その日から、若様に朝夕のお茶をお届けするのは、わたしの仕事になりました。
 女中頭さんはこのことに大反対でしたが、最後にお許しをくださったのは、なんと奥様でした。
「かまわないでしょう。だって、桜乃は国光さんの名付け子ですもの」
 そうおっしゃって、奥様はとてもほがらかにお笑いになったのだそうです。
「あの無粋な国光さんが、『桜乃』なんて、ずいぶん綺麗な名前を考えたこと。冬に来た子なら雪乃、五月の頃なら藤乃になったのかしらね」
 お三時やお夜食のお飲み物には、たいがい軽くつまめるお菓子が添えられていました。甘い花のような香りの西洋菓子の時もあれば、練り切り
(注:茶道で用いられる和菓子の一種)や金平糖のこともあります。若様はいつもそのお菓子を、みんなわたしにくださるのでした。
 そうやってお菓子をいただく間だけは、わたしは若様のおそばで、お顔を見ていることができました。
 若様はたいがい、分厚い本を開いてお勉強をなさっておいででした。
 夜はご自分のお部屋でオイルランプを灯されて。休日、お天気の良い午後などは、あの四阿にいらっしゃることもありました。
 わたしがお茶をお届けしても、若様はいつも、なにもおっしゃいませんでした。黙ってお飲物を受け取られるだけで、わたしのことなど気にも留めておられないだろうと、そう思っていたのですが。
「桜乃。その手はどうした」
 お盆を差し出したわたしの手を見て、そうおっしゃったことがありました。
「い、いえ。なんでもありません」
 わたしは慌てて、両手を背中の後ろに隠しました。
 実はお茶を運ぶ直前に、お庭で転んで両手をすりむいていたのです。ちゃんと洗ったつもりだったのですが、手のひらの傷にはまだ少し血がにじみ、ずきずきと疼くように痛んでいました。
 そんな手で若様にお茶を運んだことが申し訳なくて、なによりそそっかしい娘だと若様に思われたくなくて、わたしは両手を引っ込めてしまうしかありませんでした。
 ですが若様は、
「見せるんだ」
 有無を言わせないお声で命じました。
 若様は傷の様子をたしかめると、そのままわたしの手を引いて、庭の隅にある井戸へと連れていきました。
 そして御自分で真鍮製のポンプを動かし、わたしの傷を洗ってくださったのです。お着物が濡れるのもかまわずに。
「わ、若様! だめです、お袖が濡れます!」
「じっとしていなさい」 
 わたしの手を蛇口から勢い良く流れ出る水の下へ突っ込むと、若様はそのまま傷のそばをぎゅっと強く指で押しました。
「きゃっ!」
 ずきんっ!と頭のてっぺんまで痛みが走り抜け、少し深くえぐれていた傷の奥から、小さな石のかけらが押し出されました。
「やっぱり。まだ石が入っていた」
 ほかに異物が残っていないことをたしかめると、若様はもう一度丁寧にわたしの傷を洗ってくださいました。
 それから、絹の半巾
(ハンカチ)を二つに裂いて、わたしの両手に巻いてくださいました。
「たかが擦り傷だからと、放っておくな。小さな傷から毒や病の元が入り込み、命にかかわることだってあるんだ」
「はい……」
「まだ痛むか?」
「いいえ」
 わたしは小さくかぶりを振りました。まるで魔法のように、痛みはなくなっていました。
「そうか」
 若様は、半巾の上からそっとわたしの手を包み込むように握りました。
「泣かずによく頑張ったな。偉かったぞ」
 そして優しく、ほほえまれたのでした。
 眼鏡の奥で、黒い湖のような瞳が、まっすぐにわたしを映していました。
「これからは気をつけなさい」
「はい」
 そう返事はしましたが、けれどわたしは心の奥底でまったく違うことを考えていたのでした。もしもまた怪我をしたら、また若様が治癒
(なお)してくださるだろうか、と。
 きっと治癒してくださるに違いない。だって若様は、必ず立派なお医者様になられる方だもの。わたしはそう思いました。若様に治癒せない病気はないに違いない、と。
 また時には、若様のお友達がお屋敷に遊びにいらっしゃることもありました。
 同じく帝大に通い、同じようなご身分の方ばかりです。女中頭さんの言葉を借りれば、「みなさん、才気煥発で志
(こころざし)高く、さすがは国光坊ちゃまがお選びになったご学友」というわけです。
 彼らはみな背が高く、力強い眼差しをしていました。みなさんがお揃いになると、この広いお屋敷も狭く感じられ、気温さえ少し上がるように感じられます。その上、いつも早足で歩くので、わたしの眼にはまるで彼らが風のようにお屋敷中を走り抜けていくように見えました。
 お友達がいらした日は、若様の部屋の灯りは一晩中消えることはなく、国家と世界を論じる声が夜遅くまで聞こえているのでした。


 やがて季節は春から初夏へと移り変わり、うっとうしい長雨の時期になりました。
「こんな天気の時にお屋敷に到着したのでなくて、良かったね、桜乃。もし今の時期に着いたんなら、お前の名前は雨乃か傘乃だよ」
 などと、先輩の女中さん方からからかわれていた、ある雨の日。
 その日は、若様のご帰宅がずいぶん遅くなりました。
 几帳面な若様は、お夕食までに帰宅できない時には必ず知らせを寄越してくださいました。料理を無駄にして、料理人をがっかりさせてはいけないから、と。けれどその日はそのような連絡はなにもなく、みなでいったいどうしたのだろうと心配していました。
 やがてあたりが真っ暗になり、お屋敷中のオイルランプを灯し終えた頃。
 玄関の車寄せに、荒々しい蹄の音が響き渡りました。
 二頭立ての馬車がまるで玄関へ突っ込むような勢いで、お屋敷の敷地内へ飛び込んできたのです。
 見慣れない黒塗りの馬車には、不二伯爵家の家紋が描かれていました。
「まあっ、こ、これはいったい――!?」
 慌てふためく人々の前で、馬車のドアが開きました。
 中から飛び出してきたのは、若様でした。
 若様は両腕に、一人の男性を抱きかかえていました。わたしも一、二度お見かけした、若様のお友達です。
 ぐったりとのけぞったお顔は蝋のように真っ白で、片手もだらりと垂れ下がったままです。まるで息をしていないように見えました。
 そしてその方の着ている絹のシャツは、襟元から腹部のあたりまで、べったりと血に染まっていました。
 眼に突き刺さるような、あまりにも鮮やかな血の朱でした。
「若様っ! ま、まあ、そちらは不二伯爵さまの――!」
 男の使用人たちが手を貸そうと、急いで走り寄ろうとした時。
「さわるなッ!」
 若様が鋭く言い放ちました。
「俺が良いと言うまで、誰も周助に触れるな!」
 そして意識もない様子のお友達を抱え、階段を駆け上がっていきました。
「周助は俺の部屋に寝かせる。今すぐ湯を沸かして、持ってきてくれ。但し、部屋に入る時には必ず手ぬぐいで鼻と口を覆うんだ。それから消毒薬を用意しろ。あとで伯爵家の馬車を消毒する」
 家令さんと女中頭さんに慌ただしく指示を出し、最後に若様はわたしを見据えて言いました。
「桜乃。お前は、俺の部屋へ近づいてはいけない。この病は、お前のような体力のない小さな子どもに、もっとも感染しやすいんだ」
 そうして、若様は部屋の扉を固く閉ざしてしまいました。
 あとから聞いた話では、お友達の不二様は伯爵家の別宅でお倒れになったのだそうです。
 ご自分の病が他人
(ひと)に感染(うつ)ると知っていた不二様は、使用人も誰も近づけさせず、一人お部屋に閉じこもっていました。それを知った若様が無理やりお部屋を開けさせ、血を吐いて倒れていた不二様を手当てのためにお屋敷へ連れてきたのです。
 不二様はそれから丸二日、意識の戻らない状態が続きました。
 その間、若様は不二様の寝ている部屋は誰も入らせず、お一人で看病していました。
 三日目の朝、不二様はようやく眼を醒ましました。
 若様だけではなく、お屋敷中の誰もがほっと安堵のため息をつきました。
 若様がお友達のお命を救ったのだ、わたしはそう思いました。若様がいらしたから、正しい手当てをなさったから、不二様はお命を取り留めたのだ、と。
 それはたしかに、間違いではなかったでしょうが。
 それから半月ばかり、不二様はお屋敷で養生されていました。伯爵家に戻るにせよ、もっと治療に適した環境へ移るにせよ、今、不二様を動かすことはできないと、若様が判断したのです。
 そして、梅雨の雨雲が切れて、ひさしぶりに晴れ間がのぞいた日。
 わたしは女中頭さんの言いつけで、お屋敷中の窓を開けて回っていました。閉めきっていた部屋の空気を入れ換えるのです。
 次々にお部屋の窓を開け、若様のお部屋の前まで来ると、わたしはちょっとためらいました。
 このお部屋では、不二様が寝
(やす)んでいます。わたしはここに近寄ってはならないと言われていました。
 けれどわたしは思い切って、部屋の扉を開けました。若様のお言いつけどおり、口と鼻をしっかりと手ぬぐいで覆って。
 不二様を起こしてはいけないと、できるだけそっとお部屋に入ったのですが、不二様は眼を醒まして、ベッドの上に身体を起こしていらっしゃいました。
「失礼いたします」
 わたしはお辞儀をして、急いで窓に駆け寄りました。
「お部屋に風を入れますね。今日はひさしぶりに晴れましたので。寒かったら、おっしゃってください」
 不二様は、まだお顔の色は紙のように真っ白で、ひどくおやつれになった様子でした。けれど優しい笑顔は、以前にお見かけした時とまったく変わっていませんでした。
「大丈夫なのかい? ぼくに近寄ってはいけないと、手塚に言われているだろう」
 わたしは振り返り、手ぬぐいを指でさしました。
「平気です。お部屋に入る時は口と鼻に手ぬぐいを巻いて、使った手ぬぐいは必ずお湯でぐらぐら煮るんです。こうすれば病の元が身体の中に入らないんだそうです。あとはしゃぼんでしっかり手を洗えば良いと、若様が教えてくださいました。それに若様は、この病は身体の弱い小さな子どもに感染りやすいとおっしゃいました。わたしは身体は丈夫ですし、もう子どもじゃありません」
 不二様は静かに、楽しそうに笑いました。
「手塚のことを、ずいぶん信じているんだね」
「だって、若様は今にきっと、お偉いお医者さまにおなりなんです。不二様のご病気だって、若様が必ず治癒してくださいます!」
 そうです。あんなに勉強して、なんだってご存知の若様なのです。どんな病気だって、必ず治癒してくださいます。若様に、出来ないことはなにひとつないのです。わたしはそう信じていました。
 ――子どもでした。本当にわたしは、なにもものを知らない、無邪気で愚かな子どもでした。






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