壱、 虜 囚  (3)




「――いやああっ! やめて、兄様、兄さまぁッ!!」
 ヒナタは悲鳴をあげた。
 身体の芯から引き裂かれていく激痛。やわらかい肉を突き刺され、抉られる。体内の奥が押し広げられ、引きつれる。熱く鋭い痛みとともに、身体の奥底を何かがぬるりと這うおぞましさも感じる。刃物による傷とも火傷とも違う、今まで経験したこともない、異質な痛みだった。
 流水に萩を散らした柄の小袖は無惨に引きちぎられ、畳の上に落花の様を描き出している。帯もしごきも引き抜かれて、今、ヒナタの身体を覆っているのは、破かれた襦袢の切れ端とネジの黒髪だけだ。
 両脚は限界近くまで開かされ、だがもうそれを恥ずかしいと感じる余裕すらない。
 ネジが動いた。
「ひ、う……っ!!」
 ず、ず、と、鈍い衝撃が突き上げてくる。
 引きつれる痛みが、ますます酷くなった。
 涙があふれる。
 掴んだネジの腕に思わず、血が噴き出すほど爪をたてる。まるで小さな子どものように首を振り、ヒナタは泣きじゃくった。
「い、痛い……っ! 痛い、い、いやぁっ! いやああっ!!」
「暴れるな! 余計痛い思いをするだけだぞ!」
 もがくヒナタをねじ伏せ、ネジはさらに深く突き上げる。
「あ、あぁーッ!!」
 まるで喉元まで串刺しにされたような衝撃に、ヒナタは高く悲鳴をあげた。
 今までに男の身体をまったく知らなかったわけではない。
 木の葉の忍に限らず、忍の隠れ里に属して闘うくのいちには、一人前として認められるためにどうしても通過しなければならない儀礼がある。
 木の葉の里では「初染め」と呼ばれるその儀式は、いまだ未通女
(おとめ)である少女が、初めて男と枕を交わし、一人前のくのいちとして認められるための大切な儀式だ。
 少女たちの相手を勤める男は、里の上層部が選び、あてがう。大概は彼女らの教育に携わった上官や、少女が里の有力一族の出身であれば、同じ一族の中から有能な男が選ばれる。
 その儀式を経て、男の身体を知って初めて少女たちは、くのいちの本当の意味を悟る。すなわち、単純な腕力や持久力では到底叶わない男たちを相手に、女であることそのものを武器にして闘うすべを。
 その後、少女たちは里のくのいちの間で研鑽された性の秘術を伝授され、各々の任務へと派遣される。そしていずれは敵将を籠絡して情報を収集し、誤った情報を耳元にささやいて彼を破滅に導き、あるいはその意志すら自在に操るようになるのだ。
 ヒナタも、里のくのいちとして「初染め」の儀をすでに済ませていた。
 だが、やがて日向一族の姫頭領となるヒナタは、その身体を張って任務を果たす一般のくのいちとは明らかに区別されていた。
 ヒナタにとって「初染め」は単なる通過儀礼に過ぎず、自身の成長にもほとんど意味を持たなかった。相手の男は日向一族の中から選ばれた。初老に近かったその男は、ヒナタを主家の姫君として大切にかしずき、極力その身を傷つけないように「初染め」を終えさせたのだ。
 今、ヒナタは初めて男と寝る――男に犯されるということの真実を、身を以て知らされた。
「ひ……っ。い、いやぁ……っ。もう、やめ、て……」
 掠れる声で訴えても、ネジは耳を貸してもくれない。むしろその声に煽られたとでもいうように、より酷くヒナタの身体を貪る。
 涙に濡れたほほを片手で掴み、無理やりに顔を上げさせる。そしてネジは、噛みつくようにヒナタの唇に自らのそれを重ねた。
 頭の芯まで焼き尽くすかのような熱、身体を内側から爛れさせる痛み。耳元に響く、嵐のような呼吸。のしかかってくる重みは、まるでヒナタに指一本動かすことも許さないと言いたげだった。
 そして、自分の身体の中に自分以外のものが在る、激しく脈動している、言葉にできないこの違和感。
 ……喰われて、いる。
 苦痛と衝撃に白く濁った脳裏を、ふとそんな言葉がよぎる。
 喰われて、いる。わたし、この男に。
 からだの内から牙を突き立てられ、身も心もずたずたに引き裂かれて。
「あ、あ……、いやあ……っ――」
「ヒナタさ、ま――。ヒナタ、ヒナタ……っ!」
 ヒナタの身体から次第に力が抜けていく。半ば意識を失いかけた身体はもはや何の抵抗もせず、ネジの腕に爪をたてていた手が、ぱたりと畳の上に落ちた。
 ネジはそんなヒナタの身体を抱き起こした。
 一旦身体を離すと、ヒナタをうつ伏せにする。そして腰だけを高く持ち上げると、ふたたび後ろからヒナタを貫いた。
「ひああぁ……ッ!」
 ヒナタは弱く、かすれた悲鳴をあげた。
「あっ、あ、いや……っ。い、いたい、兄さ、ま……っ。いやあぁ……っ」
 もう、はっきりと拒否の声をあげることすらできない。ネジの律動に合わせ、切れ切れに泣き声を漏らすだけだった。
「ヒナタ――、ヒナタ……!」
 ネジの声も、熱っぽくかすれている。
 彼の、こんな声は初めて聴いた。自分の名を呼ぶその声が、耳の奥でこだまする。
 ネジの『気』も熱く熔け出し、ヒナタの全身を押し包んでいく。ヒナタのすべてがネジの放つ熱に飲み込まれてしまいそうだった。
「あ、く……うぅ……っ」
 熔けていく。
 ヒナタは畳に爪をたて、四肢を鈍く痙攣させた。
 自分の中に埋め込まれたネジの脈動が、内側からヒナタ自身をも焼き尽くしていく。外側からは、背中から覆い被さるネジの身体、強く強く抱きしめる腕、そこからむせ返るほど熱い彼の体温が伝わってくる。そして二人の熱が、呼吸が、細胞の一つ一つが混じり合い、互いの身体の境目もわからなくなる。
 何もかもがひとつに溶け合い、押し流されていく中で。
 ――そしてわたし、みんな……喰われて、しまう。
 ――このひとに、食い尽くされて……いくの……。
 耳元に、うなじに、熱い唇が這う。乳房を熱い手のひらが包み込み、痣になるほど強く指先が食い込む。何もかも白くぼやけ、浮遊するような感覚の中で、その熱だけがひどく生々しく感じられる。
「く、う……ヒナタッ!!」
 ネジがヒナタの名を叫び、ぶるっと大きく身をふるわせた。
 ヒナタの身体のもっとも奥深くで、灼熱の欲望が膨れあがり、爆発する。
「あ、あ――ああぁ……っ!!」
 煮えたぎる奔流に押し流され、ヒナタは最後の意識を手放した。
 




 ぐったりとして身動きひとつしなくなったヒナタの身体を、ネジは両腕にかかえあげた。
 肌に残る惨い痕を隠すため、小袖でいい加減にくるむ。秋に似合いの小袖は、半襟も身ごろも裂け、衣服としての役割を果たせなくなっている。
 ぱた……と、小さな音をたてて、畳の上に濁った雫が落ちた。ヒナタの脚からしたたったそれは、ネジ自身が彼女の体内に残したものだった。薄く血の色が混じっているのは、力ずくで強姦されたために、繊細な粘膜がどこか傷ついてしまったからだろう。ヒナタも、木の葉の里のくのいちとして名をつらねている以上、生娘ではないはずだ。
 ネジにはそれが、自分のさだめをもてあそぶ男たちに対する、ヒナタの無言の抗議のように思えた。自分を、まるで意志のない人形のようにやりとりし、貞潔も、人としての尊厳すら踏みにじる者たちへの。
 意識を取り戻さないヒナタを抱いて、ネジは茶室を出た。
 月はすでに西へ没し、あたりは闇に包まれていた。
 その中に、かすかな「気」を感じる。
 詳しく探らずとも、ネジにはそれが誰のものであるのか、わかっていた。
 一族の頭領としての判断を父娘
(おやこ)の情愛より優先させたからとはいえ、さすがに娘の身を案じる思いを禁じ得なかったのか。それとも頭領の決断にネジが逆らいはすまいかと、一部始終を見張っていたのか。
「――ヒナタ様は俺が連れてゆく」
 広い庭のどこに隠れているともわからないヒアシに向かい、ネジはつぶやくように言った。わずかな唇の動きだけ、虫の音よりかすかなささやきであっても、忍同士の会話ならそれで充分だ。
 だが、返事はなかった。
「いいんだな!?」
 いささか声を荒げ、念を押すと、かすかに動揺する「気」がつたわってきた。
「好きにしろ」
 どこへ、と、ヒアシは訊ねなかった。
「但し、子は成すな。おまえたちは、血が近すぎる」
 ぎり、と、ネジは奥歯を噛みしめた。
 言われなくてもわかっている、とは、言いたくなかった。
 ヒナタと自分は従兄妹どうしであるが、互いの父親は一卵性双生児。母方の血を辿っても、深い血縁関係にある。白眼の血継限界を守り、より強化するため、日向一族は血族結婚を繰り返してきたのだ。通常なら五代さかのぼれば両親をふくめて百十六人いるはずの直系先祖が、ネジにはどう数えても四十二人しかいない。だがその結果、白眼の能力は代を重ねるごとに向上し、ネジ自身がその完成形であるとすら言われていた。
 無論、近親婚の弊害も、一族には色濃く現れている。肉体、あるいは精神に何らかの歪みを持って生まれてくる子の割合が異常に高い。新たな血を入れなければ遠からず一族は滅びるぞと、五代火影――医術薬学に精通したツナデ姫御前から、警告も受けていた。
 同じく血継限界を受け継いできたうちは一族にもその傾向は顕著にあらわれ、先代の長子イタチにはあきらかに病的な情緒の欠陥、人間性の欠落が見受けられると報告されていた。次子サスケにはその傾向は見られなかったが、里を売った時点で、潜在していた異常性が現れたのだろうと言う者もいる。
 そして彼らと同じ兆候がいつか自分にも現れるのではないかと、ネジはひそかに怖れていた。それを否定できる材料は、何一つない。
 うちはと同じ悲劇を、日向一族に招くわけにはいかない。それが、一族頭領としてのヒアシの判断だろう。
 だが同時に、もっとしたたかで小狡い計算をも、この男はしているはずだ。
 ネジのなぐさみものにされた時点で、ヒナタが次代頭領になる可能性はなくなった。そんな傷物を一族のかしらと仰ぐことはできない。おそらく、次女ハナビが一族の後継者になるだろう。
 けれど、ヒナタの存在価値がすべてなくなったわけではない。ヒナタは相変わらず木の葉の里最強の一族の姫君であり、その身をくれてやると言えば、泣いて喜ぶ男どもは里の内外に山ほどいるはずだ。
 そして、ヒナタの子供は、まず間違いなく白眼を持って生まれてくる。父親がネジでなくとも。
 一方ネジは、暗部に身を置いている。暗部の者は、任務中に命を落とすことも稀ではない。むしろ、生きて暗部を抜ける者のほうが珍しい。たいがいは所属して数年のうちに殉職する。ネジも、その殉職者の列に名を連ねない保証など、どこにもない。
 今は一時、ヒナタをくれてやっても、ネジが死んだあとにゆっくり取り返せばいい。それから一族にとって有益な縁組みをまとめるか、あるいは本家屋敷の奥で次代の血継限界能力者を産ませるか。ヒアシの頭には、そこまでの計算があるに違いない。生娘か傷物かなど、関係ない。要は、ヒナタがネジの子を孕んでいなければいいのだ。
 ――死んで、たまるか。
 ぎりぎりと、奥歯で悪態を噛み殺す。
 この男の思惑どおりになど、なってたまるか。一族の長として、ヒナタの、そして自分の命運を握る男。亡き父の仇。ネジがこの世でもっとも憎悪し、そして何よりも――父よりもなお、自分と似ていると思う、この男。
 ネジは、ぐったりとしたヒナタの身体を静かに抱え直した。
 そのまま、助走もつけずに一気に跳ぶ。黒い影が化鳥のように夜空を横切った。
 腕に抱いた身体は、泣きたくなるほど軽く、やわらかだった。





 見覚えのない部屋で、ヒナタは目覚めた。
 網代に組んだ天井に、床の間。清楚な円窓。こじんまりとして趣味の良い部屋だ。漆塗りの小箪笥や文机など、調度はみな女が好みそうなものばかりだ。ほのかに香の煙がただよう。障子紙も張り替えられたばかりらしく、真っ白だった。
 だが、長い間使われていなかったらしく、部屋の空気は少し埃っぽい。床の間に花入れはあるものの、花は活けられていない。西日が落ちる畳も、色褪せていた。
「どこ、ここ……?」
 上掛け布団を剥いで、ヒナタは起き上がろうとした。
 そのとたん、身体の芯にずきん、と鈍い痛みが走る。
「つ、ぅ……」
 低くうめいて、ヒナタは思わず布団の上にうずくまった。
 そのとたん、昨夜の出来事がまるで堰を切ったように頭の中によみがえってくる。父の、そして兄と慕った人の裏切り。暴力と陵辱。苦痛。
 ふと目に入った手首には、ネジの指の痕がくっきりと青あざになって刻みつけられていた。
 ひどい、という言葉さえ出てこなかった。涙も出ない。
 なんだかすべてが現実と乖離して、我が事と思えない。
 これが自分のさだめだと、心のどこかで醒めた声がする。父は一族のために自分を売り、ネジもそれを至極当然と受け取った。血継限界の保持者の、一族の総領姫のと言ったところで、この戦乱の世で、女の役割など所詮はこの程度にすぎないのだ。
 やがて、障子がするすると音もなく開いた。
 髪にだいぶ白いものの目立つ下女が、縁側に膝をつき、深々と礼をする。
「お湯殿のお支度がととのっております。それとも先に、なにかお召し上がりものをお持ちいたしましょうか」
 控えめな話し方は、日向の本家屋敷でヒナタに仕えていた侍女たちとまったく同じだ。この女も、どこかの屋敷で奉公していた経験があるのだろう。
「湯を……使います」
 ヒナタはぼそぼそと答えた。
 身体は昨夜のうちに誰かが――この侍女かもしれない――清めてくれたようだが、それでもまだ、全身にネジの匂いがまとわりついているような気がする。
 ヒナタの返事に、侍女は無言で室内に入り、ヒナタの肩に小袖を着せかけた。そのあいだ、顔は伏せたままで、けしてヒナタと目を合わせようとはしない。それもまた、高貴な女性に仕える小間使いの心得だ。
 侍女はヒナタの髪を軽くととのえ、その手をひいて湯殿へ案内した。ヒナタはただ、彼女のなすがままに任せていた。
 それはヒナタにとってごく自然なことだった。昔からつねに誰かに世話をされてきたせいで、そうやって礼儀正しく仕えられ、こまやかに身の回りの世話をされると、疑いもなくその手に自分をあずけてしまう。以前、チームを組んでいたキバなどは、そんなヒナタをしょせんお姫様育ちだとよく笑ったものだ。
 けれど、ほかの生き方をヒナタは知らない。特に、こんなふうに自分の置かれている立場も理解できずに、心が白く死んだようになっている今は。なにも考えず、ただ誰かの言うなりになっていることが、一番楽だった。
「若様は、里の詰め所におでかけでございます。夕刻にはお戻りになられましょう」
「――若様?」
 侍女のその一言で、ヒナタはすべてを察した。
 ここは、日向の分家屋敷だ。ネジが産まれ育ち、そして先代当主ヒザシが死亡したあとは、ネジが主人となった屋敷。
 けれど今は、ほとんど無人になっていると聞いていた。暗部の所属となったネジはつねに任務で里の内外を飛び回り、座布団があたたまるほどの余暇もない。この分家屋敷は、時折り留守居役が風を通しに来るだけで、誰も住んでいない。このままネジが跡継ぎも残さずに死亡するようなことになれば、この屋敷も主人を失って朽ち果てていくしかないだろう、と。
 見覚えはないのにどこかなつかしいと感じたのも、道理だ。この屋敷には、亡き伯父ヒザシの、そしてネジの気配が、今もまだそこここに残っている。
 ――なつかしい? 本当に?  私はあのひとのことを、今もまだなつかしい兄さまだと思っているの?
「こちらへ、姫様」
 湯殿でも、侍女は無言でヒナタの身体を流し、髪をすすいでくれた。
 ヒナタの身体には、昨夜の惨い傷痕がいくつも残されていた。が、侍女はしきたりどおり目を伏せたまま、一言も声を発しなかった。
 湯上がりに着せかけられた小袖と打掛は、ヒナタのものではなかった。袖がやや短く、裾を長く曳く仕立ては、かなり古めかしい。母の形見の中に、こんな仕立てのものがあったと思う。おそらくこれは、ネジの母のものなのだろう。
 ふたたびさきほどの部屋に戻った時には、空はすでに夕暮れの茜色に染まっていた。
「どういたしましょう。お食事は若様がお戻りになられるまで、お待ちになられますか? お身体がおつらいようでしたら、またお床をのべますけれど」
 ネジが、戻ってくる。そのひとことに、ヒナタはびくりと小さく肩をふるわせた。
 ヒナタが答えられずにいると、侍女は黙って床の間の前に女物の小さな脇息を用意した。灯りをともし、火鉢に炭を熾し、香木をひとかけくわえて、部屋を出ていく。
 乾いた、どこか異国風の薫りがゆっくりと室内に広がっていった。
 ヒナタは脇息にもたれ、ぼんやりと行灯の光を見つめていた。
 どのくらいそうやって、無為に時間を過ごしただろう。気がつけば、障子の向こうは真っ暗になっていた。
 やがて、さきほどの侍女が膳をささげて来た。
「若様は少しお戻りが遅くなられるようでございます。夕餉の膳は先にお済ませになられるようにとのご伝言がございました」







                                   ←BACK    NEXT→
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送