そのままあたし、2人をつきとばすようにして、階段を駆けあがった。
自分の部屋に飛び込んで、ベッドで頭からおふとんかぶって。
「もうやだ……。もうやだよぉ、こんな生活……!!」
パパとママのおうちへ帰りたいよぉ!
こんなとこ、だいっきらい。
一京も――一京も、だいっきらい!!
おふとんの中で、ひとりぽっちでわんわん泣いて。
それから、ようやく思い出した。
今日、偲ちゃん経由でもらったお手紙。
そーよ。偲ちゃんの言うとおり、あたしにだって、幸せになる権利はあるよね。
一京があんなひどいこと言うんだもん。あたしだって、もっと優しい、すてきな彼氏を捜したっていいよね!
コール音、1回、2回。
携帯電話を耳にあてて。――って、これも、通話料は一京の家が払ってるんだけど。
すごく、どきどきしちゃう。
西野幸也。どんな人かな。
どこで、あたしのこと、見たんだろ。どんな声かな。優しい人だといいな。
『はい、もしもし――』
しばらくコールしたあと、わりと低めの、落ちついた声がした。
「あ、あの、あたし、小池ももです……」
やーん、はずかしい。声がひっくり返っちゃう!
『ももちゃん!? 良かった、電話くれたんだ! やー、うれしいなー!』
なんだか、とっても素直な声。
『ほんと言うと、半分あきらめてたんだ。ほら、ももちゃんて、特進科のヤツとつきあってるってウワサだったし』
「そ、そんなことないです!」
あたし、思わず言っちゃった。
特進科のヤツって、きっと一京のこと。でも一京、あたしのことなんか全然見てくれないもん。今だって、あたしのいる家の中で、平気で別の女、抱いてるじゃない!
だから……だから、いいんだもん。
あたしがこうして、西野さんのおしゃべりしてたって。ほかの人を好きになったって。
一京になんか、関係ないんだもん!
『オレ、ももちゃんのことが好きだったんだよ。ずっと前から』
電話で聞く声は、まるで耳元で直接ささやかれてるみたいで。
『じゃあさ、明日の放課後、逢ってくれるかな? ももちゃんの教室で待っててほしいんだ』
その言葉に、あたしはちゃんと、
「はい」
て、返事をした。
なぜだか、とても胸が痛んだけれど。
さっきよりもずうっと、泣きたくて泣きたくて、しかたがなかったけれど。
次の日。
あたしは1人きりで登校した。
一京はずーっと、ベッドの中。どんなに呼んでも起きなくて。
どうせあの女と、一晩中エッチしてたんでしょ。あたしが起こしに行った時は、もう帰ったのか、女はいなかっtけど。
床にはしっかり、パンツが落ちてた。ヒョウ柄のスケスケ。ふん、悪趣味ッ!
ふーんだ。一京なんか、女と見れば手あたり次第の性欲大魔王なんだから。こーゆーヤリヤリ女がお似合いよっ!
そしてあたしは、やさしくて、あたしだけを大切にしてくれる、すてきな彼氏を見つけるの。
教室についてみると、偲ちゃんは陸上部の遠征とかで、いなかった。
ちょっとがっかり。話を聞いてもらおうと思ったのにな。
そんなこんなであたし、一日中、放課後の約束のことばかり、考えてた。
ときどき一京の顔が、いきなり頭の中にぱっと浮かんできて、どきっとしちゃうけど。
えーい、関係ない! 関係ないもん、あんなヤツ!
そして、放課後。
クラスのみんながさっさと帰るのを、だまって見送りながら、
あたし、西野さんとの約束どおり、ぽつんと1人で教室に残ってた。
窓の外はすっかり夕暮れ。
校舎の中もしんと静まりかえって、誰の声もしない。
ほんとに西野さん、来てくれるのかな。
ちょっと不安になっちゃった時。
「ごめんごめん、遅くなっちゃって!」
教室のドアががらっと開いた。
そして、玉華の制服がよく似合うハンサムな人が、入ってくる。
「西野さん?」
思わずたずねると、その人は、うん、てうなずく。
「よかった。怒って、もう帰っちゃったかと思ったよ」
「だいじょうぶです、あたし……」
待たされるのは、一京でなれてるもん。
西野幸也さん。学年章は2年、あ、一京と同じ特進科なんだ。
しゃべる声はちょっと低めで、背は一京よりも高い、かない。
笑顔がやさしくて。……そう、一京はこんなふうに、あたしに笑ってくれることなんか、一度もなかった。
一京が……一京が、ほんの少しでもこんな顔を見せてくれたら。そしたら、あたしだって……。
ううん、もうあんなヤツ、知らない! あたしは西野さんとつきあって、幸せになるんだもん!
「今日は、君嶋がいっしょじゃないんだね。どうしたのかな」
「一京? うん……家で寝てるの」
「そうか、良かった」
西野さんは安心したようにそう行って、あたしの肩に手を回してきた。
「学校ん中にあいつがいると、やっぱやりにくいからな」
そして、すーっと顔が近づいてくる。
「え、あ、あの、ちょっと!?」
そ、それはまだ、早くない? 今、ようやく自己紹介が終わったばっかなんですけど!?
「おい、西野、待てよぉ! こっち、ビデオの準備もできてねーんだから!」
ほら、お友達だってああ言ってますよ!
……って!
ビ、ビデオ!?
今の声、誰よ!? 誰がいるの!?
「うっせーな、なら急げよ!」
西野さんの態度が、急にがらっと変わった。
教室のドアが大きく開いて、2、3人の男の子が入ってくる。みんな、玉華の制服を着てる。
そのうち1人は、手にハンディビデオを持っていた。
「準備できたか。ちゃんと撮れよ。でも、オレの顔は映すなよ!」
「ああ、わかってるって」
がっくん! 強く腕をひっぱられて。
あたし、机の上に乗っかるように押し倒された。
すぐ目の前に、西野さんの顔がある。
さっきまでのやさしそうなほほ笑みは、かけらも残ってなかった。ひどく底意地が悪そうな、陰険な笑い。
それを取り囲むように、4人くらい、玉華の制服が並んでる。
「おまえがレイプされてるビデオを、あいつに送りつけてやる。自分の女がマワされてるとこを見たら、あのスカした野郎だって、ちっとはビビるだろうぜ!」
あ、あいつって……一京のこと!?
一京に、なにするの!? あ、あたしが一京のなにだって!? そんでもってあたしのビデオって、どういこうと!?
「ずっと前からあの野郎が気に食わなかったんだ。親の金で遊びまくって、女も金にモノ言わせて犯り放題でよ! その上、成績までオレより上だなんて、そんなのアリかよ!!」
この人、なに言ってんの!? どうして一京のこと、こんなに悪く言うのよ!?
「どうせ裏金積んで、テスト問題でも横流ししてもらってんだろうぜ! でなきゃオレが負けるわけがねえ! このオレが、あんな野郎に――!!」
もしかしてこの人、いつもテストで一京に負けてるからって、その仕返しにあたしのこと襲おうっての!?
じ、じょうだんじゃないわよ! そんなの、一京のせいでもなんでもない、あんたが一京よりバカなだけでしょ。ただの逆恨みじゃない!
だけど西野さん、なにを言っても、もう耳に入りそうにない。目が血走って、ぎらぎら光ってる。にたにた笑う口元が、すっごくいやらしい。もう、ハンサムだなんてこれっぽっちも思えない。
制服のスカートがまくりあげられた。
う、うそっ! うそうそ、やだっ!!
「さわんないでよ、ばかあっ!!」
「あばれんな、このッ!」
西野の身体が、あたしの上にのしかかってくる。――お、重たいっ!
「おとなしくしろっ! 静かにしてりゃあ、おまえにもイイ思いさせてやっからよ!!」
悲鳴みたいな音がして、ブラウスの衿が引き裂かれる。ボタンが飛ぶ。
「そんな嫌がんなよ。一度ためしてみろって。SEXだって、オレのほうが君嶋なんかより絶対うまいぜ!」
や、やだやだやだ! あんたなんか、ためしたくなぁい!
いっしょうけんめい蹴りあげてた足を、いっしょに来た仲間たちが押さえつける。ショーツに手がかかって、引きおろすのもめんどくさいのか、思いっきり破られちゃう。
「や……いや……!!」
涙が出てくる。
いや! こんなヤツにレイプされるなんて、死んでもいや!!
「助けて……助けて、一京いぃっ!!」
「――呼んだか、こももぉ!!」
3 マイ・フェア・レディ
がらがらがらっ!!
カミナリみたいな音がして、教室のドアが開いた。
「て、てめえっ!」
「君嶋っ!」
「気軽に呼び捨てにすんじゃねえよ、ばーか!」
一京――一京が、立ってる! うそ、夢でも見てるんじゃないの、あたし!?
「お、おまえ……。なんでここに……」
「そいつのケータイ」
一京はあたしのこと、指さした。
へ? ケータイって、一京に持たされてる、これ?
「それ、カーナビと同じで、衛生電波で自分の居所を発信し続けてんのさ。パソコンと専用ソフトがありゃあ、成果中どこにいたって、こももの居場所はわかるんだぜ」
え……。な、なに、それ? そんな話、初めて聞いたけど。
でも西野たちは、
「た、たしかテレビで、そんなの見たことあるぜ」
「防犯のために、小学生とかに持たせてるって、アレだろ!? まさか高校生にもなって、使うヤツいるなんて――」
お互いに顔を見合わせて、ざわざわしてる。
「で? 西野、おまえ、こももをどうするつもりなんだよ?」
西野は顔じゅうに冷や汗かいて、一京をにらんでたけど。
「ち、ちくしょう! かまわねえ、今、ここでフクロにしちまえ!!」
5人いっぺんに、わあっと一京に飛びかかった。
な、なにすんのよ、ひきょーもん!!
1対1でやりなさいよ、5人がかりなんて、ただのいじめじゃん!!
……て、思ったけど。
どすん。ばたん。
「うぎゃっ!?」
「ぐえ!!」
どか! がき! ぐしゃげしゃ!!
ひとしきりにぎやかな効果音と、悲鳴がひびいて。
やがて、教室がまた、しんと静かになった時には。
2本の足でちゃんと立ってるのは、一京1人きりだった。
ほかの人は、みんな床にべったり倒れてる。苦しそうにうめいたり、もがいたりしてるけど、今すぐには起きあがれそうにないみたい。
「ばぁーか」
服のホコリを払い落としながら、一京、にやって笑う。
「ガキのころから、オレが何回誘拐されかけたと思ってやがんだ。イマドキの金持ちってのは、護身術のひとつもマスターしてなきゃ、生きてけねえんだよ!」
「い……一京――」
「なにボケッとしてんだ、こもも!」
だって、一京がケンカするとこなんて、初めて見たんだもん。一京がこんなに強いなんて。
一京が、あたしを守ってくれたなんて。
「早く来いよ」
一京はあたしの腕をつかみ、乱暴にひっぱった。そのまま、ずかずか教室を出ていく。
教室には、5人のおまぬけさんがひっくり返っているばかり……。
「ち、ちょっと待ってよ、一京!」
「なんだよ、うるせえな!」
玉華学園からまっすぐ駅へ行こうとする一京に、あたし、必死で訴える。
「こんなカッコで電車乗るの、やだ……」
破かれたブラウスは、セーターとかでどうにか隠せたけど。……下着が。
ショーツ、破かれちゃって、あたし、今、ノーパンなんだから!
めちゃくちゃスカート丈短くしてるわけじゃないけど、でもやっぱり恥ずかしい。人混みなんか、歩けない。
夕方になった街は、大勢の人であふれてる。電車もきっと帰宅ラッシュ。
それなのに一京てば、
「そのままでいろ。ちょうどいい罰だぜ」
「ば、罰って、あたし、なんにも悪いコトなんかしてないよ!」
だいたいあたし、被害者でしょ!?
だけど一京は、すごく怖い顔であたしをにらんだ。こんなに怒った一京なんて、初めて見る。
「おまえの部屋にあった、手紙」
「え? ……手紙?」
西野からもらった、あれ? あれを見たの?
「あんな手紙ひとつでホイホイ呼び出されやがって! おまえ、そんな見境ねえ女だったのかよ!!」
な……なによ、なによ、その言い方! 自分のほうがずっと見境ないくせに!
「だって……。好きだって、言ってくれたんだもん」
それは、本当は一京をおとしいれるための、ひきょうなウソだったけれど。
「西野さん、あたしのこと、ずっと好きだったって、言ってくれたんだもん!!」
「おまえは、『好きだ』って言ってくれる男なら、誰でもいいのか! ウソでもなんでも、『好きだ』って言われりゃ、どんな男とでもSEXすんのかよ!!」
「一京は、いっぺんも言ってくれたこと、ないじゃない!!」
「な……っ」
そうだよ。いつも「借金増やすぞ」とか、「おまえで我慢しとくか」とか、そんなことしか言わないじゃない。あたしのことなんか、ヒマつぶしのオモチャくらいにしか、思ってないじゃない!
ウソでも「好きだ」って言ってくれた人を、優しくしてくれた人を、あたしも好きになりたいって思って、なにがいけないの!?
「こもも……」
一京が、ため息みたいにあたしを呼ぶ。でも、もう返事もできない。
涙が出てきちゃう。どうしても、止まんない。
「そ、そんなこと……。そんなの、いちいち言ってやんなきゃわかんねえのかよ、おまえは!」
「わかんないよっ!!」
そうだよ。わかんないよ。はっきり言葉にしてくれなくちゃ、なにもわかんない。
一京こそ、どうしてわかってくれないの。
こんな短い一言が、女の子にとってどれだけ大切なのか。キスより、SEXより、ずっとずっと大切だってことが、どうしてわかってくれないの!?
「しょうがねえな」
やがて。一京がぽつりとつぶやく。
「……好きだよ。おまえが」
ぷいと横を向いて。そのほほが赤いのは、きっと夕陽のせいばかりじゃない。
「嫌いなら、いつまでも家に置いとくわけねえだろ。借金があろうとなんだろうと、さっさと叩き出してるぜ」
「一京……」
胸の奥が、この、身体のまんなかへんが、じゅん、て熱くなる。
「あたしも」
つかまれたままだった手で、一京の手をそっとにぎり返して。
「大好き……。一京が、大好き……」
大勢の人たちが通りすぎてゆく街角で、あたしたちはそっとキスをした。
その瞬間、あたしはきっと、世界中でいちばん幸せな女の子に、なった。
「帰ろうぜ」
あたしの手をひいて、一京が歩き出す。
「うん……。でもその前に、どっかお店に寄って。下着、売ってるとこ」
「それはダメ」
一京は意地悪く言った。
「罰は罰だろ。ノーパンで帰れ」
「そ……そんなぁ……」
結局。
西野たちは、成績不振を理由に奨学金をうち切られ、玉華学園特進科を辞めていった。
「ごめん、ほんとごめん、こもも。あたしがあんな手紙取りついだばっかりにさ……」
「ううん、いいよ、偲ちゃん。あたし、もうぜんぜん気にしてないから」
「今度こそ、あたしが責任持って、いい男を捜してやるからね! あんたを君嶋一京から守ってくれる、大岡越前を!」
うーん……。あ、ありがとね、偲ちゃん……。
一京はあいかわらず。意地悪で自己中で、女たらしのどスケベで……、ハンサムで。
パパの借金もあんまり減った様子がなく、あたしは今も君嶋さんのお家にいるの。あたし、卒業するまでに自分の家に帰れるかなあ……。
なんて、ため息ついてたら。
「こももーっ! おい、こももー!!」
ドアを蹴やぶりそうな勢いで、一京があたしの部屋に飛び込んできた。
「な、なによ! ノックくらいしてよ!」
階段の下からは、君嶋のおじさまが一京を呼ぶ声が響いてる。
「こら一京! 待たんか、話はまだ終わっとらんぞ!」
「なんなの、一京?」
「親父のヤツ、オレに見合いしろとさ」
「お、お見合い!?」
「じょーだんじゃねえ! 銀行頭取の娘だかなんだか知らねえが、ンなおじょーサマ、ブランドマニアのワガママ女に決まってんだろ!!」
ふーんだ、ちょうどいいじゃない。お金つかいまくりのワガママ娘に、女たらしのワガママ息子で。
「オレはいやだ! 嫁にすんなら、オレガどんなに女遊びしても、ぜってぇ文句言わねえおとなしい女を選ぶ。オフクロみてえな女、死んでもゴメンだぜ! 親父なんか、今でもオフクロで苦労してるってのによ!!」
え? あれ? 一京のお母さんって、死んじゃったんじゃなかったっけ? たしか一京が小さいころにいなくなったって……。
「あぁ? オレのオフクロ、生きてるぜ。ピンピンしてらあ」
一京は、ごくふつうの顔で言った。
「親父の女グセの悪さに愛想つかして、出てったんだよ。オレが小学生ん時にな。親父からぎゃーっとつうほど慰謝料ふんだくってよ。今もその金で、世界中遊んで回ってるぜ」
ああ、それで「いなくなった」って……て、う、うそぉ――!
うそお! まただまされたあ!!
「あ、そっか。おまえがいたよなぁ、こもも!」
にやあ。一京、悪党の笑いを浮かべて。
「おまえなら、オレに絶対逆らわねえもんな! ちょーどいいや。親父に言って、婚約発表しちまおうぜ。そしたら、結納がわりってことで、おまえん家の借金、チャラにしてやってもいいぞ!」
「そ、そんな! ちょっと待ってよ!!」
あたしの意志はどうなるの、未来は、シアワセは!! こんな大ウソツキの女たらしに、一生だまされ続けてろってゆーの!?
「なーに、心配すんなって。ガキの1人もつくっちまえば、親父だってあきらめるさ!」
なんて言いながら、一京、あたしをかんたんにベッドへ引きずり込む。
ぽい、ぽい、ぽい。あたしの洋服が、床の上に投げ捨てられた。
「まかせろよ。オレは百発百中だぜ!!」
「いやあ〜〜〜っ!!」
ああ……。
あたしって、やっぱり世界でいちばん不幸な女の子だあああっ!!
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