「もともとのからだの持ち主であるあんたが、そうやってからだから離れたくないってがんばってると、あたしもからだの中に入れないのよね。さっきみたいに、あんたが気絶してるとか寝てるとかしてないと、すぐに追い出されちゃうの」
 ひかるはまた、空中にこしかけるように、かっこよく足を組んだ。
「実は、あんたのほかにも二、三人、ためしてみたんだけど、全然だめだったの。からだの中に入るどころか、家の中までくっついてくこともできなくて。その人の後ろから玄関入ろうとしたら、ドアを通り抜けられなかったの。閉じたドアにどかん!て、顔からぶつかっちゃってさ、まるでテレビのコントみたいだった」
 あはは、と、ひかるは気楽そうに笑った。
「じゃあ、なんでぼくだけ……」
「やっぱ、アレじゃない? あんたが死にたがってたから」
 にやりとしたその表情は、やっぱりかっこいいや、と光は思った。
「ねえ。あんた、なんで死にたいの?」
 光はうつむいた。
 黙り込み、答えない。ひかるを見ようともしない。
「ま、言いたくなきゃ、言わなくてもいいけどね」
 ひかるも、たいして興味もなさそうに言った。
 さーて、どうしよっかなあなんて一人言をつぶやきながら、ひかるはそこにふわふわ浮いたままだった。
「な……、なに、してんの?」
「ああ、気にしなくていいよ。無視してくれてかまわないから」
「無視できるわけないだろ! あんた、ぼくにとりつくのはあきらめたんだろ!? だったら、さっさと別の人を探しに行けよ。なんで、いつまでもぼくの部屋にいるのさ!?」
「あんたがもう一度死にたくなるのを、待ってんの」
 ひかるは、平然と言った。
「え……!?」
「だってあんた、理想的なんだもの。友達も少ないみたいだし、いっしょに暮らしてる家族はお母さん一人きりでしょ?」
「ど、どうしてそんなこと、知ってんだよ!?」
「キッチンの食器。二人分しかないじゃない。それに男物の服や靴も見あたらないし。あんた、お父さんとは別々にくらしてんでしょ。兄弟もいないみたいね」
「うん……たしかに」
 光のお父さんとお母さんは、三年前に離婚していた。光はお母さんといっしょに暮らし、お父さんとはもう二年以上会っていない。ちらっと聞いた話では、お父さんはもう別の女の人と再婚したらしい。
「家族や友達が多いと、入れ替わったあと、その人たちみんなをだましてなきゃいけないじゃない? だます相手は少ないほうがらくだもん」
 だませるわけないじゃんか、と、光は言おうとした。学校のクラスメイトや先生ならともかく、お母さんが、光が別人と入れ替わったことに気づかないはずがない、と。
 ……でも、言えなかった。
 本当に、そうだろうか? もしも本当に光とひかるが入れ替わったとしても、お母さんはそれに気がついてくれるだろうか?
 はっきり、そうだと言い切れる、自信がなかった。
 ――たとえば、お母さんが誰か別の人に入れ替わってて、ぼくのお母さんのふりしてるだけだとしたら……ぼくに、それがわかるだろうか?
 そこまで、ぼくはお母さんのこと、よく知ってただろうか。お母さんとちゃんと話をしてたかな。
 お母さんはいつも仕事で忙しいし、帰りが遅いこともしょっちゅうだ。光も、学校であったことやその日一日のこと、自分からお母さんに話すことなんかめったにない。お母さんにしつこく質問されて、うん、とか、そうだよ、とか、いい加減に返事をするだけだ。
 だって小六にもなって、男が、お母さんと仲良くおしゃべりするなんて。女の子ならともかく、そんなのなんだかはずかしくって、できやしない。
 お母さんのほうも、光のそんな気まずい思いに気がついているのか、なんとなく話しかけにくそうにしている。二人で話す時間は、ますます減る一方だ。
 これじゃ、おたがい、相手が別人と入れ替わってたとしても、まったく気づかないんじゃないだろうか。
「それに、自殺志望の人間をもういっぺん探して回るの、めんどくさいし。そいつが借金まみれのおっさんとか、汚職がばれて警察につかまる寸前の役人とかだったら、もう目もあてらんないじゃん。あたしだってそりゃ、もういっぺん死ぬしかないわよ。でもあんたなら、まだ夢も希望もある小学生だもんね!」
 ――夢や希望があったら、誰が自殺なんかするもんか。
 うつむき、光は両手をぎゅっとにぎりしめた。
「自殺ってね、たいがい一回じゃ成功しないもんなのよ」
 ひかるが言った。
「あんたも必ず、もう一回やろうとするはずよ。あたしはそれを待つことにする。それがいちばん、効率がいいもん」
「ま、まさか、ぼくがもう一回、どっかから飛びおりようとするまで、ずっとそうやって、くっついて回るつもり!?」
「そうよ」
 けろっとして、ひかるは言った。
「安心しなさい。あたしの姿は、あんた以外の人間には見えないはずだから。て言うか、あたしが見えた人間、今まで一人もいなかったもん。あんたが幽霊にとりつかれてるなんて、誰にもわかりゃしないわ」
 それに第一、と、けらけら笑う。
「あんた、もう半分死んでるみたいな顔してるじゃん。幽霊にとりつかれようがなんだろうが、今さらたいして変わりゃしないって!」
 ひかるは窓を指さした。
 外はかなり暗くなり、窓ガラスは鏡のように部屋の中の様子を映している。
 そこに、ひかるは映っていなかった。
 映っているのは、光の姿だけだった。
「ぼく……」
 窓ガラスに映る自分の姿に、光は目を向けた。
 その顔は、表情も乏しく生気がなく、口元は力なく半開き、目はどんよりとして、たしかに半分死んでいるみたいな顔だった。





「光、光! いつまで寝てるの、起きなさい!」
 お母さんに揺り起こされて、光はのろのろと目を開けた。
「んー……。もう朝なの……? まだ眠いよ――」
 半分ねぼけたまま、光は大きくあくびをした。それでもなかなかまぶたが開かない。
「あたりまえでしょ。ゆうべ、あんなに夜更かししたんだから。またマンガばっかり読んでたんでしょ」
「え?」
 そんなことないよ、と、光は言おうとした。だってゆうべは、起きているのもいやになって、さっさと布団をかぶって寝てしまったのだ。
 起きていると、そのあいだずっと、光が自殺したくなるのを待っているひかるを、そのわくわくしている顔を、見ていなければならないから。
「こんなに出しっぱなしにして。学校から帰ってきたら、ちゃんと片づけなさいよ」
 お母さんは、ベッドの枕元や床の上に散らばったマンガのコミックスを、ぱたぱたとてきとうに積み重ねた。
「今はこのままでいいわ。片づけてたら、学校に遅れちゃうもの。そのかわり、晩ご飯までにきちんと片づけておかなかったら、このマンガ、全部捨てちゃうからね。ゲーム機も、テレビにつなぎっぱなしにしてたらいけないって、いつも言ってるじゃない!」
 ――そんなばかな!
 ゆうべ、マンガなんか読んでいたおぼえはない。まして、ゲームなんて。
 そう考え、光はようやく気がついた。
 天井のほうを、ぱっと見上げる。
 やはりそこには、きれいなロングヘアのひかるが、半透明の姿でふわふわ浮いていた。
「や。おはよ」
 にっこり笑いながら、その顔はどこか眠たそうだ。
 ――ひかるっ!
 どなろうとして、光はあわてて口をおさえた。
 ちょっと不思議そうな顔をして、お母さんが光を見ている。
 お母さんは、ひかるの存在にまったく気がついてない。
「お、お母さん! もう出てってよ! ぼく、着替えるから!」
「光?」
「ほら、早く! 急がないとほんとに遅刻しちゃうってば!」
 光は、お母さんの背中を押すようにして、むりやり部屋の外へ追い出した。
 ドアをしっかりと閉め、それから部屋の中へ向き直る。
「――ひかる!」
「なによ。目上の人間を呼び捨て!?」
「ひかるは人間じゃないだろ、幽霊じゃんか!」
 いや、そんなことはどうでもいい。
「ゆうべ、ぼくのからだを勝手に使ったろ!?」
 ひかるは、にらみつける光と目を合わせないよう、しらじらしく視線をそらした。
「ぼくが寝てるあいだ、ぼくのからだに入って、ゲームしたりマンガ読んだり、一晩中遊んでたんだろ!?」
「だってさあ、おもしろそうだったんだもん、そのマンガ」
 今度は完全に開き直り、ひかるは言った。
「あんたが持ってるゲームも、あたし、やったことないやつばっかだったし。ねえ、そのゲームのさ、3面がどうしてもクリアできないのよ。あとでやり方、教えて?」
「か、勝手なことばっか、言うなよッ!!」
 光は思わず大声を出した。
 すると、
「光、どうしたの?」
 びっくりしたようなお母さんの声が聞こえてくる。
「ばかねえ。あたしの声はあんたのお母さんには聞こえないけど、あんたの声はふつうに回りに聞こえてるのよ」
 光はあわてて、両手で口をふさいだ。
 これじゃ、家の中ではひかると言い争いをすることもできない。
「と、とにかく、ぼく、もう学校行くから。ぼくが帰ってくるまでに、この家から出てってよ!」
「無理よ。あたし、ずーっとあんたにとりついてるって、決めちゃったもん」
「そんな……っ!」
「あ、さすがにトイレやお風呂はのぞかないから。そのくらいのプライバシーは守ってあげる。着替えの時もね」
 ほら、早く着替えなさい、と、ひかるはぱっと後ろを向いた。
 しかたなく、光はもそもそと着替え始めた。
「終わった? ほんと、あんたってとろくさいのねえ」
「ねえ。もしかして、学校までついてくるつもり?」
「当然じゃない」
 にっこり笑って、ひかるはうなずいた。
「あんたのことは、なんでも知っておかなくちゃね。入れかわった時に、よけいな失敗しなくてすむようにさ」
 光は黙りこんだ。
 もう、なにを言ってもむだみたいだ。光がなにを言ったって、ひかるは光のそばを離れないだろう。
 ――いいさ。勝手にしろよ。
 胸の中で、光はやけっぱちにつぶやいた。
 学校でもどこでも、ついてくればいい。そして、全部見ればいいんだ。ぼくがいつも、クラスでどんな思いをしているか。
 それがわかれば、ひかるだって絶対に、光と入れかわろうなんて思わなくなるに決まってる。
 ――そうさ! わけもなく自殺したいなんて、思うもんか!!
 光は、机の横にほうりだしてあったリュックを手に取った。時間割をたしかめ、必要な教科書やノートをリュックにつめこむ。
「あら。どうしたのよ。急に静かになっちゃって」
「だって、ぼくの声はふつうに聞こえるんだろ。ひかるの声は誰にも聞こえないのに、ぼくがひかるに話しかけてたら、ぼくはブツブツ一人言ばっか言ってる、キモいヤツになっちゃうじゃん」
「そりゃまあ、そうだけど。でも、あたしとあんたしかいない時だったら――」
「とにかく。ぼくは、学校じゃひかるを無視するからね。そうしろって言ったのは、ひかるなんだから」
 ふうん、と、ひかるはつまらなさそうに光を見下ろした。
 光はもう、返事もしなかった。さっさとしたくをして、部屋を出る。
 キッチンには、朝ご飯の用意ができていた。
「いただきます」
 ぼそぼそとつぶやいて、光はトーストにかじりついた。食欲なんて全然ないけれど、機械的に食べ物を口に入れ、飲み込む。
 そのあいだにお母さんも、会社に出勤する用意をしている。スーツに着替え、きれいにお化粧をする。
 玄関を出るのは、たいがい二人いっしょだ。
 光の家は、賃貸マンションの一室だ。2LDK、けして広くはないけれど、二人で住むには充分だ。いや、お母さんのお給料では、これ以上広い部屋に住むのは無理だ。
「気をつけていってらっしゃい。お母さんも、今日はできるだけ早く帰ってくるから」
「うん、わかってる」
「忘れ物はない? 家の鍵、ちゃんと持った?」
 お母さんの言うことは、いつも同じだ。
「この前みたいに、学校で鍵を失くしたりしないでね。合い鍵つくるのだって、けっこうお金かかるんだから」
 ――違うよ、お母さん……と、言いかけて、光はぎゅっと唇をかんだ。
 本当のことをお母さんに言って、どうなるだろう。どうにもならない。ただ、お母さんを哀しませるだけだ。
「うん。わかってる」
 光はいつもと同じく、ただそれだけを答えた。
「携帯もちゃんと持ってるわね? ああ、もうバスに遅れちゃう。じゃあね、光。車に気をつけるのよ」
 お母さんは腕時計を見ながら、マンションの階段をあわてて駆け下りていった。
「ぼくも……行かなくちゃ」
 一言つぶやいて、光も歩き出した。まるで足を引きずるように。
「ちょっと、どうかしたの? あんた、学校行きたくないの?」
 頭の上、ややななめうしろにふわふわ浮かんでいるひかるの声にも、なにも答えない。
 うつむいて、だまって、歩き続ける。
「今日、テストでもあんの? あ、わかった。インフルエンザかなんかの予防接種でしょ。あんた、度胸なさそうだもんねえ」
 ――ついてくれば、わかるさ。





 市立明京小学校、六年B組。
 朝のホームルームが始まる前の教室は、動物園みたいな騒がしさだ。
 とっくみあい、格闘技ごっこをしている生徒、対戦ゲームに夢中の生徒――学校にゲーム機を持ってきてはいけません、と、先生からしつこく言われているのだが――、携帯電話でゲームをしている生徒もいる。防犯のため、ケータイを持ち歩くことは禁止されていないのだ。
 女子の中には、鏡をのぞきこんでメイクを直している子もいる。校則が何十年も前に作られた古いものなので、「学校にお化粧をしてきてはいけません」という一文がないのだ。校則ができた当時の小学生は、誰もメイクなんかしていなかっただろうから。
 メイクをして登校する子は、最初は2、3人だった。だが、いつのまにか「あの子がメイクしてかわいくなってるのに、あたしがすっぴんじゃはずかしい」とクラス中に伝染して、今ではクラスの女子の半数以上がなんらかのメイクをしている。すっぴんの子は、親がアタマが古くて許してくれないと、文句ばかり言っている。
 みんなが数人ずつのグループになって、好き勝手にしゃべっているため、教室全体がうわぁ…ん、といううなり声につつまれているみたいだ。
 だが、
「……おはよう」
 光が教室のドアを開けた瞬間、そのうなりが、ぴたりと止んだ。
 教室全体が、凍りついたみたいに静かになる。
 クラスメイトたちの視線が、一斉に光へそそがれた。
 ――こいつ、また来たよ。うぜぇー!
 ――うっそぉ、信じらんない。まだ生きてる。
 声にならない声が、光のからだじゅうに突き刺さった。
 ――あーやだやだ。キモぉ! なんでこいつ、うちのクラスなわけ!?
 ――さっさと不登校になれよ、ばぁか!!
 そしてみんなは、また一斉に光から目をそらした。
 光がのろのろと自分の席へ向かっても、誰も光に声をかけようとしない。光なんてまるで目に入らない、存在していないかのように、無視する。
 だが本当は、見ていないわけではないのだ。光と視線が合わないよう、顔を伏せながら、ちらちらと光の様子を盗み見ている。光が今、どんな顔をしているのか、たしかめようとしているのだ。
 光がどんなに傷ついているか、つらそうな顔をしているか、みんな、それが見たくてたまらないのだ。
 くすくすくす……と、低い笑い声が聞こえる。とうとう我慢できなくなったらしい。
 まるで動物園の珍獣みたいに観察されながら、光は自分の席にたどりついた。
 が、座ることができない。
 机にも椅子にも、ゴミが山積みされていた。
 どうやらゴミ箱を光の机の上でひっくり返したらしい。
 くすくす笑いがさらに大きくなる。その笑いのほうへ光が目を向けても、もう相手も視線をそらしたりしない。みんな、光の不幸を心底おもしろそうに笑っている。
 実際、おもしろくてたまらないんだろう。他人を傷つけ、相手の哀しい顔をながめることは、クラスの中でいちばんおもしろいゲームだ。しかもその相手が絶対に反撃してこないとわかっている場合は。
 光は顔をはっきりとあげることもできなかった。笑っているヤツらを真正面からにらんだりしたら、今度は殴られる。てめえ、なに見てんだよ、キモい、こっち見んな、と、五、六人、それもガタイのいい、腕力が自慢のヤツらばかりに取り囲まれ、さんざん殴られ、蹴られた。反撃なんかできるわけがない。そんなことが何度もあって、いい加減、からだでおぼえた。
 光はリュックをまだ汚れていない床に置くと、だまって教室のすみへ向かった。掃除用具入れからぞうきんとモップを持ってこようと思ったのだ。
 だが、
「さわんじゃねえよ」
 掃除用具が入ったスチールロッカーの前に、一人の男子生徒が立ちはだかった。






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