「だ、だから……だから、なんだよっ!」
 森本がどなり返した。
「てめえがオレらを恨んでたからって、なんだってんだよ! てめえひとりがバカみてーにわめいたからって、オレらが、てめえのことなんかおぼえてるわけねえだろ!」
「ほんとに、そうか?」
 ひかるはまた、にたあっと、あのおそろしい、残酷な笑いを浮かべた。
「おまえら、本当に平気か? 一生、誰かに心底憎まれてんだぞ。大学行こうが、大人になって結婚しようが、ずっと、ずうーっと、誰かに憎まれ続けてんだぜ? おっかなくないか?」
 まわりの生徒たちの顔を、ひとりひとりたしかめるように、ひかるは見回した。
「オレのこと、本当に忘れられるか? オレは顔もわかんねえ、文字だけのメール相手じゃねえ。こうしておまえらの前にちゃんと立ってる、生きた人間なんだ。その人間に、自分と同じ人間に、恨まれても憎まれても平気で生きていけるほど、おまえらは本当に強いのか? 自分ひとりじゃ誰かをいじめることもできねえくせに!」
 ――な、な、なに言ってんだよ、ひかる!
 光はあわてて、自分のからだに飛びついた。そのからだを動かしている、ひかるに。
「やめてよ、ひかる! なんでわざわざ、みんなにきらわれるようなことばっか、言うんだよ!」
 けれどひかるは、光の必死の声も、きれいさっぱり無視した。
 光はなにもできない。どついたりけとばしたり、最悪の実力行使に出ようとしても、光のパンチやキックは、すかッ、すかッと、からだをすり抜けてしまう。
 ――ああ、そうだ。ぼく、今、幽霊なんだ。
 魂だけの、死んだも同じの存在。だから、なんにもできないんだ……!!
「な……、なに言ってんだ、てめえ。バカじゃねえの?」
 森本が、ひかるに言った。その口元がひくひくゆがんでいる。
 クラス中が異様な空気に包まれていた。まるで見えない火花が、バチバチと無数にはぜているみたいだ。
 とても、怖い。
 空気のように透けて、誰にもその存在を認識されていない光でさえ、とても怖かった。
 もう、おしまいだ。ひかるは――光のからだは、ぼこぼこにされるだろう。クラス男子18人全員に、よってたかって殴られる。今度こそ、ケガじゃすまないかもしれない。いつも来るメールのとおり、本当に殺されるかもしれない。
 ――ぼくのからだが、死ぬ。殺される。ぼくは本当に、幽霊になっちゃうんだ……!
 けれど。
「こ……、こいつ、アタマおかしいよ。ぜってー、フツーじゃねえ」
 誰かが、おびえた声で言った。
 光をかこむ輪の、うしろのほう。そこで声をあげたのは、クラスの中でもあまり目立たない生徒だった。
「木島……」
 光は思わず、そいつの名前を呼んだ。
 ――木島。なに、こわがってんの、おまえ?
 木島は、怖がっていた。目を伏せて、おどおどびくびくして、ネズミみたいだ。それは、光のことを見て見ぬふりを続ける相沢先生の表情に、そっくりだった。
「こんなヤツの相手することなんか、ねえよ。無視しようぜ、無視。な? それよか、みんな、早く校庭に出よう。なっ!?」
 まるで助けを求めるように、木島はクラスメイトたちを見回した。
「あ、ああ……。ああ、そうだよな」
「こんなヘンなヤツなんか、ほっとこうぜ。オレらには関係ねーよ」
「森本。おまえももう、井上なんかにかまうなよ。あんまりそいつの近くにいると、おまえも井上菌に感染して、アタマおかしくなんぞ!」
 クラスメイトたちは、ジャージに着替えおわっていた者から先に、ばたばたと教室を飛び出していった。お化け屋敷から逃げ出すように。
「ふ、ふんっ!」
 森本もえらそうにあごをあげて、ひかるを見下ろそうとした。が、真正面からにらみ返すひかるに、ひどく落ち着かない様子を見せる。
「ば、ばーか! 死ね! 死ね、死ね、死ねっ!」
 同じことばをわめきながら、森本も教室を逃げ出す。口から白い泡を飛ばしながら、たったひとつのことばをわめき続けるその様子は、まるで、ほかのことばがなにも言えなくなってしまった、こわれかけのロボットみたいだった。
「あ、も、森本くん!」
 金子や水沢、子分たちも、あわててそのあとを追いかけた。
 やがて教室には、二人のヒカル以外、誰もいなくなった。
「な……、なんで? なんであいつら、ぼくに――いや、ひかるに、なにもしなかったんだ?」
 光は、ぼそっとつぶやいた。
「怖かったからよ」
 ひかるが答える。
 宙に浮いた光を見上げ、ひかるはにこっと笑ってみせた。
「あいつら、怖かったんだよ。あたしに、憎んでやる、恨んでやるって言われたことがね」
「そんな……。どうして? 1対18だよ? 怖いわけないじゃん」
「怖いのよ、それでも。だって、あいつら、誰ひとりとして、面と向かって『おまえがきらいだ、おまえを一生憎んでやる』なんて言われたこと、ないんだから」
 説明しながら、ひかるは絵の具で汚された机を、よっこらしょ、とかかえ上げた。
「この机、もう使い物になんないからさ。予備の机ととっかえちゃおうよ。どっかに空き教室とか、ない?」
「使ってない机なら、階段の下に少しつんであるよ」
 光のことばにしたがって、ひかるは汚い机をかかえて教室を出た。服に絵の具がつかないように気をつけながら、机を持って階段を下りていく。
「ねえ、光。あんただってさ、人から嫌われるのは、つらいでしょ?」
「え? うん、そりゃあ……」
 いじめられて、なによりつらいのは、クラス全員から、先生もふくめた学校の全員からきらわれていると感じることだ。そこまで他人からきらわれる自分は、生きている価値なんかないと、本気で思えてしまう。
「みんな、ふつうはほかの人に、『あんたがきらい』なんて言わないよね。心の中では、どんなにそいつのことをきらってて、陰じゃさんざん悪口言い放題でもさ、本人の前でだけは、絶対『キライ』とは言わないでしょ?」
「うん――」
「だから、真正面から『てめえがだいきらいだ』ってはっきり宣言されると、ほんとに怖くなっちゃうのよ。ふつうはしないことをするくらいだから、こいつ、いったいどこまでおれのことを嫌い抜いてるんだろう、おれは、こいつにどんだけ激しく憎まれてるんだろうって。みんな、他人から嫌われた経験が、ないからね」
 ――ひとからきらわれた、経験?
 ひかるの言っていることは、光にはよく意味がわからない。
「誰かに嫌われるのって、やっぱりいやなことだよね。傷つくよね。でも人間は、世界中の人から好かれるはずなんかない。誰か仲のいい相手がいれば、たいがい同じ数の相手から嫌われてるもんなのよ。それもしょうがない、そういうもんだってあきらめて、覚悟して、生きていくしかないの。きらいなヤツに会っちゃったら、『ああ、いやなヤツに会っちゃったなあ』って、どっちも嫌な思いして、どっちも傷ついて、それでもがまんしてね」
 わかる? と、ひかるは光を見上げた。
「う、うん。なんとなく……」
 たぶん大人は、みんな、そういうふうに生きているんだろう。光はそう思う。
「でも、あんたをいじめてるあの連中は、それががまんできないの。他人から傷つけられることが、怖くて怖くて、どうしようもないんだよ」
 傷つけられるのが怖いから、先に相手を傷つける。傷つけられないように、まわりに同調する。たとえそれが悪いことだとわかっていても、まわりと同じことをするしかない。自分ひとりが違うことをすると、みんなから攻撃されてしまうから。
 それが、光がいじめられていた、本当の理由だった。
「だから、あいつらを思いきり傷つけてやったの。集団にならなきゃなんにもできないひきょう者、オレはおまえらが大っきらいだって、宣言してね。あいつらはなにも言い返せない。だって、自分がそういうひきょうな弱虫だって、自分自身がいちばん良く知ってるんだものね」
 ひかるは、汚れた机を、階段下の使われていない机や椅子の中にまぎれこませ、別の机をかかえあげた。
「さーて、あたしも急いで着替えなくちゃ。光、体操着はどこ?」
「リュックの中だよ」
 机を持って、誰もいない教室にもどり、ひかるはさっさとジャージに着替えた。
「体育の授業にも、出るつもり?」
「当然!」
 四時間めの始まりを告げるチャイムが鳴る。
 ひかるはなんだかとてもうれしそうに、教室を出た。
「なんか……すげえ楽しそうだね、ひかる」
「まあね。体育の授業なんて、ひさしぶりだもん! 大人になるとさ、思いっきりからだ動かしてあばれることなんか、なくなっちゃうからね」
 にこにこと楽しそうな笑顔を浮かべているのは、井上光の顔、からだだ。でもその表情は、ひかるのものなのだ。
 二人が、昇降口に向かって階段を下りようとした時。
 一人の女の子が、階段をのぼってきた。
「あ、井上」
 女の子は、光の顔を見ると、ひどく怒ったような表情を見せた。
「あんた、早退しないで、体育に出る気?」
 にらまれて、ひかるは一瞬、返事に困ったようだった。ちらっと光を見上げ、口の動きだけで小さく「誰?」ときいてくる。
「高倉。同じクラスの子」
 光も小さな声で答えた。――たかくら、なに、だっけ? 下の名前までは覚えていない。
 高倉はひかるとすれちがうように、階段をのぼってきた。
 そして、
「井上。あんた、やりすぎだよ」
 ぶっきらぼうに、高倉は言った。
「さっき、あんたが教室でどなってたの、あたしも聞いちゃったの。あんなことひどい言ったら、あんた、ますますいじめられるじゃん。どうしてあんなこと言ったんだよ!」
「高倉……」
「校庭行くの、やめな。今、森本たち全員で、あんたをどうやっていじめるか、話し合ってるよ。あんた、このまま家に帰んなよ!」
「オレはなんにも悪いことはしてない」
 ひかるははっきりと言い切った。
「オレはただ、ほんとのことを言っただけだ。あいつらがきらいだって。きらいだからてめえらを殴るとも、いじめられた復讐をしてやるとも、言ってない」
「それは――そうだけど。でも、おまえがきらいだなんて、言ってどうなるんだよ! たとえきらいでも、いじめられないためには、みんなと仲良くやってくしかないでしょ!?」
「あいつらと仲良くなって、そんで今度はオレも、あいつらといっしょに別の誰かをいじめてろって言うのか?」
 ひかるの冷たい言い方に、高倉はもうなにも言えなくなってしまった。
「ち……ちょっと、ひかる! そんな言い方するなよ! 高倉がかわいそうじゃんか!」
 光は大声で言った。どうせひかるは、さっきと同じく全然聞いてくれないだろうけれど、それでもだまっていられない。
 ひかるはちらっと、光を見上げた。
 そして、ちょっとあきれたような顔をして見せる。
 でも、それ以上、高倉にひどいことを言うのは、やめてくれた。
 ひかるはだまって高倉の横をとおりぬけ、階段をおりていこうとした。
「井上……!」
「おまえが気ぃ使ってくれてんのは、わかってる。サンキュ。でもさ、オレと口きいてんのがばれたら、今度はおまえがいじめられんじゃねえの?」
「それは……。あんたがだまってたら、バレないでしょ」
 まあね、と、ひかるは小さく笑った。
「おまえは、校庭行かねえの?」
「あたしは――今日、体育休み。外、風が強いし、見学じゃなくて、教室で自習してていいって、先生が言ったから」
「ふうん」
 それ以上はなにも聞かず、ひかるはだまって階段を下りはじめた。
 高倉も、ぱっとひかるに背中を向けて、まるで逃げるように教室へ行ってしまった。
「あ、高倉!」
 光は思わず、高倉を追いかけようとした。
「むだだってば。あんたの声は、あの子には聞こえないよ」
 階段の下から、ひかるが小さな声で言った。
「あ……。そうか――」
 光はため息をついた。
「あんた、ほんとにお人好しだね」
 ため息をつくように笑って、ひかるが言った。
「あの子だって、あんたのいじめに加わってたんでしょ。なんでそんな子に、気ぃ使ってあげる必要があるの?」
「それは、そうだけど……。でもさっきは、高倉、ぼくのために、あんなこと言ってくれたんだしさ」
「あんまりいいアイディアとは思えないけどね。あれじゃ、いじめられないためには不登校になるしかないって、言ってるようなもんじゃない。緊急避難としては、その方法もアリだけどさ。逃げてるだけじゃ、問題は解決しないわ。家に引きこもっていれば、いじめられることはないけど、今度は、自分は逃げたんだって負い目をしょいこむことになるんだもの。自分の負い目と戦うより、他人と戦うほうがずっとかんたんよ」
 でも、高倉に言えることは、それだけだったにちがいない。
 高倉だって、いじめられるのは怖いはずだ。だから、みんなといっしょにいる時に、光に声をかけたことは一度もない。森本たちがどんなにひどいいじめをしていても、だまって、なにも見ないふりをしていた。ほかのクラスメイトや、相沢先生と同じように。
 それでも、
「ぼくに言ったことが、高倉にできるせいいっぱいだったんだと思う。ぼく、高倉のその気持ちは、認めてあげたいんだ」
「あんたって……」
 半分あきれたように、それでもなんだかうれしそうに、ひかるは笑った。ちょっと肩をすくめ、ふうっとため息をつく。
 そのしぐさは、とてもおとなっぽくて、かっこ良かった。もっともからだは、光のものなのだが。
 ――なんだろう。ひかる、ぼくになにを言いたいんだろ?
 ぼくが底抜けのお人好しだってこと、ひかるにとっては、悪いことじゃなかったんだろうか?
 そう思うと、光もなんだかうれしい。誰かに――ひかるに、自分は悪い人間じゃないと思ってもらえることが、うれしかった。
 けれどひかるは、それ以上はなにも言わなかった。
「さ、行こう! 授業に遅れるよ」
「あ、待ってよ、ひかる!」
 ひかるがいきおい良く走りだす。
 光も、あわててそのあとについていくしかなかった。





 今日の体育は、ミニサッカーだった。
 男女それぞれが赤と白の二つにわかれ、試合をする。
 背の順で並び、交互に赤チーム白チームに分かれたため、今度は光も、理科の実験班のように仲間はずれにされることはなかった。――うわべだけは。
「じゃあ、始めるよー! ちょっと寒いけど、みんな、元気良くねー!」
 相沢先生の合図で、サッカーが始まった。
 光も、みんなと同じくコートの中に立つ。――いや、ひかるだ。からだは12才の井上光だが、それを動かす魂は、25才の成瀬ひかるなのだ。
 光はその姿を、宙にただよいながら、ただ眺めているしかなかった。
 森本や福田が、ちらちらとひかるを見ている。ほかの男子もみんな、薄笑いを浮かべて、なにかを確かめ合うように、おたがいうなずいたり、こっそりひかるを指さしたりしている。
「だいじょうぶなの、ひかる!?」
 すうっとひかるのそばに近づいて、光は言った。
 森本たちは、絶対なにかをたくらんでる。授業中、先生の見ている前で、殴ったりけったりはしないだろう。でも、そのほかのこと、けがをするような暴力でなければ、なにをしたって平気だと思っているはずだ。
「ねえ、ぼくと入れかわろう。ぼくなら、もう慣れてるから。なにされたって、がまんできるよ」
 ひかるはちらっと光を見上げ、そして小さく首を横にふった。まわりの人間に見つからないよう、ほんの少しだけ。
 そして、ボールを追いかけて、走りだす。
「ひかる――!」
 森本たちのいじめは、とても単純だった。
 ひかるにいっさい、ボールを回さなかったのだ。
 ひかると同じ赤チームのメンバーも、光には絶対パスを出さない。まるでひかるなんかいない、見えない、というように。
 ひかるがボールを取りに行こうとすると、みんな、あわてて大きくボールを蹴る。その先にいるのが、敵の白チームだって、関係ない。
 まるで、ひかる対残りの男子全員で、試合をしているみたいだ。しかもみんな、ひかるがボールにさわれないよう、パスを回し合うだけで、ろくにシュートもしない。まるでサッカーになっていない。
「なるほどね」
 ひかるが小さくつぶやくのが、光にだけは聞こえた。
 そして、いきなりボールに向かって猛ダッシュした。





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