「ああ、そうか。やっぱり嫌だよねえ。女だって、嫌いな男に手込めにされるのはさ」
 いまさら同情するかのように、泰頼が言った。
「だから、あんたが俺に惚れるように、いろいろと手を打ってやったのに」
「え――?」
「野伏からあんたを助けた俺は、恰好良かっただろう? 救いの神に見えただろ? 女が男に惚れるには、これ以上はない出会い方じゃないか」
「じ、じゃあまさか、あの野伏たちは……あなたが命令していたの!?」
「命令なんて。あんな薄汚い連中を配下に持つ気はないね。ただちょっと、情報を流してやっただけさ。那原の姫さまが、明日、この道を通るよってね。もっとも俺も、その情報はこの城の人間から教えてもらったんだけど」
 由布は息を飲んだ。
 初めて出会った時、泰頼はまだ由布の家臣ではなかった。かつては父が安原氏に仕えていたとはいえ、泰頼自身は由布の父を殺した篤保の寵童だったのだ。そんな人間に、陣代の了海が苦心して考えた段取りを教えてしまうのは、裏切りに近い。
 ――まさか、この城の中に、裏切り者がいるの!?
 そう考えれば、思い当たるふしがある。
 桑島領の間部玄蕃が、丹羽山に金鉱が埋まっていると信じ込んだのはなぜだろう。那原の領主ですら、その調査を行っていなかったのに。
 多くの血を流して那原を滅ぼし、丹羽山を勝ち取ったとしても、もしそこから金が出てこなかったら?
 多額の戦費と失われた人命の穴埋めを、玄蕃はいったいどうするつもりだったのか。
 そんな心配を吹き飛ばすほど、玄蕃に強く金鉱の存在を信じ込ませた人間がいたのだろう。
 そしてその言葉に真実味がともなうのは、那原に暮らし、領主館の内情に精通している人間だけだ。
 ――私はこの目で見ました。那原の領主がこっそり丹羽山の調査をさせているのを。安原氏のふところ深く食い込んでいる私だからこそ、見ることができたのです。
 そう、間部玄蕃に言えた人間は……いったい誰? この泰頼だったのだろうか?
 そして、あの蛇は。
 由布の寝所に蝮を持ち込むことができたのは、いったい誰だろう。姫御前の寝所は男子禁制。出入りできる人間は、ごく限られていたはずなのに。
 それは……いったい、誰!?
「なのにあんたは、俺に見向きもしなかった。陣代ばかり贔屓にしやがって……! あんな坊主の、どこがいいんだ!」
 由布は何も答えなかった。
 今の泰頼には、他人の言葉などまったく届かないに違いない。
 何とかして、ここから逃げる方法を考えなければ。
 了海が、八郎太が、家老の爺が、那原の領民すべてが命がけで守り抜いたこの国を、こんな男の思い通りには、けしてさせない。



 由布姫がいなくなった。
 彼女がいた奥の丸の小広間には、血まみれの城代家老が倒れているきりだった。
 城内の誰も、由布の姿を見ていなかった。
 城代はかろうじて息はあるが、とうてい話せる状態ではない。駆けつけてきた円谷も、一目見てとたんに厳しい表情になった。
「姫御前、いったいどこへ……!」
「ま、まさか桑島の連中が、城ん中に忍び込んで姫さまをさらってったんでしょうか!?」
「いや、わからぬ。――わからん!」
 了海は怒鳴った。
 嘘だ。こんなことはあり得ない。
 戦に勝っても、那原を守り抜いても、あの姫がいないのでは……!
 頭の中には、まともな思考はまるで浮かばない。まるで自分の目の焦点が一切合わなくなってしまったみたいだ。
「とにかく、探せ! 曲輪の外まで捜索の手を広げろ!」
「ご陣代」
 かたわらからそっと、控えめな声がした。
「私は見ました。泰頼どのが、姫さまの手を引いて、裏手の矢倉へ向かっていくのを」
 そう言ってさわは、壊れかけた小さな倉を指さした。
「本当か!?」
「あそこには確か、作りかけて放棄された抜け穴の跡があるはずです」
「抜け穴?」
「はい。ご城代でしたら、きっとご存知のはずです」
 泰頼はいったいなんのためにそんな場所へ、とか、抜け穴の存在を侍女にすぎないさわがどうして知っているのか、とか、ふだんなら思いつきそうな疑問の数々も、了海の頭にはまったく浮かばなかった。
「よし、すぐに――!」
 了海は腕を振り上げ、みなを集めようとした。
 が、さわがそれを制止する。
「大声で騒ぎ立てては、中にいる泰頼どのに気づかれます。姫さまに万一危害が及んでは……!」
「そ、そうだな。まず、私が様子を見てくる。そなたは八郎太に知らせ、奥の丸の前に足軽隊を揃えさせておくよう、つたえてくれ」
「かしこまりました」
 さわが返事をするのも待たず、了海は走りだした。
 観音開きの扉を蹴破り、傾きかけた倉の中へ飛び込む。
 そこにはさわの言ったとおり、床にぽっかりと黒い竪穴が開いていた。
 身を乗り出して覗き込むと、穴の奥からちろちろとかすかな灯りが漏れている。
 間違いない。誰かいる。
「姫っ!」
 縄ばしごにつかまるのももどかしく、了海は穴の中へ飛び降りた。
「姫、ご無事でございますかッ!?」
 横穴の奥からかすかにもれる光を頼りに、了海は走った。
 低い位置に灯りが見える。手燭が地面に置かれているようだ。
 そのそばにひとつの大きな人影があった。
 いや――二人だ。二人の人間がぴったりと重なり合うように寄り添って立っている。
 泰頼は背後から由布を抱きかかえるようにして、その顔のすぐそばに刃をかざしていた。
「泰頼! きさま、なんのつもりだ!」
「うるさいなあ。それ以上近づくな。大事なお姫さまが、化け物みたいなツラになってもいいのか?」
 泰頼は握った刃をさらに由布の顔に近づけた。
 必死に噛みしめる由布の唇から、殺しきれないかすれた悲鳴がもれる。
「姫……っ!」
「姫さまが大切なら、そこでおとなしく俺と姫さまの新床を見届けな」
「なんだと!? きさま、何をするつもりだ!」
「言ったじゃねえか。坊主のあんたにはできないことだよ」
 泰頼はげらげらと大声で笑った。足元の炎に照らされるその表情は、完全に常軌を逸している。
「坊さんに見届けてもらうなんて、なかなか縁起がいいや。なあ、俺と姫さまが子宝に恵まれるよう、そこでご祈祷でもしてくれよ!」
 全身をがたがたと揺するようにして、泰頼は笑い続けた。
 泰頼が身動きするたびに、由布の目の前で刃が揺れ、前髪やほほ、瞼のあたりをかすめる。黒髪が切れてはらはらと散り、白い肌にも小さく血のにじむ傷が刻みつけられていた。
「姫……っ!」
「さあ、こっちを向きな、お姫さま。その可愛い口を吸ってやるよ」
 泰頼の手が由布の顎をつかみ、無理やり上向かせようとする。
 その手に、由布の両手が懸かった。
 指の一本を掴んで引きはがし、根元近くまで口に入れて思いきり噛みつく。
「ぎゃあっ!?」
 泰頼が無様に悲鳴をあげた。
 それでも由布は泰頼の指を離さなかった。指の肉を食いちぎるほど強く歯をたてる。
「うわああっ! は、離せっ! 離せ、俺の指ッ!」
 泰頼は由布を振り払おうとした。
 が、狭い横穴の中では、思うまま脇差しを振り回すことはできない。泰頼は由布の顔に斬りつけるのではなく、刀の柄で殴りつけた。
 その瞬間、了海が跳んだ。
 肩口から思いきり泰頼に体当たりする。
 泰頼の身体が吹っ飛んだ。
「姫、どいてくださいっ!」
 ようやく由布は口を開けた。
 泰頼の指を離し、その場にぱっとしゃがみ込む。
 その上を飛び越えるようにして、了海は泰頼に躍りかかった。
 襟首を掴んで地面に押し倒す。泰頼の身体に馬乗りになり、真上から何度も殴りつける。
 ばたばた暴れる泰頼の足が、地面に置かれていた手燭を蹴飛ばした。
 ささやかな光が、消えてしまった。
 横穴は真の闇に閉ざされた。
「あ、あかりが――!」
「このおおッ!」
 了海が戸惑った瞬間、泰頼が下から了海の顎を思いきり殴った。
 二人の身体が入れかわる。今度は泰頼が上になり、了海の首を両手で締め上げる。
「死ね――死んじまえッ!」
「ぐ、が……あッ!」
「やめて! やめて、泰頼! あなたの言うことをききます! だから、お願い、御坊を殺さないで!」
 由布が泣き叫んだ。
 泰頼の指が喉に食い込む。息が出来ない。目の前にちかちかと白い光の点が飛び、頭が倍以上に膨れあがるように感じる。
 そのまま、意識が消えていこうとした時。
 了海の背中に鋭い痛みが走った。
 泰頼が取り落とした脇差しの上に倒れてしまったのだ。
 了海は懸命に、右手を身体の下に這わせた。
 泰頼の身体が重石
(おもし)のようにのしかかる中、肩の関節が外れそうな無理な姿勢を取る。
 指先が、刃に触れた。
 柄ではない。だが、ためらう暇はなかった。
 了海はそのまま、脇差しを身体の下から引き出した。
 手のひらが裂ける。袈裟が裂け、背中の肉が斬れた。
 おのれの血で濡れた刃を逆手に握り、そのまま真横に振り上げる。
 そしてこぶしごと叩きつけるように、泰頼の首に脇差しを突き刺した。
 ぶつりと、人間の肉が内側から爆ぜる不気味な手応え。柔らかくも硬くもあり、鈍く、そして鋭い。
「き、きさ、ま……っ」
 かすれ、まるで人間の声とも思えないようなうめきがもれた。
 ひゅうひゅうと嫌な音がして、なまあたたかい血飛沫が了海の上に降りそそぐ。
 了海の喉に食い込んでいた一〇本の指が弛み、やがてばらばらと外れる。
 泰頼の身体が、了海の上にどさりと倒れ込んだ。
 渾身の力を振り絞り、今はただの物体に戻ってしまった泰頼の身体を押しのける。ようやく息ができるようになると、了海はとたんに激しく咳き込んだ。
「御坊……っ?」
「姫! ご無事ですか!?」
 大切な人の安否を確かめようとした声は、咳にかすれてろくに言葉にならなかった。
「はい……っ。はい、わたくしは無事です。御坊は……」
「だ、大丈夫です。い、――生きて、おります」
 手探りで由布を捜す。
 地面を這わせた指先に、細い指が触れた。
 二人の指がしっかりと絡み合った。
「御坊、手が……。手に、傷が――」
「これしきの傷、怪我のうちにも入りません。さあ、それより早くここから出ましょう」
「は、はい」
 片手を横穴の壁につけながら、用心深く立ち上がる。
「泰頼は……死んだのですか?」
「はい」
 由布がそっと了海の背に手を回した。そこにも傷があることに気づき、一瞬びくっと指先がふるえる。けれど傷に触れないよう気遣いながら、了海を支えようとする。
 二人はそろそろと竪穴の下まで戻った。
 けれど、そこも真っ暗だった。
 扉が、閉まっている。
「ど、どういうことだ!?」
 手探りで縄ばしごを探しあて、了海は竪穴をよじ登った。
 宙づりのような不安定な姿勢で懸命に手を伸ばし、扉の様子を探る。
 が、いくら押しても観音開きの扉はびくともしない。
「閂がかかってる!」
 拳を握り、了海は下から思いきり扉を叩いた。
「開けろ! ここを開けろ、誰かいないのか! ――さわ! さわ、いないのか!?」
「あらまあ。生きてたんですか、ご陣代」
 堅く閉ざされた扉の上から、冷ややかな声がした。
「さわ……! そこにいるんだな、さわ! 閂を外せ、ここを開けろ!」
「念のために閂をかけておいて、良かった。いつになっても出てこないから、てっきり二人とも泰頼に殺されたんだと思っていたんですけどね」
「なんだと!?」
 了海は愕然とした。
「お前が――お前が、扉を閉めたのか!?」
「ええ、そうですよ。この抜け穴のことを知っているのは、私と泰頼の二人だけ。もともとは泰頼だけが知っていたんですよ。私が姫さまがお館に家移りする日時を教えてやった見返りに、泰頼はここのことを教えてくれたんです」
「まさか、さわ……あなたが!?」
 竪穴の底に立ち、由布も真っ暗な上部を見つめている。
「さわ……! あなたが……、あなたが桑島の間者だったのね!?」
「さあ、どうでしょう」
 扉の向こうで、かすかに笑う気配がした。
「私は別に、桑島の味方でも那原の味方でもありませんよ。――いいえ、むしろどっちの国も、戦で滅んでしまえばいいと思っています」
「では……春川の回し者か!」
「それも違います」
 答えるさわの声はひどく落ち着いていて、いつもどおり、有能な侍女の声だ。
「私はね、この国にあるものみんな、滅んでしまえばいいと思っているだけですよ。こんな――毎年毎年、秋になるたび国中で戦を繰り返して、田畑も村も作るはしから焼かれちまうような、そんな国……! みんな、好きなだけ戦をして、殺し合って、そしてみんな死んでしまえばいい!」
「さわ……」
 戦で夫を亡くしたと言ったさわ。それゆえに戦を、そして戦をする人間すべてを恨み、憎んでいるのだろうか。
 ならば――と、了海はひとつ、大きく息を吸い込んだ。
「お前の悲しみはわかる、さわ。夫を奪った戦を憎み、戦の指揮をする私を恨むというなら、それも仕方がない。だが、姫は違うぞ! 由布姫は自ら望んで那原の領主になったのではない。望まぬ戦に巻き込まれたという点では、お前と同じなのだ。だから、頼む。姫は――姫だけは……っ!」
「わかるもんですか。私の気持ちなんか」
 突き放すように、さわが言った。
 突然、口調がかわる。ひどく投げやりに、すさんだ声になる。
「私はね、ご陣代。その姫が、一番許せないんですよ」
「なんだと?」
「私の子もね。……畜生腹だったんですよ」
 了海も由布も、思わず息を飲んだ。
「私の子たちは死んだ。いいや、殺された。双子、三つ子は畜生と同じ。しかも男女の双子は心中者の生まれ変わり――産婆はそう言って、生まれたばかりの子ども等を私の足元に置きました。まだへその緒もついたままの子等を。この子等を始末するのは、生んだお前の責任だって言ってね。私は……私は、自分の足を一本ずつ子ども等の首に乗せて……踏みつぶして、殺したんですよ!」
 さわは泣き叫んだ。
「私の子等は死んだ! なのに、同じ畜生腹のその娘は、なんで生きてるんだ! なんで……死んだ母親の形見を着て、父親の形見の旗を持って、しかも城の女あるじだって!? なんでおまえだけがそんな幸せに恵まれるんだ! 同じ畜生腹のくせに!」
「それは……それは違うぞ、さわ! 姫は自ら望んで此花館にいらしたわけではない!」
「そんなこと、知るもんか! 許せないんだよ、その娘が生きていることが! 尼寺にいたまんまじゃ、誰にも知られることなく生きのびちまう。だったらこの城に呼び寄せて、お家騒動に巻き込まれて、家臣にでも殺されちまえ。いいや、戦に負けて、磔になっちまえって――ずっと、そう願ってたのに!」
 それは、鬼女の叫び声だった。だが、あまりに哀しい鬼だ。
「おまえが、丹羽山の黄金の話を、桑島領の間部玄蕃に言ったのね?」
 そして、由布の寝所に蝮を持ち込んだのも。
 それができるのは、侍女として由布のもっとも近くに仕えていたさわだけだったのだ。
「ええ、そうですよ。そうすりゃ戦になる。……みんな、滅んじまえばいいんだ。桑島も那原も春川も、この国のやつらはみんな、殺し合って、そして誰もいなくなっちまえばいいんだ!」
「さわ!? おまえ、何を言っている!? おい、さわ!」
「死ねばいい、人間なんて一人残らず、死んじまえばいいんだっ!」
 扉の上でがたん、どたん、と大きな音がした。閂をかけたうえに、さらになにか重しを置いているらしい。
「さわ! 待って、さわ、お願い!」
「やめろ、さわ! さわ!」
 由布と了海は必死に声を張り上げた。
 だがそれきり、どんなに叫んでも、頭上からは何の声も聞こえなくなった。人の気配もない。
「さわ……。逃げたのか」
 だが、
「御坊。何だか焦げ臭いわ……」
 見上げれば、真っ暗だった頭上にかすかに赤い光の線が見える。扉の隙間からわずかに光が射し込んでいるのだ。
 白い煙が竪穴に流れ込んできた。
「さわ……! 倉の中に火をつけたな!」
 顔をあげると、すでにじりじりと皮膚が焼けただれるような熱を感じる。ばちばちと乾いた材木が爆ぜる音がした。隙間からはどんどん煙が流れ込み、もはや眼を開けているのもつらいくらいだ。
 このままでは、穴の中で蒸し焼きになってしまう。いや、煙で窒息するのが先か。
「姫。とにかく、いったん穴の奥へ戻りましょう!」
 咳き込みながら、横穴に戻る。
 が、そこにも逃げ道はない。二人はすぐに行き止まりに突き当たってしまった。
 湿っぽい土の壁は、探っても叩いてもぼろぼろと土塊がこぼれ落ちてくるばかりだ。どこかにもうひとつ秘密の抜け穴があるなんて様子は、まったくない。
 背後からは火事の熱が迫る。
 次第に吹き込んでくる煙と熱風からかばばうように、了海は由布を抱きしめた。
 もう、それしかできることはなかった。
 ――俺は、こんなところで果てるのか。
 自分はそれでもいい。自分は、精一杯がんばった。その結果、戦に勝ち、故郷を守り抜くことができた。その代償に、地下で人知れず焼け死ぬのなら、それでもかまわないと思う。謀反人の子と後ろ指をさされ、鬼と呼ばれた自分には、いっそ似合いの最期だろう。
 しかし由布に、この健気な姫にこんな酷い最期を遂げさせるのが、悔やまれてならなかった。
「申しわけございません。私が――私が、姫をこの城にお連れしたばかりに……!」
 とうとう弱音を口にした唇に、ふと、小さなものが触れた。由布の指先だ。
 真綿布団のようにやわらかいかと思っていたそれは、意外に堅く、荒れた感触がある。きちんと働いている者の指先だ。
「そんなことを言ってはいけません。諦めるなんて、御坊らしくないわ」
「しかし……」
「わたくし、幸せでした。この城に来ることができて、爺や八郎太や、みなに会えて、とても嬉しかったわ。そして、大好きなみんなのために一生懸命頑張って……そうやって頑張れることが、本当に嬉しかったのよ」
 闇の中でも、由布が懸命に笑っている気配がつたわる。
 こんな時でも由布は、ともに在る者の心をなぐさめようとしているのだ。
「御坊が言ってくださったでしょう。これからは那原すべてがわたくしの家、那原の民みんながわたくしの家族って。本当にそのとおりだって、思っていたのよ」
「姫……」
 言葉が、出なかった。
 初めて会った日、戦に怯え、野伏を怖れて泣いていた少女は、今、死を目前にしながらも懸命にほほ笑み、了海を勇気づけようとしていてくれる。
 ――しあわせに、したかった。
 この姫が笑うと、自分も嬉しかった。この姫に、本当に心から笑える日を、取り戻してあげたかった。
 そうだ。自分はただ、この姫の笑顔が見たかったのだ。
「申しわけございません、姫御前……!」
 そう言いかけた唇を、由布の指がふさぐ。
 いいえ、それ以上言ってはいけませんと、由布が小さく首を振る。





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