【あたしとあいつのエトセトラ・お試し版】
いつか、こんな日が来るんじゃないかって、思ってた。
「ごめん、ちせ。俺、もうおまえとはつき合えない」
大好きな先輩からそう言われちゃう日が。
「守りたい……やつがいるんだよ」
ぽつ、ぽつ、と不器用に、とぎれとぎれにこぼれる言葉。
言い訳がましいとか嘘くさいとか、そんなんじゃないけど。すごく本当のことなんだ、先輩の精一杯の気持ちなんだって、わかるけど。
いつもの先輩らしくない。
あたしの知ってる里見先輩は、いつだってクールでかっこよくて。でもその反面、どんなことにもあんまりマジにならないようなとこがあった。
あたしがその場の勢いで、つい、
「好きです、先輩! 大好きですー!!」
なんて叫んじゃっても、
「ああ、わかったわかった。俺もちせが好きだよ」
なんて笑って、あっさりやんわり躱したりして。
相手の気持ちを傷つけないよう上手にいなして、でも自分の本当の気持ちはどこかにしっかり隠して誰にも見せない。そんなところのある人だったから。
「おまえのケータイに入ってる俺のアドレス消せとは言わないけど……。ごめん。俺から連絡することは、たぶん、もうない」
こんなふうにうつむいて、苦しそうに言葉を探して、自分の本心をさらけ出す人じゃなかった。
「先輩……」
……あ、やばい。
まずい。ここで泣いちゃ、サイアクでしょ。
先輩、「ごめん」って謝ってくれてるのに。ちゃんとあたしに悪いことしたって思ってくれて、それでもごまかしたりしないで、本当のことを打ち明けてくれてるんだから。
……だから、しっかりしろ、黒田ちせ!
「そっか。先輩、ほんとに好きな人ができたんだ」
あたしはおもいっきり明るく笑って見せた。
「良かったじゃないですか。誰かを本気で好きになれるって、それだけですっごく幸せなことだと思いませんか?」
「ちせ――」
「わかってます。最初からそういう約束だったもんね、あたしたち」
あたしは下からのぞき込むようにして、先輩の顔を見上げた。何でもなさそうな顔して、ちょっとわざとらしいくらい可愛いコぶって。
ああ、いつものちせだ、陽気でおしゃべりで、頭ん中は綿菓子みたいにふわふわの楽しいことでいっぱいの、可愛い元気な黒田ちせだって、先輩に思ってもらえるように。
「でもね、ほんとはちょっとザンネンなんですよ。もしかしたらあたしが、先輩のマジになれるかもしれないって、ちょびっとだけ思ってたんですから」
「ちせ。おまえ……」
「ちょびっと。ほんとにちょびっと。こんなもん」
親指と人差し指で、ゴマ粒くらいのスケールを示してみたりして。
「やだなあ、先輩。あたしを見くびらないでくださいよぉ。他の女に夢中の男を未練たらしく追っかけるなんて、そんな非生産的なマネ、しません! 労力と若さと美貌の無駄遣いです! それよりは、ダッシュで駅前アーケードに行って、よさげなオトコを逆ナンします!!」
胸を張って、ふんぞり返って。
ようやく先輩も、少しだけ笑ってくれた。
「じゃ、先輩。あたし、先輩のメアド消しますね。先輩もあたしのデータ、消してください」
先輩の目の前で、ケータイを操作する。
ぴろりん、と軽い電子音と、「消去しました」の文字。
……なんて見栄っ張りなんだろ、あたし。最後の最後まで、かっこつけて。
先輩の中に少しでも、いい自分を印象づけようとしてるんだ。可愛い、優しい、とびっきりの黒田ちせを。
ほんとはやだって言いたいくせに。あたしのこと、消さないで。どこにもいかないで。ずっとあたしのものでいてって、泣きわめきたいくせに。
あたしを捨てるって言ってる男に、まだ嫌われたくないって、思ってる。
先輩のケータイからも同じような音が聞こえて。
……ああ、終わっちゃったんだ。
とうとう、終わっちゃった。
その言葉が、意味もなくあたしの身体中を駆けめぐった。
冷たい風が吹き抜ける、放課後の校庭。秋の夕暮れは暗くなるのも早くて、運動部のかけ声が聞こえる中、あたりはもう夕陽の茜色から宵闇の藍色に染まろうとしている。
裏庭で伸び放題になってる金木犀の陰で、あたしたち、何度もキスした。
先輩の唇は乾いて熱っぽくて、少し荒れてた。だからあたし、キスのあとに先輩の唇にリップクリーム塗ってあげたっけ。
そして、そっと抱きしめてもらって。
それから、それから。
……でも、みんなおしまい。
今日でおしまい。
「じゃあね、里見先輩。廊下ですれ違ったら、挨拶くらいはしてくださいね。可愛い後輩に!」
「ああ……わかった」
ほんと、ずるいなあ、先輩。
そんなふうに淋しそうに笑うから、あたし、また少し望みを持っちゃいそうになるじゃない。
ここで縋れば、まだ大丈夫かなって。泣いてわめいて、みっともないとこ見せて、こんなのイヤ、あなたがいなくちゃ、あたし、ダメになっちゃうって、むちゃくちゃ先輩にしがみつけば。
あたしのこと可哀想に思って、もうちょっとそばにいてくれるかな。また、あたしを抱きしめてくれるかなって。
……でも、だめ。
あたしはくるっと向きを変え、先輩に背中を向けた。
先輩があたしの前から立ち去るとこなんて、見たくない。
だからあたしが先に、先輩の目の前からいなくなるんだ。
胸張って、カッコ良く。ああ、平気だな、こいつ、俺がいなくても大丈夫だなって、先輩が安心できるように。
同じように先輩のケータイから消された女の子は、ほかにもいっぱいいるんだろう。でも、やっぱり他の女とはちょっと違うな、ちせはいい女だなって、ちょっぴり先輩が残念がってくれるように。
つかつか、つかつか。まるで体育祭の入場行進みたいに元気良く。
振り返らない。真っ直ぐ前だけ見て歩く。
涙をこらえてくしゃくしゃになった顔なんか、絶対に見せない。たとえ力一杯噛みしめた唇が、切れて血がにじんでも。
……ばかだ。あたし、ばかだ。
こんな時になって、初めて気づいた。
だってあたし……こんなにも、こんなにも先輩のことが大好きだったんだ。
今になって自覚して、どうすんだっての。ほんと、大ばか。
『誰かを本気で好きになれるって、それだけですっごく幸せなことだと思いませんか?』
そんなの、うそ。
先輩のことが好きなのに、あたし、ちっとも幸せじゃないよ。
痛くて、つらくて、苦しくて。
今にも頭のどっかの血管がぶち切れて、目の前、真っ赤になってぶっ倒れちゃいそうだよ。
あたしはまっすぐに校庭を突っ切って、校門へ向かう。
帰宅部の生徒はみんなとっくに帰っちゃってて、でも部活はまだ終わってない。中途半端な時間。昇降口や校門のそばにもほとんど人影はなくて。
あたしは顔を伏せたまま、一気に門の外へ飛び出した。
「……あ、おい? おい、おまえ、くろ――!?」
誰かに呼ばれたような気がした。どっかで聞いたような声だとも思ったけど。
……知らない。なんにも聞こえない。
大声あげて泣きわめかないようにするだけで、今は精一杯なんだから。
お願い、ほっといて。これ以上あたしに余計な負荷かけないで!
吹きつける北風に、涙に濡れた顔がぴりぴり痛い。
それでもあたしは、学校指定の鞄をぶんぶん振り回しながら、日暮れの街を懸命に走った。何度も転びそうになって、そのたびに歯ぁ食いしばって、踏ん張って。
……明日は、学校休んじゃおう。
うん。失恋は立派な欠席の理由になるよね。
あたしが里見先輩に「お願いします、つき合って」って言ったのは、三ヶ月前。
里見恭一郎。県立志道館《しどうかん》高校三年特進科。
あたしたちが暮らす五百野《いおの》市は、南東北の山あいにある小さな古い町。昔はどっかの藩の城下町だったそうで、歴史はそれなりにある。あたしたちの通う志道館高校っていう、なんかちょっと古くてコワそーな学校名も、江戸時代にあった藩の学校――藩校、とかいうらしい――に由来してるんだって。
明治のころにはわりと大きな織物工場なんかもあったんだ。街の中には、古い蔵造りの建物や明治時代の洋館とかもまだ少し残ってる。でも、それが観光資源になるってほどでもなくて、名産と言えばたまり醤油と地鶏くらい。
まあ、はっきり言っちゃえば過疎の町。
市内に小学校は五校、中学校は三校、高校はひとつきり。だから高校まで進んでも、クラスの中はどっかで見た顔ばっかって状態で。
そういう街で、里見先輩はけっこう悪目立ちするタイプだった。
頭が良くてハンサムで、おまけに運動神経も悪くない。良く自分で、「悪いのは視力と性格だけだよな」なんてジョーク言っちゃうくらい。実際、先輩、本読む時とかは眼鏡かけるんだけど。
志道館高校は数年前に特進科を設立した時、あわせて制服も変更した。それまでのだっさい紺のシングルブレザーから、つや消しの黒のダブルブレザーへ。衿と袖口にはワインレッドのパイピング。ウエストを少し絞ったシルエットに、女子はタータンチェックのプリーツスカート、男子は同じつや消し黒のスラックス。ネクタイはあざやかな深紅。
お洒落なデザインはとっても評判良くて、入学希望者も一気に増えたって話だけど。でも、その洒落た制服が生徒みんなに似合うかって言ったら、それはまた別の問題。
でもね。里見先輩はすっごく良く似合ってた。
すらっと背が高いけど、ひょろひょろしてるわけじゃない。少し色の淡い髪はしゃきしゃきっとまっすぐで、眼鏡の下の瞳も同じ色。茶色がかっているっていうより、濃い深いグレーって感じなの。すっととおった鼻筋、唇は男の人にしてはちょっと薄くて、少し冷たそうに見えるって言う子もいるけど。
あたしが何よりもすてきだなって思ってたのは、先輩の手。指がすっと長くて、骨張ってて。あたしの頬や唇に触れるとちょっと指先が冷たくて、その感触が大好きだった。
そうよ。先輩、女の子の扱いも、すごく……すっごく、上手だった。
たとえちゃんとつき合うカレカノになれなくてもいいから、『初めて』は絶対里見先輩とって願ってる女の子は、いっぱいいる。
……あたしも。
あたしも、ヴァージンあげたのが先輩で良かったって、今でも心の底から思ってる。
もちろんそこまで女関係が派手だと、当然、学校の先生には睨まれる。だけど先輩は全国模試とかでも常にトップクラス、特進科の評価をひとりで大いにあげてくれてるもんだから、先生たちもはっきりと咎められないみたい。
そこまで何でもそつなくできて、欠点がないと、当然やっかむ連中も出てくる。それに先輩本人も逆にやる気がなくなるのか、常に自分から一歩引いちゃうようなところがある。運動部で助っ人を頼まれれば断らないし、ちゃんと勝利に貢献できるけど、自分から積極的にどこかの運動部に入部したりはしなかったり。
女の子に関しても同じ。つき合ってくださいって申し込まれれば基本的に断らない代わり、彼女がいるのに他のコから誘われたら気軽にデートしちゃったり。
ひとりふたりから
「里見クン、冷たい! もうついていけない!」
って絶交宣言されても、後ろにはずらーっと順番待ちのコが並んでるような状態だから。月単位で女の子をとっかえひっかえしてるなんて噂もあった。
先週までつき合ってた隣町の女子高のコと別れたって聞いてから、あたしが猛ダッシュですっ飛んでって、
「先輩、あたしとつき合ってくださいっ!!」
てやった時も。
「うん、いいよ」
て、あっさりOKしてくれた。
でも、
「俺、こういうことにあんまりマジでのめり込むタイプじゃないみたいでさ。それで良く女の子に泣かれたりすんだよ。それでも、いい?」
何でもなさそうな顔して、先輩はそう言った。
「黒田がそれでもいいって言うなら、いいよ、つき合おうか。ちょうど今、俺、フリーだからさ」
あんまり簡単にOKしてくれたから、逆にあたしがびっくりしちゃったくらい。
「あ、あの、ほんとにいいんですか、先輩。あたしのことなんか、まだ何にも知らないのに……」
「それは黒田も同じだろ」
そう言われると、あたしも返事につまった。
「いいんじゃないか、別に。ろくに話したこともないのに、お互い、相手のことなんかわかるわけないだろ。黒田だって、すっげー思い詰めて俺んとこ来たわけじゃないだろ?」
「え……。えっと、その、それは――」
「今、彼氏がいなくてちょっとヒマだし、淋しいし、たまたま手近に俺がいたから、いいや、俺で間に合わせとけ――って、そんな感じかな?」
「う……」
たしかに先輩の言うとおり。
里見先輩なら、ま、いいか、回りもあたし自身も納得できるチョイスだしって……その時は、そのくらいしか考えてなかった。
「いいよ、それで。最初からいろいろ考えすぎてると、絶対うまくいかなくなる。もっと軽い気持ちでさ、たとえば、本当に好きな男ができるまで、とりあえず俺とつきあっておく、くらいでいいんじゃないか?」
先輩はそう言って、にっこりと笑ってくれた。
「ほら、俺ってこんなんでいい加減だろ。だから黒田も、俺が本気で惚れる相手を見つけるまで、とりあえずこいつにつき合って一緒に遊んでやるかって、そのくらいの気持ちでいればいいよ」
まるで何でもないことみたいに、先輩は言ったけど。
それは先輩が言葉どおり軽薄だからだとか、いい加減だからだとかじゃなくて。
先輩はあたしに、最初から逃げ道をつくってくれてたんだ。たとえ先輩と破局しちゃっても、それはあたしに魅力がないからじゃない、先輩が女にだらしないからだって言えるように。
それが先輩の優しいとこでもあり、ちょっと狡いとこでもある。
あたしもちゃんとそれをわかってるつもりだった。
あたし、黒田ちせ。志道館高校二年普通科。
ほんとは「千世」って書くんだけど、それだと「ちよ」って読まれちゃって、なんだかばーさんみたいだから、友達とかには「ちせ」ってひらがなで覚えてもらってる。
あたしも里見先輩と同じで、ちょっと悪目立ちするタイプ……かな。
一応、イマドキの女子高生だから、ファッションとかメイクとかにもそれなりに気ぃ使ってるし。ふわっとしたロングヘアを大きくふたつに結った変形ツインテールはトレードマークみたいなもん。二、三度、雑誌に載ったこともある。
でも、だからって将来そっち方面で成功できるなんて妄想するほど、ばかでもないつもり。むしろそのせいで妬まれて、陰で悪口言われたり嫌がらせされたりってデメリットのほうがずっと大きかったし。
なんつーの、「出る杭は打たれる」ってやつ?
もともとあたし、クラスにあんまり上手く馴染めてなくってさ。
ちっちゃい時からずっと五百野で育ってきたんだけど、小三の時、親の仕事の都合で一度東京のほうへ引っ越したのね。
戻ってきたのは高一、夏休みが終わってから。それも、今度は転勤じゃなくて、親の離婚。あたしはママと一緒に暮らすことになったんだけど、せいぜいスーパーのパートくらいしか職がないママとふたりじゃ、とてもじゃないけど生活できないからさ。ママの実家に戻って、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住むことになったの。
狭い街だと、そういう個人的な事情もすぐ知れ渡っちゃうんだよね。
ヘンに同情されて可哀想がられるのもうっとうしいし。あたしのことは気にしないで、ほっといてよってやったら、今度は可愛くないの、人の親切を無にするのって言われるし。
おまけに、
「ちょっと可愛く見えるからって、調子に乗ってんじゃないの、あのコ」
なんて言う子までいてさ。
もー、ほんとうんざり。少し気の弱い子なら、不登校にでもなるんじゃないかって思ったもん。
もちろんあたしは、ただ黙って言われっぱなしになってるような子じゃないよ。陰でこそこそ悪口言ってるようなヤツらには、
「あたしに言いたいことがあるなら、正面切って堂々と言えば? あたし本人に聞こえなきゃ、文句言ったって意味ないじゃん」
て言ってやった。
「ごめん、あたし、バカだからさー。なんか困ったこととか苦情があるってんなら、はっきり言ってもらわないとわかんないんだわー。面と向かって言ってこないなら、特に文句はないもんだと思うからね!」
うん、たしかにそういう意味では、可愛いくないかもね。
だからあたし、二年生になっても、クラスからちょっと浮いた存在だった。
仲のいい友達はいるよ。隣のクラスにね。その子――長浜みづきは二つ向こうの街から電車通学してる子。つまり地元の、五百野の子じゃないんだよね。
通学に時間がかかるから、放課後とかクラスメイトといっしょに遊んだりする余裕がなくて、そのせいでつき合いづらいって思われたのか、やっぱり少しクラスから浮き上がってたみたい。しかもみづきの親は海外赴任中で、みづきだけが親戚の家に預けられてるんだ。
なんか似たようなところが多くて、あたしとみづきはすぐに仲良くなった。みづきがいなかったら、もしかしてあたし、ほんとに友達ひとりもいなかったかも。
里見先輩とつき合いたいなって思ったのも、もともとはそのせい。
あたしだって女の子だもん。カレシにひとりやふたり、やっぱり欲しい。
でも回りがこんなふうにざわついて落ち着かないと、近づいてきてくれる男の子っていないんだよね。あんな目立つ女には、オレなんか、とてもじゃねーけど釣り合わねーよー、なんて卑屈になっちゃってさ。かと思えば、なんか勘違いしてるストーカーまがいになっちゃったり。
「そりゃ、おまえのせいじゃねーのかよ。おまえがそーやってエラそーに回りの人間見下してっから」
なんて言うヤツもいるけど。
だいたいねえ、あたしとつき合いたいなら、堂々と自分で申し込んでこいってのよ。それなのに、恥ずかしいのかなんなのか、他人に伝言頼んだりしてさ。
「あいつ、ほんとはすげーいいヤツなんだよ。ほんとに黒田のことが好きなんだ。だからあいつとつき合ってやって」
なんて第三者から言われても、あたしの前に出て来もしない男に、どうやって好印象抱けってのよ。
そのくせ本人は、その様子を物陰からじーっと見てたりすんのよ。そんなのキモチワルイに決まってんじゃん!
もちろん、ソッコーでお断り!
「ごめん。顔もわかんないよー男とは、あたし、付き合えない。それともあたしも、この返事、誰かに頼んで伝言してもらったほうがいい?」
てさ。
そしたら次の日には、
「あの女は、男から告白って《コクって》もらっても、バッカじゃなーい、並の男があたしに釣り合うわけないでしょーって、鼻で笑いやがった」
て噂になっててさ。
……なに、それ。女にふられたからって、相手の悪い噂言いふらすって、どんだけせこいのよ。そんなんだから、女とつき合うこともできないんだっての!
もう、まともな彼氏が欲しかったら、自分から積極的にイイ男狩りまくるしかないって思ったね。肉食系女子、全開よ!
そしたらタイミング良く、特進科三年の里見先輩が、彼女と別れたっていうじゃん。
やったー、これこれーッ!って思っちゃった。
もちろん里見先輩の噂はあたしも聞いてた。二股三股当たり前とか、ひとりの彼女と二ヶ月以上保ったことがないとか。
あたし、それでもいいって思ったんだ。
女癖が悪いくらい、なによ。要はそれだけもてるってことじゃん? それに彼女を次々取っ替えるってことも、逆から見れば、たとえあたしと別れたあとでも、きっとすぐに別の女の子とつきあい始めるってことでしょ。それなら、少なくとも未練たらしくあたしのストーカーになるなんてことだけはないよね。安心じゃん!
それにほら、あたしって、並の男じゃ満足できないって思われてんでしょ。里見先輩なら、並の男じゃないって、誰もが納得するもん。
それに――心の片隅ではあたし、ほんの少し思ってたかもしれない。
あたしなら、そう簡単に先輩に飽きられたりしないかも、て。
うん……。やっぱりあたし、ちょっとうぬぼれてたのかな。
先輩は、そういうあたしの思い上がったとことか、回りの子に冷たいイヤなとことか、ちゃんと全部わかってて、それでもあたしとつき合ってくれたんだ。
それでも、「ちせは可愛いよ」って……言ってくれた。
一緒にいる時の先輩は、ほんと、理想的な恋人だった。
あたしがいないとこでは他の女の子にいい顔してるのかもしれないけど、あたしと一緒の時は、ちゃんとあたしのことだけを見てくれた。
ケータイが鳴っても、出ないでそのまま切っちゃったり。
「いいの?」
て、あたしが訊くと、
「今はちせと一緒にいるんだから。他のヤツと話し始めたら、ちせに失礼だろ」
そう言って笑ってくれた。
「俺たち、せっかくつき合ってるんだからさ。ふたりでいる時間をちゃんと大切にしないと、もったいないだろ」
先輩が笑ってくれるのが、あたし、嬉しくて。
……ほんとうに、ただ嬉しくて。嬉しくて。
男の子とつき合うって……誰かを好きになるって、こういうことなんだって、わかった気がした。
それはちっとも大げさなことじゃなくて。ああ、この人に優しくしたい、この人の笑顔が見たい、この人に幸せな気持ちでいてもらいたいって、願うこと。そばにいて、手のあったかさやわずかな吐息を感じて、ああ、今、ここにこの人が生きててくれて良かったな、嬉しいなって、思えること。
恋なんて、ほんと、そんな他愛ない嬉しさや楽しさの積み重ねなんだ。
先輩はあたしに、そういう気持ちを教えてくれた。
その気持ちを伝えたくて、あたし、うんとがんばったよ。
先輩の前ではいつだってサイコーに可愛いちせでいようって、ダイエットだってしたし、先輩が特進科なのに彼女のあたしがアタマぱーちくりんじゃ、先輩に恥かかせちゃうと思って、勉強だってがんばった。――テスト前の一夜漬けだけど。
時には、先輩の分とあわせて二人分のお弁当作ったりもしたんだから。
「家庭科の調理実習以外、包丁握ったこともないあんたが」
って、ママにもすっごく驚かれた。
そして……できばえは、その……訊かないで。
でも先輩は、ちゃんと残さず食べてくれたもん。……おなかもこわさなかったって、言ってくれたもん。
休みの日には一緒にちょっと遠出して、映画観たり、ショッピングにつき合ってもらったり。旅行のあとにお土産交換したり。友達と遊んでくるって嘘ついて、先輩の部屋でずっと……ずっとふたりっきりで過ごしたり。
キスして。お互いにそっと手を触れて。
生まれたまんまのあたしを、先輩はぎゅっと抱きしめてくれた。
誰よりも、誰よりも近くに寄り添って。
そして、ひとつに溶け合った。
幸せだった。
ちょっとオーバーだけど、生まれてきて良かったって、ほんとにそう思えた。
先輩が生まれて、あたしが生まれて。そして今、ここで逢えて、ほんとにほんとに良かったな、て。
でもね。
ほんとはあたし――気づいてたんだ。
時々先輩が、すごく遠い眼をしてること。
ひとりで図書館の片隅にいる時。待ち合わせ場所に先に着いて、あたしを待っててくれてる時。
ふと伏せた眼が、なにを映しているのかわかんなくて。
気づいてたんだ、あたし。そんな時、先輩の心はここにないって。
どこか遠く、あたしも、誰も知らないところに、心のかけらを――小さくても、一番大事で重たいかけらを、置いてきちゃってるんだって。
他の子たちは気づいてたのかな。今まで先輩とつき合ってた、あたし以外の女の子。
みんな、気づいてても、黙って見ないふりしてたかな。彼女として、先輩の隣に居続けるために。
それとも、もっとつらい、悲しいことになっちゃう前にって、さっさと別れちゃったかな。そんなに心の痛みがひどくならないうちに、先輩があらかじめ用意してくれていた言い訳を使って。
「だって里見くん、優しいしかっこいいけど、女癖悪くって。ちょっと誘われたら、ホイホイついていっちゃってさ。ほんと、見境ないんだもん」
て、さ。
ほんとはあたしも、そうするべきだったのかもしれない。
だってそれって、先輩が自分をごまかしてるってことでしょ。
先輩はあたしを大切にしてくれた。
「俺の彼女はちせだよ」
て、言葉でも、キスでも、それ以上のことでも、ちゃんとそれをあたしに伝えてくれた。
誰もそれを疑わなかった。あたし自身も。
でもそれが、先輩が自分自身についてる嘘だったとしたら。
先輩が次々につき合う女の子を変えるのも、本当はその嘘から目をそらしていたいためだったのかもしれない。
今、自分の隣にいる可愛い女の子にどうしても心の底から夢中になれないのは、本当に大切なひとが別にいるからじゃない、自分がもともと女にだらしなくて浮気性なだけなんだ。自分にとって、世界中の女の子はみんな平等、みんな可愛くて、みんな愛してる。だからこの世界にたったひとり、特別な、誰にも替えられない、ただひとりのひとがいるなんて、そんなことはあり得ない、あっちゃいけないんだ……て。
……そんなの、哀しいよ。あたしも。そして誰よりも先輩自身が。
自分自身に嘘つくのって、誰に嘘つくより、つらい。
先輩にそんな思い、してほしくない。
だから。
こうなったこと、ほんとは良かったんだよね。
先輩がやっと自分の心に正直になったってことなんだもの。
先輩にとって世界で一番大切なひとのところへ、行くことができるんだもの。
「守りたいやつがいるんだ」
それが誰なのか、あたしは知らないけど。
……知りたくもない――ううん、やっぱりちょっと知りたい、かな。
あたしより、きっとずっと可愛い子なんだよね。だってあの里見先輩に、あそこまで言わせる子なんだから。そんじょそこらのフツーの子だったら、絶対許せない。もしもあたしより見劣りするような子だったら……。
……もう、よそう。
やめなくちゃ。こんなことばっかり考えてたら、先輩のこと大好きだったあたし自身の気持ちまで、真っ黒のべたべたに汚れちゃいそうな気がする。
ごめんね、先輩。あたしが先輩に言ったこと、みんな嘘だ。
良かったなんて、ほんとは思ってない。幸せになってなんて、願えない。
ごめんね。ごめんね。
こんなイヤな子とつき合ってくれて、ありがと、先輩。
でも信じて。
大好き。
ほんとにあなたが、今でも大好きなの。
こんなあたしと一緒にいて、先輩は少しでも幸せな気持ちになれたかな。
あたしが、先輩からいろんなこと教わって、きらきらとかふわふわとか、ほこほこした優しいものとか、いろんな奇麗で大事なもの、たくさんたくさんもらえたように。
あたしも先輩に、なにかわけてあげることができたかな。
もしもそうできていたら、あたしたちがつき合ったこと、一緒にいたあの短い時間、けして無駄じゃなかったってことだよね。
ああ……ほんとに。
あたし、なんてばかなんだろ。
こんなことになって初めて、先輩への気持ちがどんどん身体の奥からこみ上げてくる。
どうしてもっと早く気がつかなかったんだろ。
――あたしと先輩、お似合いだって思われてるかな。回りからどんなふうに見られてるのかな。そんなことばっかり気にしてて、自分の中にあるほんとの気持ちを、自分でちゃんと見てなかった。
こんなことなら、もっとちゃんと言っておけば良かった。
たとえふられちゃってもかまわないから、先輩に「好きです」って。
「いい加減な気持ちじゃないです。ほんとに、ほんとに、あなたのことが大好きです」
って、言っておけばよかったよ……!
……もう、遅い。
枕に顔を押しつけて。
今はただ、泣こう。
なにも考えず、わんわん泣いて、泣いて。
声もつぶれて、心も体もくたくたになったら。
きっと眠れる。
ぐっすり眠って、みんな忘れるんだ。
何日もただひたすら眠り続けて、つらいことも哀しいこともイヤなことも、みんな忘れてしまうんだ――。
【LOVELOVEシーンの出だし】
晴信の唇は、火照るように熱い。かすかにふるえて、ぎゅっと歯を食いしばってるのか、妙な力が入ってるのが感じられる。
唇を重ねあわせて、触れあうだけのキス。
触れて、少し強く押しつけて、そして離れる。
離れた瞬間、ふっと熱い晴信の吐息があたしの唇に触れた。
そろそろとまぶたを開けると、すぐ間近に晴信の黒い眼があった。
まっすぐにあたしを見つめてる。
「なんで、だよ……」
ぼそりと、晴信が言った。
それはむしろ、女のあたしが言うべきセリフじゃないかと思ったけど。
「したかったんだもん」
あたしも晴信から目をそらさずに、言った。
そうよ。したかったの。理由なんか、ほかに思いつかない。
このあったかい晴信の体温が、すごく心地よくて。強い力でぎゅっと抱きしめてもらいたくて。
好きとか嫌いとか、そういう当たり前の感情よりも、ただこの、身体中で感じてるあったかさが優先されてしまう。この体温を手放したくない。
このまま流されちゃっていいのかな、なんとなくその場のノリで、なんて、そんないい加減なことでいいわけないって、頭の片隅には疑問もちゃんと聞こえてる。
でも……ああ、もう考えるの、めんどくさい。
頭の芯がぼーっとしてる。あたしも、昨日からさんざん泣きすぎて、頭のどっかが麻痺しちゃってんのかもしれない。さもなきゃ、もう神経の一部がキレちゃってるとか。
いいや、そういうことにしとこう。
今のあたしは、まともじゃない。
たぶん、晴信もそれで納得してる。
これからなにが起きるのか、ちゃんとわかってる。黒くけぶって、少し熱っぽい光を帯びた瞳が、そう言ってる。
もう一度、キス。今度はもっと深く、長く。
首の傾げかたも知らないような晴信に、あたしはちろっと舌先でその唇を軽くなぞった。
たぶん晴信は、今まで女の子とキスしたこともなかったんだろうな。抱きしめた身体がびくっと小さくふるえた。
そしてすぐに、あたしがしたのと同じことをしてみせる。
わずかに開いた互いの唇のあいだで、濡れた舌先が触れあい、絡み合う。
晴信は夢中であたしの唇に吸いついてくる。キスっていうより、まるでそこらじゅうめちゃくちゃに舐め回してるみたい。それはまるで、飢え、乾ききった人が、わずかな水を必死で求めているみたいだった。
おっきくてちょっとごつごつした手が、あたしのほほを撫でる。ほほから耳元、首筋へ。少し乱暴な仕草だけど、ざらついた感触が、ぞくぞくするくらい気持ちいい。
かと思うと、空いた手が忙しなくスカートの中に入り込もうとして。
晴信の身体がのしかかってくる。あたしの背中はベッドの角に押しつけられて、かなり痛い。息苦しいくらい。
ちゃんとベッドがあるのに、そこへ横たわることすら、あたしたちは忘れてた。
制服のプリーツスカートがまくりあげられる。晴信の硬い膝が割り込んでくる。強引なやり方は、里見先輩の優しさと比べると、いかにも不慣れで不器用な感じ。
そのまま這い上がってきた手が、あたしの胸をぎゅっと掴む。
「痛いっ!」
あたしは思わず小さく声をあげた。
「ちょっと……晴信、チカラ入りすぎ。もうちょっとそっとしてよ」
「あ――うん……」
でも、晴信の硬い指先で身体中をまさぐられるのは、いやじゃない。
制服を全部脱がすのもめんどうなのか、晴信はあたしのスカートを上へまくって、ブラウスのボタンをいくつか外しただけだった。シャーベットオレンジの可愛いショーツは、ゴムが伸びきっちゃうんじゃないかって思うくらいの勢いで引っ張られ、膝下に丸まって引っかかる。
こんながっついたやり方、あたし、ほんとは好きじゃないはずなのに。今はなぜか怒る気にもなれない。
あたしも、晴信のブレザーを脱がせてやる。ただじっと、されるがままになってるだけなんて、焦れったくて、とてもじゃないけど待ちきれない。
触ってみて、ちょっとびっくり。ごっついばかりだと思ってた晴信の身体は、まだ少年ぽい細さ、しなやかさを残してる。
肩から腕にかけての、なめらかできれいなライン。背中に触れると、よく言うよね、肩胛骨がまるで天使の羽根の名残みたいって。ほんとにそのとおりだって思った。
ワイシャツを大きくはだけると、ナイフで刻みつけたみたいな鎖骨がくっきりと浮かび上がる。
思わずそこにくちづけると、骨っぽい晴信の肩が大きくふるえた。
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