「槍隊、構えぇーッ!!」
 八郎太は叫んだ。
「続けええーッ!」
 那原の足軽隊、約一五〇。
 足軽大将を先頭に、全員がひとつの大きな生き物のようにかたまり、狭い虎口を飛び出していく。
 そこへ、桑島勢の先陣が突っ込んできた。
 両側は幅五間(約九m)もの深い水堀。人馬が越えられるものではない。
 当然、戦闘は唯一の出入り口である橋の上が中心になる。
 八郎太率いる足軽隊は、橋を死守するべく、その手前に槍の穂先を揃えて立ち並んだ。
 彼らを軍馬の蹄で踏みつぶそうと、桑島の騎馬武者隊が突進してくる。
「引くなあッ! 引くな、押し戻せえッ!!」
 八郎太は叫んだ。
 ――そうだ、ご陣代はなんと言っていた!?
 乱戦になれば、刃で敵の急所を斬る、突くなどという芸当は、どんな達人にも無理だ。そんな時は……。
「殴れ、殴れ! 槍で刺すと思うな、殴れえッ!」
 手始めに、目の前に突っ込んできた軍馬の鼻面を、槍の石突きで思いきりひっぱたく。
 すさまじい声でいななき、馬が竿立ちになった。
 乗っていた武者が地面に放り出される。
 すかさず、足軽どもが襲いかかった。武者が立ち上がる前に、回りを取り囲んで一斉に槍を突き立てる。
 ほかにも、馬の脚を折られて、人馬もろとも堀へ転げ落ちる者、馬の背からたたき落とされ、踏みにじられる者。主人を無くした軍馬は、一目散に戦場の外へ逃げていった。
 死体の山が築かれ、堀の水が赤く染まった。
 荒野を縦横無尽にかけまわる野戦ならともかく、攻防がただ一箇所の橋に集中しているこの状況では、騎馬武者もさほど有利とは言えない。むしろ大きな軍馬は狭い橋の上で思うように身動きがとれず、数名の足軽に取り囲まれてあっという間にハリネズミ、という状態だった。
 無論、那原勢にも死者は出ている。八郎太もその足で、息絶えた仲間の亡骸を踏み越えた。
 だが、桑島の先陣隊はじりじりと押し戻されつつあった。どうしても、一五〇そこそこの槍ふすまが踏み越えられない。
 ――そうだ、ここが踏ん張りどころだ!
 櫓に立つ物見が正面を指さし、叫ぶ。
「動いたッ! 大将の馬印が動いたぞ! 桑島勢本陣、出ますッ!!」
 物見が使っている遠めがねは、鳥飼輝正からの贈り物だ。
 八郎太は、川の向こうに目を向けた。
 きんきらぴかぴかの巨大な吹き流しを先頭に、騎馬武者およそ五〇騎、足軽三〇〇人が、膝上まである川を一斉に渡河し始める。水しぶきがあがり、煙のように軍勢を包み込んだ。
「来るぞおッ!」
 その叫びは、敵味方どちらのものだったのか。
 人馬一体となって突っ込んでくるその軍勢から、何かが投げられた。
 足軽たちが、次々に何かを投げつけてくる。
「なんだ!?」
 得体の知れない投擲
(とうてき)武器をもっとよく確かめようと、虚空に目を凝らした時。
 爆発音がとどろいた。
 大地が揺れ、土砂が舞う。次の瞬間、土塊
(つちくれ)や砂利が雨のように降りそそいだ。
「うおっ!?」
 続いてもう一発、二発。
 たて続けに爆発が起きる。
「焙烙火矢だ!」
 桑島の足軽どもが投げつけているのは、原始的な手榴弾だった。素焼きの丸い土器に火薬を詰め、短い導火線に火を点けて敵に投げつける。
 無論、殺傷力はそれほど高くはない。爆弾というより、放火のための道具だ。が、なによりその爆発音と火の手が、敵の戦意を容赦なくえぐり取る。
 足元で焙烙火矢が炸裂し、その爆風で八郎太は吹っ飛ばされた。
 地面に叩きつけられた衝撃で、一瞬息がつまる。
 が、堀の中に転落しなかっただけまだマシだ。
「あちちち……。痛ってえ……!」
 無様にもがきながら、八郎太はふたたび立ち上がった。
 身体中が痛い。全身の骨がばらばらになってしまったみたいだ。口の中はじゃりじゃりで、血の味もした。
 あたり一面、強い火薬の臭いがたちこめる。煙が目に染みる。まともに吸い込んでしまい、咽せて転げ回る者もいる。
 その上に、さらに焙烙火矢が降ってくる。爆発音がとどろき、足軽が一人、火だるまになって堀へ転げ落ちた。
 土塁にぶつかる焙烙は、急ごしらえの土壁を抉り、吹っ飛ばす。水気を含んだ土砂がまき散らされ、兵たちの目や口に容赦なく飛び込んだ。
 悲鳴が上がる。血と炎と泥濘の中、那原の足軽たちが次々に倒されていく。
「ちくしょうっ! ご陣代、まだかよーっ! もう保たねえぞ!!」
 その時。
 ヒュウッ!と虚空を裂く鋭い風切り音がした。
 見上げると、青い空にひとすじ、白煙を引いて火矢が飛ぶ。鏃
(やじり)に火をつけた、文字通りの火矢だ。
「合図だ!」
 ――ご陣代の合図だ!
 八郎太は血まみれの槍を振り上げた。
「みんな、逃げろおーッ!!」
 声を限りに叫ぶ。
「本隊が来るぞ、この橋はもう保たねえ! みんな、逃げろーっ!」
 声が聞こえた者は、一斉に自分の持ち場を放棄した。
 だが、背後の城門はかたく閉ざされ、逃げまどう兵たちを受け入れようとはしない。
 前からは押し寄せる敵の軍勢。
 逃げ道は、左右の山の中しかない。
「森の中へ逃げこめ! 後ろを見るんじゃねえぞ!!」
 八郎太は城を囲む堀に沿うように走りだした。
 何人かが後ろからついてくるのがわかる。
 士気が落ちた軍勢は、あまりにも脆い。那原の足軽隊は、雪崩のように逃亡し始めた。
 ――逃げろ、逃げろ、みんな! ここがいちばん肝心だ!
 死にたくなければ、死ぬ気で走れ!
「那原の守備が崩れたぞ!」
「今だ、突き進め!」
 気圧されていた桑島の騎馬武者たちが、ふたたび体勢を立て直す。
 敵勢の意気が一気に高まった。
 雄叫びをあげ、騎馬武者が、徒士
(かち)が突撃してくる。
 その頭上に、城から矢が射かけられた。だがそんなものは焼け石に水だ。押し寄せる軍勢を止めるすべなど、もはやない。
「逃げる者にかまうな! どうせ雑兵だ!」
「門に取り付け! 城に火を放て!」
 黄金の吹き流しが、桑島の領主間部玄蕃の馬印が、誇らしげに進軍してくる。
 その時。
 大地が揺れた。
 ご、ご、ごごご……と、不気味な地鳴りが聞こえる。
 桑島の軍勢は、一瞬誰もが自分の耳を疑った。
 空は晴れて、雲ひとつない。なのに、この雷鳴のようなとどろきはなんだ。
 そして次の瞬間。
 藤ヶ枝城と此花館を囲む堀が、その水を堰き止めていた高い土塁が、一気に崩落した。
 幅五間、深さ一間(約一・八m)、総円周三町あまり(約三三〇m)にも及ぶ堀に、満々とたたえられていた水が、文字通り堰を切ってあふれだした。
 土塁は門の左右二ヶ所からまったく同時に決壊し、そこからあふれ出した水は鉄砲水となって、その前にあるものすべてをなぎ倒した。周囲の土壁を抉り、飲み込み、凄まじい濁流となって、今まさに藤ヶ枝城に襲いかかろうとしていた桑島の軍勢に、反対に襲いかかる。
 水位はせいぜい人の胸ほどだ。だが城と茂庭川までの高低差が水の勢いをさらに増し、それを浴びた者は、まるで自分の身長ほどもある巨大な手に、真横から思いきり張り飛ばされたような衝撃を受けた。
 馬も人も、立っていることは不可能だった。泥流の中に押し倒され、さらにその上に泥の波が押し寄せる。同じく泥の中で身動きが取れない同胞たちの下敷きになり、泥で溺れる者もいた。
 誰が想像していただろう。自分の城の、まさに守りの要の水堀を、まさか自分の手で破壊するなどと。
 よく見れば、急ごしらえの土塁はところどころに土の盛りかたが非常に甘い部分があり、そこからは常にじわじわと堀の水が染み出していた。わずかな衝撃でもぼろぼろと崩れる土壁を、丸太の杭を打ち込んでかろうじて止めてあったのだ。
 だがそれを、頼みの綱であるはずの土止めの杭を、了海は自らの合図ですべて同時に引き抜かせた。
 杭に巻き付けていた綱は地中に浅く埋め、目立たないようにしておいた。さらに土塁を這い、狭間を通って城内に引き込まれ、壁の後ろに隠れていた兵たちがその端をしっかりと握って了海の合図を待っていたのだ。
 すべての細工は、桑島の密偵の目をあざむくため、土塁の修復工事の最中に行われた。水漏れのする土塁は、手抜き工事でもなんでもなかった。すべてこの崩落を引き起こすために、あらかじめ壊れやすく作られていたのだ。
 櫓の上から、了海は見ていた。桑島の本陣が動き、藤ヶ枝城の堀のすぐ目の前まで押し寄せてくるのを。
 万が一、玄蕃が「車懸
(くるまがかり)の陣」のように、ひとつの部隊が消耗したら引き上げて、また次の部隊を、というように味方の兵を小出しにしていたら、この奇策はまったく意味がない。
 敵の主力が一斉に藤ヶ枝城の前面に取りついてくれる必要があったのだ。
 そのための役割を担っていたのが、八郎太が率いる足軽隊だった。
 戦闘が始まった当初は堅い守りと強い士気を見せ、たとえ少人数の足軽隊でも容易くは敗れないというところを見せる。彼らを粉砕するために、玄蕃が軍勢の主力を投じた瞬間、今度は一転して逃走を始める。
 敵が後ろを見せれば、誰だってかさにかかって攻め込んでくる。
 戦場での通信手段は人間による伝令のみであったこの時代、指揮官の命令一下、大軍が一糸乱れぬ動きをするなどということは、あり得ない。人間の肉声による命令が届くのは、せいぜい一部隊どまり。実際に戦闘が始まってしまえば、混乱の中で個々が勝手に戦い続けるしかなかったのだ。
 そんな、個人の武勇に頼るしかない兵たちの目の前で、敵が潰走し始めたら。
 誰もが手柄をあげるために、我先に最前線へ突っ込んでくるだろう。大将がいくら制止しようとしても、止まるものではない。もろい土塁に取りつき、門に殺到する。
 その瞬間、了海は堀を決壊させた。
 小規模な山津波を人の手で起こし、桑島の軍勢を一気に飲み込んだのだ。
 八郎太の部隊は、決死の囮をみごとに果たした。
「者ども、今だっ! 城門を開け、討って出ろッ!!」
 那原の鬼が命令をくだした。
 泥流に飲み込まれたとはいえ、桑島の軍勢はその大半がまだ生きている。ぬかるみの中でもがき苦しみ、馬も人もまだ立ち上がれない。
 そこへ、城内に温存されていた那原の最後の兵力が、一気に襲いかかった。
 数では、桑島のほうが圧倒的に有利だ。
 だが彼らは、突然目の前に押し寄せてきた濁流に、完全にうちのめされていた。泥だらけになって這いずりまわり、槍も刀もすべて失ってしまった。未だに何が起きたのかすらよくわかっていないのだ。そして何より、彼らが最新鋭の武器としてたずさえていた焙烙火矢は、導火線が泥水にまみれて使い物にならなくなっている。
 桑島勢にはもう、戦う気力などどこにもなかった。
 反撃は、一方的な虐殺に近かった。
「よっしゃあ、おれも行くぞーッ!」
 八郎太はふたたび槍を握り、逃げ込んでいた茂みを飛び出した。
 陣代からは、囮となって逃げ出したあとは、もう戦場に戻る必要はないと言われている。そのまま一気に走り続け、敵が追ってこない遠くまで逃げのびろ、と。
 ――そんなわけにいくかよ!
 ご陣代の策の要は、いつだってこの八郎太が果たしてきた。
 だからこそ、戦を〆める最大最後の大手柄も、この八郎太があげるべきだ!
「おらあああッ! どけどけどけどけええーッ!!」
 頭上高く槍を振りかざし、八郎太は叫んだ。
 ――目指すは、敵将、間部玄蕃の首ただひとつ!
 戦場は大混乱だった。
 誰もかれも泥まみれだ。鎧や兜につけた合い印もほとんど見きわめることができない。
 旗指物は倒れ、ぬかるみに転がった死体が障害物になる。乗り手を失い、暴走する軍馬。鎧も槍も投げ捨てて、裸同然で逃亡する足軽たち。それを桑島の騎馬武者が馬上から刀を振り回し、無理やり戦場へ連れ戻そうとする。
「逃げるな、戦え! 逃げる者は儂が斬るぞ!」
「うるせえ、こんな負け戦、やってられるか!」
「命あっての物種だ!」
 悲鳴と怒号が飛び交い、槍が折れ、穂先で火花が散り、血飛沫があがる。まさに地獄絵図、嵐のような凄まじさだ。
 その中を、八郎太は走った。
「どこだ、玄蕃、どこだッ!!」
 桑島の大将を示す馬印が、どこにも見えない。
 敗北を悟り、すでに逃亡に転じたのかもしれない。
「くそおっ! 逃がしてなるかよーっ!」
 その時、
「こっちだ!」
 すぐ耳元で、声が聞こえた。
「間部玄蕃が川下へ逃げるぞ! 追え!」
「川下!?」
「そうだ。走れ、今なら間に合う。奴の首級
(くび)を奪れ!」
 言われるまま、八郎太は走り出した。
 この声は誰だとか、この言葉は本当なのかとか、頭で考えるより先に身体が動いていた。
「川を渡れ! 見えるか、あの松の根元だ!」
 声のするほうをちらっと確かめる。
 そこには、飛ぶように走る若い男の姿があった。
 髪はとても短く、まるで毬栗
(いがぐり)のようだ。
 ――坊さんか?
 それにしては、着ているものは僧衣ではない。汚れた小袖に短い鉢がね、簡単な胴丸鎧すら身に着けていない。手には抜き身の刀があるきりだ。だがその軽装のせいか、驚くほど身が軽く、足が速い。まるで猿
(ましら)だ。
 その横顔に、八郎太はどこか見覚えがあるような気がした。
「奴を逃がすな! ここで玄蕃を逃がしたら、戦はまだ続くぞ! 玄蕃がいる限り、桑島は絶対に那原の金山を諦めねえ。何度でも何度でも、那原を撫斬にしようと攻めてくる!」
 その言葉に、血まみれの片袖を思い出した。
 無惨に引きちぎられ、焼けこげも残る、子どもの着物の袖。着ていた子どもはどれほど酷い殺されかたをしたのだろう。
 もう二度と、あんな片袖を作らないために。
 この那原を、故郷を守るために。
 今、それができるのは、俺だけだ!
「いたぞ、玄蕃だ!」
 若者が前方を指さした。
 黒光りする大鎧に身を包んだ武者が、数人の武士に守られ、戦場から逃走しようとしている。
 巨きな男だった。髭
(ひげ)だらけの赤ら顔はまるで鬼のようだ。だがその勇猛そうな侍が、馬も捨て、視界をさえぎる兜も放り出し、一軍の将、一国一城の主としての誇りもかなぐり捨てて、哀れな姿で落ち延びようとしている。
「うおおおおおッ!!」
 八郎太は咆吼し、頭上高く槍を振りかざした。
 玄蕃のそばに残っていた子飼いの武士たち数人が、最後の壁となって立ちはだかろうとした。だが、泥まみれの大敗北が彼らの戦意を徹底的に剥ぎ取っていた。たったひとり、槍を振りかざしただけの雑兵に、鎧兜に身を固めた武士たちが完全に気圧されている。
「行け、八郎太! まわりの雑魚どもは、俺が引き受けた!」
「おうッ!」
 言われるまでもなく、八郎太の目に映っているのは、玄蕃ただ一人だった。
 いくつもの集落を焼き討ちにし、那原に暮らす数千人もの人間を皆殺しにしようとした男は、今、たった一人の足軽に怯え、無様に背中を向けて逃げ出そうとしていた。
「逃げるな、玄蕃ッ!!」
 八郎太の長槍は、狙い過たず玄蕃の首をつらぬいた。
「那原の恨み、てめえに殺された女子ども、百姓たちの恨み、覚えたかあーッ!!」
 見事な鎧に包まれた巨躯が、どうっと前のめりに倒れる。まるで、槍につらぬかれてもまだ、生き汚く逃げようとしているかのように。太い指が地べたをかきむしり、そしてすぐに動かなくなった。
 断末魔の悲鳴さえない、無様な最期だった。
 そして、今はもの言わぬ骸となった玄蕃を、八郎太は無言で見下ろした。
 不思議と、涙はなかった。
 ただ胸の中に、乾いた冷たい風が吹き抜けるような、妙な寂寞感があるきりだった。
 ――この男が死んでも、すべての戦が終わるわけじゃない。
 那原が狙う敵がいなくなったわけでもない。この恵み豊かな土地を欲しがる者は、あとからあとから湧いて出るだろう。いや、那原の支配者が他国を狙って侵略戦争をしかけるかもしれない。そうなったら、那原の兵である八郎太は、それに従うしかないだろう。
 人の世が続く限り、戦はなくならないのかもしれない。
 ――それでも、俺は今、生きている。
 今日、ここにこうして生き残ったからには。
 この命が擦り切れて果てるまで、生きて、生きて、生き抜いて、戦い続けなければならないんだ。
 そのために人はみな、生まれてくる。
 生きて、戦って、おのれの手でなにかをつかみとるために。
 もがき苦しみ、傷つき傷つけて、人は生きるんだ。
 周囲を見回せば、玄蕃の家臣たちもみな、斃されていた。
 作法どおり腰の刀を貫、玄蕃の首を斬り落とす。
「間部玄蕃、討ち取ったり……!」
 勝ち鬨もなにもない、静謐な勝利だった。
 そしてふと気づくと、あの若者の姿が消えていた。
 逃げる敵将を見つけ、その首級を挙げるのを手助けした大手柄なのに。それを誰にも言わずにいなくなってしまうなんて。
「あいつ、いってえ……」



 胸の前できつく両手を握りしめ、気づけば由布はずっと祈り続けていた。
 由布とともに奥の丸に籠もったのは、城代家老のほか、領内の乙名衆の中でも年老いて、槍をかついで戦場を駆け回るのはいささかしんどい、という者たちばかりだった。
 八郎太の父、杉名の一郎兵衛は、同じ集落の男たちを率いて、井戸曲輪の守りを固めている。
 常光院の尼僧たちは、子供や病人たちの面倒を見るため、漆喰で塗り固めた米倉に籠もっている。分厚い漆喰の壁は、焙烙火矢の炎もよせつけないだろう。
 ――万が一の時は、せめて米倉におる者たちだけでも、助命してもらわなければ。どうぞ間部玄蕃が、わずかにでも人の分別を残していますように。
 由布は胸の底で、必死に祈る。
 祈ることしかできない自分が、あまりにも情けなかった。
「なんの、ご心配はいりませんぞ」
 それが口癖になってしまったのか、城代は何度も同じ言葉を繰り返した。
「ええ、心配などしておりません。だって御坊たちは、負けませんもの」
 由布もにっこりと笑って、何度でも同じ返事をする。
 ――そうよ。だって約束してくれたもの。
 御坊は、絶対に負けないと約束してくれた。生きて、わたくしのもとへ戻ってきてくれると、約束した。
 人馬の足音、鬨の声。立て続けに響く爆発音。戦の物音が怖ろしい想像をかき立てる。
 ともすれば、心が弱いほうへ弱いほうへと流れてしまいそうになる。





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