【月だけが見ていた・4】
まさか……まさか。夏月は小さく頭を振る。まさかこの声が聞こえる筈はないのに。
けれど、間違えるわけもない。この張りのある優しいテノール。
「夏月。こっち向きなさい」
振り返ってはいけない。――もう戻ってはいけないと、自分で決めたのに。
ぜんまい仕掛けの人形のようにぎこちない動きで、夏月は振り返ってしまった。どうしても我慢できなかった。
夏月を引きずる少年達の肩の向こうに、すらりと引き締まった美しいシルエットがある。荒い呼吸に肩が上下し、いつもは綺麗にセットしてある髪も今はすっかり乱れてしまっている。
「ギイ……!」
少年達を押しのけて、ギイは夏月に近づいた。
「こっちおいで。帰るのよ」
帰る――帰る? どこへ? あの部屋へは、もう戻れないのに。
「な、なんだよ、てめえッ!!」
突然割り込んできたギイに、少年達は声を荒げ、怒鳴った。
「この子の連れだよ」
「ざっけんじゃねーぞッ! こっちの方が先約なんだよ!」
「後から割り込んでくんじゃねーよ!!」
「――うるせえッ!!」
びんと腹に響く声が、少年達を打ち据えた。
ギイは夏月を自分の胸元に引き寄せ、薄汚い少年達を睨みつける。
「ガキはおとなしく家に帰って、マスでもかいてやがれッ!!」
怒鳴られ、殺気すら籠もる眼に睨まれて、少年達は一瞬声も出なかった。もともと彼らは、自分より強い者と咬み合う勇気は持っていない。弱い者はとことんいたぶり、なぶりものにするが、強い者にはすぐに尻尾を振って媚びを売る。その差を敏感に読みとる。
彼らを恫喝するには、真っ直ぐにその眼を睨みつけるだけで充分だった。
夏月も驚いていた。ギイがこんな男言葉を使うなんて、初めてだった。
その隙に、ギイは強引に夏月の身体を抱き、歩き出す。
「ギ、ギイ……」
ギイに引きずられながら、夏月は彼の顔を見上げた。けれどギイは、名前を呼ばれても返事をしようともしなかった。
坂の入り口に路上駐車してあったミニクーパーに、夏月は無理やり押し込まれた。ギイも運転席に乗り込み、ステアリングを握ると、かなり荒っぽくドアを閉める。
「怒ってる……の……?」
「当たり前でしょ」
「だ、だって……。だって、あたし――」
これ以上ギイに迷惑をかけたくないから。こうすることが、ギイのためだと思ったから。だから何も言わずに、マンションを飛び出したのに。
「だめなんだよ! ギイのとこにいたら、だめなんだってば……!!」
だが、
「黙んなさい」
低く、ギイは言った。
「それ以上何か言ったら、ほんとにひっぱたくよ」
真っ直ぐにフロントガラスの向こうを見つめたまま、夏月の方を見ようともしない。
小さなミニクーパーは、そのまま夜の街を走り出した。
「アタシがあんたを捜さないと――あんたのことを心配しないとでも、思ったの?」
マンションに帰り着き、それでもまだ玄関に立ち尽くす夏月を、ギイは乱暴に部屋の中へ引きずり込んだ。
二人、リビングの真ん中に突っ立ったまま、互いを睨むように見つめる。
「どこへ行くつもりだったんだ。あんた連中と一緒に」
「どこって……」
真剣な眼差しが夏月を射抜く。見つめられるだけで、胸がきりきりと痛くなる。
その視線が、唇を噛みしめる表情が、ギイの声にならない言葉を告げていた。――どこへも行く場所がないと言ったのは、お前の方だ。お前が自分から、ここへ来たんじゃないか。
夏月は眼を伏せた。うつむき、逃げるように顔を背ける。もうギイの顔が見られない。
「いちいち言ってやらなきゃわかんないのか、お前は」
苛立ちを押さえきれないように、ギイは言った。普段の口調とはまるで別人のような声だ。そのことが、彼が本当に怒っているのだと夏月に教えている。
「ちゃんとこっちを見ろ!」
ギイの手が夏月の腕を掴み、乱暴に引き寄せる。
「そんなに俺が信用できないか。一回二回警察に引っ張られたくらいで、お前を放り出すとでも思ったのか!?」
「だって……!」
本当は、信じていた。何があってもギイだけは最後まで自分を抱いていてくれると、心の奥では思っていた。けれどそんなふうにギイが優しいからこそ、これ以上一緒にいてはいけないと決めたのだ。
「こんな真似は二度と許さないからな」
細い顎に手をかけ、無理やり上向かせて、噛みつくようにギイはささやく。
「ここを勝手に出ていくことは、絶対に許さない。わかったか」
「――ギイ!」
それでは、またギイに迷惑をかけることになる――そう言おうとした時。熱い唇が夏月の唇をふさいでしまった。
何もかも溶かし、呼吸まで奪っていくような、深く激しいキス。夏月の唇をこじ開けるようにして、ギイが滑り込んでくる。そして怯えて縮こまる夏月を強引に吸い、絡め取り、翻弄していく。息苦しさに顔を背けようとしても、それすら許してくれなかった。
――本当に、ここにいて、いいの……?
夏月の言葉は声にならない。
けれど激しい口づけの中で、唇から唇へ、呼吸から呼吸へ、この想いが伝わればいいと願う。
本当はどこへも行きたくなかった。ずっとこの部屋にいたい。
ギイのそばに、いたい……!!
ようやく濡れた唇が離れていった時には、夏月は身体中の力が抜けてしまい、膝が震え出すのを止められなくなっていた。
強く吸われ、噛まれて、容赦なく苛まれた唇は、熱を持って疼き、ぽってりと腫れてしまったように感じられる。
ギイのキスは夏月の頬から顎、耳元へと這っていく。上気して桜貝のようになった耳朶を舌先でつつき、歯をたてる。
「俺を本気で怒らせたらどうなるか、思い知らせてやる。この身体に、たっぷりと――」
低くささやかれる声に、ぞくりと身体が震える。
まるでジェットコースターが動き始めた瞬間みたいに、期待と不安が入り交じり、身体中をざわめかせる。指先までかあっと熱くなり、どきどき脈打つ心臓が破裂しそうだ。
ギイは軽々と夏月の身体を肩に担ぎ上げ、片手で寝室へのドアを開けた。何の灯りもないベッドに、夏月はどさっと荷物みたいに放り出される。
「わっ!」
荒っぽい扱いにも抗議できず、夏月はただギイを見上げた。
暗がりの中、ギイは着ているものを脱ぎ捨てた。均整のとれた美しい身体がシルエットになって浮かび上がる。その光景を、夏月は声もなく見つめていた。
うんとひどいことをされたい……。胸の中で、小さな声がする。ギイになら、どんなひどいことをされてもいい。――ううん、して欲しい。他のどんな男もしなかったことをして、自分を滅茶苦茶にして欲しい。そうやって、古い傷跡を回りから大きく抉って削り取るように、この身体についた過去を、いろんな汚いものを、全部切り落として欲しい。この身体中全部、ギイの傷だけで埋め尽くして欲しい。
ぎし……と軋む音をたてて、ギイがベッドに片膝を乗せた。
夏月に覆い被さると、着ていたメンズシャツの衿に手をかけ、力任せに左右に引き裂いた。厚めのコットンが音をたてて裂け、ボタンも全部はじけ飛ぶ。
小さなランジェリーだけに包まれた半透明の肌が、焼けつくような彼の視線に晒された。急に羞恥が夏月の胸を駆け上がった。
「や、やだ……っ。ギイ、何を……!」
ギイは夏月に抵抗する間も与えず、ほっそりした身体を軽々と裏返し、うつ伏せに押さえつけた。そしてばたつく両腕を背中でひとまとめに掴み、残骸になってしまったシャツできつく縛り上げた。
「やだっ! 嫌だ、こんな……! やめてよ、ギイ!」
「だめだ」
冷酷な声が降ってくる。
「これは罰だ。お前が二度と勝手な真似をしないように、思い知らせてやる」
ギイの左手は夏月の肩を掴み、強くベッドに押しつける。右手はそのまま下へ伸び、スリムジーンズのウエスト部分にかかった。慌てて閉じようとする脚の間に硬い膝を割り込ませ、強引に大きく開かせる。
ひやりとした手が、ジーンズの中へ侵入した。
「あ、ひゃっ!」
外気の冷たさが残る指に、夏月は思わず小さく声をあげた。
ジーンズが引き下ろされる。ヒップラインぎりぎりに引っかかった、無様な格好。そこで長く器用な指がしなやかに動き回り、丸く弾力のあるヒップを撫で上げる。やがてギンガムチェックのショーツの脇をかいくぐり、夏月の秘められた部分に滑り込んだ。
「くうんっ!」
夏月の身体がびくんと跳ねた。
「なんだぁ、これ……」
耳元で、嘲るようにギイがささやく。
「濡れてるぞ。ひん剥かれて、縛られただけで、もうこれか? やらしいヤツだな」
「う、嘘……! 違う、そんなこと――」
「じゃあ何なんだよ、コレは!」
狭い谷間でギイの指が弾む。タップダンスを踊るように、夏月の花びらをつつき、撫で、爪をたててはじく。
「あっ――。あ、く……あんんっ!」
ギイの指が動くたびに、夏月の身体も跳ね踊った。短い悲鳴があがる。そしてギイがなぶる部分からは、ぬかるんだ熱い水音がこぼれ落ちた。
もうギイが押さえつけている必要もなかった。夏月はぐったりとベッドに伏せ、ギイのなすがままになっている。脚を閉じることさえできなかった。
ギイの指がさらに大胆に動き出す。ジーンズはいつのまにか膝下まで下げられ、引き締まった可愛らしいヒップラインからすんなりした太腿まで、全部あらわになっている。小さなショーツもぎりぎりまで下ろされて、やわらかな陰りもその下の秘めやかな花びらも、すべてギイの視線に晒されていた。
「あ……あぁっ! ひゃうぅっ!」
ひときわ高く、夏月は悲鳴をあげた。
もっとも過敏な突起を、ギイの指が容赦なく摘み取る。深紅に染まった小さな真珠に爪をたて、きりきりと絞り上げる。激痛にも似て目も眩むような鮮烈な快感に、夏月は泣き叫んだ。
「あ、だ、だめええっ! そこは、だめ、あああっ!!」
身体中を真っ白な電撃が走り抜ける。ギイの指が冷酷に動くたびに、全身ががくがくと大きく震え、四肢が痙攣する。
さらに彼の左手が身体の下へもぐり込み、つぶされかけた乳房を鷲掴みにする。片手の中にちょうど収まる可愛らしいふくらみを、変形するほど強く握り締め、その頂点で揺れる突起を指先で摘み、ぎゅっと引っ張る。
「あ、きゃあっ! い、痛いっ。痛い、やめて、ギイ……!」
「痛いぃ? 悦い、もっとやって、だろ?」
意地悪くギイがせせら笑う。
「こんなにぐちゃぐちゃにして――そら、お前のここは、もっとやって、苛めてちょうだいって言ってるぜ」
彼の言うとおりだった。夏月の秘花は熱く潤み、快楽の蜜に濡れそぼっている。過敏な真珠をいたぶるギイの指も、根元まで濡れ、透明な糸を引いていた。
「く、ふ……っ。あ、んんっ!」
蜜をしたたらせる小さな入り口に、長い指が押し当てられる。一本、また一本――根元まで一気に、容赦なく突き立てられた。
「くううぅんッ!!」
弓なりにのけ反り、夏月はその衝撃に耐えた。
狭く熱い泉の中で、強くしなやかな指が暴れる。屈伸し、濡れて過敏な襞に爪をたてる。
「あ、だ、だめ……っ。い、痛いぃ――あっ、い……ああっ!」
けれどその痛みこそが、快楽のシグナルだった。
こんなひどいことをされて、滅茶苦茶にされて――そう思うと、身体の底からじんじん痺れるような悦びがこみ上げてくる。縛られて、玩具のように扱われて、なぶりものにされる。泣いてもわめいても、彼は許してくれない。
そうして、何もかもギイのものになる。胸も脚も、肌も、髪の毛の一本一本にいたるまで、夏月のすべてがギイのものになる。
「ギ、ギイ……っ! ねえ、もう、お願い……ッ! 早く、ギイ……!!」
うつ伏せになり、腰だけを高く突き出した淫らな姿勢で、夏月は身体をうごめかした。
「お願い、ギイ!」
「何を『お願い』なんだ?」
にやりとギイが笑った。
「はっきり言えよ。でなきゃわかんねえだろ」
「え……」
わかっているくせに、ギイはわざと意地悪を言う。夏月が羞かしい言葉でおねだりするのを、待っているのだ。
「あ……。あ、あたし――」
言葉につまり、羞恥に身をよじるばかりの夏月に、
「はっきり言えよ! どうして欲しいんだ、おらッ!!」
ギイは快楽の真珠に爪をたて、力一杯捻りあげた。
「きひいいぃッ!!」
甲高い悲鳴がほとばしる。
眉間から爪先まで、落雷のような衝撃が走り抜ける。それだけで、もう失神してしまいそうだ。
「あ……あ、い、挿れて! 挿れて、ここに……ギイの熱いの、……おっきくて、熱いの、挿れてぇっ!」
夏月は泣き叫んだ。
だがギイは、
「がっついてんじゃねえよ、淫乱」
夏月の身体を軽々と反転させ、仰向けにする。両脚を限界近くまで大きく開かせて、完全にさらけ出された花園に、ギイは迷うことなく口づけた。
「あ、あはううっ!」
ほっそりした身体が虹のように反り返り、痙攣する。
苛まれ、蜜に濡れそぼった花びらを、ギイの舌先がさらに濡らしていく。襞の一つ一つを丹念になぞり、やがて上へ這っていった淫らなキスは、隠れた小さな真珠へ辿り着いた。
「ああぁっ! か、噛んじゃだめえっ!」
もっとも過敏な突起に歯をたてられ、夏月は泣きじゃくった。
どんなに暴れ、もがいても、ギイはしっかりと夏月の腰を抱えて逃がさない。そしてさらに容赦なく夏月の秘密を責める。
欲しかったものはもらえない。けれど激しい快感は残酷なまでに夏月を犯していく。
「ああっ! あ、は……だ、だめっ! だめ、もう――あああっ!!」
きつく閉じた瞼の裏で、真っ白な光がスパークする。
ひときわ高く悲鳴をあげて、夏月は絶頂に昇りつめた。
限界まで反り返り、硬直していた身体が、やがてどさっとシーツの海に沈み込む。荒い呼吸が収まらない。鼓動は激しく乱れ、身体中のすべての力が流れ出してしまったみたいだ。
ギイは投げ出されたままの夏月の脚を大きく開かせ、抱え上げた。
「え……。な、なに……」
絶頂の余韻に浸る夏月は、一瞬、彼が何をしようとしているのか理解できなかった。
まだ淫らにひくつく花園に、灼熱の塊が押し当てられた瞬間、ようやく意識がはっきりしてくる。
「ま、待って……。まだ、だめだよ、あたし……いったばっかで……!」
「何言ってんだ。お前、欲しかったんだろ。コレがよ!」
煮えたぎる欲望の塊が、一気に押し入ってくる。
「あ、あ――くぁあああぁッ!!」
夏月は絶叫した。
狭い部分をこじ開けて、ギイが侵入してくる。その、呼吸も停まりそうな衝撃。まるで秘花から喉元まで串刺しにされたようだ。
「すげ……っ! ヒクヒクしてんぜ、お前のなか――。俺のに食いついて、離さねえじゃん!」
ギイが淫らに揶揄しても、その言葉すら今の夏月には聞こえない。
ギイが動いた。
欲望を一旦ぎりぎりまで引き抜き、再び一気に、もっとも奥深くまで突き入れる。
「あああっ! ひ、あ――ひいいぃッ!!」
身体中が壊れてしまいそうなほど、激しい律動。夏月は泣き叫んだ。絶頂に達したばかりでその余韻も消えない敏感な内壁が、荒々しい欲望に強く擦られ、引きずられる。そのたびに、全身が宙に浮きはじけ飛ぶような快感が襲ってくる。
「あ、だ……だめえっ! だめ、悦いぃっ! いい、いく……またいっちゃうぅっ!」
過敏になった神経は、猛り狂うギイの動きに耐えられなかった。夏月はあっという間に二度目のエクスタシーに突き落とされる。
縋りつきたい。ギイの身体を抱きしめて、この狂乱の悦びをこらえたい。けれど夏月の両腕は背中で縛られたままだ。その不自由さがより一層、狂おしい快感に拍車をかける。
こんな悦びは、こんなSEXは初めてだった。
「あ、あ……もっと――もっと、ギイ……ッ!!」
もっといじめて。もっとひどくして、もっともっと泣きわめかせて。滅茶苦茶にして。
「おら、いけよ! もっとだろ、もっと、失神するまでいかされたいんだろ、この淫乱ッ!!」
ギイは夏月の片足を肩にかけ、互いの脚を交差させるようにして、さらに猛々しく秘花を突き上げる。そうされると花びらも真珠も強く圧迫され、ギイの動きに合わせて擦られて、閃光のような快感をまき散らした。
「ああ、だめええっ! また、くる……きちゃうよぉっ! ああっ! あーッ!!」
ギイは、夏月の秘花を身体ごと突き壊そうとするかのように、猛々しく自分を叩きつける。
立て続けに襲ってくるエクスタシー。もう止められない。何も考えられず、何もできず、ただギイに追い立てられるまま、夏月は最後の崩壊の瞬間に向かって駆け上っていく。
「悦いぜ、夏月……ッ! 熱くて、すげえ、キツい……!!」
ギイもうわごとのように口走る。その腰椎を、激烈な衝撃が駆け抜ける。
引き締まった下肢が、大きくがくんと跳ね上がった。
「ああ――俺も、俺も……もう――ッ!」
「きてえっ! きて、ギイ……い、一緒に、一緒に……ああんっ!」
灼熱の欲望が、夏月のもっとも奥深いところで炸裂する。
「ああぁっ!! あ、熱い、あつい……あ、ひあああぁッ!!」
その瞬間、夏月も最後の頂点ではじけ散った。
唇にひやりと冷たいものを感じて、夏月はようやく意識を取り戻した。
「あ……」
室内は薄青い闇に満ちている。けれどものの形がはっきり見えるのは、窓から白い月光が一杯に射し込んできているからだった。
「ごめんね……」
枕元にギイが立っている。その手には水の入ったグラスがあった。さっき唇に垂らされたのは、この水だったらしい。
「ちょっとやり過ぎちゃったわね……。大丈夫?」
ギイは少し掠れる声でささやいた。普段どおりの、優しい言葉遣いで。
サイドボードにグラスを置き、ベッドに腰かける。そしてギイは、乱れ切った夏月の髪をそっと撫でた。
「どうも抑えが効かなくなっちゃった……。だめだって、判ってたんだけどね。あんた、まだこんなに若いんだし。――お子ちゃま相手に、こんなにマジんなるなんてね」
額にかかる手に、夏月は自分の手を重ねる。その手首には、縛られた時の鬱血がまだはっきりと残っていた。
「あんなこと……。いつも、してるの?」
ううん、と、ギイは首を横に振った。
「本気になった時だけよ。マジに思いつめるから、本性出ちゃうのかもね」
だったら……いい。夏月は吐息をつき、思った。あれは特別なこと。ギイが本当に想っている相手にしかしない、特別な、大切なこと。
夏月はまだ血の気の戻らない青白い顔で、かすかに微笑んだ。
「いいよ……。ギイになら、何されても、いいんだ……」
「夏月……」
額にあった手を取り、夏月はその手のひらにそっと唇を押し当てた。
この優しい手。男の強さと力を持っているけれど、しなやかで美しく、夏月を優しく包む手。
この手に抱かれている限り、もう怖いことはない。過去の悪夢を反芻することも、自分で自分の傷を抉り、血まみれになることも、しなくていい。
ギイと一緒にいられるなら、自分はきっと生きていける。
やがて夏月は、小さくくすっと笑った。
「それにあたし……。あたしも、悪くなかったもん。ああいうの……」
「……おや」
ギイも苦笑した。
「なぁに? あんた、そういう趣味があるっていうの?」
「うん。そうかもね」
ギイにされるなら。
他の男にやられたら嘔吐しそうなほど気持ちが悪いことでも、ギイがしてくれるなら、夏月には身も溶けるような悦びになる。
「一緒にいよう」
その言葉は、どちらから言ったのだろうか。
一緒にいよう。ずっと、一緒に。
一人きりでは生きられなくても、二人なら、きっと生きていける。そのために人はみな、恋をするのだから。
「少し眠りなさい。話はまた後でね」
「うん……」
ギイの手が毛布を引き上げ、夏月の肩をくるんだ。
「ねえ、ギイ。……ここにいて」
「え?」
夏月は黙ってギイの顔を見上げる。眠りつくまで、ここに一緒にいて、と。
「バカね」
短い髪を、ギイがそっと撫でた。
「どこにも行くわけないでしょう」
どこにも行かない。ずっと夏月のそばにいる。
額に、わずかに涙のにじむ目元に、柔らかいキスが降ってきた。
夏月は静かに眼を閉じた。
ただ青白い月光だけが、二人のベッドを包んでいた。
〜FIN〜