大丈夫か、自分は大丈夫か!? こいつらに恨まれるようなことを、なにかやっていないか!? 回りの人間から憎まれていないと、本当に言い切れるか!?
誰も信じられない。声も出せない。
自分以外のクラスメイト、37人全員が、いっせいに怖ろしい敵に見えたことだろう。
それはたしかに、かつて光が味わわされた恐怖と、よく似ているけれど。
それでも、思わずにいられない。
これで、ほんとうに良かったんだろうか。
「――ひかる」
校門を出てすぐに、光はひかるを呼び止めようとした。
ひかるはちらっと、半透明になってふわふわ宙に浮いている光を、見上げた。けれど、足を止めようとはしない。もっとも、立ち止まったところで、まわりにほかの人がいる町中では、光と話もできないのだが。
「ひかる!」
光が大声をはりあげて、ようやく、ひかるは立ち止まった。
「ぼくのからだ、返してよ」
六車線の大通り、流れる車の列をながめながら、ひかるが言った。
「あたしがやったこと、気に入らない?」
「え……?」
「これで明日から、あんたへのいじめはなくなるはずよ。少なくとも、意味もなく殴られたり、死ね、死ねって言われたり、クラス中の雑用を押しつけられたりすることはない。――ま、あんたと友達になろうってヤツも、いなくなるだろうけどね」
光は答えなかった。宙に浮いたまま、唇をぎゅっと噛みしめる。
「それともあんた、あのクラスの連中と、仲良しこよしになりたかったの?」
「……ちがう」
いじめがなくなれば、それで良かった。ふつうに学校に行って、勉強して、物を盗られることも服を汚されることもなく、無事に毎日を過ごせれば。――そして、光のかわりにいじめられるヤツが出なければ、じゅうぶんだと思っていた。
ひかるはたしかに、その願いを叶えてくれたのだ。
……けれど。
「あれじゃ――。ぼくだけじゃない、あれじゃあ、クラス全員、ひとりも友達がいなくなっちゃったじゃないか!」
「しょうがないじゃない。もともとそういうクラスだったんだもの」
ひかるはきっぱりと言い切った。
「他人へのいじめや陰口でしか仲間意識をたもてないなんて、そんなのは友達でもなんでもない。ただの卑怯者の集まりよ」
「でも――! でも、だって……!!」
「じゃあ、あんたはいったいどうしたかったの」
ひかるの目が、まっすぐに光を見上げた。
「あのままずっといじめられ続けて、自殺に追い込まれても良かったの? あんたが死んじまったら、あんたのお母さんはどうなんのよ。クラスの連中だって、一生消えない負い目をせおうのよ。自分は、クラスメイトを殺しちまったってね。その前にあんたが不登校になっても、あんたの命だけは助かるけど、それじゃあいつらは反省なんかしない。別の誰かをいじめるだけよ。誰かが命をなくすまでね」
「それは――」
ちがう、とは、光は言えなかった。
「これで、少なくとも誰かが自殺することだけは、ない。最悪の事態だけは、さけられたのよ」
「最悪の、事態……」
ひかるの言うことは、まちがいじゃない。
光の、そしてクラスみんなの命がすくわれた。
でも。
「言ったでしょう。人間は生きているかぎり、傷つかないわけにはいかないのよ。誰もがみんな、一〇〇%しあわせになれる選択肢なんて、ありえない。どんな方法を選んだって、みんな傷ついて、ぼろぼろになる。それでも、より傷の小さいほう、少しでもマシなほうを選んで、生きていくしかないのよ」
「少しでも、マシなほうを……」
光はもう、なにも言い返せなかった。
「……ぼくのからだを、返して」
それだけを、光はぽつりと言った。
OK、というように、ひかるはうなずく。
人目につかないビルの陰で、二人は入れかわった。
「ついてこないで」
自分の身体を取り戻すと、光はこわばった声で言った。
幽霊に戻ったひかるを、もう見ようともしない。
「たぶん……、こうなるだろうなって、わかってたよ」
ひとりごとみたいに、ひかるが言う。かすかにほほえむような、今にも泣いてしまいそうな、優しい声だった。
その言葉も、光は聞こえないふりをした。
「あたしのやり方じゃあ、あんたは絶対怒るだろうって、わかってた。――あんた、そういう子だもん。ちゃんと、別の誰かのために、喜んだり怒ったりしてあげられる子だもんね」
――わかっていたの? ひかる。
光は胸の中でつぶやいた。けれど立ち止まり、ふりかえって、ひかるの顔を見る勇気がない。
わかっていたの? ひかるのしたことに、ぼくが怒って、ひかるを許さないだろうってわかっていて……それでもやりとげたの?
ぼくを助けるために。
……それが、大人の覚悟なの?
そうやって自分が選んだ道で、自分も、まわりも、傷ついて、傷つけられて。
その痛さも苦しさも、哀しさ、つらさ、みにくさ、みんな、受け入れて生きていくことが。
それが、大人の覚悟なの?
ひかる。
その答を、光は聞けなかった。
聞ける勇気が、覚悟が、なかった。
光はリュックをしっかりとせおうと、逃げるように走りだした。もう一度ふりかえることすら、できなかった。
ふたたびきれいな女の人の幽霊に戻ったひかるは、歩道橋のそばにたたずみ、だまってその後ろ姿を見送っていた。
4 それでもぼくは生きていく
次の日も、その次の日も、光はあの歩道橋を通らなかった。
登校も下校もわざと遠回りして、信号のある大きな交差点を通った。歩道橋の見える場所までも近づかない。
ひかるに会いたくなかった。会えばなにか言いたくなるけれど、なにを言えばいいのかもわからない。
ひかるのことを考えるだけで、どうしていいかわからなくなる。大声で叫びだしそうになってしまう。
逃げるしかなかったのだ。
だから、あの次の日、教室であったことを、ひかるに報告することはできなかった。
次の日、クラスの三分の一が欠席した。
森本も金子も休んでいた。きっと、怖かったのだろう。女子は半分近くの生徒が欠席していた。
出席した生徒も、みんなひどく顔色が悪くて、おちつきがなかった。まるで、みんな病人みたいだった。全員、自分の席についたままうつむいて、顔をあげようともしない。たまたま誰かと目があってしまうと、逃げるように顔をそむける。
たまに光を見る者もいるが、光と目が合うと、あわてて目をそらす。光が今もクラス中の話し声を録音しているとでも、思っているのだろうか。
インフルエンザでも流行してるみたいなクラスの様子に、相沢先生もとても驚いていた。けれど、生徒たちに理由をたずねようとはしなかった。欠席した生徒の親からは「病気です」とかなんとか、連絡は入っていたのだろうし。
光も、ずる休みしようと思えば、できた。具合が悪いとお母さんにウソをつくことだって、登校のとちゅうでどこかに隠れてしまうことだって。
でも、逃げちゃいけないんだ。光はそう思った。
たしかにこうなったのは、光の責任だ。あれは幽霊のひかるがぼくにとりついてやったんです、ぼくのせいじゃありません、なんていいわけ、通用しない。光には、ひかるを止めるチャンスがあったはずなのだから。
ぼくがやったことで、クラスのみんながぼくを恨むんなら、ぼくはだまって恨まれて、憎まれてなくちゃいけない。それが、ぼくの責任なんだ。
高倉は出席していたけれど、光と目が合うと、怒ったような顔をして、すぐにぷいっと横を向いてしまった。
――ま、あいつが女のくせに愛想悪いのは、もともとか。
教室はお葬式みたいに静まり返り、ものすごく居心地が悪かった。
黙っていると、さらに気分が悪くなってくる。授業の途中で保健室へ行き、そのまま早退してしまった女子もいた。
みんな、ひかるのせいだ。光はそう思った。
――ひかるなんか、だいっきらいだ。エラそうなことばっか言って、結局、ぼくのクラスをめちゃくちゃにしただけじゃないか。
だいたい、ひかるなんて、ぼくのからだを乗っ取ろうとした、ずうずうしいヤツなんだ。口ではぼくを助けたなんて言ってるけど、ほんとはなにを考えてるか、わかるもんか。
見ろよ、この教室。みんな休んじゃって、ガラガラで、こんなの見たことない。こんなことになったのも、みんな、ひかるのせいなんだ。
言ってやるべきだろうか。ひかるに、これがあんたがやったことの結果だって。もう一度ひかるを、この教室に連れてきて、見せてやるべきなんじゃないか。
――いいや、そんなことしたって、何の意味もないだろう。光は小さく首をふり、自分の考えを否定した。
ひかるはきっと、こうなることもわかっていたはずだ。光が怒って、ひかるを許さないことも、最初からわかっていたと言ったのだから。
――そうだ。もう、ひかるに会う必要なんか、ない。
それよりは、これからどうするかを、考えなくちゃ。
……どうするかって、でも、いったいなにを?
六年B組の教室は、とても静かだった。
授業中によけいなおしゃべりをする生徒もいないし、休み時間にもなんのさわぎも起こらない。ケンカも、もちろん、いじめも。
教室の外から見れば、生徒たちはみんなおちついて、とてもいい子たちに見えるだろう。
給食当番はみんなに平等に給食をくばったし、放課後のそうじも、当番の生徒たちがきちんとやった。誰かひとりにむりやり押しつけるなんてことは、なかった。
理科の授業ではん、実験班を、今度は出席番号順に分けたので、光もふつうに顕微鏡をのぞくことができた。
ふつうに勉強して、トラブルなく一日をすごすこと。光のかわりに誰かがいじめられたりしないこと。
それはたしかに、光が望んだとおりの一日だった。
――ひかるはほんとうに、ぼくの願いをかなえてくれたんだ。
けして、うれしいとすなおによろこべはしない。どんよりと沈んだ教室を見回すと、息が止まりそうに胸が苦しくなる。怯えきったクラスメイトたちの目を見ると、光も泣きたいくらい、つらい。
やがて週末をすぎ、翌週の月曜になると、金子や福田、そして木島も登校してきた。
森本はまだ、休んでいた。
金子たちはふたりともひどく不安そうで、おちつきがなかった。木島はひどくおどおどして、きょろきょろまわりを見回してばかりだ。顔色も悪く、今にも吐きそうだ。
光はあえて、彼らを無視した。
休み時間も一人ですごし、誰とも口をきかない。そうやって、福田たちに態度で示してやろうと思ったのだ。ぼくはもう、おまえらなんかに興味はない、おまえらがぼくをほっといてくれるなら、ぼくもおまえらをほっといてやる、と。
おどおどきょろきょろが止まらない木島に、光の考えはつたわっていないのかもしれないが。
「ばかだな、木島。あんなにびくびくして、まるでニワトリみてえ。あれじゃ今度は、木島がいじめられるかもしんないぞ……」
「そこまであんたが心配する必要、ないんじゃない?」
「えっ!?」
突然の声に、光はびっくりして、思わず飛びあがりそうになってしまった。
木島について考えていたことが、つい声になっていたらしい。
「い、今のはべつに――!」
光はあわててまわりを見回した。
「気にすることないって。木島だって、いじめられたくなきゃ、井上のまねすればいいって、わかってるはずだもん」
妙にしらけた声で言ったのは、高倉だった。
「高倉……」
「ほら。あたしも持ってるし」
高倉は、メタリックピンクの小さな機械をポケットから取り出した。メーカーはちがうが、光のものと同じようなデジタルオーディオプレイヤーだった。
「イトコのお姉ちゃんにもらったの。新しいのに買い換えたって言うからさ、いらなくなった古いのをね」
「へえ……」
「もしかして、気がついてないの? 今、女子の半分は持ってるよ」
「――マジ?」
「だからみんな、前みたいにおしゃべりとか始めてんじゃん。ま、録音されても困んないように、天気の話くらいしかしないけどさ」
「天気の話、ね……」
光は小さく苦笑いした。今日は寒いですね、ええ、そうですね、なんて、まるで知らない人どうしのあいさつみたいだ。
それでも、教室に少しずつ話し声が戻っていることに、光もようやく気がついた。
光と高倉がしゃべっているのが気になるのか、ちらちらこっちを見ている生徒もいる。だが、ほとんどの生徒は関心なさそうな顔をしていた。よけいなことには首をつっこまないようにしているのだろう。以前なら、男子と女子がちょっと口をきいただけで、すぐおおげさにさわぎたて、意地悪くからかうヤツがいたのに。
「でも考えたら、前だって、似たような話しかしてないしね。テレビのこととか、マンガのこととかさ。大事なことは、誰も話してなかったよ」
あまり感情のない声で、それこそお天気の話でもするみたいに、高倉は言った。
考えてみれば、大人どうしの会話だって、最初はこんなもんだろう。誰に聞かれても問題のないように、お天気の話とか、景色のこととか――お母さんはそういうの、なんて言ってたっけ? ああ、そうだ。「あたりさわりがない」ってヤツだ――おたがいの深いところにはふれないことから話を始めて、それから少しずつ、おたがいに様子をさぐるみたいに、自分のことも話し始める。この人は信じられるかな、大切なことや本当の気持ちを打ち明けても大丈夫かな……と。そうやってみんな、まわりの人との距離をちぢめていく。少しずつ、少しずつ、おっかなびっくり。
この教室でも今、同じことが起きているのかもしれない。
ひかるのやったことのせいで、一度みんな壊れてしまった生徒たちのつながりが、もう一度少しずつ、できはじめているのだろうか。
「このプレイヤーもらう時、あんたのやったこと、イトコに全部話したんだ。そしたらお姉ちゃん、『そいつ、すげーヤなヤツだね』って。『ヤなヤツ、マジ、友達になりたくないね。……でも、すげーアタマいいね』ってさ」
高倉は、まっすぐに光を見た。
「あたしもそう思う。井上、あんたって、マジで嫌なヤツだよね」
「……うん」
光はうなずいた。
――そうだ。ぼくはいやなヤツだ。
ひかるはぼくを守って、ぼくのために戦ってくれたのに。ぼくが望んでいたとおりの結果をもたらしてくれたのに。
ぼくはそれに、感謝することもできない。今もまだ、ひかるを許せないでいるんだ。
ぼくは……ひかるに守ってもらう価値なんて、きっと、なかったのに。
「でもあたし、あんたのしたことに、感謝してる」
はっきりと、高倉は言った。
「……え?」
「あたし……。ずっと、怖かった。あんたがいつか自殺するんじゃないかと思って」
するんじゃないか――じゃなくて、ほんとうに、しようと思ってたんだよ。その言葉を、光はぐっと飲み込んだ。
「そうなったらどうしようって、ずっと、怖かったんだ。いじめ自殺とかってなったら、きっとマスコミとかもいっぱい来て、大さわぎになっちゃう。そんな中で、クラス全員、顔隠しながら、あんたのお葬式とか行かされたりしてさ……。ほんとにそうなっちゃったらどうしようって、そんなことばっか、考えてたんだ。すげーヤなヤツだよね、あたしもさ。あんたがいじめられてるの、止めもしなかったくせに……!」
「高倉……」
高倉はちょっと、泣いているのかもしれない。光はそう思った。
「でもさ。あんた、もう自殺なんかしないよね」
「うん」
「ほかのヤツもさ、不登校してる森本だって、そうやって家ん中に引きこもってりゃ、とりあえず安全だしさ。少なくとも自殺だけはしないよね。あんたが森本ん家までおっかけてって、いじめのしかえししないかぎり」
「しないよ、そんなこと。めんどくさい」
ちょっとだけ、高倉は笑った。
「井上なら、そう言うと思った」
その笑顔に、光もなんだかほっとした。
高倉はゆっくりと、教室の中を見回した。
「今、教室にいるヤツらはさ、学校に来るの怖いけど、でもなんとか我慢できるって思ってんだよ。……怖いのは、みんな同じだもん。隣のヤツもあたしと同じだけ怖いんだ、自分ひとりだけが怖くてつらい思いをしてるんじゃないって思えば、、我慢するのも少しラクだし」
返事をするかわりに、光は高倉に質問した。
「高倉――。高倉も、今日、学校来るの怖いって、思った?」
「うん」
高倉はすぐにうなずいた。
「あたし一人がクラス中からいじめられてたら、怖くて、学校なんか来らんない。でも……今、隣に座ってるヤツも、あたしと同じように怖いんだって思えば、我慢できる」
――似たようなことを、誰かが言ってなかったっけ。光はふと思った。
みんな我慢して、みんな傷ついて。そうやって、嫌な相手ともなんとか付き合っていく。人と人なんて、そんなものだと、最初に光に言ったのは……そうだ、ひかるだ。
ひかるが教えてくれた大人の生き方を、6年B組のクラスメイトたちも、今、少しずつ学び始めているのだろうか。
そしてその中でなら、ひとりでいることを選んだ光の態度も、あまり不自然には見えないのかもしれない。
やがてチャイムが鳴り、次の授業が始まった。
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