「てめえがさわったら、井上菌がつくだろうがよ! クラスの備品を汚染する気か、てめえ!」
 クラスの中でもひときわ声が大きく、体格もいい、森本だ。
 ――そうか。あのゴミも、やっぱり森本がやらせたんだ。
 きっと自分でゴミ箱にさわるなんてことはしなかっただろう。いつもまわりにくっついている、金子や福田、水沢あたりの子分に命令して、やらせたはずだ。
「それって、ヘンだよ。森本くん」
 言ってもどうにもならないとわかっていながら、つい、光は口を開いてしまった。
「この教室の掃除は、もう何日もずっと、ぼくひとりでやってるじゃないか。ぼく、先週もここのモップやバケツにさわって、教室を掃除したよ。先週の放課後はさわって良くて、どうして今朝はさわっちゃいけないんだよ」
「う……うるせえ、井上、てめええッ!!」
 森本の顔が真っ赤になった。
 光に反論されたことが、よっぽど我慢できなかったらしい。……しかも、どう考えたって、光の言っていることが正しいし。
 それでも森本は、自分一人で光に手を出すなんてことは、絶対にしない。ここが森本の頭のいいところだ。
 ぱっとうしろをふりかえり、そばにひかえている子分たちに、あごをしゃくって合図する。
「なんだよ、井上。そんなにゾーキンがほしいのかよ!」
「だったらてめえの服で拭けよ!」
「そうだそうだ、てめえの服なんか、どうせゾーキンといっしょじゃんか!!」
 3人の男子が、いっせいに光に飛びかかった。
 両脇から光の腕をつかまえ、光の席のそばまで引きずり戻す。
「い、痛いっ! 痛い、なにすんだよ、はなせよ!」
 クラス中の生徒が、その光景を笑いながら見ていた。
「おら、拭けよ! さっさと拭いて、キレイにしろよ!!」
「なんだよ、いやがんじゃねえよ! 掃除すんの、手伝ってやってんじゃねえかよ!」
 光は机の上に上半身を押さえつけられた。ゴミの山の上に。
「はーい、おそうじおそうじー!!」
 金子だろうか、福田だろうか、浮かれて歌うように声をはりあげた。
 左右から背中を押さえつけられ、光は汚れた机に押しつけられる。森本もそれに手を貸した。彼らは光のからだでぞうきんがけを始めたのだ。
「おらおら、もっと力こめて拭けよ! ちっともきれいになってねえぞ!」
「井上、おめえ、これなめろよ! なめてキレイにしろよ!!」
 教室中が笑い声に包まれた。クラスメイトはみんな、いじめられている光を見て、とても楽しそうに笑っていた。
「やぁだぁ、きったねえー!」
「なんかぁ、ちょー笑えるんですけどー!」
「よく平気だよねー、あいつー!」
「そりゃそうだよぉ、だって井上だもーん。あははははーっ!!」
 ――平気じゃない。こんなことされて、平気な人間なんか、いるもんか。
 光の苦しみは、誰にも届かない。
 森本や子分たちも、本当に楽しそうだ。遠足や運動会よりも、ずっと、ずっと。彼らにとって、光をいじめること以上に楽しいことなんか、ないのだろう。
 やがて、ホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「どうしたの、みんな。早く席についてほしいなー」
 クラス担任の相沢先生が教室に入ってくる。相沢先生は、まだ独身の若い女の先生だ。
 森本たちはようやく、光から手を離した。
「先生、おはよーございまーす!」
 せいいっぱい明るく元気そうな声を出して、森本は先生ににっこり笑ってみせた。
 子分たちもみんな、急いで自分の席に戻る。
 光はのろのろとからだを起こした。
 机にごりごり押しつけられて、からだ中があちこち痛い。服はどろどろに汚れてしまった。それでも椅子にはまだ、ゴミが山積みされている。その上に座るしかない。
「じゃあ、出席をとるからねー」
 相沢先生は黒板の前に立ち、みんなに明るく声をかけた。それから、あいうえお順で生徒ひとりひとりの名前を呼び上げる。いつもどおりのホームルームの始まりだ。
 井上光くん、と、光の名を呼んで、先生はようやく光の様子に気がついた。
「井上くん……どうしたの?」
「いいえ、なんでもありません」
 なんでもないはずがない。顔も服も汚れて、すり傷もいっぱいできている。机はゴミがなすりつけられて、真っ黒だ。
 それでも光は、即座に「なんでもありません」と答えた。
「そう……」
 相沢先生は、うつむいた。逃げるように、光から目をそらす。
 教室のあちこちから、くすくす、くすっ、と、小さく笑い声が聞こえた。
 みんな、お互いに突っつきあったり、こっそり光を指さしたりして、楽しそうに笑っている。
 相沢先生は、半分こわごわと、光の席のそばまで近づいてきた。
「ね、ねえ、井上くん――」
 消えそうな声で、光に話しかける。けれど、光をちゃんと見ようとはしない。おどおどと目を伏せたままだ。
「本当に、先生に相談したいこと、なんにもないのね? よけいなことかもしれないけど、もしかしたら、なにか、先生にもできることがあるかもしれないし――」
 光はなにも答えなかった。
 相沢先生の言葉は、「あなたのことで、先生にできることはなんにもないから、相談なんかしてこないでね」という意味だ。
 その証拠に、光がそのままなにも言わないでいると、相沢先生はあきらかにほっとしたようだった。
「じゃ、授業を始めよっか。みんな、教科書を出してくれるかなあ?」
 そしてなにごともなかったように、一時間目の授業が始まった。
 国語、算数、ただ時間だけがのろのろとすぎていく。
 理科の授業では、実験のためにいくつかの班にわかれた。が、仲のいい人どうしで班をつくっていいと相沢先生が言い出したため、光はどこの班にも入れなかった。
 相沢先生も、光が一人、理科教室のすみに取り残されていることには気がついていたが、もうなにも言わなかった。井上くんをどこかの班に入れてあげて、なんて言い出したら、クラスじゅうが大騒ぎになって、授業ができなくなるからだ。6年B組38人全員が実験できなくなるより、光以外の37人が無事に実験をやりとげるほうが、ずっといい。
 お昼、給食の時間になると、ふつうの生徒は
「今日のおかず、なんだったっけ? 自分の好きなやつだといいけど」
 なんてことを、考える。
 でも光の考えることは、
「今日はちゃんと給食食べられるかなあ」
 だ。
 給食にゴミを入れられる、給食のトレイをわざとひっくりかえされるなんて、しょっちゅうだ。さいわい、給食センターから専用トラックで運ばれてくる給食は、クラスに配られるころにはわりあい冷めていて、頭からぶっかけられても、やけどすることはない。
「お、今日は酢豚かあ!」
 大きななべをのぞきこみ、給食用のエプロンをかけた森本がうれしそうに言った。
「ほーら、井上くーん。サービスしてあげたぜえ?」
 にやにや笑いながら、森本は給食トレイを光の目の前に突き出した。
 お皿の上には、酢豚のにんじんとたまねぎだけがよりわけられ、山盛りになっていた。ほかにはパンも牛乳もない。にんじんとたまねぎだけだ。
「おら、食えよ! 残すんじゃねえぞ!!」
「給食残すヤツは、昼休み居残りなー!」
 どうしていいかわからない光のまわりを取り囲み、森本たちは大声ではやしたてた。
 相沢先生は、自分の給食を食べ終えると、さっさと職員室へ逃げてしまっていた。
 光が椅子から立ち上がろうとすると、
「てめえ、逃げんじゃねえよ!」
 森本はどん!と、光の肩を乱暴にどつき、無理やり座らせる。
「違うよ……。スプーンもフォークもないし――」
「てめえに使わせるスプーンなんかねえよ! 手で食えよ、手で!!」
「おら、食えよ! 食えよ!!」
「くーえ、くーえ、くーえっ! くーえっ!!」
 いつのまにか、クラスじゅうが手をたたき、声をそろえてはやしたてていた。
 森本たちはますます興奮し、光の頭をつかんで、給食トレイに押しつけた。
 酢豚のケチャップソースの中に、光の顔が押しつけられる。目の中にソースが入って、ものすごく痛い。
 森本たちは、笑っていた。
 クラス全員が、笑っていた。光がもがき苦しむ様子を見て、とても楽しそうに、うれしそうに。
 みんな、今日も大満足のようだった。





「ふーん、なるほどね」
 ぼそっとひかるがつぶやいた。
 放課後、とぼとぼと家に帰る光の上に浮かんで、光の姿を見下ろしている。
 光の服はどろどろに汚れ、まるでゴミ捨て場から這い出してきたみたいだ。スニーカーには黒の油性ペンでらくがきされていた。
「あんた、それで自殺しようとしてたんだ」
 光はようやく、ひかるを見上げた。
 まわりに人影はない。今なら、ひかると話をしても大丈夫だ。
「わかったろ? ひかるだって、ぼくと入れかわったりしたら、すぐに自殺するしかないだろ?」
 かすかに笑いながら、光は言った。もう、笑うしかない。
「早く帰ろうよ。家ん中だったら、ひかるとゆっくり話ができるからさ」
 それから光は、足早に自宅マンションへ戻った。
 部屋に入るとまず、汚された服を着替えて、洗濯機へ放り込む。
「洗濯はぼくの仕事なんだ。学校から帰ると、まずこうして、洗濯機回すの。だから、お母さんには気づかれなくてすんでるんだよ」
 だけど、と、光はため息をついた。
「あの靴は……どうしようかなあ。油性のペンで書かれちゃったから、洗っても落ちないなあ。しばらく隠しておくしかないか」
 全自動洗濯機がうなりをあげて回り出す。
 光は自分の部屋に入った。ひかるもふわふわとついてくる。
 部屋に入ると、光はすぐにベッドに横になった。正直言って、からだじゅうがあちこち痛くて、椅子に座るのもつらいのだ。
 ひかるは天井付近にふわふわ浮いて、ぽそっとつぶやいた。
「あんたのクラス担任もだらしないわねえ。あたしとそうかわんない年令だろうけどさ、でも、まがりなりにも教員試験パスしてんだから、もうちょっとまともな指導とか、できないのかな」
「しょうがないよ。相沢先生は、森本の親が怖いんだ」
「え?」
「ぼくだって、最初は先生に相談したんだよ。そしたら――」
 相沢先生は、森本やその子分たちを職員室に呼び出し、話をした。
 それはたぶん、お説教とか、そんなきついものではなかっただろう。相沢先生は、クラスのみんなに対して、いつも友達みたいな話し方をする。きっと森本たちにも、
「先生、森本くんたちがほんとは優しい子だって、ちゃんとわかってるのよ。ただちょっと、ふざけちゃっただけよね? もう、やめてくれるよね?」
 くらいのことしか言わなかったに違いない。
 そうしたら、次の日、いきなり森本の母親が学校にどなりこんできたのだ。
「先生、うちの子がいじめをしてるってお叱りになったそうですね!? どこにそんな証拠があるんです! うちの子は絶対にいじめなんかしていないって、言ってます! タカヒロは、いじめなんかできるような子じゃありません、本当に心の優しい、いい子なんですよ!!」
 森本の母親は校長室にまで押しかけて、廊下にまでひびきわたるほどの大声で、どなり続けた。
「うちの子にいじめられたって告げ口した子を、ここに呼んでください! 先生はどうせ、その子の言い分だけを聞いて、一方的にうちの子が悪いって決めつけたんでしょう! だから、その告げ口した子と、うちの子と、ここに二人並べて、どっちが本当のことを言ってるか、たしかめなくちゃ。もちろん、それぞれの親の立ち会いのもとで!!」
「い、いや、お母さん、もう少し穏便に……」
「なにをおっしゃるんですか、校長先生! うちの子が、うその証言で無実の罪を着せられそうなんですよ!!」
 母親が抗議しているあいだ、森本は母親のうしろで、ずっと泣きまねをしていた。
「さあ、そのうそつきの生徒と、その親をここに呼んでください! さあ、早く!!」
 相沢先生はこどもみたいに泣きながら、光を校長室へ連れていった。
「ぼくん家、お父さんがいなくて、お母さんが働いてるからさ。お母さんが学校に来るには、会社を休まなくちゃいけないんだ。ただでさえお母さん、仕事が忙しくて、熱があってふらふらしてる時でも、無理して会社に行ってるのに、ぼくのために会社休んで学校に来て、なんて言えないよ」
「光――。じゃ、あんた……」
「ぼくが、あやまったんだ。校長室で、森本の親に」
 なんと言ってあやまればいいのかは、相沢先生が教えてくれた。
「森本くんがぼくをいじめたというのは、ぼくのかんちがいでした。森本くんはぼくと仲良く遊んでくれていたのに、ぼくが体力がなかったため、その遊びについていけなかったんです。いじめられたというのは、全部ぼくの被害妄想です」
 と。
「ねえ、ひかる。ひがいもーそーって、なに?」
「たいしてひどい目にあってもいないのに、自分だけがめちゃくちゃいじめられてる、ひどい目にあわされてるって、思い込むことよ。ま、あんたのことじゃあ、ないわね」
「そっか。やっぱりぼくが悪いんじゃないんだ」
「当たり前でしょ。いじめで一番悪いのは、いじめてるヤツに決まってるじゃない」
 ひかるの言葉に、光は少しだけ安心したように笑った。
「毎日毎日キモいだのウザいだの言われ続けてるからさ、ほんとにぼくがキモくてウザいのが悪いんだって、なんかそんな気がしてきてたんだよ」
「ばっかね、あんた。だいたい、『キモい』とか『ウザい』とか、ほんとの意味はなに? 具体的には、どういうヤツのことを言うの? 国語辞典の説明みたいに、はっきり文章にして言ってごらん!?」
「えっ? えっと……。つまり、なんとなく……」
 光は答えにつまった。そんなふうにあらためて質問されると、返事ができない。
 ――そうか。ぼくも、そしてきっとみんなも、たいして深く考えもせずに、こういう言葉を使ってるんだ。
 ひかるは、そんな光に、それ見たか、と言うような顔をした。
「でも、そいつの親も、いったいなに考えてんのかしら。自分のこどもがうそついてんのも見抜けないなんて!」
「しかたないよ。森本の親も、きっと森本を守ろうとして、いっしょうけんめいなんだと思う」
 ため息をつくように、光は言った。
「森本は五年生の時、ずっといじめられてたんだ」
「え……」
「先生と、森本の親が何度も話し合いして、いじめのリーダーになってるやつの親も学校に呼び出された。クラスでも、授業つぶして、何回も話し合いをしたんだ。六年になって、クラス替えがあって、森本へのいじめはなくなった。あいつ――きっと、勉強したんだと思う」
「勉強って、まさか……」
「そう。自分がいじめの被害者にならない、一番の方法。自分以外の誰かを、さきにいじめることだよ」
 それから、光に対するいじめはいっさいの歯止めがかからなくなった。
 最初は森本とそのグループだけだったのが、あっという間にクラス全員がいじめに加わるようになった。相沢先生には、それを止めることは無理だった。光と仲の良かった友達でさえ、いっせいに光に背を向けた。
「ほかの先生たちも、みんな知ってる。でも、誰も止めないんだ」
「どうして!?」
「だってぼくたち、六年生だよ。あと4ヶ月ちょっとで卒業なんだ。うちのクラスでなにが起きてても、あと4ヶ月、だまって見ないふりをしていれば、ぼくたちは卒業して、自動的に明京小学校からいなくなるんだ。そうなりゃ、なんの問題もなくなるじゃないか」
「それであんた、自殺して、本当のことを世の中にうったえようとしたわけ?」
「ううん、違う」
 光は力なく首を横にふった。
「自殺する時は、遺書なんか書くなって、森本におどされてるんだ」
「――なんだって!?」
「遺書に自分たちの名前なんか書き残したら、家に火ぃつけてやるって」
「ち、ちょっと……! あんた、そこまでされて、なんでだまってんの!? そんなの、立派な犯罪じゃない!! そいつの言うとおり、告発もなんにもしないで、ただだまって死ぬつもりだったの!?」
「だって、しょうがないじゃないか!」
 光はどなった。
「ぼくにどうしろって言うんだよ! 1対37だよ! 先生も、誰もぼくを助けてくれない。それどころか、学校の先生はみんな、森本たちの味方なんだ! 森本の親にどなりこまれるのが怖いから!」
 涙があふれる。次から次にこぼれ落ちて、とまらない。
 今までずっとかくしてきた気持ちが、一気に胸の奥からあふれ出してくる。
「ぼくだって、ほんとは死にたくない。死ぬのは怖いよ。でも、これからずっと、毎日毎日いじめられ続けるのは、もっと怖いんだ……っ!!」
「光――」
 声もなく泣き続ける光に、ひかるがそっと声をかけた。
「光。死ぬ覚悟があるなら、一週間――ううん、三日でいい。あたしにからだを貸して」
「え……? ど、どういうこと、ひかる……」
「このままだまって死ぬなんて、あんたもくやしいでしょう?」
 いつのまにかひかるが、天井から、光の目の前まで降りてきていた。
 あいかわらず半透明だけれど、まっすぐに光を見つめている。
「どうせ死ぬなら、あいつらに一発くらい仕返ししてから、死にたいでしょ!?」
「う、うん。そりゃ、できるなら……」
 ひかるはにやっと笑った。その笑顔は、見ている光がぞくっとするくらいの、強い自信にあふれていた。
「あたしにまかせなさい。反撃の方法を、教えてあげる」





BACK    CONTENTS    NEXT
【 −3− 】
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送