ。
「さあ、姫君。琴をお弾きください」
 源氏の君が琴をわたくしの膝元へ押しやった。
「私が見ていたのでは、気になって弾くことができませんか? なら、こうしましょう」
 そして源氏の君は立ち上がった。わたくしに背を向け、御帳台のほうへ歩いていく。
「これならよろしいでしょう。私は見ていませんよ。さあ、お稽古をなさってください」
 あまり逆らい続けても、源氏の君に疑われてしまうだろう。わたくしはふるえる手で琴の糸に触れた。
 お父さまのもとで習ったことを思い出し、初歩的な練習の曲を弾こうとした時。
 かさり、と小さく乾いた音が聞こえた。
 わたくしはたしかに、源氏の君が柏木からの文を開いているのを、見た。
 あの若緑色の紙は、間違いない。御帳台の中から、源氏の君が見つけてしまったのだ。
 なのに、彼は何も言わなかった。
 文面にさっと目を通し、黙ってそれを自分のふところに押し込む。
 そして、優雅に振り返った。
「どうかなさいましたか、姫宮」
「あ、あ……」
 声が出ない。
 身体が勝手に後ずさりしようとする。けれどわずかに手が動いただけで、実際は逃げることすらかなわなかった。
 ――なぜ。
 なぜこの男は笑っているの。
 妻の裏切りを知ったはずなのに。密通の動かぬ証拠を、今、手に入れたのに。
 源氏の君はさきほどとまったく変わらない、おだやかで底知れない笑みを浮かべ、わたくしをじっと見つめていた。
 その目が、言っていた。
 ――あなたたちのことは、疾うに知っていましたよ。
 ――今さら隠し立てしたところで、無駄ですよ。あなたのすべては、私の手の上に乗っているのだから。
「どうやら、どうしても音曲の遊びをするご気分ではないようですね。だったら、私が代わりに弾きましょう。お手本になれば良いのですが」
 源氏の君は琴の前に座った。たがいの膝が触れ合いそうなほど、わたくしの近くに。
「琵琶や和琴と違って、琴の琴
(きんのこと)はごく素直に、型どおりに弾くのが良いのですよ。へんに気取って現代風になどとやると、かえって響きの良さを損ないます」
 そう言いながら、源氏の君は琴をつまびいた。わたくしが弾こうとした練習曲だ。
 淡々として美しく、川のせせらぎのように聞く者を飽きさせない。同じ曲、同じ琴なのに、わたくしが弾くのとはまったく違う。
 その音色には、微塵の動揺も感じられなかった。
 やはり、この男は知っていたのだ。わたくしと柏木とのことを。
 でも、だったらなぜ、なにも言わないのだろう。人払いまでしたのに、どうしてわたくしを責めようとしないのだろう。
 簡単な曲を二、三曲続けて弾き終えると、源氏の君は優雅に微笑みながら、わたくしを見た。その笑みが、わたくしにはひどく怖ろしかった。





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