初めて抱いた女は、ハーレム叔父に連れていかれた娼館の売春婦だった。
 叔父が見立てた女はさすがに最高級の娼婦で、映画スターも顔負けの美貌に妖艶なプロポーション、男を楽しませる手管も完璧だった。
 それは、ハーレム叔父が用意してくれた、初陣の勝利の褒美だった。秘石眼の扱い方など、戦闘に関することはすべてサービス叔父が教えてくれたが、博打や飲酒、喫煙など一般に悪癖と言われることを教えてくれたのは、一族の中でも鼻つまみ者と言われるハーレム叔父だった。
 ただし、叔父は俺にこうも言った。
「特定の女に深入りするな、シンタロー。『特別な女』をつくると、必ず敵につけこまれる」
 その言葉どおり、その後も叔父に連れていかれた娼館では、行くたびに違う女が俺の相手になった。一度抱いた娼婦は二度と俺のベッドに来なかった。そうなるように、ハーレム叔父が手配していたらしい。
「叔父さんは、どうなの。叔父さんとこのマーカーは、叔父さんの『女』じゃないの?」
 叔父が率いる特戦隊のひとり、マーカーは、年齢不詳、黒髪黒瞳のチャイニーズ系の美女だ。漆黒の宝石のようなアーモンドアイズに、しなやかで敏捷な肢体は、美しいだけでなく、猫科の大型肉食獣のように危険で蠱惑的なものを感じさせる。初めてこの叔父の部下を見た時には、子供心にもハーレム叔父を羨望したものだ。
 子供扱いに憤慨した俺は、精一杯、叔父の痛いところをついてやったつもりだったが、
「マーカーが!? あいつが、俺の『女』!? 阿呆か、シンタロー。そんなことをあいつに聞かれてみろ、その瞬間に俺もてめえも、首と胴体が生き別れだ」
 叔父は誰よりもゆたかな金髪を揺すり、爆笑した。
「たしかにあいつは特戦隊、俺の特別な部下だ。あの女ほど腕のたつヤツは滅多にいねえ。だがな、俺は女はバカなほうが好きだ。いくら別嬪だからって、女と寝ながら、いつ寝首を掻かれるかヒヤヒヤし続けるなんざ、俺の趣味じゃねえよ。第一それじゃ、勃つモノも勃ちゃしねえだろうが」
 それでも、マーカーと寝たことを、ハーレム叔父は否定しなかった。たまたまお互いの気分が一致した時には、死体のころがる戦場だろうが臓物まみれの拷問室だろうが、二人とも気にしなかったそうだ。血の色を見たあとの興奮は、男も女も変わらないらしい。もっとも、そうやってたまたま気分が一致してマーカーと寝た男は、片手の指ではとうてい足りないだろうが。
 そして叔父は、俺に念を押した。
「いいか、シンタロー。女は少しぐれえバカなほうが、可愛いもんだ。小賢しい女は、すぐに男を裏切りやがる」
 叔父の忠告を、俺はいい加減に聞き流した。
 あらためてそんな意見をされなくとも、俺はまだ特定の女など欲しいと思ったこともなかった。たしかに女を抱くのは、おもしろい。生理的な欲求もある。けれどそれよりも、戦場で命のやりとりをするあの高揚感、青の一族のみに与えられた秘石眼の力を存分に振るうことのほうが、俺にとってはよほどおもしろく、興奮させてくれるものだったのだ。
 だが、戦場に立てない時、本部に呼び戻されて無為に待機させられている時。
 どうにもならない怒りや、あらためて思い知らされる自分の非力さに、苛立ちばかりがつのる時。
 ハーレム叔父に言われたことが、ふと思い出された。
 女を知った眼で眺めれば、たしかに、グンマは莫迦で可愛い女だった。







「しばらくはシンタローさんに近づかないほうがよろしいですよ、グンマ様」
 高松には、そう忠告されていた。
「この頃、マジック総帥と意見が対立されているようです。お二人とも、相当にご機嫌が悪い。このあいだも、お二人の父子喧嘩のとばっちりで、本部の海上ヘリポートが吹っ飛ばされてしまいましたからね」
「うん……。それ、知ってる」
 わたしはこくんとうなずいた。
 高松のラボは、医務室と違って、あまり薬品の匂いはしない。高松が生命工学で造り出した新種の植物が生い茂り、まるで深い森の中みたい。空気にもかすかな緑の薫りが溶け込んでいる。同じ匂いは、高松の指や長い黒髪、そして彼が淹れてくれる熱いハーブティからも、ただよってくる。
 植物たちは、風もないのにさやさやと葉擦れの音をたて、まるでそれは木々が優しくなにかをささやき交わしているみたいだった。
 ここの植物は、わたしと同じ。未完成の研究から生み出された植物は、まだ非常に弱く、自然の環境の中ではすぐ枯れてしまうのだという。この緑の木々には、高松が造り出す不純物の混じらないピュアな水と、無菌の空気、人工照明の光とがどうしても必要なのだ。
 わたしにとっても、昔からこのラボだけが、唯一くつろげる居場所だった。――高松のそばだけが。
 わたしは、青の一族のできそこないだった。ガンマ団という戦闘組織を率いる一族にとって、女であるということは、それだけで戦闘能力の劣る厄介者。役立たず。おまけにわたしは、亡くなったお父さまから、一族の象徴である秘石眼を受け継いでいなかった。
 マジック伯父様はいつになってもわたしを庇護すべき哀れなこどもとして扱い、わたしにはなにひとつ期待しようとはなさらなかった。同じく秘石眼を持たずに生まれてきたシンちゃんには、大きな望みをかけ、次期総帥の地位を約束しているのに。
 傍目には、わたしは高松がガンマ団にもたらした研究成果の見返りとして、高松に与えられたご褒美に見えるかもしれない。高貴な血を引き、けれど男の愛玩物になるしかない存在。
 父・ルーザーを知らない若い下士官たちの中には、頭からそう思い込み、本部内ですれ違うたびにわたしに蔑みと欲望の入り交じった目を向ける者も多い。弱者への憐れみなど微塵も許さないガンマ団の中で、彼らがその獣じみた欲望を満たそうとしないのは、わたしがマジック総帥の姪であり、高松の庇護下にある者――Dr高松の「もの」だからだった。
「おまえが戦場に出ることなど、考えなくても良いのだよ、グンマ」
 誰よりも美しくて、優しいサービス叔父様。叔父様はわたしの髪を撫で、おっしゃった。
「おまえは、ルーザー兄さんの大切な忘れ形見だ。おまえが傷つくようなことがあれば、私は天国の兄さんに申しわけがたたないのだよ」
「でも、叔父様」
「私やシンタローが戦場へ赴いている間、高松がおまえを護ってくれるだろう。高松のそばを離れてはいけない。おまえはここで、私たちを待つのだよ。おまえはただ、優しく可愛らしい女であれば良いのだ」
 サービス叔父様とDr高松だけが、役立たずのわたしに優しかった。その優しさが、彼らがともに抱える罪悪感ゆえだったとわたしが知ったのは、ずっとずっとあとになってから。
「総帥とシンタローさんにも困ったものだ。似たもの親子とはあの二人のことを言うのでしょうね。お二人とも頭に血が上ると、回りのことなど何も見えなくなる。ご自分の一族の能力を、知らないわけでもあるまいのに」
 独り言みたいにつぶやいて、それから高松は自分の失言に気づいたのか、ちらっとわたしのほうを横目で見た。
「……シンちゃんなんか、だいきらい」
 わたしは小さな声でつぶやいた。
「いじわるで、乱暴で……。ちっちゃいころからわたしのこと、いじめてばっかだったもの」
「それは、何度泣かされても性懲りもなく、あなたがシンタローさんのそばをうろちょろして、彼を怒らせてばかりだったからでしょう」
「――高松も、いぢわるだ」
「とにかく、シンタローさんや彼の配下の連中には近づかないように。しばらくはご自分の部屋でおとなしくしていらっしゃい。以前にも言ったでしょう。幼い頃と違って、今はもう、……ただ泣かされて帰ってくるだけではすまないのですから」
 高松の言葉が、胸に突き刺さった。――わたしだって、高松の忠告を忘れてたわけじゃなかったけれど。
 同じように高松も、自分の言葉にひどく苦い表情をしている。それでも、言わないわけにはいかなかったのだろう。
「さあ、もうお部屋へお戻りなさい。私はこれから定例幹部会議に出席しなければなりません」
 無理に話題を変えようとしたのか、高松はマグをデスクに置き、立ち上がった。
「嫌いなんですけどね、ああいう七面倒くさいのは」
 長い髪をかきあげて、うんざりしたように言う。
「ねえ、高松。高松はどうして、ガンマ団にいるの?」
 わたしはふと、前から感じていた疑問を口にした。だって高松は、マジック伯父様の思想に共感している様子もないし、ハーレム叔父様のように闇雲に戦場を求めているわけでもない。
 高松はふッと小さく笑った。
「ここに居れば、研究がやりやすいからですよ。研究資金は潤沢だし、くだらない社会正義、お為ごかしの生命倫理にも縛られない。ここでなら、私の本当に知りたいことを知ることができる。必要とあればどんな非道な実験でも行えますし、誰もそれを咎めない」
「非道な……」
 高松がさらっと言ったその言葉に、一瞬、胸が詰まる。
 このラボにも、わたしがけして立ち入りを許されないエリアがある。そのエリアこそが、高松の研究のもっとも重要な部分なのだ。
「人間の仕組みを知るためには、グンマ様。最後には結局、生きた人間を切り刻むしかないのですよ」
 高松はいつもそう言っていた。
「高松の本当に知りたいことって……、なに?」
 一瞬、高松はためらった。
「そうですね……。この世界に、私が知ることができないもの、私に理解できないことが本当に存在するのか――私はそれが知りたいのかもしれません」
 高松の言うことは、わたしには良くわからなかったけれど。
「さあ、もうお部屋にお戻りなさい。お送りしましょうか?」
「ううん、平気。それより、夕食
(サパー)はいっしょに食べられる?」
「いいえ、おそらく間に合いません。今夜はひとりでお済ませください。あとでお部屋に様子を見にうかがいますよ」
 高松はいつもの癖でわたしの髪に触れ、おでこにキスをした。まるで小さな子供にするみたいに。高松の長い髪がほほに触れて、ちょっとくすぐったい。
 ――このキスは、亡くなられたお父さまからですよ。わたしにおやすみのキスをする時、高松はいつもそう言った。小さなころから、ずっと。マジック伯父様に溺愛されているシンちゃんと違って、わたしにおやすみのキスをしてくれるのは、高松ひとりきりしかいなかった。
 けれどこの頃、「お父さまからのキス」の前に、高松はいつも一瞬ためらうようになった。以前はそんなこと、まったくなかったのに。
「では、いい子にしてるんですよ。夕食は残さず食べて、好き嫌いをしないように。寝る前にコーヒーを飲んではいけませんよ。ホットチョコもね」
「わかってるよ。もう子どもじゃないんだから」
 ラボの前で高松と別れて、わたしはエレベーターホールに向かった。
 幹部専用のエレベーターは、上層階の居住区に直通している。ここから先に立ち入れるのは、ガンマ団の中でもごく限られた幹部たちだけ。わたしは団の戦略に関われる立場ではないけれど、青の一族ということで、このエリアに部屋を与えられていた。
 シンちゃんの部屋も同じ居住ブロックにあるけれど、このごろはほとんど部屋に戻っていない。……コタローちゃんがいなくなってから。
 コタローちゃんがマジック伯父様の命令でどこかに幽閉されてから、もう半年以上になる。その場所はマジック伯父様と数人の限られた幹部以外誰も知らず、そのせいで、シンちゃんはひどく荒れていた。マジック伯父様と顔を合わせるのを嫌って、ハーレム叔父様みたいに戦場から戦場へと渡り歩き、なかなか本部へ戻ろうとしない。たまに戻ってきても、一族の城ともいえるこの居住区には足を踏み入れず、彼の配下が集まる下士官室で過ごしてるって、聞いている。
 ひとりで過ごす夜。ひとりきりの夕食。
「……食欲、ないなぁ」
 ドアのロックを解除しようと、指紋認証機にひとさし指を近づけた時。
「遅せェよ。いつまで待たせんだ」
 背後で、ひどく苛立った声がした。
「シ、シンちゃん……!」
 照明の届かない廊下の暗がりに、シンちゃんが立っていた。腕を組み、斜めに壁にもたれかかりながら、突き刺すようにわたしを見ている。
「このドア、なんで俺の指紋で開かねえんだ。前は開いたのに。高松がいじりやがったのか?」
「シンちゃん、どうして……。幹部会議じゃなかったの?」
 シンちゃんはいまいましそうに、唾を吐き捨てた。
「誰が出るか。親父のツラなんざ、見たくもねえ!」
 カーキ色の軍服に身を包んだシンちゃんは、まるで知らない人みたい。どこかに血のにおいが染みついている。
 前は……彼は、こんな顔はしなかった。いつも、おひさまみたいに笑っていたのに。
「なにしてんだよ」
「……え?」
「さっさとドア開けろよ」
 両手をポケットに突っ込んで、シンちゃんはずかずかとわたしのそばへ近寄ってきた。
「で、でも……」
「俺を二度と部屋に入れんなって、ドクターに言われてんのか」
 わたしは返事ができなかった。怖くて、シンちゃんの顔を見ていられない。
「開けろよッ!!」
 シンちゃんはいきなりわたしの右手を掴み、指紋認証機に叩きつけた。
「痛ぁっ! 痛いよ、離して、シンちゃん!」
「俺の言うことが聞けねえのか、グンマ! それとも、ここで立ったままやられてえのかよ、あァ!?」
 大きな手であごを掴まれ、むりやりねじ向けられる。強靱な身体が覆いかぶさるように、わたしを壁に押しつける。息が詰まるように熱い体温が、シンちゃんの身体から押し寄せてくる。かすかにアルコールと煙草のにおいがした。
 わたしは、彼に逆らえなかった。
 ふるえる手を伸ばし、小さな認証機にひとさし指を載せると、一瞬遅れて、しゅん、と軽い音をたててドアが開く。
 暗い部屋に向かって、シンちゃんはわたしを力まかせに突き飛ばした。
「きゃっ!」
 わたしはじゅうたんの上に倒れ込んだ。思いきり膝をぶつけ、立ち上がれない。
 シンちゃんが室内に入ってくる。カーキ色の軍服が脱ぎ捨てられ、彼の背後でドアが閉まった。






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