りるりるりる……と、可愛い声でシンギングバードが啼いた。
 本物と見紛うほど精巧に造られた、小鳥の模型。鳥かごの下に取り付けられたネジを巻くと、内部のからくりが稼働して、小さな人形が羽根を広げてりるりるりる……と、本物そっくりの声で啼く。自動人形
(オートマァタ)、オルゴールの一種である。窓辺の日だまりに籠を置くと、まるで本物の小鳥をそこで飼っているかのようだ。
「良く出来たものですな」
 メレンティンが言った。御付武官長である彼は、ユーリアが副帝家筆頭継嗣としての公務を行う執務室のほかに、ユーリアの私室にも出入りする権限を持っている。
 白と金とを基調にした美しいユーリアの私室に出入りできる男は、直系尊属以外ではメレンティンただひとりだ。――公式には、そういうことになっている。もっとも、彼も立ち入れるのは書籍と絵画に埋め尽くされた中央の居間だけで、寝室には入ることは許されない。
 姫様、と控えめに呼びかける彼の声が、ユーリアは昔から好きだった。幼い頃からずっと、『じいや』と呼んで慕ってきた。初めて出会った頃の彼は、まだそれほどの年令ではなかったはずだが。
「可愛いでしょう。アンドレイが――カミンスキィが、持ってきたのよ」
 カミンスキィの名が出たとたん、メレンティンの片方の眉だけが小さく動いた。
 メレンティンは長年、武官として副帝家に仕え、一切の感情を押し隠すのに慣れている。けれどユーリアも、ほんのわずかな反応から彼の心情を察するのに、いつの間にか慣れていた。
「カミンスキィが気に入らないようね。クラウス」
 からかうように、ユーリアは言った。
「彼は優秀な軍人だわ。貴族階級の出身で、立ち居振る舞いは典雅、礼儀作法も申し分ない。――おまけにあのとおり、白い孔雀のように美しい男よ。あたくしのそばに置くのに、なにか不足があって?」
「いいえ、そのような――」
「おまえも、彼の風評を、過去を気にしているの? 稚児あがり、男娼、売春婦の息子……。でも大丈夫よ。彼はちゃんと、女が抱けるわ」
 ユーリアはつくりものの小鳥に唇を寄せ、ちちち……と舌先で啼いてみせた。まるで本物の小鳥を甘やかす時のように。
「それとも、女官長の『毒見』が済んでいない男は、寝室に招き入れては駄目だとでも、言うつもり?」
「おお、姫さま。そのようなことは――。第一、このごろ女官長はとみに体重が増えておられる様子、おそらくカミンスキィのほうで嫌がるでしょう」
 メレンティンの軽口に、ユーリアも無邪気に微笑んだ。
 シンギングバードは籠の中で羽根を動かし、りるりるりる……と、同じ唄を何度も何度も繰り返している。ネジさえ巻けば、永遠に。
「今までおまえの眼鏡に適った
(かなった)男はみな、このシンギングバードと同じだわ。容姿は美しいけれど、中身は空(から)よ。機械仕掛けのように、同じことしか言わなかった。お慕い申し上げております、殿下。お美しいユーリア様。帝国のばら、私の女神……。いかに耳に心地よい言葉でも、いい加減聞き飽きたわ」
 メレンティンは苦笑する。
 たしかにぜんまい仕掛けのような頭脳の男ならば、ユーリアの玩具として与えておいてもたいした害はなく、御付の者たちも安心だった。
 東方辺境領姫にとっては、恋愛は単なる宮廷遊戯以上の意味を持ってはならず、見栄えの良い男は遊戯の玩具に過ぎない。ただ着飾って、居並んでいれば良い。さながら九柱戯
(スキットルズ)のピンのように。
 今までは、多忙な東方辺境領姫に替わって、御付の者たちがその玩具を選んできた。ユーリアはただ、枕元に運ばれてくる美味しいお菓子を素直に受け取っているだけだった。あくまで玩具にすぎない彼らを帝都以外の領地へともなったことはなく、まして軍務に随行させるなど考えたこともない。
 玩具にはいつも、詩人、宮廷画家、音楽家……はなやかではあるが、宮廷の実務にはまったく関わりを持たない男たちが選ばれた。万が一、東方辺境領姫の寵に慢心し、増長したとしても、そのような愚かな男ならば彼女のそばから排除するのも簡単である。事実、何人もの男がユーリアの寵を失った時点で、即座に領姫殿下の宮廷を追放されていた。
 だがカミンスキィは、違った。彼は、メレンティンや女官たちが与えた玩具ではなかった。カミンスキィはその軍人としての突出した能力ゆえにユーリアの次席御付武官となり、そしてメレンティンが気づいた時にはすでに、ユーリアは自らの意志で彼に寵を与えていたのだ。
 帝都随一の美女との誉れも高かった母親譲りの美貌を誇り、数々の戦場で武勲をあげてきたカミンスキィにとって、その過去はすでに瑕瑾にすぎない。だが、副帝家筆頭継嗣次席御付武官の地位もまた、彼にとっては単なる通過点にすぎないのだろう。
「知っていて、クラウス? 孔雀はあんなに美しい姿をしていながら、雄は毒蛇を襲って、喰らうのだそうよ」
 シンギングバードのネジを止め、ユーリアは振り返った。
「カミンスキィも、孔雀の容姿の下に狼の牙を隠し持っているわ」
「姫様」
 それをご存知なのなら――と、メレンティンが言いかけた時。
 ユーリアは花びらのように紅い唇で、ふふ……と声もなく笑った。
「それが、良いの」
 メレンティンは内心、深くため息をつく。
 この愛すべき姫将軍は、このごろとみに退屈なさっておられるらしい。帝国領土内はこのところ平穏が続き、ユーリアが率いる東方辺境領軍は出撃の機会を得られずにいた。ユーリアもずっと、帝都の宮廷にとどめ置かれている。
 天上の薔薇と讃えられる美貌を持ちながら、タフタやオーガンディのドレスより三つ首龍の軍装を好み、宮廷の夜会やオペラのボックス席よりも、戦場の天幕で兵士とともにあることに自らの価値を見出す異端の姫君である。しょせん辺境育ち、帝室の血にそぐわぬ野卑な皇女と陰口をたたかれても、彼女のそば近くに仕える者はそのまっすぐですこやかな気性を愛してやまなかった。
 軍人として思うさま働ける機に恵まれれば、勝ち気な姫君も、あえて自分から危険を招き入れるような真似はなさらないだろうに。
「お気を付けください、姫様。古来より、寝室での寵をねだって立身出世を企む者は、奸物でなかった試しはございません」
「おまえの忠告は胸にとどめておくわ。けれどあたくしも、寝室に入れる男がふところに何を持っているのか、気づけないほど愚かではないつもりよ」





「なにを考えているの、アンドレイ」
「あなたのことを、ユーリア様」
 深いワインレッドと黄金で彩られた寝室に、乾いた空気が満ちる。
 豪奢なオービュソン織りのじゅうたんが敷き詰められた部屋には、目立つ家具は中央に大きな天蓋付きのベッドだけだった、窓には厚いカーテンが引かれ、外部の冷気を遮断している。灯りとなるのは、暖炉で燃えている炎だけだ。
 ちろちろとゆらめく朱色の光の中に、純白の軍服が浮かび上がる。
「見せなさい」
 ユーリアの命に従い、カミンスキィは淡々と軍服を脱ぎ捨てた。表情ひとつ変えない。
 やがてあらわれた裸身には、胸元から腹部にかけて、いくつもの細い傷痕が走っていた。赤く、一部みみず腫れになっているそれは、ユーリアが振るった鞭の痕だ。
 ユーリアはカミンスキィの眼前に立った。ほっそりとした指先で、自らがつけた傷をひとつひとつ、ゆっくりとなぞっていく。
 そうやって寄り添うように立つと、ユーリアは彼の肩にようやく背が届く程度だ。無論、肩幅も腕の長さもかなうはずもなく、カミンスキィの背後から見れば、ユーリアの姿は彼の身体にすっかり覆い隠されてしまうことだろう。
 初めて出逢った時にはまだやわらかな少年の面影を残していた容姿が、今は雄々しく成長し、それでもなお生まれ持った典雅な美貌は少しも損なわれてはいない。凛とはりつめた四肢は猛々しい力を秘め、けれどじっと不動を保っていれば、まるで彫像のように優美だ。
 ユーリアも無論成長し、小柄な少女ではなくなった。が、やはり男のそれとは比べるべくもない。
 まだ完治せず、薄くかさぶたに覆われている傷に、軽く爪をたてる。カミンスキィがかすかに息を呑み、身をこわばらせた。
 なめらかで力強く発達した胸筋、くっきりと刃物で刻みつけたような鎖骨。肩から二の腕にかけての、美しいライン。それらを、ユーリアはゆっくりと指先で愛でていく。
 この傷は、支配のあかしだ。皇帝の姪でも東方辺境領姫でもなく、ましてや帝国陸軍元帥でもなく、ひとりの女が、ひとりの男を支配した、あかし。
 今まで愛でてきた男たちにもみな、同じ印を刻んでやった。そうやって男たちを足元にひざまずかせることで、ユーリアは初めて自分自身の力を確信することができる。もはや幼く頼りない少女ではない、銃後で護られるべき存在ではなく、自ら闘い、勝利し、支配する力と意志を備えた確固たる存在であると。
 その確信を得るためだけに、寝室に侍る男たちが必要だった。
「なにを考えているの?」
 同じ問いを、ユーリアは繰り返した。
「あなたのことを、ユーリア様」
 カミンスキィもまた、同じ答を繰り返す。
「嘘をお言い」
「いいえ、本当です。あなたのことを、考えています。たとえば――」
 カミンスキィはユーリアを見下ろし、優美に微笑んだ。
「この場であなたを押し倒し、その美しいお召し物を引き裂いて、雌猫のように床に這わせて後ろから犯してさしあげたら、あなたはいったいどんなお顔をなさるだろうか、と」
 ユーリアはくっと顎をあげ、カミンスキィの美貌を見上げた。わずかに表情が険しくなる。
「あなたを犯すのは簡単です。単純な膂力なら、私のほうが圧倒的に強い。あなたの抵抗など歯牙にも掛けず、私はあなたを意のままにすることができる」
 優しく、睦言のように、カミンスキィはささやき続ける。
「両腕を縛り上げて、卑しい女奴隷のように犯して、犯して――あなたが泣いて私にすがりつき、小さな女の子みたいに私に許しを乞うまで……、それでもけして許さずに、失神するまで犯し抜いてさしあげたら、さぞ胸がすく思いがするでしょう」
 そう言いながらも、カミンスキィはユーリアに指一本触れようとはしなかった。直立不動の姿勢を保ち、ユーリアが指先で傷痕をもてあそぶに任せている。
「そんなことをしたら、鞭打ちなどではすまなくてよ。おまえを斬首刑にしてやるわ」
「ご随意に、殿下」
 カミンスキィはうなずいた。
「ですが私が、己の命を賭けてでもあなたが屈辱にまみれて泣き叫ぶ姿が見たいと、本気でそう思っていないとお考えですか? あなたを屈服させることができたなら、次の瞬間、この場で頭を吹っ飛ばされてもかまわないと、私が本気でそう覚悟しているとしたら?」
 ユーリアは唇を咬んだ。
 見上げるカミンスキィの表情はあくまでおだやかで美しく、その言葉にはまったくそぐわない。まるで午後の日だまりの中で、優雅に詩歌でも論じているかのようだ。
 ――もしも本当に、この男がそんなことを考えているのだとしたら。
 カミンスキィの望みは、軍人としての栄達であり、権力であるはずだ。その氷青色
(アイスブルー)の眼の奥にあるものを、読み間違えたはずはない。
 だから、彼を寵愛した。彼が東方辺境領姫を踏み台にしてのし上がろうとしている限り、その軍事的才能は惜しむことなくユーリアのために発揮されるだろうから。
 カミンスキィが、自らユーリアの寵を失うような愚かな真似をするはずがない。
 だがそれも、ユーリアの思い込みにすぎなかったのだろうか。この男が持つ牙を、見抜けなかったとでも?
「では、なぜそうしないの?」
 ユーリアはカミンスキィの瞳をまっすぐに見上げ、言った。
「この部屋の壁は厚いわ。控えの間も人払いをしてあるし、あたくしが悲鳴をあげても、外には聞こえない。小間使いを呼ぶ鈴も、今は手が届かないし――」
 ちらっと視線で、壁に取り付けられた紐を示す。それを引けば、小間使いや女官が待機する別室の鈴が、りりん……と鳴るのだ。
「近衛兵が駆けつけて、おまえを蜂の巣にするまでに、おまえの思いを遂げる時間は充分にあるのではなくて? なぜ、望むことをやり遂げないの?」
「……聡明なる我が姫君」
 カミンスキィが静かに手をさしのべた。ユーリアの手をそっと取る。
 カミンスキィの指先が触れた瞬間、ユーリアの肩がびくりと小さくふるえた。
 その手を、カミンスキィは自分の口元まで持ち上げた。ユーリアの瞳をまっすぐに見つめたまま、細い指にそっとくちづける。
 あたたかく、少し乾いた唇が、ユーリアの指に押し当てられた。カミンスキィはそのままユーリアの手を離そうとしなかった。緑がかった碧の瞳を見つめる視線も、そらさない。
「人間は怠惰なものです。いつでも出来るとわかっていれば、なにも今すぐでなくても良いと、思ってしまうものなのですよ」
 カミンスキィが一言一言話すたびに、その呼気がユーリアの指に触れ、くすぐり、愛撫する。。
 ユーリアは火傷でもしたかのように、自分の手を引っ込めた。まるで、逃げるように。
 カミンスキィはじっと、ユーリアを見つめている。口元にはかすかに、からかうような、獲物を狙う肉食獣のような笑みが浮かんでいた。
 その視線から自分を引き剥がすように、ユーリアはぱっと身をひるがえした。
 サイドボードに置かれた鞭に、手を伸ばす。
 女性用に作られた、細い華奢な革の鞭。それは乗馬の道具というより、女性の手を美しく見せるための装飾品だ。
 宝石が嵌め込まれた柄を握り、ユーリアはふりかえった。
 細いあごをそらし、傲然と、
「不遜である、アンドレイ・バラノヴィッチ・ド・ルクサール・カミンスキィ」
 歌うように美しい声で、命じる。
「ひざまずきなさい」









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