【雨のように雪のように・お試し版】


「花乃子《かのこ》。ねえ、花乃子ってばあ」
 ぼんやりしていた時にいきなり声をかけられ、花乃子は一瞬びくっと肩をふるわせた。
 気怠い空気に満ちた、午後の教室。
 窓から射し込む冬の陽射しは弱く、寒々しい。けれど三〇人以上の高校生たちがたむろする教室は、若い体温に満ちていた。
 退屈な授業からも、あと一時間我慢すれば解放される。白いセーターにプリーツスカート、あるいはダークグレーのブレザースーツという制服姿の学生たちは、短い休み時間を思い思いの方法でつぶしていた。
「ねえ花乃子。あんた、マジぃ? 2組の宮本とつき合ってるってウワサぁ」
 自分の席についてただぼーっとしていた花乃子に、クラスメイトのひとりが後ろからのぞき込むようにして話しかけてくる。
「ああ……それ。その話」
「あーソレじゃないよ! あんた、知らないの!? あいつ、かなりヤバいってウワサなんだよ」
 マスカラのつけすぎで仏像みたいに半分しか開いてない目が、花乃子の目の前に迫ってくる。何のフレグランスか、甘ったるい匂いが息苦しいほど濃く漂った。
「前にあいつとつき合ってたコが言ってたけど、宮本ってキレるとマジやばいってよ。女でも平気で殴るって。普通につき合ってるあいだはいいんだけどさ、別れるとかって時になったら、すっげえ荒れるらしいよ、あいつ」
「へえ、そうなんだ」
 花乃子は気のない返事をした。
 はっきり言って、うざったい。このクラスメイトの少女とは、話しかけられれば返事もするが、特に仲がいいというわけでもない。むしろ、とにかく他人のうわさ話に口を突っ込みたがる彼女には、自分のことはあまり話したくない、というのが花乃子の本音なのだ。
「あんた、なんであんなヤツとつき合ってんの?」
「なんでって……、別に」
「だって花乃子、こないだまで湊川高校の男とつき合ってたんじゃないの?」
「ああ、あれ……。あれ、駄目になったの。ふられた」
「ふられたって――」
「よその学校の人だと、やっぱ駄目だよね。時間とか合わせにくいしさ。同じ学校の男のほうが、いろいろラクじゃん」
「だからってさあ……。宮本って、確かに顔はカッコいいけどさあ」
 クラスメイトはふと声をひそめ、さらに身を乗り出してきた。
「じゃあさ、やっぱアレ? 聞いたよぉ。宮本ってさぁ、けっこうスゴイらしいじゃん」
「凄いって、何が」
「決まってんじゃん、アレだよ、アレ! エッチ!! やっぱ、前にあいつとつき合ってたコが言ってたんだけどぉ、宮本って、なんちゅーか、とにかくいろいろエロくって、女の扱いとかすっげえ慣れた感じだったって。ねえ、どうよ? やっぱそう? 朝まで連チャン!みたいな?」
「さあ……」
「さあって、花乃子ぉ! あんただって、ホテルくらい行ってんでしょ!?」
「うん、まあ……。でもあたし、そーゆーの、あんまり興味あるほうじゃないし。良くわかんない」
「ンなわけないじゃーん! 興味なかったら、なんで宮本なんかとつき合うのさー!? あんなヤツ、顔とエッチ以外、なんにもないじゃん!」
 大げさに騒ぐクラスメイトに、花乃子はため息をつき、もう何も答えなかった。
 実際、花乃子が彼――宮本喬《たかし》を選んだ理由なんて、顔以外に何にもないのだから仕方がない。一緒に歩いていてこっちが恥をかかないだけの顔、ファッション。後は別に、彼の正確にも行動にも、話すことにすら興味はない。
 本当のことを言えば、別に喬でなくとも良かったのだ。花乃子と同年代で、並んで居ても回りから不自然に見えず、放課後や休日の空虚な時間を埋めてくれる相手なら、誰だってかまわない。ひとりでいた花乃子に最初に声をかけてきたのが、たまたま喬だっただけなのだ。
 喬が女を殴る云々という話だって、特に珍しいとは思わない。まだ未熟で抑えの効かない少年たちには良くあることだ。花乃子も、以前につき合っていた少年と別れる時に、何度か殴られたことがある。
 それだって、いい。……誰だって、かまわない。あのひと以外の男なんて、どうせ誰であっても同じなのだから。
 やがて、教室のドアががらりと開き、
「よう、花乃子」
 ブレザースーツをだらしなく着崩した少年が、花乃子を呼んだ。
「げ、宮本だ!」
 花乃子にへばりついていたクラスメイトは、とたんに椅子を蹴って立ち上がり、教室の奥へと逃げ込む。
「ちょっと花乃子ぉ! あたしが宮本のことしゃべってたなんて、あいつに言わないでよ! やだかんね、あたし!」
「何にも言わないったら……」
 教室の入り口では、喬が焦れったそうに花乃子を睨んでいる。
 小さくため息をつき、花乃子は席を立った。
「お前、放課後、ひま?」
「うん、まあ……」
「ならつきあえよ。昇降口んとこで待ってっから」
「――わかった」
 強引な誘いに、花乃子は何の感情もない声でうなずいた。

   ◇

「……どこ、行くの?」
「どこって――俺も別に決めてねえ」
「じゃああたし、デパート行きたい」
「デパート? マルキューか?」
「そういうファッションモールじゃなくて、ほんとのデパート。地下に食料品売り場があって、屋上が遊園地になってるようなとこ」
「はあ? なに考えてんの、お前?」
 校門を抜け、最寄りの私鉄駅に向かって歩きながら、花乃子は喬に言った。
「いいじゃん、別に。好きなんだもん」
 冷たい風が吹く十二月の街は、すっかりクリスマスカラーに染まっている。
 背の高い喬と並んで繁華街を歩くと、けっこう人目を惹く。少しきつめの面差しに、影を作るような長めの前髪が良く似合う。だらしない制服も、喬が着ればそれなりにさまになっていた。
 花乃子もまた、派手な化粧や極端に縮めたミニスカートがなくても充分に見る者を惹きつけるだけの可愛らしさを持っていた。けしてモデルみたいに、というわけではないが、スタイルにもそれなりに気を使っているし、ちょっとあがり気味の大きな瞳は生意気そうで、誰もがつい声をかけたくなってしまう。小さいけれどふっくらしたラインの唇は、いかにもキスが似合いそうだ。高めの位置からボンボンを飾ってふたつに垂らした三つ編みが、少しロリータがかってなおさら男たちの興味をそそるのかもしれない。
 制服もあまり極端に着崩したりはせず、オーソドックスな格好だ。上に重ねているのは、キャラメル色のダッフルコート。――可愛い子ぶって、と、陰口をたたかれることもあるのだが。
「で? ここでいいのかよ」
 喬は、とりあえずほかに目的もなかったのか、ぶつぶつ文句を言いながらも、花乃子と一緒に駅前の老舗デパートまで来てくれた。
 最初に地下の軽食コーナーでソフトクリームを買って、
「ねえ、オモチャ売り場行かない?」
「はあ!? なに考えてんだ、お前!?」
 赤い手すりのエスカレーターに乗って、上の階へ向かう。
 平日のオモチャ売り場は閑散としていた。派手な色彩の玩具たちもどことなく淋しげだ。けれど休日になれば、ここも親子連れのにぎやかな歓声であふれかえるのだろう。
「あたし……。小ちゃい頃、よくこういうデパートのオモチャ売り場で迷子になったんだ」
「へえ――」
 喬はまるで興味のない声で、いい加減な返事をした。
 花乃子は別にそれでもかまわない、と思った。彼に話を聞いてもらいたいわけでもないのだ。
 ただ、こういったデパートに来てみたかっただけだから。でもここは、どちらかというと大人――おばさん向けの商業施設だ。学校帰りに女子高生がひとりで寄るのが一般的な場所だとは思えない。来て悪いわけじゃないけれど、やっぱりなんか浮いてしまうだろう。だから、とりあえず一緒に来てくれる人がいると、都合が良かった。ひとりで歩いてたらなんだかヘンでも、ふたりでいたらそれほどでもない。喬と一緒にいる理由は、それだけだ。
 隣にいる喬を無視し、花乃子はぼんやりと物思いにふける。
 小さな頃はデパートが夢の世界だった。遊園地や動物園も楽しかったけれど、デパートに連れていってもらうのが一番好きだった。
 箱に収められ、きちんと並べられたきれいなオモチャたち。近所のショッピングセンターとの品揃えとはちょっと違って、少しおしゃれで気取ったよそいきの服。店員さんも、行き交う他のお客さんたちまでがみんなつんと澄ました顔をしていた。そんな独特のお洒落な雰囲気が、小さい花乃子は大好きだったのだ。
 人少ないデパートの売り場。花乃子の目の前を、幼い自分の幻が歩いていく。
 あれは5才――いや、もう少し以前のことだったろうか。
 背の高い、優しい笑顔の青年に手をひかれて、小さな花乃子ははしゃぎ回っていた。
 ねえ、あれ欲しい。これ買って。そんなつもりもないのに、目に付いた商品をかたっぱしから指さしていく。とにかく、隣にいる青年とおしゃべりしたくてしかたがなかったのだ。
 ――ねえ、あれなあに? あ、向こうにいいのがあるよ! ひっきりなしにしゃべり続け、あっちへふらふらこっちへふらふらと、すっかり浮かれている花乃子は本当に落ち着きがなかった。
 迷子になるから、絶対にぼくの手を離しちゃだめだよ。ちゃんとそう言われていたのに。
「よう」
 不意に肩をつかまれる。
「えっ!? な、なに?」
 ぼーっと思い出に浸っていた花乃子は、ようやく我に返った。
「もういいだろ。そろそろ行こうぜ」
 待ちきれなくなったのか、ひどく不満そうな顔をして、喬が花乃子の肩を乱暴に引き寄せた。
「なあ。今日はお前ん家行っていいだろ。俺、ホテル代の金ねえんだよ」
「うちは――家は、だめ!」
 花乃子は思わず大きな声を出し、喬の手を振り払った。
「だってうち、ゆうす……パ、パパがいるんだもん!」
「――パパぁ? おふくろさんじゃなくてか?」
「う、うん。うちのパパ、自宅で仕事してるの。ママはあたしがうんと小さい時に死んじゃったし、パパ、外国の本とか翻訳するのが仕事だから」
「へえ……。なら、しょうがねえな」
 喬は先に立って歩き出した。ほかにどうしようもなくて、花乃子もそのあとについていく。
「じゃあ、俺ん家でいいか。たぶん、うちの親なら昼間はいねえしよ」
「――うん……」
 本当は、行きたくない、と思ったけれど。
 でもしかたがない。
 こうして嘘をついていなければ、きっと本当の気持ちがばれてしまう。
 けして誰にも言ってはいけない、本当の気持ち。誰も知らない、知られてはいけない、本当の花乃子。
 花乃子はきゅっと唇を咬み、足早に歩き出した喬を黙って追いかけた。
 電車とバスを乗り継いで、喬の自宅へと向かう。都心から少し離れた、人影のまばらな住宅地。駅から徒歩で一五分ほど、少し古びた二階建ての住宅が、彼と家族の暮らす家屋だった。
 喬の言ったとおり、家には誰もいなかった。しんと静まりかえり、どこかよどんだような空気がふたりを出迎えた。
 喬はそのまま無言で花乃子の手を引き、二階の自分の部屋へ連れていった。
 室内は雑然として、少し汗の匂いがこもっているように感じられる。
 まだ入り口付近に立ったままためらっている花乃子は、喬は強引にベッドへ引きずり込んだ。
「あ――! ち、ちょっと待ってよ。このままじゃ制服がシワになっちゃう……」
「どうせすぐ脱ぐんじゃんかよ」
 のしかかってくる重く熱い身体。押しつけられるキス。熱い舌先が花乃子の唇をさぐり、こじ開けようとする。
 そのあいだに喬の右手は忙しなく動き、花乃子の着ている制服のセーターをまくりあげ、下から胸元に侵入しようとしていた。
 スカートが剥ぎ取られ、両脚を大きく開かされる。
「待ってよ、まだヤだったら……!」
「いいじゃんかよ! ここまで来といて、今さらぐだぐだ言うなよ!」
 脚を閉じようとしても、あいだに硬い膝が割り込んでそれを許さない。
 小さなショーツの中に、長い指が強引に侵入してくる。
「……あっ!」
 花乃子は思わず小さく悲鳴をあげ、身体をびくっとすくませた。
 外気にさらされていた喬の指はまだ冷たく、乱暴に動かされると痛いくらいだ。
 けれど喬はそんな花乃子の様子にもまったくかまわず、さらに奥へと指をもぐり込ませる。
 ブラウスをはだけられただけの胸元に、硬い皮膚がこすりつけられる。耳元に吹きかけられる、荒れた忙しない呼吸。若い体温に熱せられ、獲物を喰らう肉食獣のようだ。時々、低いうなり声のようなあえぎすら混じる。
 花乃子はきつく唇を噛みしめ、拒否の声を押し殺した。
 ――だって、しょうがない。こいつとこういうことしてなきゃ、回りにヘンに思われる。
 ひとつの大きな嘘を隠すために、毎日毎日、いくつもの小さな嘘を積み重ねていく。
 ――大丈夫。これは、あのひとの指。今、私に触れているのは、あのひとの優しい手。
 かたく瞼を閉じ、花乃子は必死で自分に嘘をついた。少年の顔を見ないようにして、脳裏に別の男の面影を思い浮かべる。想像の中で、ふたりの姿をすり替える。――ほらね、大丈夫。痛くなんかない。今、私を抱こうとしているのは、あの優しいひとだから……。
 目を閉じて作った暗闇を、ふと優しい笑顔の面影がよぎる。
 ……花乃子。
 少し低くあたたかい声が、自分の名前を呼ぶ。そんな幻が聞こえる。
「ふ……っ」
 はかない幻聴に、花乃子の身体が小さく反応した。
 ぴくんと肩が揺れ、こわばっていた両脚から少しずつ力が抜けていく。そして少年の指がまさぐる秘花が、わずかに蜜をたたえて潤んだ。
「ん、ん……っ」
 それはけして、身勝手で性急な少年の愛撫に応えてのものではない。花乃子の脳裏をよぎった幻影が導いたものだ。
 けれど喬にはそんなことはわからない。花乃子が充分に自分に応えてくれたと思い、そのまま強引に身体を重ねてきた。
 喬の手が花乃子の膝をつかみ、乱暴に開かせる。両脚が限界近くまで大きく広げられ、硬い身体がのしかかる。
 猛々しく張りつめた欲望が、花乃子の中にねじ込まれた。
「くう……っ!」
 自分の中に、自分ではない体温が、激しい脈動が侵入してくる。太腿を、指先が食い込むくらい強い力で掴まれ、がくがくと揺さぶられる。
 その衝撃と、身体の芯を内側から錐で突き刺されるような痛み、そして拭いがたい違和感とに、花乃子は唇を噛みしめ、懸命に耐えていた。

   ◇

 やがて、冬の短い夕暮れが足早に過ぎ去り、あたりが完全に夜の風景になった頃。
 花乃子はようやく自分の家にたどり着いた。
「ただいま……」
 3LDKの、あまり広くはない分譲マンション。けれどふたりきりで暮らすなら、これで充分だ。
「お帰り、花乃子。遅かったね」
 ロールカーテンで仕切られたリビングから、少し低めの優しい声が花乃子を出迎えた。
「……悠介《ゆうすけ》」
 リビングでは、背の高い青年がローソファーに腰を下ろし、花乃子が玄関から室内に入ってくるのを待っていた。
 しゃっきりと切り揃えた前髪が、少し目元に影を落とす。縁のない透明な眼鏡、ざっくり編んだセーターとジーンズというラフな服装が、なおいっそう彼を若く、少年めいて見せていた。
 各務《かがみ》悠介――花乃子の、たったひとりの家族。そして……。
 その笑顔を見たとたん、花乃子の胸の奥で、心臓がひとつ、熱く鋭く痛んだ。
「どうかしたの?」
「う、ううん。なんでもない」
「おなか空いたろう? ご飯の用意できてるよ」
「あ……、いいの、あたし――。友達と外で食べてきたから」
「そうかい?」
 花乃子はダッフルコートを脱ぎ、自分の部屋へ向かおうとした。
 が、ドアの前で足が止まってしまう。
「……訊かないの? こんな時間まで、どこでなにしてたんだって」
 悠介はリビングのテーブルいっぱいに広げていた翻訳原稿や辞書から視線を上げようともせず、静かに答える。
「ぼくは、信じてるから。花乃子はけして自分で自分を傷つけるような莫迦な真似はしないって」
「悠介……」
 その返事に、花乃子は強く唇を咬んだ。
 そして、なにも言わずに自分の部屋に飛び込んだ。
 ダッフルコートとマフラーを床に放り出し、制服も脱がないまま、ベッドに倒れ込む。
 枕に顔を押し当てたのは、声が部屋の外にもれないようにするため。
 ――嘘つき。
 悠介の嘘つき、嘘つき。
 花乃子のことなんか、本当はどうでもいいくせに。花乃子になにも訊かないのは、信じてるからなんかじゃない。花乃子がどこでなにしてようと、なんにも興味がないからでしょう!
 花乃子のことを見ようともしなかったくせに!
 どうしてなんだろう。昔は、花乃子が悪いことをしたら、ちゃんと叱ってくれたのに。いつからだろう、悠介が花乃子の行動を確かめなくなったのは。
 昔は、迷子になった花乃子を必死に捜してくれ、そして叱ってくれた悠介だったのに。
 幼い頃、デパートで迷子になった花乃子を迎えに来てくれたのは、悠介だった。他の迷子はたいがい両親揃ってか、あるいは母親が迎えに来ていたけれど、花乃子のもとへはいつも悠介ひとりだけが来てくれたのだ。
 その時すでに花乃子の母はこの世に亡く、花乃子を護ってくれるのは、まだ大学を卒業したばかりのこの年若い青年ひとりきりだった。
「どうしたんだい? 花乃子」
 ほかの子どもたちが母親に手を引かれていくところを、つい目で追ってしまった花乃子に、悠介は少しだけ淋しそうな表情を見せた。
「やっぱり……花乃子も、ママのほうがいいのかな?」
「えっ!? ――ううん!!」
 花乃子はあわてて、力一杯首を横に振った。
「へいき! かのこ、ぜんぜんへいきだもん! だって、ゆーすけがいてくれるもん!!」
 花乃子の手を引いてくれる、大きな優しい、あたたかい手。小さな花乃子にあわせて、ゆっくり歩いてくれる人。
 このひとがそばにいてくれれば、こうして花乃子の手をしっかり握っていてくれれば、怖いことも淋しいこともない。
 悠介がずっと一緒にいてくれたら……。
 ずっと、ずっと、そう思っていた。
 悠介もそう思っていてくれていると、信じていた。
 それなのに――。
 悠介が面と向かって花乃子を叱ってくれなくなったのは、いつ頃からだったろう。
 気がつけばふたりで話をする時間も減り、互いに目をそらすことばかり多くなっていった。
 花乃子の気持ちは、幼かったあの日と何にも変わっていないのに。悠介がいれば、ほかにはなにもいらない。
 ――ほかに誰もいなくて、いい。
「悠介……」
 ベッドに身体を投げ出し、枕にしがみついて、花乃子は彼の名前をつぶやいた。
 もっと花乃子を見て。悪いことしてたら、ちゃんと叱って。花乃子のこと、もっともっと考えていて。――花乃子がいつも、こんなにも悠介のことばかりを思っているように。
 つぶやくたびに、胸が痛い。息が詰まるほど、つらい。哀しい。
 こんなこと、考えちゃいけないのに。
 だって悠介は、血がつながらないとはいえ、花乃子のパパなんだから。
 いけないと、許されないと、思えば思うほど、胸を突き上げる力は強くなる。
 好きになってしまったこの気持ちが叶わない、それだけじゃない。このひとが好きと、胸の中で思うことさえ許されない。誰かに恋をする、そんな当たり前の気持ちまで、自分で自分に禁じなくてはいけないなんて。
 だから、声をかけてくる同じ年頃の少年たちと次々につき合い、少しでもこの想いを忘れようとしてきた。とにかく自分を振り回し、時間を奪ってくれるような男の子たちの言いなりになって。
 そうしているあいだだけは、なにも考えずにいられる。自分の気持ちを自分でいけないこと、悪いことだと罰し続けなくてもすむ。
 そしてこうしていれば、誰も花乃子の真実に気づかないはず。
 本当はこんなこと、少しも楽しくない。少年たちと遊び歩いていても、どんなに身体を重ねても、誰も花乃子の心を埋めてくれなかった。
 彼らといっしょにいても、気づけばいつも心は別の人のことでいっぱいになっている。口先だけの会話を続けてもすぐに飽きて、続かなくなる。そして想いのともなわないSEXなんて、本当は少しも嬉しくない。快感すらもない。
 花乃子の相手をした少年たちは、それに気づいていないのだろうか。それとも、虚しくてもいいからとりあえず身体の欲求を満たしてくれる女がいればいいと、割り切っているのだろうか。
花乃子の心にいるのは、たったひとりの人だけだ。本当はその人以外、誰にも触れてほしくない。
「悠介……。悠介、悠介――!」
 唇からこぼれる名前が、とまらない。息がつまるような胸の痛さも、ひどく熱い目元も、少しも収まらない。もっとつらく、激しくなるばかりだ。
 涙がこぼれた。
 嘘つき花乃子の、たったひとつの本当の気持ち。
 誰にも言えない、言ってはいけない、本当の気持ち。
「悠介……大好き――!!」


【LOVELOVEシーンの出だし】
「あたし……、悠介をパパだなんて思ったこと、一度もない――。ずっと、ずっと前から……」
「花乃子――」
「悪いことだって、わかってる。でも……でも、嘘じゃない。ほんとなの。悠介が……悠介だけが、好き……!」
 悠介は困惑した、まるで今にも泣きそうな表情を見せ、花乃子の身体を自分から引き離そうとした。
 けれど花乃子は小さい子どもみたいにいやいやと首を振り、さらに強く悠介の身体にしがみつく。
 今、離れてしまったら、今までの言葉がまた、みんな嘘になってしまいそうだった。
 ――もう、いや。もう嘘はつきたくない。自分にも、ほかの誰かにも。
「花乃子」
 やがて、悠介が低く花乃子の名を呼んだ。落ち着いた、静かな声だった。
「花乃子。顔をあげて」
 そして大きな優しい手のひらが、花乃子の顎を支え、そうっと上向かせた。
 涙に汚れた頬、真っ赤になってしまった鼻の先。そして、悠介を映して潤む、茶色がかった大きな宝石のような瞳。
「……髪を解いてごらん」
 花乃子がその言葉の意味を理解するより先に、悠介の手が花乃子の髪に触れ、乱れた三つ編みをゆっくりとほどいていく。
 編んだ癖の残る髪が、ばさりと肩から背中へと落ちた。さざ波のように、小さな顔を縁取る。
「ずっと、小さな花乃子のままだと思っていたのに。……ぼくの小さな花乃子だと」
 透明なガラスの向こうから、悠介の瞳がまっすぐに花乃子を映している。
「いつのまにか、こんなに奇麗な女の子になっていたんだな」
「――悠介」
 花乃子の唇から、たったひとつの呪文のように悠介の名前がこぼれ落ちる。それ以外の言葉が、なにひとつ出てこない。
 頬に添えられた悠介の手に、自分の手を重ねる。両手で悠介の手を包み、そっと頬から肩へと降ろさせる。
 そのまま花乃子は背伸びをした。悠介の首に両手を回し、彼を引き寄せる。
 花乃子は、自分から悠介の唇にキスをした。
 幼い、触れあうだけのキス。
 背の高い悠介に合わせて背伸びし続けるのがつらくて、それもすぐに離れてしまう。
 唇が離れると、花乃子は黙って悠介を見上げた。
 悠介が身をかがめる。優しい美貌が、影になって降りてくる。
 ふたたび唇が重なった。
 今度は、互いの呼吸が溶け合い、熱く絡みあう大人のキス。
 悠介の舌先が軽く花乃子の唇をノックし、開きなさいとうながす。花乃子がおずおずとそれに従うと、するっと悠介が忍び込んできた。
 花乃子を誘い、導き、絡め取るキス。悠介のキス。
 少しほろ苦い、煙草の匂いがする。
 そのまま悠介にうながされ、花乃子はゆっくり膝を折った。両膝をつき、床の上にふたり座り込む。そのあいだも、熱いキスは離れない。
 そして悠介は花乃子を強く抱きしめた。




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