「そんな、ちょっと待ってください。巡査殿、もう少し確かめたいことが――」
 食い下がろうとした銀次を、女将が着物の袂を掴んで引き戻した。
「もうおよし」
「しかし、女将さん――」
 女将は黙って首を横に振った。
 娼妓に営業許可を与える権利は、警察が握っている。警官を怒らせたら、吉原で営業できなくなるかもしれないのだ。
 公権力にとって娼妓など牛馬以下、どんな死に様であろうとも知ったことではない。この街で踏みにじられ続けている娼妓たちの、そのひとりひとりに傷つく心もあたたかい血もあることを、踏みにじる側の人間たちはみな、忘れている。
 銀次も口を閉ざし、ただ歯噛みして堪えるしかなかった。
「おって正式な処分がくだるだろうが、それまでとりあえず営業は自粛しておけ。ああそれから、通いの従業員の住所氏名も一覧にして提出するように。そいつらも、店が休みの間は自宅でおとなしくしているように言っておけ。遠出なんぞは許さんからな」
 二人の亡骸は戸板に載せられ、ありあわせの布をかけられただけで、大喜楼の裏口からひっそりと運び出された。
 彼ら二人の死は娼妓と客の心中、色里ではごくありふれた事件として扱われ、ほんの数日人々の口にのぼっただけで、すぐに忘れ去られてしまうだろう。
 警察で一通り検死を終えた千登勢の亡骸は、吉原で死んだ他の女郎たちと同様に、三ノ輪にある投げ込み寺に放り込まれ、無縁仏として葬られる。それで、おしまいだ。
 千登勢がこの吉原で、泣き、笑い、苦しみ、たしかに生きていたことを覚えているのは、同じ泥水の中で生きる娼妓たちしかいない。
 銀次は他の店から手伝いに来た若い衆といっしょに二人の亡骸を運ぼうとしたが、関係者はまだ外に出るなと、巡査に厳しく咎められた。千登勢たちが裏口から出されるのを、他の娼妓や女中たちとともに黙って見送るしかなかった。
 大門わきの通用門が開けられ、二人の遺体が里の外へ運び出されていく時、無言でそっと手を合わせたのも、娼妓たちだけだった。
 二人の亡骸が視界から消えると、銀次は一階の大広間へ向かった。
 そこに足止めされていた客たちは、見張りに残っていたもう一人の巡査の監視のもと、店が差し出した帳面に連絡先を記入していた。その顔には一様に、一刻も早く帰りたいと書いてある。誰だって、死人が出た妓楼になど泊まっていたくないに違いない。
 その中に見覚えのある客の姿を見つけ、銀次はさりげなく近づいていった。
「お客さん。たしか今夜、千登勢花魁の客になってくだすってましたね」
「あ、ああ。そうだぜ」
 髪を短く刈り込んだ職人風の男は、小さくうなずいた。以前から千登勢の馴染み客だった男だ。死んだ中本のようにのめり込んでいたわけではなく、遊びは遊びと割り切って、つけも溜めない、店にしてみれば扱いやすいありがたい客だった。
 男のほうでも、銀次の顔に見覚えがあったようだ。
「とんだことになっちまいまして……」
 銀次が申し訳なさそうに言うと、
「まあ、お前さんらが悪いわけでもねえだろうけどよ」
 力なくため息をついて答える。
「いやなもんだぜ。さっきまで抱いてた女が、ちょっとうとうとしてる間に、ホトケさんになっちまってるなんてよ」
「うとうとしてた?」
 銀次は一瞬、鋭く聞きとがめた。
「おやすみになってたんですか? じゃあ、千登勢花魁がいつ部屋を抜け出したか、お客さまはお気づきじゃなかったんで?」
「ああ、まあ、はっきりとはわからねえがな。だいぶ酒も入ってたしなあ」
 男は盆の窪に手をやり、もそもそと答えた。
「だけど、だいたい十二時ぐれえだったと思うぜ」
「十二時? どうして十二時とおわかりなんですか? 時計をお持ちだったんで?」
「いや、貴重品のたぐいは全部帳場に預けてあらぁ。けどな、行灯
(あんどん)の火が消えたのさ」
「行灯?」
 思いがけない単語を、銀次は反射的に繰り返した。
「おう、そうだ。兄ちゃん、あんただろ。千登勢にランプの油を分けてやってたのは」
「え、ええ……たしかに、僕ですが」
「ありゃあ、遣り手が回ってくる少し前だったから、だいたい一〇時ちょい前ぐれえだろ?あの時に千登勢が、行灯の火皿にめいっぱい灯油を注ぎたしてたんだ」
 銀次は黙ってうなずいた。あの時、千登勢が使ったあとの油差しは、だいぶ軽くなっていた。ずいぶん思いきって灯油をちょろまかしたな、と思ったことを銀次も覚えている。
「で、そのまま灯りを点けっぱなしにして、しっぽりってわけだ。それもまあ、せっせと頑張り続けてるわけじゃなくて、なんとなくうたた寝したり、眼が覚めたらまたいちゃいちゃしたりって感じだったけどよ。なんだか、千登勢もどっか気もそぞろって感じだったしな。今考えてみりゃ、それも当然だけどよ。そしたら、そのうちにふっと灯りが消えちまってよ。すきま風なんぞは感じなかったから、油が燃え尽きちまったんだろう。俺ぁ何回か千登勢の部屋に泊まって、見てたんだ。あの行灯の皿はちっと小さめで、だいたい二時間で油が燃え尽きちまうんだよ」
 一〇時に満杯にした油が二時間経って燃え尽きた、だからその時刻は十二時。そういうことだ。
「そん時にゃたしかに、千登勢は俺といっしょに布団に入ってた。部屋が真っ暗になっちまったから、俺はそのまままた寝ちまってよ。で、はっきり眼が覚めたのは遣り手の叫び声を聞いてからだ」
「なるほど……」
 千登勢はだいたい十二時ぐらいまでは、客といっしょに自分の部屋にいた。これは、千登勢と入れ違いに部屋を出て階下におりてきた、ということ美の話とも時間的に一致している。
 千登勢が自分の部屋を抜け出し、こと美の部屋へ行ったのは、十二時を少し過ぎた時分。そして遣り手婆が惨状を発見するまで、わずか数分の間に、中本武男と千登勢は相次いで死亡したことになる。
 この時間にはすでに大門は閉じ、大喜楼でも戸締まりをし、人の出入りはできなくなっていた。玄関を施錠したのは銀次自身だ。
「今の話、巡査には――」
「ああ、言ったよ。二人が心中した時間にどこで何をしていたか、全員訊かれたからな」
 男は視線で、客の住所氏名を再度確認している巡査を示した。二階の現場を調べていた巡査も、二人の死体を運び出したあとは一階に下りてきて、客や従業員に証言を求めていた。
「ええ、廊下には誰もいませんでしたよ。ご覧のとおり、あの廊下には階段は一ヶ所きり、隠れる場所だってありゃしませんからね」
 ようやく落ち着いてきたのか、第一発見者の遣り手婆がくどくどと巡査に説明している。が、その声はまだかなり上擦っていた。
「不審な者は誰もいなかったということだな。ではその時に、何か物音などは聞いたか」
「さあ……。あたしゃこの頃、少ぅし耳が遠くなっちまいましてねえ」
 巡査は客の男たちを見回し、声を張り上げた。
「貴君らの中で十二時頃、遣り手が部屋を回る直前に、言い争う声や不審な物音を聞いた者はおるか!?」
「無理だって」
 銀次と話していた男は、巡査に聞こえないよう小声でささやき、笑った。
「どいつもこいつも敵娼
(あいかた)と一戦交えてる真っ最中だぜ。よその部屋の音なんざ、誰が聞き耳たててるかよ」
 その言葉どおり、巡査の質問に対する返答はなにひとつなかった。
 二階で銀次を殴った巡査が、そら見ろ、というように銀次を横目で睨んでいた。この状況で、心中以外の結論があるか、と。
「店、しばらく休みになるんだろ? んじゃあ、これ」
 男はあり合わせの紙にくるんだ金を、銀次に差し出した。
「少ねえけど、俺が最後の客だったわけだしよ。千登勢に線香でも供えてやってくれや」
「はい、ありがとうございます」
 小さな包みを押し頂くように両手で受け取り、銀次は深々と頭をさげた。
 大広間に足止めされていた客たちは、住所氏名を記して巡査の質問に答えると、次々に帰宅を許された。
 人影がひとつまたひとつと消えていき、大広間は急にがらんとして、空気が冷たくなっていった。





 二日後、警察から戻された千登勢の亡骸は、葬儀もおこなわれないまま、投げ込み寺へ運ばれていった。
 千登勢と中本の死は心中と発表され、新聞でも小さな三面記事にしかならなかった。
 大喜楼には娼妓の監督不行届、世情を騒がせた罰として、一〇日間の営業停止が命じられた。
 主人と女将は、ふだんから抱えの娼妓を虐待していたのではないかと、警察から何度も事情を聞かれていた。雇用主の無慈悲な扱いが千登勢をあのような無理心中に追い込んだのではないか、というわけだ。けれど虐待を裏付けるような証拠や証言は出てこず、結局この心中の原因は千登勢と中本武男の恋情のもつれ、ということになった。
 大喜楼はのれんを下ろし、大提灯も店内にしまい込んだ。娼妓たちは道に面した窓を開けることも許されず、ただじっともぐらみたいにそれぞれの部屋にこもっているしかなかった。
「あれ……。こと美姐さん、こんなとこでなにしてんの?」
「小ひなちゃん」
 いきなり名前を呼ばれ、こと美はかなりびっくりした顔で振り返った。
 化粧もせず、地味な銘仙を細帯でまとめただけのこと美は、どこにでもいそうなふつうの女に見えた。男を手玉にとる娼妓とは思えない。
 それでもやっぱり、こと美姐さんはきれいだな、と、小ひなは思った。長い髪を櫛で巻いてまとめ、細いうなじに後れ毛
(おくれげ)がかかっているさまが、どこか淋しげではかない。
 住人のいなくなった千登勢の部屋で、こと美は小さな茶箪笥の引き出しを開けていた。
「うん……。千登勢ちゃんの親元に、なにか形見に送ってやれそうなものがないかと思ってね。女将さんにことわって、捜させてもらってるの」
 こと美はうなだれ、小さくつぶやいた。
「千登勢ちゃんの着物や家具は、残った借金の穴埋めにお店が処分するって言ってたけど、せめて写真とか手紙とか、そういうものだけでも親御さんに渡してやりたいじゃない」
「うん、そうだね」
 小ひなもうなずいた。
「じゃ、あたしもいっしょに捜すよ」
 千登勢の部屋は事件当日のまま、まだ何ひとつ片づけてはいないはずだった。
「この部屋、なんにも変わってないよね。千登勢姐さんがいなくなったの、うそみたい……」
 こと美の部屋と同じく、六畳と四畳半の続き部屋。花瓶に生けられた花は、誰が水を換えているのかきれいに咲いたままだし、壁にはまだ主人を待っているかのように、衣紋かけがぶら下がっている。
「あたし、まだ信じらんないよ。まだそのへんに、千登勢姐さんがいるような気がする」
「小ひなちゃん……」
 こと美はかすかに声をふるわせ、眉をひそめた。
「あ、違うよ! 幽霊とかそんな意味じゃなくってさ。――信じられないんだ。千登勢姐さんがいなくなっちゃったってことが。ついこないだまでちゃんと生きて、いっしょにご飯食べたり、話したりしてた人が……もう、この世のどこ捜してもいないなんてさ……。頭ではわかってても、なんか――このへんが、まだわかんないよ、こんなのヘンだよって、言ってるような気がするんだ」
 小ひなは両手を重ねて、胸元を押さえた。
 こと美もうなだれ、返事もできない様子だった。同じ気持ちでいるのだろう。
「そういえば、こと美姐さんの部屋はどうなったの? もうあの部屋使うのは、姐さんだっていやでしょ?」
「うん……」
 事件のあと、こと美は一階の女中部屋で住み込みの女中たちといっしょに寝起きしていた。
「女将さんが、布団部屋を片づけて空けてくれるって」
「布団部屋? でもあそこ、すごく狭いじゃん。窓だってないし」
「いいの。ほんのちょっと間だけだから。あたし、あと三月
(みつき)で年季が明けるし。その前に、家具やなにかも処分しちまうつもりなの」
「そっか。じゃ姐さん、年季明けたら、お店辞めるんだね。おめでとう!」
 こと美はほほえみ、黙ってうなずいた。だがその笑顔は、どこかひどく哀しげに見える。小ひなと目を合わせようとせず、うつむいたままだった。
「おめでとう、か……。年季が明けたって、行くあてなんかありゃしないけどね。親はとうに死んじまったし、家を継いだ弟は、姉貴がこんな身体で帰ったって、邪魔に思いこそすれ、喜びゃしないだろうしね……」
「姐さん――」
「あたしがお店辞めたら、きっとまた誰か新しい妓
(こ)にあの部屋を使わせるんでしょうね。あそこで人が死んだことなんて、知らん顔して……」
「うん。この千登勢姐さんの部屋だって、営業停止が明けたらすぐに別の妓を入れるらしいって、遣り手のおばさんが言ってた。女将さんたちが出入りの周旋屋
(しゅうせんや)に新しい妓を連れてきてくれるよう、頼んでたんだって」
 しかたのないことだとは、わかっている。経営者側にしてみれば、いつまでも空き部屋を作っておくわけにはいかない。新しい娼妓を雇い、心機一転の雰囲気を作って、傷ついた店のイメージを一日も早く払拭しなければならないのだ。
 けれど、それでも。
「あたしもいつか、千登勢姐さんみたいになっちゃうのかなぁ……」
 ぽつりと、小ひなはつぶやいた。
「昨日まではここにいたのに、今日になったら、あれ、もういないねって、ただそれだけでさ。そのうちすぐに、誰からも忘れられてっちゃって……。やだな、そんなの――」
 この街では、娼妓はみな使い捨てだ。使い物にならなくなった道具はうち捨てられ、誰からも忘れられていくしかない。
 誰の記憶にも残らず、生きていた痕跡もなにひとつ残せない。まるで最初から、この世に存在しなかったもののように。それが、この世でもっとも弱いものの生き方なのだろうか。
 涙がにじんだ。小ひなはぐすっと、小さなこどもみたいに洟をすすりあげた。
「やだな……。怖いよ……」
「小ひなちゃん」
「あ……。あ、ごめんね、姐さん。こんなこと言うつもりじゃなかったんだけど」
 小ひなはあわてて目元をこすり、涙をごまかした。
「ね、こと美姐さん。そっち、なにか見つかった?」
「う、ううん、まだなにも」
「そっかあ。千登勢姐さん、アルバムとか、持ってなかったのかな。押し入れとかにしまってないかな」
 小ひなは押し入れを空け、膝をついて頭を突っ込んだ。
 押し入れの上の段には予備の布団が、下には衣装ケースがわりの茶箱がやや雑然と押し込まれている。
 小ひなはその茶箱を次々と引っ張り出した。
「あれ……? ない――」
「ないって、なにが?」
「あの西洋服だよ! ほら、最後の日に千登勢姐さんがみんなに自慢してた、あの赤いドレス!」
 片っ端から茶箱の蓋を開ける。そのどれもが、かなり中身が減っているようだ。
「打掛も、帯も足りないよ。あたし、覚えてるもん。千登勢姐さん、牡丹の絵柄の打掛持ってたはずなのに。女将さん、もう古着屋に売っちまったのかな」
「いいえ、そんなはずはないよ。営業停止中は、出入りの業者さんだってお店に来ちゃいけないことになってるんだから」
「じゃ……! あ、あのハイヒールもない! 姐さん、そっちの鏡台を見て!」
「そういえば……。なんだか、指輪や首飾りが少し足りないような……」
 小ひなはぱっと顔をあげ、立ち上がった。開け放しにしておいた襖のほうを振り返る。
 そこには、襖の陰に隠れるようにして、一人の娼妓が部屋の様子を覗き込んでいた。
「豊菊姐さん……」
 小ひなと目が合うと、豊菊は一瞬で表情を引きつらせた。
 そして、いきなり小ひなに背を向け、廊下を走って逃げ出そうとした。
「ちょっと、待ちなよ!」
 小ひなは怒鳴った。
「誰か! 豊菊をつかまえてよ!!」
 階段を駆け下りようとした豊菊は、ちょうど座布団を抱えて階段を昇ってきた銀次と真っ向からぶつかってしまった。
「うわあっ!?」
「銀ちゃん、豊菊をつかまえて! 逃がしちゃだめ、その女、泥棒だッ!!」
「えっ? ど、泥棒!?」
 尻餅をついた銀次は、泡を食いながらもとっさに、豊菊の手首をつかんだ。二人、もつれ合うように廊下へひっくり返る。
 その隙に小ひなは豊菊の部屋へ駆け込んだ。
「離せよ、銀次! あたしは泥棒なんて――」
「じゃあ、これはなんだよ!!」
 すぐに小ひなが豊菊の部屋から飛び出してくる。その手にはばら色のロングドレスと、紅いハイヒールがあった。
「千登勢姐さんのドレスと靴が、どうしてあんたの部屋にあるんだよ!」
「ち、ちくしょおおッ!!」
 サテンのドレスを見たとたん、豊菊は手負いの猿みたいな凄まじい金切り声をあげた。銀次の手をふりほどこうと暴れ、足をばたつかせ、銀次の指に思いきり噛みつく。
「いっ、いたたたたっ! く、食われる、食い殺されるーっ!!」
 銀次は情けない悲鳴をあげた。けれど、最後まで豊菊の腕を離さなかった。
「形見分けだよ、形見分け! みんなよりちょっと早めに、千登勢の形見をもらっただけさ!」
 大喜楼の主人や女将の前に引き据えられ、今度は豊菊はふてぶてしく開き直った。
「だいたい、あたしだけじゃないよ! みよ路だって玉千代
(たまちよ)だって、みんなやってるよ!」
 その言葉どおり、女将立ち会いのもと、遣り手婆が娼妓たちの部屋を徹底的にあらためると、豊菊を含め四人の娼妓の部屋から千登勢の持ち物が出てきた。着物に帯、かんざし、指輪、中には使いかけの化粧品をくすねた者もいた。
「なんだよ。死んだ人間は、化粧水も美容クリイムも、もう使いやしないだろ」
 遺品を盗んだ娼妓たちはみな、豊菊に倣って
(ならって)一斉に開き直り、ふてくされた。
「女将さんだって、やってるこたァ同じじゃないか。千登勢のものは全部売っ払って、その金を自分たちのふところに入れるつもりなんだから!」
「馬鹿言うんじゃないよ! それは、雇い主としての当然の権利だよ。うちだって、千登勢にゃ前借り金だの月々の払いのつけだの、山ほど借金を踏み倒されてんだからね!」
 女将は声を張り上げ、娼妓たちを怒鳴りつけた。それに向かってまた、娼妓たちがきいきいと言い返す。
 ののしりあいが続く廊下を離れ、銀次は台所へ降りた。土間の隅に座り、女中に、噛みつかれた傷の手当てをしてもらう。
 隣には、小ひながぺたんと腰を下ろしていた。
「まったく、なんて性悪女だ。なんか悪い黴菌
(ばいきん)とか持ってないだろうね、あの女」
「まさか。狂犬病の野良公じゃあるまいし」
「だって銀ちゃん、こんなのってあんまりだよ!」
 小ひなは悔しそうに、涙で真っ赤になった目元をこすった。





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